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出会い
しおりを挟むシュベット国南部の山岳地帯、荒涼とした山々の連なるその裂け目にある農村にボクは生まれた。
隣国との国境、天外山脈の峠道へ向かう道沿いの村で、街道も整備され、交易の商人がよく通る比較的裕福な村だった。
ボクはその村の護衛士の娘だった。
あ、ボクって言ってるけど、一応女の子なんだ。なんか、ボクって言うのがしっくりくるんだよ。
お母さんには女の子らしくしなさいってよくため息を吐かれたけど、お父さんはボクの味方で、いいじゃないか、元気に育ってくれて、とよくとりなしてくれていたものだった。
たまに怒ることもあるけど、普段は優しくて、手伝いをすると褒めてくれる。
そんな温かい両親だった。
のどかな村で両親と友人、仲のいい家畜たちにも囲まれて、ボクはぬくぬくと幸せに暮らしていた。
あの温かな冬の日までは。
***
一際山に雪の多かった冬の、寒さの和らぎ始めた頃だった。
村を雪崩が襲った。
雪害はいつものことではあったけれど、毎年雪崩に潰されるような場所に村ができるわけがない。
雪崩の起こる音が低く轟いても、大抵は山のもっと険しいところで、こんなことは初めてだと村の古老は興奮してしきりに呟いた。
雪崩は大きく、村の半分近くを押し流した。そしてその中にはボクの家もあった。
ボクはたまたま燃料にするヤクのフンを拾いに出かけていたので助かった。
ボクは興奮して逃げ出そうとするヤクたちをなんとかなだめすかして村に戻り、両親が行方不明であることを知らされた。
そこからのことは目まぐるしくてよく憶えていない。どのくらいの時間が経ったのかも分からない。
村は比較的裕福ではあったけれど、その半分が押し流され、無数の死人、怪我人が出た中で、孤児たちを養っていく余裕などなかった。
ボクを含めた孤児たちは二束三文で売り払われ、村の再建費用の足しにされた。
同じ境遇の子たちがどんな風になっているのかは分からない。ボクらは途中までは真っ暗な同じ馬車で連れ出されたけど、一番近くの町で散り散りになった。
ボクはそこから別の馬車に乗せ換えられ、別のもっと遠い町に連れて行かれた。
裸にされて、革の首輪をつけられて、自分たちにこれからどんな運命が待ち受けるのかも分からないで、時折連れ出されては来る日も来る日も変わりばんこに訪れる人たちの見世物にされた。
ボクはそんな日々を、夢の中にいるような気分で過ごしていた。
優しかった父と母が死んで、ボクはそのことすらまだ受け入れる気持ちができていなかった。
その上人買いに売られ、生まれ育った村から引き離されてこうして他に何人も繋がれた部屋で、黙りこくって過ごしている。
夢だと思っていなければ、ボクの心はとっくに壊れていたかもしれない。
この現実は、これまでのどかに育ってきたボクには受け入れることができなかった。
そうした日々がどのくらい続いただろう。
人買いたちは初め、優しいとまではいかないが、大事な商品だ、丁寧にボクを扱った。
けれど次々に他の商品が売れ、新しい商品が入って、ボクが売れ残ったのが分かると、扱いもそれ相応のものに変わった。
ボクは再び馬車に乗せられて他の店に移された。
その店の部屋は牢獄のように一面が鉄格子になっていた。ここがボクらの生活空間兼商品の陳列棚というわけだ。
元いた部屋よりも繋がれた人の数が多くて、誰もがやつれた顔をしていた。それにそこはずっと寒かったし、出される食事も粗末なものだった。
そこを訪れる客も、元の部屋を見に来た客よりもずっとガラが悪くて貧相だった。
そこでは時折人が死んだ。
死んでも悲しむ者は誰もいない。精々周囲の者たちが、次は自分の番だろうかと生気の消えた目でのろのろと目を向けるだけだ。商人にいたってはやっと死んだかとばかりに乱暴な手つきで連れ出していく。
それから彼がどうなるのか、よく分からない。きちんと埋葬するとはとても思えない。もしかしたら今日の食事のスープの具材にでもなっているのだろうか。
「あれ、買うわ」
そんな記憶に霞の掛かったような日々のある日、ボクは唐突に部屋から連れ出された。
目の前には年の頃十二、三くらいに見える少女がいた。彼女はボクの様子を溜めつ眇めつしながら見て、額にしわを寄せた。
「大丈夫なの、こいつ」
「ええ、それはもちろん。ちょっとばかり長くいたせいで少しぼんやりしていますが、じきにしゃきっとするでしょう。中々頑丈な奴で、体調も悪くすることなんかもありませんでした。きっとお役に立ちますよ」
少女の眉間のしわを見て、近くの商人が少し慌てた様子で言う。
不良在庫がようやく売れそうなのだ。なんとしても商談を成立させたいところだろう。
「ふーん……。で、いくらだって?」
「シュベット銀貨300」
「高すぎるわ。精々200でしょう」
ボクは目の前で自分が取引されている声を聞いていても何の感情も湧いてこなかった。どうせ買われたところで大層な生活は待っていないのだ。
この牢獄で死ぬか、労働力として使いつぶされて死ぬかのどちらかだ。
なら、どっちでもいい。
「分かりましたよ、では230で」
「うん、それでいいわ」
どうやら話がついたらしい。商人は少し難しい顔をしたが、すぐに気を取り直して書類を取り出した。そこに少女がサインして、契約完了だ。
ひざまずかされたボクの背中に、呪印師の男が筆でさらさらと何か書いていく。最後に少女がそこに手を置いて、男が何か呟いた。
背中をなにか這い回るような気持ちの悪い感覚がして、身震いする。けれどそれ以上のことはなかった。
それからボクは別の男に連れられて身体を洗浄された。随分丁寧な手つきで、白い貫頭衣まで着せられた。
少女は洗われて手を後ろ手に縛られたボクを見て小さく顔をほころばせた。
「ふーん。随分人心地ついたみたいじゃない。ついてらっしゃい」
少女はボクの首輪から伸びた革ひもをぐいと引っ張った。
ボクは久しぶりに外に出た。
店のあった通りは後ろ暗い商売をしている店らしくどこか陰鬱と汚れて見えたが、少女がボクをぐいぐいと引っ張るのについていくと、じきに人通りの多い通りに出た。
土レンガと木を積み重ねた背の高い建物が並び、地面には石畳が敷かれて馬車がいくつも行き交っている。
少女はボクに繋がる紐を片手で軽くもてあそぶようにして持っているだけだ。その腰には反りのある剣を下げているけれど、そんなに強そうには見えないし、突き飛ばしてこの人込みの中に紛れてしまえば逃げられそうだ。
そんな思考が一瞬だけボクの頭をよぎった。
でもすぐに打ち消した。
逃げてどうなると言うのだ。物乞いにでもなって、また人買いに売られるのか。
「ほら、あんたも食べなさい」
少女は道端の屋台で干した杏を一袋買った。一つうまそうに食べてしまってから、ボクに差し出した。
ボクは急速に口の中に唾液が溜まるのを感じた。甘いものなんて、もうずっと長いこと食べていない。
なに、食べないの?と手をひっこめかけ、少女はボクが後ろ手に縛られていることを思い出したようだった。
「しょーがないな。わたしが食べさせてあげる」
噛まないでね、と少女はボクの口元に杏を差し出した。
もしかしたらこの人は、ボクにひどいことをしないんじゃないか。
そんな風に心の底から思った。
でも裏切られた。
ボクが杏に噛みつこうとした瞬間、彼女はさっと手を引いて、引っ掛かった、と意地悪く笑ったのだ。
一瞬だけボクの眠っていた心に差し込んだ光が、幻だったことが分かった。
「あ、ごめん。ほんの冗談だって。緊張をほぐそうとしたの」
心の扉を厚く閉ざしたボクに気が付いて、慌てた様子で少女がボクの口に杏を押し込んでくる。
ボクは抵抗しようとしたけど、でもほんの少し杏の甘い匂いをかいでしまったから抗えなかった。
杏は甘酸っぱい夏の味がした。
故郷の村でも杏の木は村のあちこちに植えられていた。温かな季節には零れそうなほどたわわにその実をつけ、よく遊んでいて小腹が減ると友だちともぎ取って食べたものだ。
杏の甘さはそんな記憶を呼び起こして、どうしようもなくあの村での日々が、優しかった父と母の姿が懐かしくて、堪らなくなった。
「もう。だからイジワルしてごめんって。許してよ~」
少女は困り果てた様子で言いながら、ひょいひょいとボクの口の中に杏をいっぱいに詰めてくる。
どうしてそんなに困っているんだろうと思って、ボクは自分が泣いていることに気が付いた。
なにか弁解したいと思ったけれど、ダメだ、口の中の杏がいっこうに呑み込めない。っていうか、詰め込まれ過ぎて噛めもしない。
「わたしはシノ。シノ・ツチミヤ。あんたのご主人様よ。あんたはわたしが買ったんだから、わたしのものなんだからね。逆らっちゃダメよ」
少女は得気に胸を張って言った。
そうしてボクは彼女の所有物になった。
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