俯く俺たちに告ぐ

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青天の霹靂

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「嘘だ」

 意気揚々と出社した俺に飛び込んできた言葉は、あまりにも残酷で非現実過ぎて、無意識の内に上司に向かって言うべき科白ではない言葉を吐いていた。それだけ予想出来るものではなかったのだ。ふらふら覚束ない足取りで近くのデスクに腕をぶつけ、資料が一束その場に落ちる。拾おうとして、また資料が頼りなく地面に着いた。

「こんな馬鹿げた嘘吐く奴がいるか!」

 青鬼の掠れた叫びが頭を直撃するが、そのままするりとすり抜けてしまう。込み上げてくるものを飲み込もうとして、右手で口もとを押さえた。先に自席へ向かった青鬼と入れ違いに、同期が俺の肩を叩く。俺はいよいよ両手で顔全体を隠した。

「だって、昨日だって笑ってさよならって言ってた」
「でも本当なんだよ、社内中それで持ち切りだぜ」
「なんで」
「事故、らしいよ」

 八代さんが死んだ。

 昨日「お前ならやれる」と励ましてくれて手を振って別れたはずの八代さんが、死んだ。

 信じられない。

 言葉が出てこない。

「朝だって俺、八代さんに」

 八代さんとのトーク画面を開く。未読のまま。

 名前はあるのに、俺の画面からは消えていないのに。

「なんでだよ」

 もう、あの笑顔には会えない、見えない棘が全身に突き刺さって穴を開けていった。

 デスクに手を置いて体を支えながらやっとの思いで座る。周りがざわざわと五月蠅いが、自分一人蚊帳の外にいて、言葉は入ってこなかった。

――まだ夢を見ているんだ。高校出て、今度は会社の夢。とんでもない悪夢だ。

 拳を握り締める。痛い。

 痛かったらダメだろ。夢なんだから。痛かったら現実になってしまう!

――やしろせんぱい。

「ほら皆。今日締めの仕事だけは最低限しろ」
「はいッ」

 周りが五月蠅い。俺は今忙しいのに。

 その日は一日一体何をしていたのか何を話したのか記憶にない。ぼーっとしていたのか、いちおうは仕事をしていたらしい俺が気付いた時にはもう定時を迎えていた。その後聞いた話によると、八代さんは俺と別れてからまっすぐ家に帰っていたが、車が走っているのに道路を横切ろうとした小学生を助けて代わりに轢かれたらしい。

「流石は八代、えらいな」

 青鬼は泣きそうな顔でそう褒めていたが、どんなに人助けしてえらいことをしても、それを皆が賞賛しても……八代さんは死んでしまったのだ。

 道路に飛び出した小学生を責めることなんか出来ないけれど、そうしたら誰を憎めばいい。いきなり飛び出されて、避けることが出来ず轢いてしまった運転手か? 無謀に飛び出して人助けをした八代さんか?

 いや、違う。違うのだ。そんなことは分かっている。

――誰を責めることなど出来ないことだって。どんなことをしても八代さんは戻ってこないんだって。このぐちゃぐちゃした嫌な気持ちは、心の中に鍵を掛けてそっとどす黒い底なし沼に捨てるしかない。

 何故なのだろう。何も悪いことはしていないのに、良いことをしているのに、報われないのは。それでよかったのか。よくないだろ。

――なあ。

 答えてくれる人は誰もいない。

 俺が相談出来る相手など八代さんしかいなかったのだから。

 それも、昨日までの過去の話だけれど。
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