結婚までの30日

あべ鈴峰

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結婚まで30日

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残り29日。

アランは届いたばかりの指環を 色々な角度から見ながら その出来栄えを確かめる 。
(素晴らしい。とてもイミテーションとは思えない)
 出来栄えに満足する。

これで 結婚式が終わったら指輪が返せる 。両親達に婚約が本気だと思わせるために 2カラットもあるダイヤの婚約指輪を 借りたが 、1ヶ月のレンタル料も 馬鹿にならない 。

これで無駄な出費が抑えられる。

書斎の引き出しにしまうと 恋愛小説を手にとって 、お気に入りの場面を 紙に書き出す 。

それが終わると 机の上に積んである 別の恋愛小説を熱心に読み出す。

  ***

シャーロットは 顎を指でトントンと叩きながら 、 行ったり来たり する。


結婚を破談にするには 、どんな方法があるかしら ?

病気?
体は丈夫だし 周りに病人もいないから 感染しそうにない。
 それに 本当に病気になるのは困る。

怪我?
自転車にも乗らないしスポーツもしない。
階段から落ちてみる ?
軽症だったら クズ男たちの思う壺ね 。
否、 でも、顔に怪我をすれば …。
シャーロットは頭に浮かんだ考えを 手で振り払った 。
痕 が残ったら嫌だ。

自殺 ?
でも、家の池は浅いし 、木にくくりつけるなほどの 長い紐も 手首を切る道具も 無い。服毒自殺も 同じ理由で却下。

自殺が無理なら事故 ?
馬車の事故は よく新聞に載っている。けれど 手綱を握るのは 私ではない。

就職 ?
一番有力な方法。俄然その気になったが 、なったと同時にがっくりと肩を落とす。手に職の無い私が 働き口を見つけられるほど 世の中甘くない。
最終手段として 娼婦として 生きるという選択肢もあるが …。嫌だ。そんなことをするくらいなら 川に身を投げた方がマシ。

 他の人と結婚する ?
二番目に有力だけど、 新聞記事が出てしまったし、そもそも 私のことを好きだと言ってくれた 男性にも巡り合ってもいない。

一体どうすればいいのかしら ?

シャーロットは小さく 嘆息する。
いくら考えても良いアイデアが浮かばない 。自分の力だけでは、どうにもならない。
やはり協力してくれる人を探さないと 。お金でメイドを仲間に引き入れる ?だが、肝心のお金がない 。
やはり、友人達に助けを求めるしかない 。でも私が 反抗することを想定して 何か吹き込んいるかもしれない。

手紙も無事届くかどうか怪しい 。
ここは直接会って 助けを求めないと。そのためには 、この家から、抜け出さなくては。

 日中はメイドが目を光らせているし 夜間は門が閉ざされていて、 一人では重くて開けられない 。
高い鉄柵を乗り越えるなど 道化師でもない限り無理。

 しかし、何としても使用人たちの 目を盗んで家出しない事には、始まらない。

シャーロットは立ち止まると 指をパチンと鳴らした。
「そうよ 。タイムテーブルを作れば、良いんですわ 」
そうすれば 、きっと誰にも見つからずに 、この部屋から外に出れるはず 。時間がかかっても 確実な方法にしよう 。
失敗すれば 二度目は無い。それに 急がば回れという。
後は アレをどうやって入手するかね。


残り28日 。

例のアレが手に入ったので シャーロットは上機嫌で廊下を歩いていた。
結婚式には流行りのアクセサリーでないと 恥をかくと言うと案の定 お母様が宝石商を呼んだ。

その隙に 手持ちの宝石を 現金に換えて貰う。
婚約者に 内緒で プレゼントを買いたいから と言えば、 誰も不審がらない 。

念願の 現金というものを手に入れた 。
キラキラと輝いていて 意外に重い 。物を買うためには 、お金が必要なことは知っている 。それくらいの常識は持ち合わせているが…どうやって使うかは知らない 。

外での買い物は 、お供の者が 払うから…。
(きっと大丈夫ですわ 。人の振り見て我が振り直せと言いますもの )
買い物は何とかなるだろう。
 問題は家出するまで 、どこに隠しておくか。
見つかれば、メイドに盗まれる可能性が高い 。
お金に名前は書けないから、言い逃れされてしまう。

良い隠し場所はないかと考えながら 自室のドアを開けると メイドと鉢合わせする。
驚いて目をぱちくりさせていたが 、メイドより先に立ち直った。

 明らかに狼狽している メイドの姿は滑稽だ 。
どうせ 両親から言われて 探りを入れてるんでしょうけど 。いくらメイドでも 勝手に入ることは許さない 。
「どうして、あなたが此処にいるんですの ?許可なく入っていいと思っているの !」
「あっ、いえ、 その …これは ……」
オドオドするばかりで 言い訳一つまともに思いつかない でいる。慣れないことしてるから 失敗するのよ 。
(私をスパイするなんて 100年早いですわ )

メイドを睨みつけていたが シャーロットは首を捻る。
私が何か企んでいないか 調べるにしても早すぎる。
 もしかして別の理由 ?2カラットの ダイヤモンドの指輪の魅力に勝てなかったとか ?
それなら、それでも、いいんですけど 。
「さっさと答えなさい 」
「そっ、 それは…」
メイドを指差したまま詰め寄っていく 。

また勝手に部屋に入ってこられるのは 、私としても都合が悪い 。このメイドを見せしめにして 入室を阻止しないと 。
メイドが首を振りながら 後ずさって行くと鏡台に ぶつかった。 はずみで ガタンと音を立てて 引き出しが開く 。
それを見て、 お仕置きの方法を思いついた 。

シャーロットは 、わざと体を入れ替えると メイドに気付かれないように 婚約指環を取り出して 手の中に隠す 。
「そう、そうです。 汚れていたので掃除を 」
「そんなの下級メイドがすることでしょう 。どうして上級メイドの あなたがするの? 」
左腕で メイドの腕を掴んで 体を引き寄せると 自分がしようとしたことへの罪悪感からか メイドが目を逸らす。
その隙に 右手でメイドのスカートのポケットに 指輪を落とす。

 コン、コン !

ノックの音に メイドが、ほっとしたように 胸に手を置く。
( 気づいていないようだわ。 成功ね)
「 シャーロット様 。奥様が 、お呼びです 」
「分かったわ 」
シャーロットは 返事をすると 今回は見逃すけど 次はないわよと メイドを一瞥して部屋を出た。


 自分で選んだ嫁入り道具は 、どれもこれも最高級品だから 文句は言わせないと言う 、お母様の言い訳を シャーロットは 上の空で聞いていた 。
嫁入り道具など 何の関心もない 。
一通り言い終えると お母様が、お茶を口に運ぶ。

しばらくして 、お母様の視線が 私の指にとまる。
眉頭を寄せている。
何が気に入らないのか、察しは付くが、あえて気づかないふりをする。

私からの ささやかな意思表示だ 。
「どうして婚約指環をしていないの ?」
「別にいいでしょ。自宅なんですもの 」
(死ぬほど嫌だから! あんな男のモノなんか 1秒もつけたくないからですわ !)
心の中で 本音を叫ぶ 。
面と向かって言えたら スッとするのに 。
「まったく、あなたは婚約したんだから 、いつも身につけていないと、イケないのよ」
お母様が首を振って 子供じみた行為だと一蹴する 。だからといって 大目に見る気はないらしい。
その証拠に 控えていたメイドに持ってくるように 合図を送っている。それを 目の隅で捉えた 。

「ああ、いうのを 悪趣味と言うのよ 。成金みたいですもの 」
「2カラット以上あるのに贅沢ね 」

出た !

なんでもお金 。あんな、これみよがしの指輪をしてたら 私の神経が疑われる。
「 私は、たとえ 0.1カラットでも 気に入ったものを身につけますわ 」
「そんなの、ただのゴミじゃない 」
お母様が吐き捨てるように言うと 怒りがこみ上げてくる 。
とても血が繋がっていると思えない発言だ 。
お母様には自分がない 。他人にどう思われるかが 自分の価値観になっている 。他人が良いといえば 、どんなことでも同意する 。長く社交界に身を置いたせいで 、なんでも保守的だ。

今、誰が一番権力があるか 見極めて 、その人に気に入られようと必死だ 。そんな処世術なんて 馬鹿らしい 。
シャーロットは 自分の胸に手を置くと ピタリとお母様を見据え言い放つ 。

「お母様 。この私が気に入れば 、それはゴミじゃなくて 太陽ほどの価値があるんです 」
「……勝手に言ってなさい 」
私を見ていたが、何も言い返してこない 。

私に口で勝とうなどと 到底無理だと知っているからだ 。
お祖母様に 私が何でも言い返すから、よく呆れられて 額を突かれていたことを思い出した 。
お祖母様のことを思うと自然と笑顔が浮かぶ 。

メイドが部屋に戻ってくると 私をちらりと見てから 、お母様に耳打ちする 。話を聞いている、お母様の目がつり上がる 。
シャーロットは、その様子を ティーカップ越しに見て楽しんだ 。
「 シャーロット。指輪は、どこに 隠したの?さいさっさと白状しなさい」
お母様がイライラとテーブルを指で叩き出す。
「何を言ってますの ?鏡台の 引き出しにしまいましたわ 」
小首をかしげて しれっと 、しらをきる 。

すると、これ以上くだらないことに付き合っていられないと 私の返事を無視する 。
「いいから、早く言いなさい」
嘘だということは、お見通しだと言いたいのだろう 。
「答えましたわ 」
私が 憂さ晴らししていると 勘違いしてる。お母様が我慢の限界だとヒステリックに 怒鳴って席を立つ 。
「シャーロット ・アン・グラハム !答えなさい !」
その声の大きさに 控えているメイドたちが ビクリとした 。

これ以上焦らしても 機嫌が悪くなるだけね 。
シャーロットはカップを置くと 徐にお母様を見る。
「考えてもみて ?クズ…… アランに付け込まれるだけなのに 、どうして、私がそんなことをする必要がありますの 」
「……じゃあ 指輪は、どこに行ったの ?」

諌めるように 落ち着いた 声音でそう言うと お母様も確かにそうだと 戸惑っている 。シャーロットは部屋の隅で 、かしこまっているメイドを横目で見る 。

私の視線に気付き 、その場にいた全員が 、そのメイドを見た。
「あのメイドは勝手に私の部屋に入っていましたわ 。それに声をかけたら、ひどく狼狽して 疚しい気持ちがあったからに決まってますわ 」
「違います!奥様、信じてください 」
メイドが慌てて お母様のもとに駆け寄る。 自分じゃないと首を振るって助けを求めているが 、お母様本人も 半信半疑 。
部屋に入って  探れと命令したが 、それに便乗して 泥棒していないとは言い切れない 。

「嘘か、どうかは調べてみれば、わかることですわ 」
(あなたのスパイが、実は 泥棒でしたと言う オチは気に入ってくださるかしら ?)
私が促すと 確かめるように と、自分付きのメイドに目配せする。
身体検査が始まるとすぐに 、ポケットから指輪が出てきた。

メイドが、お母様の手のひらにある指輪を見て、ギョッとしている。
 他のメイド達が 騒ぎだす。
わなわなと震えながら 指輪を見ていたお母様が 怒りを込めてメイドの頬を叩いた 。
「お前と言う者は!」
「ちっ、違います。これは何かの間違いです 。本当です 」
「……」
メイドが、それでも信じてほしいと 何度も頭を床に、打ちつけている 。黙って見下ろしているだけで、お母様は何も言わない 。
(どうする気なのかしら ?)

皆が固唾を呑んで メイドの運命を 見守っていた 。
とうとう泣き出したメイドが、お母様のドレスの裾をつかむ。
「 おっ、奥様も、ご存知のはずです 。私がシャーロット様の部屋に無断で入ったのは 」
メイドが必死に言い訳すると お母様がピシャリと黙らせた 。
「お黙り!」
その姿を見て、やはり、お母様の回し者だと確信する。

「執事を呼んで 、この者を役人に突き出してしまいなさい 」
「はい。かしこまりました 」
そう命令すると 、すがりつくメイド 足蹴にして 、お母様が部屋を出て行く 。
「奥様。奥様。奥様……」
閉まったドアを叩きながら メイドが泣き叫んでいるが自業自得だ 。
どうせ、アランに、バレるのを気にして 役人など呼ばない。
紹介状なし 退職金なし で、クビになるだけのこと 。

これで、しばらく 部屋を荒らされることもないわねと シャーロットは 足取りも軽く 部屋を後にする。

  ***

窓の外を見ていた シャーロットは 刺繍台のところへ行くと 赤い糸で 花びらを1つ刺繍する。
アイボリーの生地に 色とりどりの花びらが 刺繍されている。

まさか、これがタイムテーブルだとは誰も気づかない。
色は、それぞれ職業を表している。
赤い花はメイド。青い花は他の使用人 。黄色い花は業者 。

何か紙に書留ようとしたが 、どんなに小さく折りたたんでも、常にメイドたちが 、いるから見つかりそうで諦めた。

隠そうとすれば余計に目立つ。
だから、わざと目に着くようにした。
調べて初めて気づいたがメイド達も取引先の業者も 時間と曜日を常に守っている 。

つまり、 一週間の行動を把握すれば、自ずと決行する曜日と時間が決まる。
まだ何箇所か花びらが無いところがある。
花びら1つが10分 。

何度も確かめたが、部屋から使用人口までは 7分かかる。

シャーロットは 刺繍に手を滑らせながら、その後のことを考えていた。家を出たとして私に何ができるかしら?

メイド、コック、庭師 、ナニー、 家庭教師 。
どの仕事も体験したことはあっても、やったことはない。
興味すら覚えたことも無い。

腕組みして身の振り方を 真剣に考えた 。
私が出来ることは ピアノを弾いたり 、お茶をサーブしたり、 フランス語の通訳をしたり と、どれも客相手の仕事ばかりだ。

ほとぼりが冷めるまで身を隠さないと、イケないのに…。
 (このままでは 娼婦一直線 ですわ )
手に職がないのは 致命的ね 。貴族の令嬢として 生を受けたことを こんなに恨めしいと思ったことはない 。

衣食住、全てに恵まれていた。 他の人から見れば 入れ替わりたいと思うほどの憧れの生活だろう 。
だが、現実は 自分で何も決められない 。自由のない 籠の鳥のような生活 。そして幼い時から 良い縁談に巡り会えるように 家庭教師がつけられ 習い事や 作法など 厳しくしつけられる 。両親と過ごす時間は 、わずかで 病気でも 会いに来てくれないことも しばしばあった。

 美しく着飾り 誰にでも 愛想を振りまくだけ…。
 なんて味気ない 一生なんだろう。


残り25日 。

朝から騒がしく身支度を整えて両親と出かけることになった時から 何かあると予想していたが 、まさかクズ男の家に行くことになるとは …。

いったい何が 待ち構えているのやら 。
シャーロットは暗い気持ちで馬車の中から 無駄に高い 塀を見上げる。
この家に来るのは 今日で2回目 。
最初の時は 、お祖母様と一緒で、子供の自分が一人前のレディ扱いされた事が嬉しかった。


 興味半分 、不安半分で部屋に 足を踏み入れる と 婚約パーティーと称する こじんまりとした 食事会だった 。

(要は 私と本当に婚約したと 知らしめたいのね )
部屋に入るとクズ男の仲間たちが 馬鹿みたいに 口をぽかんと開けて私を見る。
その様子に クズ男が 自慢げに ふんと鼻を鳴らした。
誰もが、予想だにしていなかっただろう。

笑顔を貼り付けて 椅子に座ると クズ男の仲間たちが 、どよめく 。いつもは 絶対零度の視線しか 送ったことがないから、そうなるのは当たり前。

テーブルを見渡すと 私の両親以外は 全て クズ男の家族と 親戚に 、その仲間 。ここでも 私を 孤立させようとする糸が見える 。文句の一つも言いたいところだが 口を噤む。

ここで騒ぐのは私にとって 何の得もない。ヘタをすれば 花嫁教育という名目で同居するはめに、なるかもしれない 。
そうなったら 、せっかくの計画が 無駄になる 。
 屈辱に耐えていると 私の反応が薄いのが 面白くないらしく クズ男の仲間たちの 興味がそれた 。

シャーロットは フォークを忙しく 口に運びながら 、それとなくクズ男の仲間たちを観察する。

 一番右側の 男は 女癖。その隣は ギャンブル依存症 。次は借金王 。最後の一人は ゴシップの常連さん 。
どの男も評判が悪い 。
この中で、まともな男は一人もいない 。と、言うか クズ男の仲間は全員クズだ 。類は友を呼ぶ とは、このことだろう 。

食事会は淡々と進み 、すぐに、お開きになった 。

腹ごなしに庭を散歩しようと 歩き出すと 後ろから 足音がついてくる 。振り返ると メイド が二人控えている。
自分の家でも 監視をつけるの ?
全く信じられないと首を振った 。
「庭を散歩するだけだから 、ついてこなくていいわ 」
「そう言う訳には ……迷われると大変ですので 」
子供扱いにムッとしたが メイドも仕事でしていることだ 。
目くじらを立てるほどでもない 。
「分かったわ。でも もう少し 離れてくれないと 散歩をしている感じがしないわ 」
「かしこまりました 」

クズ男の家の庭は、お手本通りの作りになっている 。
庭師の 血と汗の結晶と いう感じ。家の庭というより 入場料を払って 見るような庭で 私としては 面白みがない 。
バラのアーチをくぐると クズ男の仲間たちの声が聞こえてきた 。そっと覗くと クズ男以外の仲間たちが タバコを吸って たむろっている 。

クズ男の姿はない 。
一体どんな話をするのかと生垣まで近づく。

話題は、やはり 私との結婚。
「しかし 、発表してから 1ヶ月で結婚 何て 、もしかして 孕んでるんじゃないのか ?」
「あるかも 。それくらいなら 早産だって 誤魔化せるからな 」
「言い過ぎだよ 。本当の恋人同士に なったからじゃない」
「 馬鹿らしい 。今時、純潔を 奪ったくらいじゃ 結婚なんかしない さ」
好き勝手言ってくれる 。しかし、腹立たしいが、 ギャンブル依存症の 言うとおり 。それが理由としては 一番しっくりするのは仕方ない 。結婚を急ぐ理由は 今も昔も 、そんなものだ 。

でも 、そうなると 私が結婚してもいないのに 体を許したことになる 。クズ男と、そんな関係だと思われるのは 我慢ならない 。
そこまで考えて 、あるアイデアが シャーロットの脳裏に 浮かんだ 。
解消はともかく 、時間稼ぎになるかもしれない 。

「しかし シャーロットが 口答えひとつしないから 不気味だった な」
そう言って 女癖が大げさに 両腕をこすると、 そうだそうだと 皆が頷いている 。
シャーロットは 握りこぶしを作った 。本心で笑って る訳ない でしょ 。これも作戦のうちよ。

「それ、俺も思った」
「いつもは 羽虫を見るような 目で見てたもんな 」
あら、私が クズ男の仲間たちを 虫けら扱いして こと気づいてたの。視界に入っても 見て見ぬふりをしてたし、正直、同じ空気を 吸うのも 汚らわしい 。

「それにしても、アランは、よくシャーロットと 結婚する気になったな 。俺は、いくら お金を積まれても ごめんだね 」
「だな。口うるさくて仕方ない 」
「「はっ、はっ、はっ」」
 女癖が 顔の前で手を振る。すると他の男たちが 揃って笑い出す。忌々しい笑い声が、ここまで聞こえてくる 。
(全く 、こっちから願い下げよ )

止まらぬ笑い声に 我慢できずに 姿を現そうと した時 、女癖が 興味深い話を 口にした 。
「しかし、招待客も大勢呼ぶし 、今日の食事も 豪華だったし、どこから金を出しんだ」
「そんな金が、あるなら 俺たちに回して欲しい ぜ」
荘園からの収入では 限度がある。
いったいどこから捻出したのかしら ?
クズ男の家は 、はっきり言って 裕福ではない 。

「何か、聞いてるか?」
「働くなんて 貴族のすることじゃないって言ってたしな」
「 シャーロットの持参金が桁外れとか ?」
謝金王の答えに、 皆が首を横に振った。
 良くも悪くも 付き合いが長いだけに、 お互いの懐事情は知っている。
「 でも、母親の実家は金持ちだったよな 」
「あー、でも、 遺産相続では 大してもらってないらしいよ 」

シャーロットは借金王の言葉を否定する。
遺産は、お金だけとは限らない 。私は十分すぎるほどの愛情を お祖母様から、もらった 。弟を産んで産後の肥立ちの惡い、お母様に代わって育ててくれた 。
「あんなに可愛がってたのに 家族でも金になるとシビアだね」
「 ババアのご機嫌とり、やめよっかな ー」
「よく言うよ。毎週、お小遣いをせびってるくせに」
「そりゃ、そうか 」
ギャンブル依存症が、そう言って手を叩きながら下品に笑い出す。他の仲間たちが 愛想笑いで答えている 。

「それにしても、アランの あの作り話には 笑いをこらえるのが大変だった よ」
ゴシップ常連さんの一言で 一気に雰囲気が和む 。全員が思い出しているのかニヤニヤしだした 。一体どんな作り話なの ?
私も聞きたい。
「俺もだ 。顔が、まだ強張っている」
そう言って ギャンブル依存症が 口を開いたり閉じたりしだした 。
「作り話にしても 、お粗末すぎるよ」
「オペラの帰りに、轍に車輪を取られて困っているところ 助けてあげたのが、きっかけで親密になったなんて 。そんなベタな出会いなんか、あるわけないじゃないか 」
「無い。無い」
「田舎ならともかく 市内は石畳だぜ。思わず何処でって、場所を聞きそうになったよ 」
「俺たちに見栄を張ってどうするんだか 」

政略結婚だと 思われるのはが嫌だとしても、そんなに、ロマンチックにしたいの?
 「シャーロットが アランのこと 見直すことなんか 天地がひっくり返ってもないね」
有り得ないと 女癖が大げさに肩をすくめる。
 その言葉に、他の仲間たちが腹を抱えて笑い出した 。
「「あっ、はっ、はっ」」

「 お前たち、ここで何してるんだ!」
突然のクズ男の怒鳴り声が 聞こえてきて笑い声がピタリと止んだ 。声のする方を見ると クズ男が仁王立ちで仲間たちを睨みつけている。仲間たちが慌てて タバコを投げ捨てると靴で踏み潰したり、 タバコの箱を茂みに隠している。

「アッ、アラン。何か用か?」
オドオドしながら、クズ男を仲間たちが迎えている。
話に夢中で気づかなかったが、いつのまにか 、そばまで来ていたらしい。
 クズ男が 忌々しげに煙を払う。
「こんなところで隠れて吸ってたのか? 全く、服に匂いがついたら どうするんだ!」
 不満そうな顔で 仲間たちがクズを見ているが誰も口にはしない。苛立ったクズ男が一人、一人睨みつけると、みなが 視線を外す。

外で吸っているんだから 大目に見ればいいのにと 同情していたが、ハッとした。今が、千載一遇のチャンス!
クズ男の仲間たちを利用しない手はない 。

シャーロットは 真顔になる と、体を低くして 音を立てずにゴシップの常連さんの横に立つ。
「この人たちは私が婚約して僅か」
「一体、どこ 、痛っ!」
今いいところだから 邪魔しないでと ゴシップの常連さんの足を思いっきり靴のかかとで 踏みつけて黙らせる。
クズ男た も 突然、出てきた私に驚いている。

「1ヶ月で結婚するのは、 私が孕んでいる からじゃないかと 侮辱したんです。私はそんな、ふしだらな女じゃありませんわ」
「何言ってるんだ!俺たちは、そんなこと 一言も言ってない。なっ、なっ!」
 ギャンブル依存症が聞かれていたと 察して 何とか誤魔化そうとするが、他のものは バツの悪さに何も言えない。

仲間の様子に クズ男のこめかみに 青筋が立つ 。
もう一押しひだわ 。
シャーロットは 、すかさず後ろを振り返って証人を紹介する。
「いいえ、本当ですわ 。私にずっと付いていたメイドたちに、聞いて下されば分かります」

メイドたちが 酷く、うろたえている。どう答えれば正解かわからないからだ 。シャーロットは胸の前で手を組むと 切々と クズ男に懇願した。

「お願いです。私の純潔を 証明してください。アラン 様のお友達までもが 、そう思うのですから世間の人達は ……。このまま予定通り結婚したら 一生後ろ指をさされてしまいます。 そんなの残酷すぎます 」
本心なだけに、迫真の演技になる 。
シャーロットはハンカチを取り出すと 出てもいない涙を 拭うふりをして 指で強く目を擦る。
クズ男が顔をこわばらせながら聞いている。

「これは、私だけの為ではありません。アラン様の為でもあるんです 。身持ちの悪い妻を 持ったと 誤解されるのは 本意ではないはず 。違いますか ?」
「……」
「どうか 、私のことを思うなら 結婚を半年 伸ばして下さい」
( さあ 、どうする ?半年もあれば 何でもできる )

強く擦りすぎたのか 目が痛い。 周りの人が 同情の眼差しを向けて来る。
どうやら 、赤目になっているみたいね 。仕上げにと ハンカチで口元を押さえる 。

「気にすることはない。本当のことは我々が知っていれば 、良いだけのこと 」
「アラン様は 男だからそんなことが言えるんです 。私のことを好きなら 、どうか願いを聞き入れてください。でないと……私、私 …」
シャーロットは鼻をすすって悲しそうに言う。
(そう簡単に引き下がらないわよ)
仲間に嘘まで ついて 恋愛結婚だと 思わせたことを 後悔させてやる 。

 「確かに 女の裏の顔は 怖いからな 」
「そうだよ 。少しくらい待ってあげなよ 」
女癖が しみじみ言う。
借金王が クズ男を 説得しようとした 。思わぬ援護射撃に 、内心、驚きながら クズ男の出方を待つ。 
しかし 、クズ男は 眉間にしわを寄せたまま 何も答えない 。
頭の中で、この場をどう切り抜けようかと、 考えているのは分かっている 。
でも、 そんな猶予与えると 思ったら甘いわ 。

「アラン様は 私のことなど本当は好きではないんですわ 。だから、私の願いを聞いてくださらないのね」
 その場の空気を味方につけようと顔を背けて、泣き真似 をする。
「私たちの結婚は、急だから色んな憶測が飛ぶだろう 。だが何も恥じることがなければ 、堂々としていれば良い。それに私は 一日でも早く結婚したいほど 君に夢中だ 」
(げっ!)
クズ男の甘い言葉に吐き気がする。
私の機嫌を取ろうと近づいてくる 。
シャーロットは 涙を拭うふりをして、かわす。 私の体に触れようとするなんて 、なんて厚かましい !

「ちっ!」
何が何でも恋愛結婚にしたいらしい 。
 一応の正解の答えに、シャーロットは小さく舌打ちした 。
ここで駄々をこねても 、これ以上、 発展しそうにない 。
悔しいが引き下がるしかない。

「そういうことでしたら 、お母様に、きちんと説明して おいてください 。私たちが 婚約して 1ヶ月で結婚する理由 を」
そう言って クズ男を 睨みつけながら念押しする。クズ男が、どこまで本当のことを話しているか疑問だ 。もし、 親も 騙していたら 、結婚早々 、嫁姑戦争勃発。

 淀んだクズ男の目には 怒りの感情しか浮かんでいない。
 それが 私に図星をさされたことか 、仲間の前で私が反撃したことへの 苛立ちか 分からない 。
クズ男が 絞め殺す勢いで 睨み返してくる 。 

目をそらしたら負けだと 、お互いに睨み合う。

「行くぞ!」
 クズ男が 仲間たちに 八つ当たりに気味に言うと 、踵を返すと母屋に戻っていく 。その後ろに 、ぞろぞろと仲間たちが続く。
 従いながらも 私のことを 何度も振り返っては、盗み見している。
そうよ 。あなたたちの 思ってる通り 。私たちの 結婚は 恋愛結婚じゃないわ 。
クズ男が 無理矢理、決めたこと。

(そう簡単には 、いかないようね )
せっかくのチャンスだったのに 逃してしまった 。まあ、でも 何も収穫が なかったわけではないと シャーロットは笑みを浮かべる 。いくら口止めしても 、クズ男の仲間のことだ。しゃべるに決まっている 。どうなるか楽しみね 。


シャーロットは 、そう思いながら散歩に戻った。
「ここは……」
 目の前に広がる大きい人工池と母屋をつなぐ小さな橋を見て シャーロットの脳裏に 十年前の ことが鮮やかに甦る。
 確か…大人の話に飽きて、魚に餌をあげようと 人工池に行った時……。

橋の手前で数人の男の子が 自分たちより年上だと思われる少年を鞭で打ち付けていた。どの男の子の顔にも怒りや憎しみはなく 。嬉々とし表情が 浮かんでいる 。
その光景を 目した瞬間 、 嫌悪感が 全身を貫く。この男の子達は全員クズだと認定した 。

少年を助けようとシャーロットは ツカツカと近づいていく。「 何してるの !今すぐやめなさい !」
堂々とした態度で 男たちに向かって命令する 。夢中でいじめていた 男の子たちが 私の声に、弾けるように振り向く。
そして、慌てて 鞭や 棒 を背中に隠した。

少しは悪いことをしている 自覚があるのね 。でも、もう、全部見てます 。
「なんだよ 。あっち行け 」
「勝手に庭に入るな」
「ここは立ち入り禁止だぞ 」
私を追い払おうとしてくる 。
シャーロットは その中に 狐のような 金色の目をした男の子を見つけた 。名前は 覚えていないが 、この家の子供だ 。

シャーロットは、その子に向かって 不満を口にする 。
「私は客よ。そんな態度を取って良いと思ってるの」
「生意気だぞ。女のくせに」
「「そうだ。そうだ 」」
くだらない言い訳に うんざりする 。自分たちが、やっていたことを棚に上げて 。全く 、男が偉いの ?馬鹿じゃない 。

お祖母様が 貴族の子供は 生まれた時から 紳士としての教育を受けていると言っていたが、 この子達は 勉強が苦手らしい。
「 あなた達こそ、 立ち去りなさい。言うことを聞かないなら、 このことを全部、伯爵に言いつけるわよ 」
シャーロットは泥と血まみれで丸まっている少年を見た。
ピクリとも動かない 。もしかしたら 、すでに死んでいるかもしれない 。そう思うと 悔やまれて仕方ない 。もう少し早く この場に駆けつけていれば…。

 「言いつけたいなら、言えばいいさ 」
自信たっぷりに、この家の子が 前に進み出てきた。 私の話より自分の話を信じると 確信しているんだわ。でも、それはどうかしら ?
「アランの言う通りだ 。初対面の女の子の話なんか 信じるわけないだろう 」
「「そうだ。そうだ 」」
「そうね、でも、私のお祖母様なら信じてくださるわ」
 腕組みしてそう言い返すと 、途端に 男の子たちが不安そうに顔を見合わせる 。魔法つかいでもない限り。目の前にいる少年を消すなんか、できない のに。それなのに 、どうやって言い逃れする 気かしら。

男の子たちは、 どうしていいかわからず俯いたまま 。
しかし、アランと呼ばれた男の子だけは、私を睨み返してくる 。
(何?やろうって言うの)
 顎をツンと上げて 一歩も引かない態度を示す 。私は何も悪いことをしてない。 不利なの男の子たちの方 。

「これは、躾だ。だから、問題無い」
「しつけ ?」
「そうだ。こいつは俺の靴を汚した。だから罰を与えていた んだ」
アランが、そう言って少年を蹴る。小さな うめき声が聞こえる。 まだ息があると 喜んだが、  そんな些細なことで血が出るほど打つなんて 躾とは言えない 。
明らかに暴力だ。 どんな嫌なことがあったか 知らないが、
自分のストレスを抵抗できない使用人をいたぶって 解消するなんて 、愚か者のすること 。

(この男の子は狂っている)
 恐ろしいと思いながらも 退治 したいとも思った。
アランがドラゴンで、私は勇者。
うずくまっているのが お姫様 。

何としても 助け出さねば、ハッピーエンドにならない。
「罰を与えるのは 家の者の仕事でしょ。それなのに、どうして 他の家のものが加わっているの 」
シャーロットは他の男の子が持っている 道具を指さした。
 アランが振り返って頷く。すると、 男の子達が次々に 池に持っていた物のを落として 。そして、何も持っていないと 両手を振った。
手馴れたものだ。悪いことをするのは初めてではないと思った 。
「何も持ってないぞ。こいつらは見ていただけだ 。なっ」
「 そうだ。言いがかりだ」
 証拠隠滅した男の子たちが、俄然元気なる 。

(なんて卑怯なの!)
突き飛ばして池に落としたいが 、そんなことをしたら 私が怒られる。感情的になったら負けだ 。
癇癪を起こしたと言って 、無かった事にされてしまう。

ドラゴン退治は難しい 。ここに勇者の剣が、あれば……。
(そうですわ。退治が無理なら追い払えばいいのよ )
「だったら 大きな障害物があるから片付けてちょうだい。私は、この橋が渡りたいんだから 」
「そんなもの 見えないけど」
「そうだ。見えないぞ 。どこにある ?」
アランが、がわざとらしく 周りを見回す。
仲間も同じ真似をする 。自分たちが 優位とみるや いなや  面白そうに私を見る。

なんてやつらなの。ニヤニヤ顔を ひっぱたきたいのを握りこぶしを作って我慢した。
シャーロットは 食いしばった 歯の隙間から命令する。
「だったら 、あなた達が どきなさい 。あなたたちの横を 通ったら ドレスが汚れるわ」
「何ー!」
アランたちが怒ったが 私の指摘に 自分たちの服を見て慌て出した 。服の至る所に血がついている。 気づいていなかったらしい。
その格好で 両親の元に帰ったら見ものだわ 。

もう一息で 追い払える と 思った時 アランが 何か閃いたのか 、ふんと鼻を鳴らすと 友達に 自分の横に並ぶように指示した 。
「ほら、 これだけあれば通れるだろう 」 
「 どうぞお通りください。 遠慮はいらないよ」
私を挑発して くる。
「……」
 目の前には大けがをした少年がうずくまっている。どうにか少年を踏まないで 橋を渡りたいがスペースがない。 だからといって回れ右するなど プライドが許さない 。
「早く、渡れよ」
アランたちが囃し立ててくる。私のドレスを汚させて共犯にしようという魂胆ね。 窮地に立たされたシャーロットは 小さくため息をつく。


自分の力で退治したかったが 、仕方ないと 、少しだけ後ろを向いて 助っ人を呼ぶ。
「ザック。この男の子たちには 見えない障害物があるから移動して 」
ザックは、お祖母様の家の 初老の執事だが 、今日は私の子守兼用心棒 。初めての家なので迷子にならないようにと お祖母様がつけてくれた。 7歳なのに赤ちゃん扱いだと腹を立てたが、今は、その気遣いがありがたい。
「かしこまりました」
ザックが 蹲っている少年に近づこうとすると 男の子たちが 一斉に文句を口にする 。

「何するんだ よ。勝手なことするな」
「「 そうだ。そうだ 」」
「あら、あら 急に見えるようになったのね 」
小首をかしげて 言うと 男の子たちが 、一瞬黙り込んだが 、すぐに怒り出す。
「なんだとー」
「 さっきから生意気なんだよ」
 これだから 男はバカなのよ 。後先、考えないで 言い出すんだから。
「だったら 、さっさと あなたが 片付けなさいよ。 使用人の不始末は 主が 責任を取るものでしょ 」
片眉を動かして 小馬鹿にしたように 言うと 男の子たちが 肩をいからせながら 近づいてくる 。

(何? 口で負けるから 、暴力をふるうつもり ?)
そっちが、その気なら、ここで悲鳴を上げるだけよ。
そうすれば 私の勝ちね 。息を吸い込んで 受けて立とうとしていた シャーロットの耳に ザックの 静かな声音が水を差した 。

「お嬢様 」
その場にいる全員が、振り向く。
いつのまにか 少年の首筋に 指を押し当てて 首を振っている 。その仕草が 何を意味するのか知っているが 誰もが 信じたくない。
「 どっ、どうするんだよ」
「 アラン 。なんとかしろよ 」
「お父様に 知られたらどうしよう 」
男の子たちが、アランに助けを求めるが
「知らない 。そんな奴、知らない 。見たこともない」
 本人は 真っ青な顔で 首を振りながら 後ずさっていく 。その無責任な発言に シャーロットは 目を三角にする 。

この期に及んで 言い逃れしようとするなんて 。
「嘘つき !」
「僕には関係ない 」
責めると アランが 脱兎のごとく母屋に走って行った。その後を他の男の子達が 慌てて追いかけていく。
「 アラン!待ってよ」
「 置いていかないで !」
「待ちなさい 。ちょっ、 待ちなさい !戻ってきなさい! これは命令よ!」
男の子たちの背中に 向かって叫んだが 、誰一人立ち止まらない。後を追いかけようとも思ったが 不慣れな場所では 、巻かれてしまうのは目に見えている 。

「この責任 きっちり とってもらうわよ !」
人を殺しておいて 、ただで済むと思ったら 大間違いよ。シャーロットは ドスドスと 足音高く 怒りに任せて ザックの所へ行った。 少年の背中は血まみれだ 。服が 黒じゃなかったら ここまで、やられずに済んだかも 。頭からも血が流れている。 こんな酷い死に方をするなんて 名前も知らない少年だけど 同情せずにはいられない 。
「可哀想に……」
「 シャーロット様 。虫の息ですが生きています 」
「へっ……私は 、てっきり …」
そこまで言って、ザックが、この少年を 助けたくて ひと芝居売ったのだと 理解する 。私も すっかり 騙されてしまった。少年は ぐったりとして 、かすかに上下している 胸を見なければ生きているとは 思うものはいまい。
「ザック、大丈夫なの ?」

こめかみから流れ出た血が 瞳のふちを伝って 涙のように 頬を流れ落ちる 。ハンカチで 傷を押さえると 、みるみる赤く染まっていく。 それを見て本当に助かるのか 心配になった。
「ザック。大丈夫なの?」
「汚れ …ます…」
 少年が目をわずかに あけた 。本来は 美しい緑色の 瞳なのだろうが 、今は 光もなく 生気が感じられない 。
こんな状態なのに相手を気遣う言葉に シャーロットは 目を見張る。
「そんなことを気にしなくて も平気よ。それより 今度、会う時には 元気な姿を見せてね 」
少年が 戸惑った顔で 私を見返してくる。貴族 が自分に優しい言葉を かけるとは 夢にも思っていなかったのだろう 。
私は アランたちとは違う と 言おうとした時 ザックが問いかけてきた。
「いかがなさいますか ?」

シャーロットは  簡単には答えが出せない 。それは 私が、この世で一番尊敬して、何時か、そうなりたいと思っている お祖母様の教えが あったからだ 。
『その場限りの同情は為に ならない』
 簡単なようで一番難しい 。

子犬を拾って飼いたいと言ったが 、お金が、かかるからと 許してもらえなかった。馬小屋で、こっそり飼っていた。だが、5歳の私が面倒を見れるはずもなく。 両親にバレそうになり お祖母様に泣きついた 。
その時、犬は15歳くらい生きるから 、それまで面倒を見る覚悟はないなら 諦めなさいと 言われたことを覚えている。

 自分の都合で 相手を振り回すのは いけないこと。相手にも感情がある 。たとえ動物でも 軽はずみに扱っては、いけないと叱られた 。頭ごなしにダメだと言わない ところが, お祖母様らしい。子供でも 選択権はある と思わせる作戦だ 。

シャーロットは少年を見た 。
少年も自分を見ているが 、どこか 子供だと 私を軽んじている目だ。 シャーロットは、その目が気に入らなかった 。
私は、もう立派なレディだと 証明したい 。
「拾わ」
シャーロットは自分の胸に手を置くとそう宣言した 。
相手は人間だ。犬ではない 。だから 元気になれば独り立ちするはず 。多分…きっと…そうなる。そうなって欲しい。
「 良いのですか ?」
「ええ。この私がそう言ってるのよ」
「 御意」
ザックが 片方だけ腕を胸につけて頭を下げると 少年が目を丸くする。
「まずは傷の手当てをしないと 」
「くっ」
ザックが少年を抱きかかえると痛むのか少年が声を上げる 。悲鳴を飲み込む姿が痛々しい。覗き込むと額に脂汗が浮かんでいる 。
「その後は、どうなさるおつもりですか?」
 確かに 怪我を治すだけでは 助けたことにはならない。 家の使用人として 働かせたいけど …お父様が 、うんと言わないだろ 。
「……お祖母様に相談して 、働き先を紹介してもらうわ 」
「では、そのように」
ザックが 一礼して男の子を連れて去って行く。

あの日以来 会っていない 。お祖母様に怪我が治って 大学に通っていると 聞いたのが最後で 後のことは知らない。
( ティアス。 元気でいるかしら ?元気でいてくれたらいいけど……)


散歩を続けていたシャーロットは 、ふと足を止めた。
「ここはどこ ?」
すっかり物思いにふけって 歩いていたから、 知らない場所に出てしまった。辺り を見回したが メイドの姿が無い。
(見張りのくせに 私を見失うなんて 職務怠慢ですわ )
まさか 大人になって から迷子になるなんて 情けない。

私は 、この庭を見たかったんだと言い聞かせて 歩き続けた。しかし、行けども、行けども人影がない 。その上、靴が擦れて足が痛い。

 散歩はここまでと 、 足をヒョコヒョコ させながら建物のところまでたどり着いた 。 靴を脱いで傷の具合を見た。靴下に血が滲んでいる のを見て顔をしかめる。 見栄を張って新しい靴を履いてきた報いだ。

後は壁伝いに進めば玄関まで行ける。
もう一度靴を履こうとした時 、家の中から声が聞こえてきた 。聞き覚えのある声に、窓ガラスの桟に手をかけて覗くと 、クズ男が グラスを二つ持って歩いている。

誰と飲むのかと首を伸ばすとお父様の姿があった 。 
(二人で何を話す気なのかしら ?)
シャーロットは精一杯背伸びして窓ガラスに耳を押し付ける。
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