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口げんか

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~前回までのあらすじ~
 イザナはツチミヤに自身と引き換えるように譲歩を引き出した。ツチミヤはシノ様に封じられたイツツバを取り出し、壊せと言う。さもなくばシノ様をボクの手で絞め殺させるというのだ。
 イザナは悪い奴じゃないって言ってたけど、邪悪そのものじゃないか!
 目指すはフミル王国王都、アマミヤ宗家の屋敷。そこにミドウさんも捕まっているらしい。よく分かんないけど、やるしかない。

 ***

 そこは緑の色も濃い森の中だった。

 背の高い木々や広い葉を持つ植物が生い茂り、足元は全体的に湿っている。
 空気は生ぬるくべとついて、息を吸い込むたびに密度が濃い。

 あと、なんというのか、生命の気配も多かった。
 鳥がぎゃあぎゃあと啼き、聞いたこともない動物の鳴き声や、虫の声も騒がしい。

「……っは!」
 ボクが勢い込んで起き上がると、覗き込んでいたアズマの胸板にごちんと頭をぶつけた。

「いっ……」
 頭を抱えてうずくまると、大丈夫か、おい、とアズマの声が聞こえる。

「お姉ちゃんも、気が付きました」
 見ればボクの隣で、シノ様が目を覚ますところだった。

「ああ……、帰って来られたのね」
 シノ様は夢遊病者のように焦点のあっていない目でふらふらと手をさ迷わせ、イチセに助け起こされて、ゆっくりと息を吐いた。

「イヅル、お前……。
 イヅル、なのか……?」

 アズマが不意に妙なことを聞いた。
 不思議に思って見回してみると、イチセも、シノ様も、心配そうにボクを見ている。リタだけは、どうでも良さそうに草を食んでいる。

 どうやら全員無事、なのかな。

「お前、雪崩に遭ってから別人になっちまったみてーだったんだぞ。イザナ、とか名乗って」

 それを聞いて納得した。
 どうやらイザナはこっちの身体ごとボクを乗っ取っていたらしい。
 さぞかし久しぶりの実体を満喫したことだろうね。

 ボクたちはどうやらマーディーシャの雪原を無事に通り抜け、天外山脈の南側に来たらしい。
 わずかに開いた木々の隙間から、陽を浴びて輝くペネペネスディ山の銀色の峰がほんのわずかに覗いている。

「あれからどのくらい?」
「三日だ。お前がおかしくなってからも、お前は俺たちを先導して峠を越え、その日のうちに雪のない場所まで降りたんだ。
 それからは谷を越えて登り、また下って谷を越えて登り、の繰り返しだ」

「そっか」
 ボクはふうっとため息を吐いた。

 いろいろあったが、ボクらは無事に峠を越えてフミルに入った。まずはそれを喜ぼう。

 立ち上がろうとしてふらついた。
 おかしいな、まさかイザナのやつ、この身体でも無茶したんじゃあるまいな。

「まだ動かない方がいいわ。あれだけの傷を負ったんだもの。魂の傷は目には見えないけど、すぐに治るものじゃない。呪術を使うのも禁止」

 シノ様はイチセから小さな青い果実を受け取ってガリリと噛み、すぐに顔をしかめて舌を出した。
 まずかったらしい。

「これ、なに?」
「サーヤの実。気付け薬です」
「ああ、あれね。師匠にも食べさせられたことあるわ」

 ボクも、イチセに手渡されてかじってみる。

 うええ、すっぱい!

 なんていうか、頭を突き刺すみたいな爽やかさだね……。
 お茶を渡してくれたけど、まろやかで塩味の効いたお茶とは壊滅的に合わないな。



 それからボクらは、湿り気を帯びた森の下のまだ乾いていそうな場所に織物を広げて、今まであったこと、これからのことを話し合った。

 雪崩に遭ってから、ボクらは氷の流砂に呑まれ、しばらく下ったところに吐き出されたらしい。
 その時にはもうボクはイザナに成り代わられていたようで、ボクは急に堂に入った態度で吹雪を鎮め、雪を掻き分けて一行を峠まで導いた。

 唐突に天候を変えるような大業をやってのけたことや、唐突にボクの雰囲気が変わったことにみんな内心唖然としたらしいが、疲れ切っていて、雪のない場所まで山を下りるまで誰も指摘できなかったのだそうだ。

 まあ、雪崩に呑まれた時点でもうお腹いっぱい疲労困憊だよね。

 それから三日、やっぱりイザナの先導でここまで下ってきたが、そこでイザナがシノ様に、ボクの中に魂を飛ばすように指示して失神し、今に至る。

「ボクは王都にあるっていうアマミヤ宗家の宝物殿を目指します」
 言うと、シノ様はあんぐりと口を開けた。

 気にせずボクが順を追って話し出す。

 気付いたら名前を失っていたこと。
 ツチミヤに会ったこと。
 イザナがボクを乗っ取ったこと。
 イザナとツチミヤの戦いとその顛末、アマミヤ宗家の屋敷に殴り込みをかけなくちゃいけなくなったこと。

 どうやらみんな道々にイザナから大体の事情は聞いていたようで、突飛な話も多かったと思うのだけれど、おおむねすんなりと呑み込んでくれた。

「イザナとアスミがわたしとイヅルの前世で、アスミがイツツバを封印された巫女だったせいで、イツツバは今はわたしの中にある。
 イツツバはアマミヤの秘宝だから、アマミヤはそれを取り戻すためにわたしを狙っている。
 一方でツチミヤ、山の底で会った師匠も、イツツバを破壊するためわたしを狙っている。
 ただ、イツツバを破壊すると結び合わされたわたしの魂も壊れて死んでしまう。だからアスミを守りたいイザナはそれを阻止しようとして、結果ツチミヤからしばらくの猶予を勝ち取った。
 わたしが殺されない条件はわたしの中からイツツバを解放し、元々イザナと師匠が作った呪本の状態に戻すこと。その術式はたぶん、師匠が知っている」

 シノ様は話を整理して、ふ~む、と眉間のしわを伸ばした。
 入り組んだ話ね、とため息交じりに言ったシノ様の言葉の後を次いで、イチセが力強く頷いた。

「でも、わたしの知りたいことは知れました。わたしは王都へ行き、お父さんを助け出します」

 決意のこもった目だった。
 初めは憎たらしい奴だと思っていたけど、イチセの目的はボクの目的とも重なる。きっと力になってくれるだろう。

「そうね……。師匠がアマミヤに捕らわれているのなら、わたしも助けたいかな。あの師匠がただの呪術師に捕まるなんて信じがたいけど……」
 シノ様は首を振りながら言う。

 それにはボクも同意だ。
 ツチミヤの術は、ちょっと人間離れし過ぎていた。
 ミドウさんがあれのコピーだって言うなら、そりゃあ最強だとか名乗りたくもなるだろう。

「気持ちがはやるのは分かるが、そういうのは道々考えようぜ。今は、ここからどう動くかが先決だ」
 アズマが乾燥チーズをがじがじと噛みながら言った。

「後方から追手。前方には、ひょっとしたら待ち伏せがあるかもしれない。どう王都まで行くつもりだ?
 路銀は?
 アマミヤはフミル王家とも密接な関わりのある家なんだろう、なら、途中で検問でも張られていたらマズイぜ」

 速さが肝要ってことね、とシノ様は頷いた。
 名を呼ばれ、はい、とイチセが口を開いた。

「ここはマーディーシャの峠を越えて南下したフミル東部の山岳地帯です」

 イチセは木の枝を拾って地面に大雑把な地図を描いた。
 北にシュベットの広大な国土の端っこ、その南部と西部に天外山脈を示す三角印が描かれ、山脈に沿ってなだらかにカーブを描く長靴状の図形が書き込まれる。
 それがフミル王国らしい。

 イチセは長靴の丁度真ん中あたりに王冠マークを入れ、そこからしばらく東にずれた山岳地帯に丸を一つ描いた。

「フミル王都マオカンはここ、現在地はおそらく、この辺り」

「意外と近いんだね!」
 ボクはなんとかなりそうだとほっとして明るい声を出した。

「まあ、そうですね。途中に高い山が立ちふさがってるわけでもないし、ゆっくり歩いても七日くらいかな」

「それなら路銀はなんとかなりそうね。
 ただ、近すぎる。どこで張られていてもおかしくない。ゴドーさんたちには、フミルに入ること以外伝えないようにしてきたから、まさか王都を目指すなんて思ってないと思うけど……。
 あ。あんた、わたしの知らない内にべらべら喋ってないでしょうね!」

 シノ様に睨まれて、ボクは頬を膨らませた。
 ぷんすかぷん。どうしてこうシノ様ってボクに対する信用がないんだ。

「言ってませんよ!
 それならシノ様こそ、一時ゴドーさんにべったりだったじゃないですか。二人でこそこそ、一体何の話をしてたんでしょうね!」

 疑われたちょっとした腹いせ程度のつもりの言葉だった。
 けれどシノ様はボクに言い返されて息を詰め、次の瞬間には眉を吊り上げた。

「あっ……。あれはそもそもあんたが……。
 くっ、この。ご主人様に向かってなんて言い草なのかしら!
 あんただってセリナさんとやたら仲が良かったじゃない。知ってるのよ、わたし。セリナさんがあんたのこと狙ってたって。夜の手ほどきでもしてもらってる最中にでも、うっかり漏らしちゃったんじゃないの?」

 シノ様は、首がごきっとなりそうなくらいの勢いでふんと顔を背けた。

 はっ……、と今度はボクが息を詰める番だった。
 なんて言うか、腹が煮えくり返るって感じ。

 ボク、そこまで言われなきゃいけないようなこと言ったつもりないんだけど。
 あのさ……。
 あのねぇ、シノ様。そういうことはいくらあなたでも……っていうか、あなただからこそ言っちゃいけないんじゃないのかな?

「なんで急にケンカが始まるんだよ」
 アズマが面倒くさそうにぼやく。
 イチセがシノ様とボクの顔を交互に見て困った顔をしている。

「あ、あのですね。止めましょう、ケンカは。
 ほら、謝ってください。今のはお姉ちゃんが言い過ぎましたよ。イヅルも、変に言い返さなくても良かったところでしょう?」

 イチセの言うことはもっともだ。
 確かに、ボクもゴドーさんのことを引き合いに出して言い返す必要なんてなかった。

 シノ様も、流石に言い過ぎたと思ったのかさっきからちらちらと横目でボクのことを見ている。
 ボクが謝ったら、わたしも悪かったわ、とか謝るつもりなんだろう。

 でも……、あんまりだと思うんだ。

 ボクはシノ様のことが好きだから今まで何もできないなりに頑張ってきたつもりだし、これからもそのつもりだった。
 そりゃあ、もちろん、シノ様のために、とか恩着せがましいことを言うつもりはない。

 だけど、その頑張りくらい認めてほしいっていうか。
 ボクがシノ様以外とそういうことするなんて、思われたくないっていうか。

 まあ今回のことでも、ボクはシノ様に助けに来てもらっていて、結局迷惑しかかけてないのかもしれないけど……。ごにょごにょ。

 ごにょごにょうじうじした末に、ボクは断固として言い切った。

「シノ様が謝らない限り、絶対、謝りませんから!」

「ぅえっ……。こ、こっちこそ!
 しばらく口きいてやんないし添寝もしてあげないし、夜中のトイレにもついて行ってあげない!」

 なっ……、そんなの頼んだこと、一度もないだろ!
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