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第四章
第四章 ⑧
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──映像スタート──
「とりあえず、着替えなくちゃ」
リリィは寝室に行き、布団をたたんでからTシャツとジーンズを用意した。
そろそろ愛子が来る時間だ。映画に行くって約束したときは、必ず約束時間よりもはやく来るのが愛子のクセなのだ。
パジャマを脱ごうとした時、チャイムが鳴った。眉をひそめる。今日は一段とはやい。
リリィは、二番目まで外したボタンを再び留め直した。
「鍵、開いてるよ。はやいね。入ってきていいよ」
リリィは耳を澄ました。返事がない。
返事がないかわりに、今度はこんこん、とノックの音がした。
「どうしたのよ。入っていいったら」
そう言いながら、リリィは玄関のほうへ向かう。
「もう、入っていますけど」
「きゃっ」
突然の予期せぬ声に、リリィは飛び上がった。胸を押さえ、二度三度深呼吸をしてから、急いでドアが見えるところまで行った。
見知らぬ男が、ドアの内側に立っていた。細身の身体に紺色のスーツ。七三分けの櫛のきちんと入った短髪に目尻の下がった柔らかい顔つきは、営業、いわゆるなにかの訪問販売員のように見える。一見、若そうだが、その落ち着きようからすれば、三十を少し越えたところだろうか。
男はリリィを見ると、にこっと微笑み、半開きのドアを内側から、もう一度、こんこん、とノックした。
「誰? どうして勝手に入っているのよ。あなた、なんなんですか、いったい」
リリィは相手をきっ、と睨みつけながら早口で言った。
「だって入っていいって言ったじゃないですか、あなた」
男は心外だとでもいうふうな顔つきをする。
「いやだなあ。自分の言った言葉にもっと責任を持ってくださいよ。私はただ、あなたの勧めるままに入っただけなのに、そんなににらむこと、ないでしょ」
男は困ったように苦笑し、頭をかいた。
「あなた、なにわけのわかんないこと言ってるんですか。どうせなにかのセールスなんでしょ。あたし、今忙しいんです。さあ、はやく出て行ってください」
険しい表情を保ったまま、リリィが言う。
「セールスですか? あはは。そうかもしれないなあ。でもお嬢さん。そうでないかも知れませんよ」
「いい加減にしないと、人を呼びますよ」
「人?」
男は一瞬、考え込んだが、すぐにうなずいた。
「ああ、ご近所さんのことですか。いやいや、そんなご足労は無用です。このアパートの方たち、今、いらっしゃいませんよ。みなさん、留守にしておられます。私、さきほど確認しましたので間違いありません」
男は、持っていたアルミ製のアタッシュケースを玄関の上がり口によいしょ、と横たえた。そして、その側に腰を下ろした。
「え? 確認、って……なんで」
リリィが戸惑いと不安の表情を見せる。
「あれ? あれれれれ? お嬢さん。あなた、もしかして」
男がリリィの顔をまざまざと見る。
「もしかして、中央通りのマンションに住んでいませんでしたか。ほら、たしかKマンションっていう白い建物の」
「……」
「あ。当たった。図星だ。その顔、正解ってことですね。あはは。ほら、私を覚えていませんか? なんて、覚えているわけないですよね。たかが業者の一人なんか。よく宅配物、届けていた運送屋だったんですがね」
そう言いながら、顔をリリィのほうへぐい、と突き出した。
リリィは思わず、のけぞった。
「私いま、『だった』って言ったの、気付きました? そう。それは以前の話。今はもう、辞めちゃってるんですけどね。っていうか、これですよ、これ」
男は手刀で首をちょん、とはねるしぐさをする。
「なんかね、私、人間関係、うまくいかないみたいなんですよ。こっちはそんなつもりはないんですけどね。私と付き合う人間は、そのうちみんな手のひらを返したように私から離れていく。だから、私がミスを犯しても誰も助けて」
「いい加減にしてください!」
男の話をさえぎるように、リリィが叫ぶ。
「そんな話、聞きたくありません。帰ってください。さあ、はやく」
「聞けよ、てめぇ!」
突然、男が叫んだ。とんでもない大きな声だった。叫ぶと同時に、アタッシュケースをばぁん、と叩いた。
「とりあえず、着替えなくちゃ」
リリィは寝室に行き、布団をたたんでからTシャツとジーンズを用意した。
そろそろ愛子が来る時間だ。映画に行くって約束したときは、必ず約束時間よりもはやく来るのが愛子のクセなのだ。
パジャマを脱ごうとした時、チャイムが鳴った。眉をひそめる。今日は一段とはやい。
リリィは、二番目まで外したボタンを再び留め直した。
「鍵、開いてるよ。はやいね。入ってきていいよ」
リリィは耳を澄ました。返事がない。
返事がないかわりに、今度はこんこん、とノックの音がした。
「どうしたのよ。入っていいったら」
そう言いながら、リリィは玄関のほうへ向かう。
「もう、入っていますけど」
「きゃっ」
突然の予期せぬ声に、リリィは飛び上がった。胸を押さえ、二度三度深呼吸をしてから、急いでドアが見えるところまで行った。
見知らぬ男が、ドアの内側に立っていた。細身の身体に紺色のスーツ。七三分けの櫛のきちんと入った短髪に目尻の下がった柔らかい顔つきは、営業、いわゆるなにかの訪問販売員のように見える。一見、若そうだが、その落ち着きようからすれば、三十を少し越えたところだろうか。
男はリリィを見ると、にこっと微笑み、半開きのドアを内側から、もう一度、こんこん、とノックした。
「誰? どうして勝手に入っているのよ。あなた、なんなんですか、いったい」
リリィは相手をきっ、と睨みつけながら早口で言った。
「だって入っていいって言ったじゃないですか、あなた」
男は心外だとでもいうふうな顔つきをする。
「いやだなあ。自分の言った言葉にもっと責任を持ってくださいよ。私はただ、あなたの勧めるままに入っただけなのに、そんなににらむこと、ないでしょ」
男は困ったように苦笑し、頭をかいた。
「あなた、なにわけのわかんないこと言ってるんですか。どうせなにかのセールスなんでしょ。あたし、今忙しいんです。さあ、はやく出て行ってください」
険しい表情を保ったまま、リリィが言う。
「セールスですか? あはは。そうかもしれないなあ。でもお嬢さん。そうでないかも知れませんよ」
「いい加減にしないと、人を呼びますよ」
「人?」
男は一瞬、考え込んだが、すぐにうなずいた。
「ああ、ご近所さんのことですか。いやいや、そんなご足労は無用です。このアパートの方たち、今、いらっしゃいませんよ。みなさん、留守にしておられます。私、さきほど確認しましたので間違いありません」
男は、持っていたアルミ製のアタッシュケースを玄関の上がり口によいしょ、と横たえた。そして、その側に腰を下ろした。
「え? 確認、って……なんで」
リリィが戸惑いと不安の表情を見せる。
「あれ? あれれれれ? お嬢さん。あなた、もしかして」
男がリリィの顔をまざまざと見る。
「もしかして、中央通りのマンションに住んでいませんでしたか。ほら、たしかKマンションっていう白い建物の」
「……」
「あ。当たった。図星だ。その顔、正解ってことですね。あはは。ほら、私を覚えていませんか? なんて、覚えているわけないですよね。たかが業者の一人なんか。よく宅配物、届けていた運送屋だったんですがね」
そう言いながら、顔をリリィのほうへぐい、と突き出した。
リリィは思わず、のけぞった。
「私いま、『だった』って言ったの、気付きました? そう。それは以前の話。今はもう、辞めちゃってるんですけどね。っていうか、これですよ、これ」
男は手刀で首をちょん、とはねるしぐさをする。
「なんかね、私、人間関係、うまくいかないみたいなんですよ。こっちはそんなつもりはないんですけどね。私と付き合う人間は、そのうちみんな手のひらを返したように私から離れていく。だから、私がミスを犯しても誰も助けて」
「いい加減にしてください!」
男の話をさえぎるように、リリィが叫ぶ。
「そんな話、聞きたくありません。帰ってください。さあ、はやく」
「聞けよ、てめぇ!」
突然、男が叫んだ。とんでもない大きな声だった。叫ぶと同時に、アタッシュケースをばぁん、と叩いた。
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