落ちろと願った悪役がいなくなった後の世界で

黄金 

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竜が住まう山

35 津々木学の身体

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 俺達はロジチェリの案内でトネフィトと名乗る竜が住む家にやって来た。
 グッタリしていた俺を盲目のトネフィトは慌てて布団に寝かせてくれた。思わぬ歓迎に嬉しくなるが、吐きそう……。

「待ってて下さいね。今薬を用意しますから。ロジチェリっ!ダメじゃないか!こんなに具合悪くなるまで走って来ちゃダメだろう!?」

 何とこの盲目の竜の方が立場が上らしい。神聖力を見てみれば一番弱いし身体も強くなさそうなのに、もう一人いたロジチェリそっくりのカンリャリという竜も、トネフィトの言いつけはしっかり守っている。

「……早く着いたほうが薬を飲めるだろ?」
 
 ロジチェリは気不味そうに顔を背けている。あまり細かい気遣いが出来ないのか、したくなかったのか。後者かなと思えてしまう。

 トネフィトは眼球がないのだと説明してくれたが、目が見えないわりにはよく動けていた。どこに何があるのかを覚えているかららしく、物を動かさないで欲しいと頼まれた。

 煮出して作る薬らしく、木の椀に入った茶色とも緑色ともつかない液状の薬を差し出され、フーフーと冷まして飲んだ。口当たりは見た目と違ってサッパリしていて飲みやすかった。

「ありがとう。」

 お礼を言ってお椀を返すと、カンリャリがトネフィトの代わりに受け取って道具と共に洗いに行ってしまった。
 カンリャリはロジチェリと違って髪がもっと短い。
 明るい黄色の瞳と濃い紫の髪色は一緒で、双子なのだと教えてくれた。
 盲目のトネフィトは長髪で、萌葱色もえぎいろの髪色だ。

「少し休んだ方がいいかな?目が覚めてから話をしよう。」

 トネフィトがゆったりとそう言った。竜と言われなければ分からないくらい穏やかな人柄のようだ。
 俺は薬が効いてきているのか、やたらと眠気が襲ってくる。

「この山は結界に入っているから、スペリトトの術は効かないから安心していいよ。もし何か異変を感じたら無理矢理起こすからね。」

 トネフィトが何か説明してくれているが、ウツラウツラとした頭ではよく理解出来ない。
 スペリトト?それは昔の神様の名前じゃ?あ、神様の番だったっけ?
 などとボンヤリと考えながら眠りに落ちていく。

 寝てる場合じゃないのに……、アオガを、助けに………。

 返事をすることもなくツビィロランは眠ってしまった。
 






 



 ツビィロランはハッと目を覚ました。
 寝ていたはずなのに立ち上がっていて、見渡せばそこは津々木学つづきまなぶとして生きていた頃の景色だった。
 
「ここは…………、会社?」

 太陽の光を受けて全面鏡張りのような建物には見覚えがあった。ビル全部が会社所有の建物であり、津々木学は本社勤めの営業マンだった。
 新人という枠組みを抜け、一つ下の後輩も入ってきて、移動したり退職したりしていった先輩達から引き継ぎを受けて、担当の会社も少し貰って、少し楽しくなり出した頃だった。
 津々木学の頃の夢を見るのは久しぶりだった。
 それこそさっき洞穴で寝た時に見た悪夢くらいで、ここ数年はもう見なくなっていた。
 以前は日本の夢を見ては朝起きて焦燥感に苛まれていたが、夢とは過去の記憶の再現だとばかりに、最近ではこの世界の夢が殆どになっていた。
 イツズとの旅は大変だが、決して嫌なものではなかった。
 きっと一人では耐えられなかった。
 最初の頃こそ毎日毎時間、帰りたいと心の中で騒いでいたが、今では諦めも大きかった。
 天空白露で少し………、いや、かなりこのツビィロランの身体に嫌な思いもしたが、死ぬのは怖いし身体はこれ一つきりだ。
 前は死ねば帰れるかもと思う時もあったが、痛いのはやだし、死ぬのはもうこりごりだ。津々木学として事故で死んだ時は痛かったし苦しかったし、ツビィロランに入った時に直ぐに死んだのも悲しかった。
 
 これは夢なんだろうと思うのだが、やけに現実的だなと見渡した。
 
「…………すこし、違うな。」

 何となくだが、何かが違うように感じた。
 そう、テナントが違う。それに、服装?なんだろう、何かが違う。目の前の四車線の道路も何となく違う気がする。交差点の感じ、信号機の形、車の形、周りの建物も少し違う。あったはずの病院やお店がなくなり、違う名前になっていた。あんな会社があったかな……。
 同じなのに違う。
 確かに本社前なのに、いろんなものが違った。

「学っ!」

 ビクッと肩が震える。
 その声には聞き覚えがあった。
 手を振り小走りに歩いてくる人間がいる。
 何でアイツが…………。
 笑顔で手を上げているのは道谷柊生みちやしゅうせいだった。中学生の時、俺を非常階段に登らせた元同級生。何故だか老けて見えた。三十代半ばかと思える働き盛りのスーツ姿。髪型は短めで黒い髪は後ろに軽く撫で付けている。スーツもシワひとつない上等なスーツを着ていて、仕事が出来る男といった感じがする。一目見てモテそう。そう思ってしまった。通り過ぎる女性数人がチラチラと見ていることからもよくわかる。

「おはよう。」
 
 誰かが柊生に挨拶をしていた。

「ああ、おはよう。昨日はお疲れ。今度の週末は学の部屋を片付けような。」

「うん。夜に少しずつ進めておくね。」

 その声に俺は驚いた。
 俺の声だ………!
 俺は隣を見た。声が直ぐ隣からしたからだ。俺の隣には俺がいた。正確に言えば津々木学の身体が立って、近寄ってくる柊生と話していた。
 俺も老けてる……。
 なに?なんだ?どういうことだ!?
 俺の混乱をよそに、二人は会話を続けながら本社に入っていく。
 そうだ、柊生は同じ会社に入社したのだ。
 中学のあの事件をきっかけに、俺達はバラバラになった。全員違う中学校に転校してしまったのだ。
 俺はそこまで遠くには行かなかったけど、道谷家は父親が九州転勤を希望して、家族全員で引っ越していった。
 柊生はそっちで大学進学して、同じ会社の博多支社に入社し、たった一年で本社に栄転してきた強者だ。
 転勤してきた時は驚いたものだったが、お互い余所余所しく他人を貫いていたはずだ。

「なんで………。」

 津々木学と道谷柊生は仲良さげに話しながら消えていく。柊生の手が俺の肩に置かれ、笑い合っていた。

 は………。あ?

 アレは俺だ。何で、これは夢だよな?
 まるで、まるで津々木学も生きていて、十年経ったようなこの景色に、俺は混乱した。






ーーー見つけた……………!ーーー





 何かの声が響いた。
 世界中に響くような大音響なのに、誰も驚いた様子もなく歩いている。
 耳を塞いだのは俺だけだ。
 グラリと身体がよろけた。いきなり足場を無くしたように、身体が宙に投げ出される。

「ーーーーーーーーっひっっっ!?」

 俺の身体は縮み上がり、腹に力が入る。目を瞑り俺は恐怖した。



「大丈夫です。」


 また違う誰かの声がした。
 力強く大きく長い腕が身体に回される。ギュッと抱き締められて、落下する感覚が無くなった。
 ガタガタと震える背中を誰かがゆっくりと撫でてくれる。

「また貴方ですか。早く山から出るように言いましたのに………。」
 
 ゆっくりと目を開けると、直ぐ上に氷銀色の瞳があった。この世のものと思えないほどの綺麗な顔だと改めて思う。俺が津々木学として生きていた時から考えると、全く現実味のない作り物めいた顔だ。

「……………ここ、どこ?」

 俺はクオラジュに尋ねた。
 クオラジュはツビィロランを殺すかもしれない存在だが、今、俺が信じ頼れるのはこの男だけだ。

「私にもわかりかねます。………が、スペリトトの気配が濃くなりましたので来てみましたが……。ただの夢では無さそうですね。」

 俺もそう思う。
 まるで十年後の自分を見せられた気分だ。

「何故、黒髪が多いのでしょう?瞳も黒から茶色といった感じが多いですね。前回も思いましたが不思議な場所です。こんな所があるのでしょうか?それにしては神聖力を持つ者が一人もいません。先程貴方によく似た感じの方の魂が持っていたくらいでしょうか。」

 俺に似た奴が?それは津々木学の身体のことだろう。アレは俺の身体だった。
 俺はクオラジュの疑問には何も答えることが出来ない。何も知らないし、唯一わかるのは、さっき見た世界が元々俺がいた場所だということだけだ。
 頭を降り怯える俺に、クオラジュは怪訝な顔をしたが、黙っていた。
 クオラジュは背中に黎明色の羽を広げる。

「ひとまずここから離れます。あまり長居すると戻れなくなりそうな気がします。」

 俺の返事は期待していなかったのか、直ぐ様羽ばたきどこかへ移動しだした。
 本社前の景色が薄れて遠くなっていく。
 あんなに戻りたいと思っていた津々木学の世界が、全く知らないものになっていたような恐怖感が襲いかかる。もう、俺が知る世界じゃない。知らない場所になっていて、知らない俺が暮らして生きている。

 ボロリと涙が出てきた。

 泣かなかったのに……、初めて涙が出てきた。
 帰る場所が失われたようで、悲しくて泣いた。
 初めてこの世界に来た時も、ツビィロランが死んだ時も、よく分からない世界で生きていった時も泣かなかった。
 盗賊に襲われそうになっても、人攫いにあっても、イツズがいるから、二人で手を取り合って走って逃げた。泣いている暇なんてなかったんだ。

「…………ゔ…………っ、ひっく、ゔぇ……………。」

 子供のようにボロボロと涙が出てくる。
 俺の帰る場所はもうないのだろうか。

「……………………あの場所についてもっと詳しく聞きたくもありますが………。無理そうですね。貴方は早く帰った方がいいでしょう。あまり身体から長く離れるのはよくありません。貴方はどうやら身体から魂が抜けている状態のようですから。」

 クオラジュが優しく背中を摩りながら話し掛けてくる。飛ぶ速さも少しゆっくりになり、気を遣ってくれているのか分かった。

「あそこ、あの身体、俺の…………うっうっ。」

「ええ、そのようですが、あの身体には別の魂が入っていますね。あの場所には神聖力というものがありませんので、私も干渉するのは難しく、中に入っているのが誰なのか見ることが出来ません。」

 別の魂が……?誰だ?
 いや、考えられるのは一人だけじゃないか。
 俺がツビィロランに入ったのなら、俺の身体に入ったのはツビィロランだ。あの中にツビィロランがいるのか?
 どうしよう………。
 クオラジュは多分俺がツビィロランに入った人間だとまだ気付いていない。
 このまま身体を交換しておくしかないのか?
 よく分からなくなった。
 分からず涙だけが流れてくる。

「うっ、うっ、うっ…。」

 クオラジュが溜息を吐いて止まった。
 抱き締めていた腕を緩めて顔を覗き込んでくる。
 手のひらで涙を拭いながら頭を撫でてくれた。

「困りましたね…。」

 本当に困った顔をしていた。昨日の夜、悪夢を見た時には冷淡に思えたのに、今は少し優しい。
 クオラジュは何でツビィロランを殺そうとしたんだろう。
 そうでなければ良かったのに。
 涙が後から後から流れてくる。

「今日はもう帰りなさい。そして早く山を出なさい。一番高い山にスペリトトの像があります。そこに近付けはまた同じように夢に引きずり込まれるでしょう。今どこにいるのですか?」
 
 送りますよ、とクオラジュは優しく話しかけてくる。
 俺は首を振った。
 送ってもらえば俺がツビィロランだとバラしてしまう気がした。言っていいのかどうか判断がつかない。
 何を話せばいいのか分からず、俺は俯くしかなかった。

「……………ああ、誰かが呼んでいますね。」

「呼んでる?」

 何のことだろう?

「誰かと一緒に来ていますか?ハッキリとしませんが貴方を呼ぶ声がします。………そういえば貴方の身体に他人が入っているということは、貴方は今どうしているのですか?」

 クオラジュは怪訝な顔をして尋ねてきた。
 あ、ヤバい。
 俺はクオラジュの胸に手をついて突っぱねた。簡単に腕は解かれる。

「俺、帰る。」

 クオラジュが何かまだ言いたそうにしていたが、俺は急いで帰るんだと心の中で唱えた。それで帰れるかどうかは知らなかったが、身体がグンッと引っ張られる。
 手を伸ばしたクオラジュからどんどん離れていく。
 小さく小さくなっていくクオラジュを見ながら、俺の意識は薄れていった。





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