56 / 83
雪中登行
しおりを挟む~前回までのあらすじ~
フミル入国のため、ボクらはマーディーシャの雪原を歩いていく。目標は昼までの峠越えだったが、雪に足を取られて思うように進めない。そんな中、峠に雪雲がかかった。進むべきか、退くべきか。
***
「イヅルはどう思う?」
シノ様はまずボクに尋ねた。
ボクは前方に見える峠をもう一度振り返り見た。
もう行く道は少なく、帰りの道の方がずっと遠い。
「……今なら、まだ積雪もあまり多くないと思います。通り抜けることも可能でしょう。ただ、もしも通り抜けられなかった場合、かなりの体力を消耗した上で今夜はこの雪原の上で休むことになります」
「今から戻れば日が暮れる前には土の上に戻れそうね。けど……、もう一度この雪を越えてここまで来るのは、厳しいわね」
シノ様は顔を顰めた。
正直もうやりたくないって顔だ。
アズマもイチセも、戻るべき道を振り返ってげんなりした顔をしている。
体力オバケのアズマでも、慣れない雪の上を歩くのは辛いらしい。
なら、このまま進んで吹雪の中に突っ込むのか?
でも、ちょっとのなまけ心で無理に進んで誰かが死んだら目も当てられない。
いや、まだ季節は冬の入りだ。
雪がそんなに多く降り積もるとは思えない。
積もっていても、最悪、短い距離だけなら焼き払って進めるだろう。
それに吹雪が長く続くとは限らない。
今は雲がかかっているが、さっきまでは快晴だったのだ、すぐに晴れるかもしれない。
シノ様は歩きどおしで疲れている上に病み上がりだ。
アズマもイチセも、慣れない雪道で疲れている。
もう一度来るのは厳しいと言ったシノ様の言葉の通り、ここで戻れば二度と峠を越えようとは思えないかもしれない。
でも……。
それならそれで、いいのかも知れない。
今度はもっと計画的に、一年後の夏に峠を越えればいい。
それに、ボクは元々フミルに行くのなんて反対だったんだ。
一年もあれば、シノ様もフミルに行くことなんて忘れてしまうかもしれない。
シュベットにはいられないかもしれないが、もっと安全な他の国へ行けばいい。
天外山脈は南下も西進も阻んでいるし、北も無人の山岳地帯が続く。
けれど東の国のセンを目指すのであれば、冬の間も旅を続けられることだろう。
うん、なんだかそれがいい気がしてきた。
よし、そうしよう!
ボクが内心ちょっとしめしめという気持ちで撤退を提案しようとした時、あっ、とイチセが声を上げた。
イチセの指差した先を見れば、人影が一つ、二つ……。
いや、六つの人影が、ボクらが今朝までいたシュンケルの稜線に見えている。
それを見た時、さっと胸の奥が冷たくなるような心地がした。ボクに帯飾りをくれた時のセリナさんの顔がふっと脳裏をよぎる。
あそこには道なんて無い。
雪原を越えてフミルへ行こうという人は、パーリ谷を通って真北からやってくるはずだ。
あんな場所にいるってことは、彼らはきっとボクらを尾行してきたに違いなかった。
「……やはり、殺しておくべきでしたか」
イチセの呟きが雪原に冷たく響いた。
「尾行には気を付けてるつもりだったけど……。あの程度で逃げ切れると思ったのは甘かったか」
「どうするよ。ゴドーのおっさんくらいの使い手が六人って考えると、正直かなり厳しいぜ」
アズマが眉をしかめると、シノ様はふんっと鼻息を吐いた。
「是非もないってことね。……行きましょう」
間もなく雪が降りだし、一気に視界が悪くなった。
雪は肌に触れると水に代わり、蒸発して体温を奪う。
降り積もった新雪は踏みしめればあっさりと沈んで足をとった。
なだらかだと思って踏み込んだ場所が実はただの吹き溜まりで、急にずぼりと身体がはまり込んでひやりとすることも何度もあった。
吹き付ける風は強く、ごうごうと河が流れるような音を立てて山が鳴った。
降り積もった雪のせいで、安全な足場の確認も難しくなっている。
もしもこの吹雪にもっと峠から離れた場所で遭っていたら、きっと方向を見失っていたに違いない。
しかしここまで来れば、吹雪はまだ山陰を見失うほどの激しさではない。
ボクらだけが辿れる道であるのなら、この天候はむしろボクらの味方と言えた。
今や追っ手の影は吹雪に隠れて見えなくなっている。
ということは、追っ手にとってもボクらの居場所は見えないということだ。
それに加えて、吹雪はボクらと追っ手の間を阻む壁になる。
きっと彼らはトモン峠を越えてここまで、夜の間も歩き通して追って来たはずだ。疲労した彼らには、この吹雪を越えて雪原の上を追ってくることはできまい。
この吹雪のおかげで、彼らが足踏みをしているうちに峠を越えて姿をくらませられるだろう。
「峠を越えた先の村で待ち伏せされてる可能性は?」
ないとは言えないわね……、とシノ様は雪で冷え切った顔を凍えさせながら言った。
「でも、トモン峠越えが奴らの本命のルートだったはず。この先に待ち伏せがあったとしても保険程度の戦力のはずよ。蹴散らしましょう」
「一戦交える前に是非とも身体を休めたいところだな」
アズマがぜえぜえと荒い息を吐きながら言った。
「俺は、寒いのだけはどうにも……」
「ここ最近だけで二度も凍死しかけてるからね」
ちっ、とアズマが無理した感じで苦笑いした。
「ああ。感謝してるよ、イヅル」
「もう身体で払えってのは帳消しでしょ?」
ボクが笑みを含んで言うと、なによ、それ、とシノ様が力なく言った。
「盗賊のとこから逃げ出した時、命の恩だから身体で払えって、アズマが」
「なにそれ……、聞いてないんだけど。アズマ。後で、殺すから」
「へっ……。へろへろのくせに、威勢のいいこった」
アズマが鼻で笑おうとして失敗すると、リタに寄り添いつつよたよた歩いて来るイチセが、なんか、余裕ありますね……、と呆れ気味に言った。
リタはよく辛抱して付いてきてくれていた。
体重が重いため時々雪にはまりながらも、その度に億劫そうに立ち上がって歩き出す。イチセが必死で励まして、元気づけようとしているからかもしれない。
愛されてるってことは、伝わるものだ。
ボクも昔、ヤクの世話をしていた時、みんな、よく懐いてくれていたと思う。顔を擦りつけてきてくれて、ボクはよくバランスを崩して、こけて踏みつぶされそうになったものだった。
あいつらもみんな、ボクと同じように売り払われてしまった。
あ、なんか。
会いたくなってしまった。
いや、いや。今は峠越えに集中しなくちゃ。
じゃなきゃ死んでから再会ってことになる。
そんな不吉なことを考えたせいではないだろうが。
ごう、と微かな低い音が遠くで聞こえた気がした。
それが何かが分かるよりも一瞬前、ボクは脳の奥が痺れるような感覚がした。
幼い頃から幾度も聞いたことがある、身体の奥底が寒くなる、その音。
雪崩だ。
音はシュンケル山の高いところから聞こえたが、吹雪で軌道が読めない。
回避行動をとることもできない。
こっちに来ないことを祈るしかない。
「みんな、伏せて!」
ボクの号令で一斉に雪の上に身を屈める。
しかし音は、静かに、しかし確かな質量感を伴って迫ってくるように聞こえた。
「みんな、流されないように。イチセはリタを!」
ボクは手に持った棒を深く雪に突き立て、両腕でしがみつく。
大量の雪がボクらの上に降りかかってきたのはそのすぐ後のことだった。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
魔法少女を願ったら、異世界最強の魔法使い幼女になっちゃった?~女神の願いとドラゴンの幼女[達]~
べるの
ファンタジー
魔法少女と百合好きな、独身オタクの『留萌川 楓奈』が
異世界でドラゴン幼女を仲間に女神の願いを叶える為に冒険するお話です。
自作の薄い本をひったくられ、追走中に誤って歩道橋から転落してしまった楓奈。
そんな命の危機的状況で願ったものを女神が叶えてしまう。それも大雑把に。
見た目は幼女。女神から貰った衣装はダボダボ。力も魔法も規格外。
一撃で魔物を爆殺し、初級魔法で森一つを消し飛ばし、ドラゴンの攻撃にも耐える。
そんな見た目幼女の楓奈が、飛ばされた先の異世界でドラゴン(人型幼女)
を仲間にして女神の願いを叶える為、冒険をするお話です。
★現在のドラゴン幼女と女神たち★
ドジっ娘適当幼女女神 メルウ
無口ジト目幼女ドラゴン メド
元気っ娘ロリ巨乳ドラゴン アド
※タイトル変更しました。6/10
※少女同士の絡みがあります。
※性的な表現が少しあります。
※残酷な表現があります。
※カクヨム様、なろう様、
ノベルアップ+様に時差投稿しております。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~
しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」
病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?!
女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。
そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!?
そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?!
しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。
異世界転生の王道を行く最強無双劇!!!
ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!!
小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!
頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。
音爽(ネソウ)
ファンタジー
見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。
その容姿のせいで誤解され、男達には尻軽の都合の良い女と見られ、婦女子たちに嫌われていた。
16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。
後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。
虐げられた令嬢、ペネロペの場合
キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。
幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。
父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。
可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
【完結】神様と呼ばれた医師の異世界転生物語 ~胸を張って彼女と再会するために自分磨きの旅へ!~
川原源明
ファンタジー
秋津直人、85歳。
50年前に彼女の進藤茜を亡くして以来ずっと独身を貫いてきた。彼の傍らには彼女がなくなった日に出会った白い小さな子犬?の、ちび助がいた。
嘗ては、救命救急センターや外科で医師として活動し、多くの命を救って来た直人、人々に神様と呼ばれるようになっていたが、定年を迎えると同時に山を買いプライベートキャンプ場をつくり余生はほとんどここで過ごしていた。
彼女がなくなって50年目の命日の夜ちび助とキャンプを楽しんでいると意識が遠のき、気づけば辺りが真っ白な空間にいた。
白い空間では、創造神を名乗るネアという女性と、今までずっとそばに居たちび助が人の子の姿で土下座していた。ちび助の不注意で茜君が命を落とし、謝罪の意味を込めて、創造神ネアの創る世界に、茜君がすでに転移していることを教えてくれた。そして自分もその世界に転生させてもらえることになった。
胸を張って彼女と再会できるようにと、彼女が降り立つより30年前に転生するように創造神ネアに願った。
そして転生した直人は、新しい家庭でナットという名前を与えられ、ネア様と、阿修羅様から貰った加護と学生時代からやっていた格闘技や、仕事にしていた医術、そして趣味の物作りやサバイバル技術を活かし冒険者兼医師として旅にでるのであった。
まずは最強の称号を得よう!
地球では神様と呼ばれた医師の異世界転生物語
※元ヤンナース異世界生活 ヒロイン茜ちゃんの彼氏編
※医療現場の恋物語 馴れ初め編
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる