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4 雅の瞳

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 咲夜は騎士団総団長ザガリ・トラヴストの屋敷へ身を置いていた。
 王太子アフィーナギを乗せた馬車は屋敷の正門を潜り、正面玄関の前へと滑り込む。
 事前に訪問する為の手紙を送って時間を合わせたので、玄関前ではザガリと咲夜が出迎えの為に待っていた。

 馬車から降りると、咲夜は嬉しそうに駆け寄り手を繋いできた。
 小柄な身体は召喚された五人の中で一番小さく見えた。
 手も小さく、握って来た指も掌も柔らかい。
 嬉しさで頬は少し赤く染まり、瞳は濡れた様に潤んでいる。
 笑って小首を傾げるとサラサラと黒髪が揺れて愛らしい。

 この姿を見た者は、咲夜を聖者であると、間違い無いと感じる。そう感じさせる愛らしさが確かにあった。

 白いダラリと揺れる手を思い出し、頭をフルリと振った。
 何故今それを思い出すのか。

 招き入れられたのはサロンだった。
 魔王が現れて10年。
 度重なる戦闘と敗戦。天候不良と合わせたように作物も不良となり、今ラヴディーデリア王国は未曾有の危機に陥っている。
 今度勝たなければ魔族にこの地に飲み込まれるだろう。
 食料不足に悩む王国だから、目の前のお菓子にギョッとした。
 
「凄いな………。」

 こんな事言うのは無礼に当たるだろうが、思わず言葉が出てしまった。
 そう大きなテーブルではないが、食べきれないほどのケーキやクッキーが乗っている。
 メイドが入れた紅茶はここ最近では手に入れにくい他国のものだ。

「ザガリが取り寄せてくれたんです。いつも食べきれないから、こんなにいっぱい用意しなくて良いよって言うんですけど。」

 そう言って当たり前の様にクッキーに手を伸ばして食べ出した。

 いつも……?

「サクヤにと持ってくる者達が大勢いるのです。サクヤは人に好かれますので。」

 今の王国の食料事情を知るザガリが言い訳の様に言葉を足してきた。
 私の表情から察したのだろう。

「そうか。いや、いいんだ。不自由なく暮らしていてくれて安心したよ。」

「ふふふ、あ、そうだ一緒に来たクラスメイトの様子が知りたいです!皆んな元気にしてますか?」

「………………ああ、皆んな元気だよ。」

 皆んなとはどこまで含めて皆んなだろうか?
 ザガリに咲夜を預ける前、雅は地下牢に入って反省させていると言ったら、咲夜は嬉し泣きをしていた。頬を染めて、ありがとうございます、と。
 あの時はそれが正しいと思っていた。
 咲夜が喜んでいるから、正しいと。
 しかし、地下牢に入れたと聞いて、騎士達に仕置きをさせていると聞いて、喜ぶのが普通だったのだろうか。

「雅はまだ地下牢にいるんですか?元気にしてますか?」

 どっちだろう。元気と言えばいいのか、今死にかけていると正直に言えばいいのか分からなくなった。

「…………そう、だね。少し体調を崩して今治療中なんだ。」

 嘘にほんの少し真実を混ぜる。

「そうなのですか?」

「殿下、ミヤビはサクヤを苦しめた者ですよ。体調不良程度で治療する必要はないのでは?いまは回復薬ですら高価な物なのですよ。」

 こんな贅沢品であるお菓子を並べておいて、それは無いだろうと思ったが、召喚された者達はみな平等に扱う旨を伝える。

「僕、本当に辛かったんです!体調不良は可哀想ですけど、少し気持ちが晴れるような気がします。」

 咲夜は大きな潤んだ目を辛そうに顰めながら、そっと目を伏せた。
 そして、ねっ?と言って微笑む。

 その姿も仕草もとても可愛い。
 白いまろやかな頬は血色も良く、ピンク色の唇はぷっくりとている。
 とても健康的だし、辛い過去があったようには見えなかった。




 ガラガラと回る車輪の音を聞きながら、曇り空をぼんやりと眺めた。

『たまに意識は戻るんですが、食事も水も吐き出してしまうんですよ。医師からも痩せ過ぎだから食事を摂らせるように言われたんですがね。向こうの世界にはテンテキと言って栄養のある水分を針で身体の中に入れる治療法があるそうですが、そんな事出来ませんしねぇ。水を直接入れたら死にますよね?あっちの世界は本当不思議です。』

 地下牢から出して二週間経ったが、ミヤビの体調は戻らなかった。
 アフィーナギが渡した上回復薬を少しずつ与えて命が繋いでいると言ってもいい。

 健康的な咲夜と死にかけている雅。
 どちらがより不幸かと言われれば…………。




 

 召喚の日から二ヶ月が経った。
 サヤラーテの屋敷で過ごす雅は、上体だけ起こして喋れるようになった。
 清彦は兼ねてから希望していた通り、雅に面会の許可を取ってくれた。
 治療に使った上回復薬が王族にしか配られない貴重な物であり、今度の魔王討伐に持って行く予定だった回復薬だと聞いて、思案の末了解したらしい。

 雅が使っている部屋の扉を開けると、雅がゆっくりとこちらを向いた。
 まずは謝ろうと思っていたのに、雅の瞳に見つめられ言葉が出てこなくなってしまった。

 強い…………、と思った。

 どんな事があろうとも、どんなに心が折れようとも、立ち上がる強い瞳に、飲み込まれてしまった。

「どうも……?」

 立ち尽くす自分に気まずくなったのか、睨みつけながら先に声を掛けてきた。
 嬉しくなって微笑んでしまった。
 自分でも口角が上がり笑んだのが分かった。
 その不遜な挨拶に。
 生きている彼に会えて。
 お前のせいだと迫る事なく、ただ、どうも、という挨拶に。

「生きてくれて良かった。」

 きょとんとした彼は、はぁと間の抜けた返事をした。




 最後に会った牢屋での印象は最悪だった。
 綺麗な顔で何考えてるか分からない笑顔をしていた。
 ずっと笑ってるのは逆に気持ち悪いと思うんだよな。
 見舞いに来たいとずっと言っているらしい。態々自分が牢に入れて襲わせたくせに、何故見舞う必要が?と思ったが、サヤラーテが間を取りなす様に説明してくれた。
 アフィーナギは召喚者にそこまでの事をするつもりが無く、一晩程度と思っていたらしい。
 一晩でもどうかと思うがな?
 そして咲夜の信者化している騎士が、アフィーナギの思惑以上に暴走した結果の様だった。
 それで俺は死にかけて、アフィーナギは毎日の様に見舞いに来ていたという。

『生きてくれて良かった。』

 本当に嬉しそうな笑顔は、あの暗い地下牢で見た笑顔ではなく、明るい日差しの様で、身構えていた自分が馬鹿みたいで、はぁと間抜けな返事をしてしまった。

 アフィーナギは何度も謝ってきた。
 そして少しずつ回復する俺を見て、いちいちそれを言っては嬉しそうに笑っていた。
 金髪碧眼のキラキラ笑顔に、俺は眩し過ぎて目が焼ける様だった。




 こっちに召喚されてから三ヶ月。
 俺は歩けるようにはなっていた。寝たきりが長くて筋力が衰えてしまい、身体が思うように動かなくなってしまった。

「なぁ、こっちの世界っていつも雲があんの?雨も降らねーのな。」

 こっちに来てから晴れの日を見た事がなかった。
 いつも空には少し灰色の雲が覆っている。かといって雨が降るわけでもない。
 ずーーーーと曇りだ。

「もう五年程この曇り空だよ。青空なんて学生の時くらいまでじゃないかな?」

 ラヴディーデリア王国では十六歳から二十歳まで各所の学園に通うらしい。アフィーナギはいま二十三歳になったばかりだと教えてもらった。

「ふーん、意外とおじさんなんだな。」

 アフィーナギが傷ついた顔をした。

「そうだね、十六の君にはオジサンだね。」

 清彦とサヤラーテが可笑しそうに笑っていた。

「徐々に魔王の領地が広がっているのですよ。瘴気が増して空は瘴気混じりの雲が覆うようになり、作物も育たなくなりました。」

 サヤラーテはそんな私は二十五歳ですとついでに教えてくる。
 更に年上だったんだ。アフィーナギの方が偉そうにしてるからアフィーナギより年下かと思ってた。
 昔はもっと年上の官僚や貴族が多かったらしいが、度重なる出兵と敗戦で重鎮達はいなくなり、今上に立つのはアフィーナギも含めて同じ年代ばかりになってしまったらしい。
 今度の討伐戦で負ければもう王国として成り立たないそうだ。

「もし、私達が破れればラヴディーデリア王国から逃げてほしい。」

 アフィーナギは最近よくそう言うようになった。

「もう駄目だと思えば、お前達召喚者は王宮に残るミヤビの元へ転送する。任せられる者を残していくから、一緒に王国で出るんだ。」

「でも、俺たちはその為に召喚されてんだろう?逃げたら駄目じゃないのか?」

 清彦は困った顔をした。

「極秘で逃すようにする。召喚者の顔はサクヤくらいしか出回っていないから、お前達だけでも逃がしたい。私の転送魔法なら誰にも気付かれないから、戦地でいなくなっても死んだとしか判断されない。」

 でもそれじゃあ一緒に討伐に行くお前はどうするんだよ。
 皆んな逃がしてお前は帰って来れるのか?
 返事をしない俺の手を取って、お願いだから逃げるんだよ、と念を押して帰って行った。

 最近アフィーナギは戦争の準備とか残していく王国の事務処理とかで忙しく、サヤラーテの屋敷には転送魔法で飛んでくる。
 馬車で通う時間すら勿体無いようだ。
 無理して来なくてももう身体は大丈夫だからと言ってるのに、息抜きがてらに来てるから、と笑っていた。
 最初の頃に見た胡散臭そうな笑い方じゃなくて、楽しそうな笑顔をするようになった。


 俺は今日も夢を見ている。
 ごくごく普通の子供部屋には勉強机とシングルのベットが一つ。
 青いカーテンと白いレースのカーテンがヒラヒラと靡いていた。
 助けて、と出ない声で清彦に助けを求めた。
 親が来るまで、窓は開けたままにしていた。
 閉めたらまた兄と二人きり。
 クーラーに当たり過ぎて具合悪いとメモに書くと、兄はいいよと笑った。
 兄の笑顔も胡散臭い笑顔と思っていた。
 好きだと言いながら、いつも貼り付けたような笑顔は何の為だったのだろうか。
 両親が慌てて夜中に帰って来た。
 裸で首輪を着けた俺を見て、お母さんは悲鳴をあげた。
 お父さんは急いで首輪を取ってくれた。
 兄は笑っていた。
 泣きもしない無表情の俺と、号泣して俺を守るように抱きしめるお母さんを見て、笑っていた。
 お父さんは兄の腕を掴んで怒鳴っていた。
 それでも兄は貼り付けたように笑っていた。
 兄の心は壊れていたと聞いた。
 壊れた兄はいつも笑っていた。
 
 














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