10 / 40
青天の霹靂
1
しおりを挟む
「嘘だ」
意気揚々と出社した俺に飛び込んできた言葉は、あまりにも残酷で非現実過ぎて、無意識の内に上司に向かって言うべき科白ではない言葉を吐いていた。それだけ予想出来るものではなかったのだ。ふらふら覚束ない足取りで近くのデスクに腕をぶつけ、資料が一束その場に落ちる。拾おうとして、また資料が頼りなく地面に着いた。
「こんな馬鹿げた嘘吐く奴がいるか!」
青鬼の掠れた叫びが頭を直撃するが、そのままするりとすり抜けてしまう。込み上げてくるものを飲み込もうとして、右手で口もとを押さえた。先に自席へ向かった青鬼と入れ違いに、同期が俺の肩を叩く。俺はいよいよ両手で顔全体を隠した。
「だって、昨日だって笑ってさよならって言ってた」
「でも本当なんだよ、社内中それで持ち切りだぜ」
「なんで」
「事故、らしいよ」
八代さんが死んだ。
昨日「お前ならやれる」と励ましてくれて手を振って別れたはずの八代さんが、死んだ。
信じられない。
言葉が出てこない。
「朝だって俺、八代さんに」
八代さんとのトーク画面を開く。未読のまま。
名前はあるのに、俺の画面からは消えていないのに。
「なんでだよ」
もう、あの笑顔には会えない、見えない棘が全身に突き刺さって穴を開けていった。
デスクに手を置いて体を支えながらやっとの思いで座る。周りがざわざわと五月蠅いが、自分一人蚊帳の外にいて、言葉は入ってこなかった。
――まだ夢を見ているんだ。高校出て、今度は会社の夢。とんでもない悪夢だ。
拳を握り締める。痛い。
痛かったらダメだろ。夢なんだから。痛かったら現実になってしまう!
――やしろせんぱい。
「ほら皆。今日締めの仕事だけは最低限しろ」
「はいッ」
周りが五月蠅い。俺は今忙しいのに。
その日は一日一体何をしていたのか何を話したのか記憶にない。ぼーっとしていたのか、いちおうは仕事をしていたらしい俺が気付いた時にはもう定時を迎えていた。その後聞いた話によると、八代さんは俺と別れてからまっすぐ家に帰っていたが、車が走っているのに道路を横切ろうとした小学生を助けて代わりに轢かれたらしい。
「流石は八代、えらいな」
青鬼は泣きそうな顔でそう褒めていたが、どんなに人助けしてえらいことをしても、それを皆が賞賛しても……八代さんは死んでしまったのだ。
道路に飛び出した小学生を責めることなんか出来ないけれど、そうしたら誰を憎めばいい。いきなり飛び出されて、避けることが出来ず轢いてしまった運転手か? 無謀に飛び出して人助けをした八代さんか?
いや、違う。違うのだ。そんなことは分かっている。
――誰を責めることなど出来ないことだって。どんなことをしても八代さんは戻ってこないんだって。このぐちゃぐちゃした嫌な気持ちは、心の中に鍵を掛けてそっとどす黒い底なし沼に捨てるしかない。
何故なのだろう。何も悪いことはしていないのに、良いことをしているのに、報われないのは。それでよかったのか。よくないだろ。
――なあ。
答えてくれる人は誰もいない。
俺が相談出来る相手など八代さんしかいなかったのだから。
それも、昨日までの過去の話だけれど。
意気揚々と出社した俺に飛び込んできた言葉は、あまりにも残酷で非現実過ぎて、無意識の内に上司に向かって言うべき科白ではない言葉を吐いていた。それだけ予想出来るものではなかったのだ。ふらふら覚束ない足取りで近くのデスクに腕をぶつけ、資料が一束その場に落ちる。拾おうとして、また資料が頼りなく地面に着いた。
「こんな馬鹿げた嘘吐く奴がいるか!」
青鬼の掠れた叫びが頭を直撃するが、そのままするりとすり抜けてしまう。込み上げてくるものを飲み込もうとして、右手で口もとを押さえた。先に自席へ向かった青鬼と入れ違いに、同期が俺の肩を叩く。俺はいよいよ両手で顔全体を隠した。
「だって、昨日だって笑ってさよならって言ってた」
「でも本当なんだよ、社内中それで持ち切りだぜ」
「なんで」
「事故、らしいよ」
八代さんが死んだ。
昨日「お前ならやれる」と励ましてくれて手を振って別れたはずの八代さんが、死んだ。
信じられない。
言葉が出てこない。
「朝だって俺、八代さんに」
八代さんとのトーク画面を開く。未読のまま。
名前はあるのに、俺の画面からは消えていないのに。
「なんでだよ」
もう、あの笑顔には会えない、見えない棘が全身に突き刺さって穴を開けていった。
デスクに手を置いて体を支えながらやっとの思いで座る。周りがざわざわと五月蠅いが、自分一人蚊帳の外にいて、言葉は入ってこなかった。
――まだ夢を見ているんだ。高校出て、今度は会社の夢。とんでもない悪夢だ。
拳を握り締める。痛い。
痛かったらダメだろ。夢なんだから。痛かったら現実になってしまう!
――やしろせんぱい。
「ほら皆。今日締めの仕事だけは最低限しろ」
「はいッ」
周りが五月蠅い。俺は今忙しいのに。
その日は一日一体何をしていたのか何を話したのか記憶にない。ぼーっとしていたのか、いちおうは仕事をしていたらしい俺が気付いた時にはもう定時を迎えていた。その後聞いた話によると、八代さんは俺と別れてからまっすぐ家に帰っていたが、車が走っているのに道路を横切ろうとした小学生を助けて代わりに轢かれたらしい。
「流石は八代、えらいな」
青鬼は泣きそうな顔でそう褒めていたが、どんなに人助けしてえらいことをしても、それを皆が賞賛しても……八代さんは死んでしまったのだ。
道路に飛び出した小学生を責めることなんか出来ないけれど、そうしたら誰を憎めばいい。いきなり飛び出されて、避けることが出来ず轢いてしまった運転手か? 無謀に飛び出して人助けをした八代さんか?
いや、違う。違うのだ。そんなことは分かっている。
――誰を責めることなど出来ないことだって。どんなことをしても八代さんは戻ってこないんだって。このぐちゃぐちゃした嫌な気持ちは、心の中に鍵を掛けてそっとどす黒い底なし沼に捨てるしかない。
何故なのだろう。何も悪いことはしていないのに、良いことをしているのに、報われないのは。それでよかったのか。よくないだろ。
――なあ。
答えてくれる人は誰もいない。
俺が相談出来る相手など八代さんしかいなかったのだから。
それも、昨日までの過去の話だけれど。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
早春の向日葵
千年砂漠
青春
中学三年生の高野美咲は父の不倫とそれを苦に自殺を計った母に悩み精神的に荒れて、通っていた中学校で友人との喧嘩による騒ぎを起こし、受験まで後三カ月に迫った一月に隣町に住む伯母の家に引き取られ転校した。
その中学で美咲は篠原太陽という、同じクラスの少し不思議な男子と出会う。彼は誰かがいる所では美咲に話しかけて来なかったが何かと助けてくれ、美咲は好意以上の思いを抱いた。が、彼には好きな子がいると彼自身の口から聞き、思いを告げられないでいた。
自分ではどうしようもない家庭の不和に傷ついた多感な少女に起こるファンタジー。
スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件
フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。
寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。
プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い?
そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない!
スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる