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逃避行

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 クロエは 血が滲むほど 拳を作る。信じていた。私の心のよりどころだった。ネイサンが いたから 前向きになれたんだ。それほど大切な存在だったのに……。
その思いは 一方通行で、私のことなど何とも思っていなかった。
私の話に熱心に耳を傾けたのも 事情聴取だったからだ。

 羽をもぎられたように、天国から地獄へ突き落とされた。
もう "私"を受け入れてくれる人は、いなくなった。たったの1人もいない。
私の今までの人生は 何だったの?
笑顔も 優しさも それも幻だった。
私は この世界に拒絶されている。

 こんなことなら、生に しがみつくことなど しなければ 良かった。
さっさと死んでしまえば、こんな思いをしなくて済むんだのに……。
そうすれば、伯爵夫妻だって より辛い苦しみを与えることもなかったし、私だって罪悪感を持ちながら生きる必要もなかった。
ネイサンに 会うこともなかった。

 ひどい裏切りに折れそうになりながらも 立っていた。
その感情は怒りだった。
私だって好きでこ の体に転生した訳ではない。
(それなのに、それなのに……。何で私ばかり)
何もかも捨てて逃げたしてしまいたくなる。
「見逃して欲しい」そう口から出かかった。でも、それを言ってしまったら罪を認めたことになってしまう。何としても自分に罪が無いことを分かってもらわないと。
すがってしまったら自力で 立てなくなる。

 ネイサンが指をトントンとしながら、考えこんでいる。
( ……… )
大丈夫。客観的に理路整然と話しをすれば伝わる。
「ネイサン様、私」
「身体を返せと言われたら困るだろう」
「……はっ?」
ネイサンの言葉に、湧きあがっていた怒りが一瞬で霧散する。
(何で そう言う考えになるの?)
いつも考えることが斜め上なのよ。頭が痛いと こめかみを押さえる。

 紛らわしい言い方に 別の怒りが沸く。説明もなしに答えを言ったり、主語が無かったり、慣れたと思ったが 自分のこととなるとそうもいかなかったようだ。
「返せと言われる前に立ち去ろ」
即決したネイサンが私の手首を掴んで歩き出す。私を連れて逃げたいらしい。もちろん嬉しいし、ついて行きたい。
ネイサンなら間違いなく二人からクロエの体を奪われないようにしてくれる。王子だし、金も魔力も有り余っている。だけど、そんな事したら私は 二度と彼らと顔を合わせられない。
それのに 私なんかの為に罪を犯して欲しくない。


 そんなことで将来を棒に振ってほしくない。
「待って下さい」
その腕を振り払った。
逃げるのは簡単だけど、何も言わずに行方をくらますのは育ててくれた二人にたいして恩を踏みにじる事になる。そこには捨てきれない情があって、それが私を引き止める。この気持ちを何と言って伝えれば分かってくれるだろう。
( 多分、心のどこかに もしかしたら という小さな希望の芽があるからだ) 
でも そのことを口にしたら引っこ抜かれそうだ。
言葉を探していると、ネイサンが また 理解不能なことを言い出した。

「分かった。返せと言われたら返そう」
「はっ?」
また、斜めな方向に話が 進んでいる。ネイサンの頭の中では順序立てて考えているんだろうが、行き成り結論を言われても私のような凡人は理解に苦しむ。
ぶり返した痛みに、ため息とともに首を振る。
体と魂を別々にできないのに、体を返してしまったら、 私の魂は天国に帰ることになる。
「ネイサン様、落ち着いてください。わかるように」
「私は最悪、クロエが人で無くても構わないと思っている」
「どう言う事ですか?」
遮るように話す内容はあまりにも突拍子過ぎて逆に冷静になった。 人でも構わないって、私に幽霊にでもなれと言っているの?
( いくらなんでも、私の死を願うなんて、あんまりだ)
それに幽霊になったら 、霊感のないネイサンには 見えなくなるし、 声だって聞こえなくなってしまう。
( まさかの ネクロマンサー?)
そこまでして私に 生きてほしいの? でも、それって……生きてると言えるの? 首を稼げる私に対して、妙に興奮したネイサンが 身振り手振りで語り出す。


「研究者が双子石を使って無機物に魂を入れると成功したと結果を発表している」
「はっ?」
新情報に 間抜けな 声が出る。
双子石が軍事目的で 開発されたのは知っていたが 、そこまで サイコパスの実験をしていたと思わなかった。でもそんなことをする意味は? 情報収集のため?
その研究目的も分からないし、どうやって成功を確認したのか?
怪しすぎる。
双子石の研究は とうの昔に禁止されているから古い情報だ。そんなカビの生えたような話しを信じるにはリスクが高過ぎる。

 そもそも 何でそれが私に関係あるの? 無機物って、人形やぬいぐるみことでしょ。
(まさか……)
つまり、私の魂を人形に入るって事? 何て極端な考え。
(あり得ない)
ネイサンから、ジリジリと後ずさる。
「それは……ちょっと」
「どうして?」
何故駄目なんだと首を傾げるネイサンに呆れかえる。
いやいや、当たり前でしょ。
人間として生きてきたのに、いきなり ぬいぐるみなれなんて。 人間を諦めると言ってるようなものじゃない。完全に、ネイサンの思考回路が バグってる。
銅像なんかに入れられたら半永久的に生きることになる。ネイサンは いいだろう。 でも 私は? ネイサンが死んだら私はどうなるの?
絶対そこまで考えて無い。

 冷静なようで実は ネイサンも動揺しているのかも。 だから、目の前のことだけしか考えてない。 
(強行次第に出られる前に何とか説得しないと……)
「それで、良いんですか? オムライスが 2度と食べられなくなるんですよ」
「構わない」
(なんで、オムライス! もっと他にあるでしょ)
説得するには 内容が弱い。 もっと考えを改めさせるような内容じゃないと。
(ええと……)

「そうなったら助けることも 何もする事も出来なんですよ」
「構わない」
(助けられるのは私の方だ)
もっと情に訴えることを言わないと。

「人形は作り物なんですから、笑いかけることもできないんですよ」
「構わない」
( ……… )

 「字だってかけないし、1人で動けないから いつも私の面倒を見続けなくちゃいけないんですよ」
「構わない」
( 私は構う!) 
もう本当、 思い込みは激しいんだから。
「言うのは簡単ですけど 、一生ですよ。一生! 死ぬまで面倒見るんですよ。それでいいんですか?」 
「構わない」
「 ……… 」
さっきから同じ答えばかり。ネイサンは 私に何を求めてるの?
(……ペット!?)

「私はクロ……。君が傍に居て……生きてさえいれば良いんだ」
「………」
真剣だ。切なそうに訴えるネイサンの目に迷いがない。 本気で私の魂を ぬいぐるみ 押し込める気だ。 そこまで 私にこだわる。その気持ちはどこから来るの?
「はぁ~」
ネイサンは良いだろう。私が死ぬまで傍に居るんだから、でもネイサンが死んでしまったらどうなるの? 自分で動くことも出来ない。
体が朽ちるまで死ぬこともできない。何処かに押し込められたら おしまいだ。永遠に闇の中で生き続ける。たった一人。忘れ去られて話し相手も居ない。そんな地獄みたいな未来 嫌だ。
私は、たとえ短くても人間として行くことの方が 良い。

 まだ諦めて無いネイサンを何とかしないと、このままだと殺されそうだ。
( ………思い付かない )
ここは一旦 逃げて、ネイサンが 落ち着いた頃 話し合う方がいいだろう。
「ネッ」
「君を 決して悲しませない。大切にするから」
ネイサンが そう言って手を差し出す。 ひざまずいていたら告白 と勘違いしそうだなセリフだ。
「 ……… 」
 気持ちが重い。まるで、ヒーローがヒロインに言うような言葉だ。
まるで、私でなければ駄目だと言っているようだ。
でも、何故 そこまでして私を側に置きたがるんだろう。ネイサンは 王子で、金も、地位もある。
(その気になれば、魔力ゼロの私より 健康で優秀な令嬢と出会えるの……)

ネイサンの溢れる刹那さに、絶対止めようと決めた。
ネイサンの手をギュッと握る。
「温かいでしょ。私が ぬいぐるみになってしまったら、こんな事も出来なくなるんです」
「 ……… 」
ネイサンが繋いだ手に目を落とす。 生きてさえいれば良いと言うが、私と今のネイサンとでは、『生きている』の基準が違う。 
でも、 共に生きたいというところでは一緒だ。
「私は普通に泣いて笑って暮らしたいです」
「 ……… 」
それはネイサンと過ごした時間のことだ。 驚きも、喜びもあった。
ゆらぎ始めたネイサンに 言葉を続ける。
「ネイサンが倒れた時は 看病したいし、敵が現れた時は一緒に戦いたいです」
「 ……… 」
それは一緒に 経験したものだ。
大切な思い出。それを これからも 増やしたい。凄く嫌そうな顔をする。その顔にクルリと笑う。
でも、私と手を離そうとはしなかった。私にも譲れないものはある。私の気持ちを尊重してほしいとじっと見つめて訴える。
腕組みして私を凝視する。

「どうしても?」
「はい 。どうしても」
「 ……… 」 
いくら策士と言えど、人の心を変えるのは難しい事は知ってるはずだ。お互いに睨みあっていたが折れたのはネイサンの方だった。
ネイサンがストンと肩の力を抜くと手を引き抜く。
説得は無理だと判断したようだ。ほっとしたのもつかの間、 次の言葉に頭が痛くなる。
「この話は後でしよう」
「分かりました」
(諦めてない)
今は引き下がろう。ネイサンと 同じように、私にも相手を説得するチャンスはあるんだから。
「兎に角逃げよう。そうすれば時間が稼げる」
そう言って私に手を差し出す。
私に向けられた唯一の救いの手。
私が生きることを許してくれるのはこの手しかない。
掴んでしまいたい。

私の決断を待っているネイサンのその瞳は、明日の自分を約束してくれているように輝いている。
その瞳に魅せられて、コクリと頷くとネイサンも頷いた。
「はい。連れだして下さい」
「では、行こう」
ネイサンの手に自分の手を重ねる。

逃避行の始まりだ。
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