14 / 40
青天の霹靂
5
しおりを挟む
この顧客は会社から数駅しか離れていない上愛想の良い担当者で、実に楽なところだ。子ども向けのキャラクターショーを行っているので、ターゲット層も分かりやすくプロデュースもテンプレートのまま行えば失敗も無い。月に一度、こうして現在の進捗状況、次回のイベントで変更点が無いか確認しに行く。会社が入っている三階建ての建物の前で、八代さんが囁いた。
「いつも、ここで何やってる?」
「ここで?」
質問の意図が分からず振り向く。既存客の扱いについて、ということだろうか。それとも、この会社での訪問で実際に話す内容のことだろうか。
「どう話してるかってことですか? それだったら、定期訪問なんで、今月分のイベント内容の売上についてと請求書の内容、来月分のイベントに変更点は無いかどうかですね」
俺の説明に、八代さんは悩んでいた。原因が自分にあるようなので問いかけることも出来ず立ちすくんでいたが、すぐに真っ直ぐな瞳が返ってきて後ずさりそうになる。
「それって、誰にでも出来ることじゃないか?」
「誰にでもって……」
言い返そうと思って出来なかった。本当のことを言われたと思った。
毎日会社が地獄だと思って後ろ向きのまま出社し、青鬼の怒号を内心イライラしながら受け流し、残業が多いだの有給が取りにくいだの文句を言う日々に、俺がどれだけ貢献しているかは考えていなかった。はっきり言って、忙しい会社の所為にして、既存客への対応は現状維持しか行っていない。図星をつかれて俺は固まった。
「高田の対応を否定しているわけじゃないけど、もし今以上の仕事をしたいなら、既存客にも向上心をもってもらえるような提案をしたらいいと思う。友だち同士じゃなくて社会人、しかも客としての付き合いなんだから、気が合うかもそうだけどそれ以上にどれだけ相手が自分の会社にとって有益かが重要なんだ。誰だって、言われたことだけやる人より、この人じゃなきゃって人と仕事したいだろ」
「そう、ですね」ゆっくり頷く。
以前は八代さんが近くにいるのにあまりに自分と違い過ぎて、どこか遠くに感じていた。だから、今みたいにアドバイスをしてくれても、八代さんの言葉ですら聞き逃していた。やっと、八代さんが有能なわけが分かった。優れているから成績がいいのではない、ちゃんと努力をして考えて行動しているのだ。
「分かりました。やってみます」
「うん」
訪問先の数階しかないビルを見つめながら深呼吸する。まるで、研修が終わって営業回りを始めたばかりの新入社員時代を思い出す鼓動の速さに、自分で驚く。緊張している。ならば、この勢いを波に乗せて萎んでいたやる気を膨れ上がらせてやる。気合いを入れ、初訪問のつもりで中へ入った俺が小さな受付で名前を呼べば、すぐに担当者が走ってやってきた。
「どうも! こんな恰好ですみません!」
「いえ、こちらこそお忙しいところ恐縮です。増本さん」
現れたのは見慣れた担当者、増本さんは大抵作業着に似た恰好をしていてスーツを着ている方が珍しい。せいぜい小奇麗な恰好をしているのはイベント本番くらいで、営業でもこうしてショーの小道具制作を手伝っているらしい。
少人数の会社なので、営業以外にも様々な業務をこなしている。人手が無いところはそうだと増本さんは言っていたが、数十年社会人をしていたとしても事業部を跨いでタスク管理をしっかり行える人間がどれほどいるのか疑問だ。大企業に入ってもすぐ順応出来る才能の持ち主だと思う。正直、俺は敵わない。
衝立があるだけの打合せスペースの一つに腰を下ろす。まずは、先月までと変わらないやり方で次回までの予定をつつがなく進めた。特に新しい試みも無いので次回のイベントも変更点は無い。やっとここで俺が切り出した。
「ところで増本さん、今のイベントってどう思います? もちろん、おかしいところはありませんし、集客も悪くはないです。その中で希望ってありますか」
増本さんは、俺がこんなことを言い出したことが初めてだからか、返答に困っている様子だった。しかし、最後には笑って答えてくれる。
「ちょっとびっくりしました。高田さんって、淡々と……悪い意味じゃないですよ? 真面目に仕事するイメージなので、保守的な方かと思ってて。でも、そうだな、こんな機会だから言うんですけど」
思った以上の収穫だった。増本さんはもう何か月も前から、現状に満足出来なくなっていたらしい。
主に幼児向けの簡単なストーリーを交えたキャラクターショーを行い、その横に置かれるキャラクターグッズの売り上げと、ショーの開催を依頼してきた事業者からもらえる分がだいたいの一日の取り分になる。数年前から同じサイクルで企画イベントを行っており一定の売上があるのだが、反対に言えば横ばいというわけで、細かく言えば徐々に下り坂になっている。毎月分の売上金額を計算しているので、増本さんはもちろん、俺だって気付いているが何もしてこなかった。このままでは、近い将来新入社員を採用することも苦しくなる。
何か変えた方がいいとは思っていたが、利益が出るくらいの売上は保っていたし、はっきり言って面倒事を避けたかったのだと思う。ただ、増本さんは俺以上に気にしていた。こちらから見れば顧客の一社でも、増本さんにとっては、長年勤めている制作部にまで顔を出してしまうくらい大好きな自分の会社なのだから。
「いつも、ここで何やってる?」
「ここで?」
質問の意図が分からず振り向く。既存客の扱いについて、ということだろうか。それとも、この会社での訪問で実際に話す内容のことだろうか。
「どう話してるかってことですか? それだったら、定期訪問なんで、今月分のイベント内容の売上についてと請求書の内容、来月分のイベントに変更点は無いかどうかですね」
俺の説明に、八代さんは悩んでいた。原因が自分にあるようなので問いかけることも出来ず立ちすくんでいたが、すぐに真っ直ぐな瞳が返ってきて後ずさりそうになる。
「それって、誰にでも出来ることじゃないか?」
「誰にでもって……」
言い返そうと思って出来なかった。本当のことを言われたと思った。
毎日会社が地獄だと思って後ろ向きのまま出社し、青鬼の怒号を内心イライラしながら受け流し、残業が多いだの有給が取りにくいだの文句を言う日々に、俺がどれだけ貢献しているかは考えていなかった。はっきり言って、忙しい会社の所為にして、既存客への対応は現状維持しか行っていない。図星をつかれて俺は固まった。
「高田の対応を否定しているわけじゃないけど、もし今以上の仕事をしたいなら、既存客にも向上心をもってもらえるような提案をしたらいいと思う。友だち同士じゃなくて社会人、しかも客としての付き合いなんだから、気が合うかもそうだけどそれ以上にどれだけ相手が自分の会社にとって有益かが重要なんだ。誰だって、言われたことだけやる人より、この人じゃなきゃって人と仕事したいだろ」
「そう、ですね」ゆっくり頷く。
以前は八代さんが近くにいるのにあまりに自分と違い過ぎて、どこか遠くに感じていた。だから、今みたいにアドバイスをしてくれても、八代さんの言葉ですら聞き逃していた。やっと、八代さんが有能なわけが分かった。優れているから成績がいいのではない、ちゃんと努力をして考えて行動しているのだ。
「分かりました。やってみます」
「うん」
訪問先の数階しかないビルを見つめながら深呼吸する。まるで、研修が終わって営業回りを始めたばかりの新入社員時代を思い出す鼓動の速さに、自分で驚く。緊張している。ならば、この勢いを波に乗せて萎んでいたやる気を膨れ上がらせてやる。気合いを入れ、初訪問のつもりで中へ入った俺が小さな受付で名前を呼べば、すぐに担当者が走ってやってきた。
「どうも! こんな恰好ですみません!」
「いえ、こちらこそお忙しいところ恐縮です。増本さん」
現れたのは見慣れた担当者、増本さんは大抵作業着に似た恰好をしていてスーツを着ている方が珍しい。せいぜい小奇麗な恰好をしているのはイベント本番くらいで、営業でもこうしてショーの小道具制作を手伝っているらしい。
少人数の会社なので、営業以外にも様々な業務をこなしている。人手が無いところはそうだと増本さんは言っていたが、数十年社会人をしていたとしても事業部を跨いでタスク管理をしっかり行える人間がどれほどいるのか疑問だ。大企業に入ってもすぐ順応出来る才能の持ち主だと思う。正直、俺は敵わない。
衝立があるだけの打合せスペースの一つに腰を下ろす。まずは、先月までと変わらないやり方で次回までの予定をつつがなく進めた。特に新しい試みも無いので次回のイベントも変更点は無い。やっとここで俺が切り出した。
「ところで増本さん、今のイベントってどう思います? もちろん、おかしいところはありませんし、集客も悪くはないです。その中で希望ってありますか」
増本さんは、俺がこんなことを言い出したことが初めてだからか、返答に困っている様子だった。しかし、最後には笑って答えてくれる。
「ちょっとびっくりしました。高田さんって、淡々と……悪い意味じゃないですよ? 真面目に仕事するイメージなので、保守的な方かと思ってて。でも、そうだな、こんな機会だから言うんですけど」
思った以上の収穫だった。増本さんはもう何か月も前から、現状に満足出来なくなっていたらしい。
主に幼児向けの簡単なストーリーを交えたキャラクターショーを行い、その横に置かれるキャラクターグッズの売り上げと、ショーの開催を依頼してきた事業者からもらえる分がだいたいの一日の取り分になる。数年前から同じサイクルで企画イベントを行っており一定の売上があるのだが、反対に言えば横ばいというわけで、細かく言えば徐々に下り坂になっている。毎月分の売上金額を計算しているので、増本さんはもちろん、俺だって気付いているが何もしてこなかった。このままでは、近い将来新入社員を採用することも苦しくなる。
何か変えた方がいいとは思っていたが、利益が出るくらいの売上は保っていたし、はっきり言って面倒事を避けたかったのだと思う。ただ、増本さんは俺以上に気にしていた。こちらから見れば顧客の一社でも、増本さんにとっては、長年勤めている制作部にまで顔を出してしまうくらい大好きな自分の会社なのだから。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
早春の向日葵
千年砂漠
青春
中学三年生の高野美咲は父の不倫とそれを苦に自殺を計った母に悩み精神的に荒れて、通っていた中学校で友人との喧嘩による騒ぎを起こし、受験まで後三カ月に迫った一月に隣町に住む伯母の家に引き取られ転校した。
その中学で美咲は篠原太陽という、同じクラスの少し不思議な男子と出会う。彼は誰かがいる所では美咲に話しかけて来なかったが何かと助けてくれ、美咲は好意以上の思いを抱いた。が、彼には好きな子がいると彼自身の口から聞き、思いを告げられないでいた。
自分ではどうしようもない家庭の不和に傷ついた多感な少女に起こるファンタジー。
スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件
フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。
寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。
プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い?
そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない!
スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる