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突入

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~前回までのあらすじ~
 浮舟の術を使って師匠と再会したわたしだったけど、見つかって引き戻される。でも、必要な話はできたから問題ないね。こっちに戻ってアマミヤ家当主オラフと睨み合っていたら、急に結界がはじけ飛んだ。一体何が起こったの?

 シノ様、お待たせしました!
 ここからはボクがお話させてもらいますね。

 ***

『アマミヤ家の退魔結界は強力だ。それは魔と呼ばれる者の外部からの侵入を防ぎ、内部での活動を著しく弱める。三百年にわたり研鑽を積んだその技術は、僕でも今すぐには再現できまい』

 ボクの口から他人の口調で勝手に言葉が出て来るってのは、あんまりぞっとしない感覚だった。

 まあ、でも仕方ない。
 今は、下げたくない頭を下げても、頼れそうな奴には頼っておくべき時だ。

『だが、結界術は結界術。他の呪術と同様の弱点もまた抱えている。
 それは物質的なものへの干渉をしづらいことだ。よって先立って確保された僕の式神に対しては十全に力を発揮するが、君たち、特にアズマ君には、ここに入るの嫌だな、という程度の認識への干渉しかできないだろうね」

「では、退魔結界は無視して強行突破すればよろしいとお考えですか、ツチミヤ様?」

 イチセはボクに問いかけた。
 いや、ボクの中のツチミヤに対してと言うべきか。

 今、ボクの中にはツチミヤがいる。
 イチセの発案で、いざという時にボクを操ってシノ様に手出しするためにツチミヤのつけていた分体を通して、ツチミヤを口寄せしているのだ。

 あいつが完全な霊体だからできる所業だった。
 あんなのに身体を貸すのはちょっと怖いけど、まあ、シノ様を取り戻すためなら仕方ない。

 それに、イチセも大丈夫だって言ってたし。
 でも、イチセはミドウさん関係となると急に判断が甘くなる気がしてならない。

 う~ん……。
 ちゃんと返してね、ボクの身体!

『いや。アマミヤ家の力は大きい。個としてはともかく、集団としてな。無策に少人数で突っ込むべきではないし、結界内では強い呪力を発揮できなくなる。対処しておくべきだろう。
 それに結界を破壊しておけば、アマミヤ家の戦力はどうしても外縁部に集中させる必要が出てくる。都合よく妖魔がアマミヤを襲撃してくれることはあるまいが、周辺諸国の放った式神、呪家に恨みを持つ者、そして政敵もまた、アマミヤ家内部への突入を図るはず。奴らもむざむざと情報を奪われるわけにはいくまい。
 君らはその機に乗じてシノ君と呪本、僕の式神を確保するんだ』

「結界を破壊できる算段がおありで?」

『僕の知っている頃、十年ほど前と構造が変わっていなければね。
 呪術院を取り囲むように堀が作られているだろう?
 あれは外側から見ると外郭を囲んでいるだけだが、実は内部に向かい、螺旋を描くもう一本の水路が通っている』

「なるほど。結界は二重構造になっていて、外側の堀は物理的な攻撃を防ぐとともに呪術的な攻撃からの囮としても使われてるんですね」

 イチセがぽんと手を叩くと、ツチミヤは嬉しそうにボクの身体を使って勝手に頷いた。
 たぶんこの男、理解の早い優秀な人間が好きなんだろう。
 イザナにしても、イチセにしても。

「そういうことだ。だから、呪術院の敷地内部に侵入してらせん構造の一部を破壊してしまいなさい。そうすれば呪力の流れが止まり、結界は本来の性能を発揮できなくなる。そこで内側から力任せに呪力を使えば……」
「閾値を超えてぼかん、ですね!」

 あっははは、とイチセとツチミヤが笑っている。
 くそう、ひとの身体で盛り上がりやがって。

「結界を破壊した後は夜陰に紛れ敵中を突破。その辺で適当な奴をぶちのめしてお姉ちゃんの居場所を吐かせる。お姉ちゃんを確保して宝物庫かお父さんのとこか、どちらかへ。後は流れで、って感じですね」

『待て。シノの居場所ならこいつに感知できるだろう。捨てられたと言ってもまだ奴隷の呪印は残っている。なら、辿れるはずだ』

「ああ、そうでしたね。イヅルさんってまだお姉ちゃんの奴隷でしたね」

 お、おい!
 まだ、とか言うなし。捨てられてへんし。
 ただちょっと、気持ちが行き違っちゃっただけだし……。



 シノ様と別れた後、ボクらは数日水神の祭りを見物してからベフアトの町を離れた。

 すぐにでも追いかけなかったのは、ボクらへの監視が弱まるのを期待してのことだ。
 ボクとアズマに対してはともかく、イチセの監視は残すだろうというのがアズマの見解だった。

 決して、ボクがベッドから外に出ようとしなかったのが原因ってわけじゃないんだよ。
 いや~、ナンキの町からここまで、一体何百キロ歩いてきたんだろう。
 疲れちゃったったら、もう……。

 まあ、正直言ってしばらくはくよくよしてたけど、今のボクにはもう、迷いはない。

 シノ様はボクを、拒絶した。
 行かないでって言ったのに、行ってしまった。

 ボクが何かしようとすることはシノ様にとっての迷惑だった。
 シノ様はボクのことが大嫌いで、ボクとなんて一緒に居たくない。
 きっとボクが行ったって、嫌そうに顔を背けられてしまうに決まってる。

 そりゃあそうだよね。
 身の程知らずにも主人に懸想して、それだけならまだしも、たまにやらしい目で見ちゃったり、唇まで奪ったりして、そんなことをしておきながらシノ様からのお誘いを断った。

 わけわかんないよね。
 怖いよ、こんな奴。シノ様が遠ざけたいと思うのも当然だと思う。

 けど、アズマは言ってくれた。
 一生懸命が、お前のいいところだろって。

「お前、もうちっと骨のある奴かと思ってたぜ」
 アズマは宿で薄い毛布の中に引きこもっていたボクに言った。

 その時のボクはシノ様に置いて行かれたショックで呆然として、ちっとも、何かをやる気力なんて起きなかった。
 アズマが祭りの見物に誘ってくれても、イチセがおいしいものを買って来てくれても、うん、ありがとう、で済ませて、あんまり関わりたがらなかった。

「なあ、イヅル。もっと能天気で、無根拠にどうにかなると思ってて、シノのことになると急にムキになるお前はどこ行ったんだよ。俺は、お前ならすぐに追いかけるって言い出すと思ってたぜ」

 アズマには分かんないよ、とボクは言った。

「アズマはゴドーさんに誘われてたでしょ。それに、一抜けするって。なら、ボクのことになんて構ってないでさっさと行っちゃえばいいじゃないか。
 アズマには、行ける場所があるんだ。それをちゃんと自分で決められる。実現する強さもある。
 でもボクは、シノ様がいなくちゃ何にも無くて、怖くて震えてることしかできない。
 そんな奴の気持ち、アズマには分かんない」

「分かってたまるかよ」
 ちっ、と舌打ちが聞こえる。

「お前、いつまでも甘えてんじゃねぇぞ。
 そんなんだからあいつは一人で行っちまったんだろうが。

 お前は、シノに縋ってるだけだ。
 あいつの生き方に寄生しているだけだ。

 さっきまでシノの奴も言い過ぎだって思ってたが、俺が間違ってたぜ。
 あいつも今、さぞ清々してんだろうな。お前と離れられてさ」

「そっ……。そんなの……。アズマに言われなくたって分かってるさ!」

「いいや、分かってねぇ。分かってねぇから言ってる。
 いいか。お前は今、一人だ。一人になって、空っぽになっちまったから俺は怒ってんだ。

 別にシノを助けに行けとか言うつもりはねえ。
 あいつはやる奴だ。向こうに殺す気はなさそうだったし、それなら助けなんてなくても何とかやっていくだろう。

 だから、お前はもう自由だ。
 やりたいことをして、好きなように生きて死ねばいい。

 何かねぇのかよ、お前にも。
 自分の胸の内から湧き上がってくる感情は。確かにお前のものだって言える衝動は。

 お前は、俺の命を助けてくれたな。
 盗賊のとこから逃げ出した夜と、河でおぼれかけた時、それから雪崩も、お前がなんかしたんだろう。

 初めに会った時、俺はお前のこと、何もできねぇなよっちいクソガキだと思った。
 でも、お前はできないなりにできることを一生懸命やってきたじゃねぇか。

 そういうとこ、割と尊敬してんだ。
 一生懸命がお前のいいとこだろう?

 俺ももうちっと手伝うから。俺を、失望させんじゃねぇよ」

 吐き出すように言った後、アズマは少し顔を赤らめて部屋を出て行った。
 ボクがぽかんと口を開けてそれを見送っていると、入れ違うようにイチセやって来て、口元に意地悪な笑みを浮かべてボクの顔を覗き込む。

「愛ですねぇ」
「あっ……、あい?」

 あぶぶぶ!
 あい?
 あの、染料としても使われるタデ科の植物の!
 それともまさか、恋人たちが睦言に囁くと言うあれ!

「河でも、必死でアズマのことを助けたんだもんね。そりゃあ愛の一つや二つ生まれるってもんでしょ。かく言うわたしも、リタのことを愛してるもの!」

「ああ、そういう……」
 ボクはふっと息を吐いた。
 なんだ、びっくりさせおって……。

「どう思った?」
「わっ、なに!」
 油断したところに、イチセが覗き込んできた。

「嫌じゃなかったなら、お姉ちゃんのことはわたしに任せて、あいつと旅を続けるのもいいかもね?」
 そしてぱちりとウインクして部屋を出て行く。

「何しに来たんだ、あいつ……」

 そんな二人の来訪はボクの心をがたがたと揺らしまくったけれど、そのおかげで自分が一体何に悩んでいるのかが少しずつ見えてきた。

 ボクは、シノ様のことが好きだ。
 だから一緒に居たいし、離れたくない。

 でもそれはシノ様の望みとは違う。

 シノ様はボクと離れたいと思ってる。
 ボクはシノ様のしもべとして、その気持ちに従わなくちゃいけない。

 でもボクは、シノ様と並び立ちたいんじゃなかったか。シノ様に信頼されて、その信頼にこたえられるようになりたいんじゃなかったか。
 それならボクは、きっとシノ様の命令に頷いているだけじゃダメなんだ。

 まだシノ様がボクに投げつけた言葉や態度にはもやもやしてるけど、そういうのに反抗するとか、そういうんじゃなくて、きちんとボク自身の行動に考えを持って、やりたいことを貫いていかなくちゃいけない。

 シノ様の奴隷だからじゃないんだ。
 ボクがシノ様を取り戻したいから、行くんだ。



 月の無い夜、平穏に眠るマオカン南部の一画、呪術院の東門へ向かう道には、怪しげな三人組の人影があった。

 一人は背の高い筋肉男。
 手にはシュベットで同僚の手から奪い取ってから延々と持ち続けている背丈ほどの棒を持ち、どこぞの武者修行だろうか、剣呑な雰囲気を漂わせている。

 もう一人はさっきから何やらきゃるきゃるした仕草を練習しているロリっ子。
 門衛さん、怖い男の人に追われてりゅの!としきりに小声でぶつぶつ言っている様は一言で不気味だ。
 普段の彼女を知るボクからしてみればなおさら。

 ちなみにリタは逃走経路に予定している町の外に繋げてある。
 絶対、また戻って来るからね、とリタの馬面を抱きしめる別れのくだりは涙なしには見られなかったのだけど、ここでは割愛させてもらおう。

 そしてもう一人がボク。
 ああ、もし失敗して捕まったりしたら何されちゃうんだろう。怖いなぁ。せめて拷問とかは止めてほしい。ガクブルブル。
 といつものボクなら震えが止まらなくなるところだったけれど、今のボクは一味違う。
 シノ様がオルテンとかいう馬の骨に財力と権力と武力をまぶしてこしらえたみたいな男と結婚するって噂を聞いたからね。

 ああ、シノ様。無理やり望まない結婚をさせられるだなんてお可哀そうに。
 待っていてください、ボクがきっとあなたを助け出し、その鳥かごから自由な世界へと連れ出して差し上げますからね!

 ボクの鼻息は荒かった。

 段取りはこうだ。
 まずイチセが門衛に持ち前の可愛さを振りまきながら助けを求め、次に暴漢のアズマに注意を向けさせてその隙に背後からやっちまう。

 完璧な作戦だ!

「何、追われてるだと?」
「ぬっ。あれか、怖い男というのは」
「はい、助けてくだしゃ~い」

「分かった。だがこんな深夜に出歩くとは。お前も怪しいな」
「ちょっと詰所まで来い」
「ふええ……。わたし、怪しくなんてありませんよ~」

 あれ、あれれ?
 おかしいな。完璧な作戦だったはずなのに。
 くそっ、流石はアマミヤ家。門衛もちゃんとしてる!

「黒砂呑雲」
 イチセがぼそりと呟く。
 篝火に照らされた夜の闇の中、それよりもなお暗い闇の手がうごめいて四人の門衛たちを瞬く間にからめとった。

「うわっ、なんだ!」
「ひぃいいっ、たすっ……」
「増援をよ……」
「…………」

 そして出来上がった四体の彫像を見て、ふん、とイチセは鼻息を吐いた。

「峰打ちですよ」
「お……、おう」
「初めからこうすればよかったです。
 それにしてもわたしの可愛さが通じないなんて、失礼な人たちですね。ね、おにーたま?」

 この子、怖っ。
 とは、たぶんアズマも一緒に思った。
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