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番外編
68 ラビノアの奇跡⑦
しおりを挟むラビノアは濁流に飲まれた。
驚き必死にラビノアに手を伸ばすソマルデさんを見て、ちゃんとまた未来で会えますからと言いたかったのに言えなかったことが苦しかった。
それくらい必死な顔で助けようとしてくれていた。
戻ったら謝らないと!
でも川の流れは早い。
持っていた契約書の袋をしっかりと握りしめた。水が入らないようにと閉じた紐の部分をギュウッと握り締める。
目を瞑っていたラビノアに、黒い手が巻き付いた。
グルグルと巻きつき黒い穴の中に引っ張り込む。
ルキルエル王太子殿下の『絶海』の中に戻ってきたのだ。でもここも落ちた川と同じように濁流になっている。
「ラビノアさん!?契約書持ってきた!?」
一瞬そこはラビノアの体調を気遣うべきではないかなと思ったが、ホトナルさんがそんな性格をしているはずがないのだとあっさりと納得した。
「はいっ、ここに!」
「よしっ!」
二人で頷き合う。
前回ラビノアが『絶海』の中に戻った時、入った時よりも波の状態が悪かった。
ホトナルさんの説明では、次第に同じ時代に戻れなくなっているという。『瞬躍』で飛ぶ時、ここにくると目星を付けている光に向かって飛んでいたが、回数が増える毎に波が荒くなって目印が目立たなくなっているらしい。
「もう次は来れないかもしれない。」
そう言われて、ラビノアは必死に説得した。
「後一回でいいんです!契約書に血判押してくれると言ってくれたし、受け取るだけで!」
ホトナルもそれは欲しい。研究の為に欲しい。
しかし過去に落ちて戻れなくなるのも、『絶海』のこの荒波の中に残されるのも困る。
波の中に『黒い手』が現れた。手のひらにニュイと口が現れる。
「現在に戻る前に、もう少しだけ未来に進んで取りに行ったらどうだ?ここの波よりはまだ荒れていないかもしれない。」
ハンニウルシエ王子の声だった。
「きゃあっ、びっくりした!」
「ええ!?手のひらに口!ちょっとみせて!よく見せて!舌ある!喉は!?」
「そんなもの帰ってから見れる。それより早くしないと『黒い手』を維持できなくなるぞ。」
帰る為にはハンニウルシエ王子の『黒い手』で現在まで引っ張ってもらう必要がある。命綱なのだ。
ラビノアはもう一度どこかでソマルデさんの近くに落としてもらうよう頼んだ。
それで回収出来なかったら諦めよう。
そうしてラビノアはまたソマルデの元にやって来た。
大雨の中、執事服姿で剣を握り生首を持つソマルデさんを見つけたけど、その姿に腰が砕けそうなほど感動した。
ソマルデさんだ~~~~~!!
突然現れたラビノアにソマルデさんは驚いた顔をして、持っていた首を落としたけど、もうソマルデさんだから何をしててもかっこいい!
ユンネ君が黒銀騎士団長を見て悶えている姿が、ラビノアにはよく理解出来る。
ソマルデさんは約束通り契約書を渡してくれた。
あのソマルデさんは何歳だったのだろう?正確な時間を見ている余裕はないと言って、ホトナルさんが適当に波が緩んだところまで戻ってラビノアを落としたのだ。
二十代後半?いや、三十歳………。
どちらにしろカッコよかったです。
ハンニウルシエ王子の『黒い手』に引っ張られながら、ラビノアは身悶えた。
ユンネはソマルデさんとロビーにあるテーブルでお茶を飲んでいた。時間はだいたい二時間程度。
ザパァと音を立てて四人が上がってくる。
ラビノアとホトナル、『絶海』の入り口で待っていたルキルエル王太子殿下とハンニウルシエ王子だ。
「ゼィゼィ……っ!ゲホゲホッ……!」
床に広がった『絶海』の波が荒波になっている。
「…………はぁ、何故あんなに波が荒れてるんだ?」
「ゴボッ………うー、水飲んだ。過去へ戻った弊害でしょうかね?暫くは『絶海』に入らない方がいいかもしれませんよ。」
ラビノアは苦しすぎてまだ息が整わないが、既にホトナルと殿下は話し出している。
「大丈夫ですか?」
ラビノアの肩に毛布が置かれた。
ソマルデさんがラビノアの隣に一緒に屈んで覗き込んでいた。
ラビノアの顔が赤らむ。
「はう、いいです。若いソマルデさんも、歳を取って落ち着いたソマルデさんも、イイです。」
なんか呟いてる。
ラビノアの胸に抱かれた皮の袋をギュウ~ッと握り締めている。
「お疲れ様。大変だったみたいだね。それ、契約書?」
ラビノアに労いの言葉をかけると、ラビノアは慌てて立ち上がった。
「はい!ちゃんと貰いました!ちょっと雨に濡れましたけど、大丈夫って言ってました!」
頬を紅潮させて青い瞳をキラキラと輝かせている。
「その前に着替えられた方がいいでしょう。」
ソマルデさんがホールの外に待機していた使用人達を呼び付けて指示していた。
相変わらず卒がない。
ハンニウルシエ王子は自室が地下にある為、遠いし歩くのが億劫だから、このまま待っていると言って隅の方に並べて置かれた椅子に腰掛けた。
あんなにびっしょりで気持ち悪くないのかな?
程なくして着替えを済ませた三人が戻って来た。
契約書の入った皮袋はソマルデさんが預かっている。
「ちょっとその契約書を見せてくれ。」
ルキルエル王太子殿下がソマルデさんに渡せと手を出した。ソマルデさんは袋を開けて中にあった紙だけ渡す。びしょ濡れの皮袋は使用人に渡していた。
「………………………。」
殿下が一緒パチクリと瞬きもせずに契約書を見つめている。
どうしたんだろう?
殿下はソマルデさんを見た。ソマルデさんはニコリと笑っている。
「まあ、いいや。」
殿下は使用人にお盆を持って来させ、それに紙を乗せた。
「ではラビノアの『回復』を試しましょーかね?」
ホトナルがウキウキと催促する。
ラビノアも相変わらず頬を紅潮させて拳を握った。
「じゃ、じゃあ、いいですか?『回復』かけますね?」
「ええ、よろしくお願いします。」
一番落ち着いているのは実験体になっているソマルデさんではなかろうか。
それにしても今日のソマルデさんは機嫌がいいのかな?なんかそんな気がする。
ラビノアがソマルデさんの手を握った。
ソマルデさんの全身が淡く光る。
黒毛混じりの白髪が真っ黒に変わる。茶色っけの全く混じらない真っ黒の髪だ。瞳の色は深く暗い緑色。
背も少し伸びて体格が良くなった気がする。こうやってみると老化によって若い頃より低く細くなっていたのだろうということがわかる。
「わ、若くなった!ハンサムイケメン!」
「ふわわっ!」
俺とラビノアが声を上げ、殿下とホトナルは若返ったソマルデさんを繁々と見た。
「成功ですね。」
ソマルデさん、なんでそんなに落ち着いてるの?
着ていた騎士団の制服がキツくなったのか、襟を緩めて前ボタンを開け始めた。
「ソマルデさんでも歳取ったら筋肉落ちるんですね~!」
「流石に七十手前でしたから。」
「うう、カッコいいです~。カッコいいしか出て来ません~。」
ラビノアの目がウルウルと潤んでいる。
漫画では殿下と両団長に向けていた目がソマルデさんに!
うーん、これはこれでいいかも。見たかった絵面が見れたかも。
「では皆様一度休憩されて明日また内容を纏められては如何でしょうか?ユンネ様も今日はお帰りになられて下さい。」
「え?はい。」
なんだか手早く馬車を呼ばれてしまった。
ソマルデさんに視線を向けられた殿下が、ススーと視線を外して先程使用人に預けた、契約書の乗ったお盆をソマルデさんに渡した。そしてスタスタと去っていく。
何も言われていないのに殿下が気を遣っている…?
ホトナルは殿下のその様子を何気に察知して、「あ、ハンニウルシエ王子がそこでグッタリしているので連れて行きます~。」と言って、本当に椅子でグタッとしていた王子を引き摺るように連れて行ってしまった。
俺はこの後を知らない。
だって追い出されたもん。馬車に乗せられて、お気を付けてと笑顔で送り出されたもん。
「さあ、我々も行きましょうか。」
「は、はいっ!……どこにでしょう?」
手を差し出されたので、ラビノアは自然と手のひらを乗せてしまった。
「冷たいですね。」
北離宮の何処かの部屋に向かっているらしい。
「え?」
「手です。ずっと水に濡れて冷えたのでしょう?」
「あ、はい。そう言われれば………。」
ラビノアは自分の手を引いて隣を歩くソマルデさんを見上げた。
ラビノアからすればついさっき別れたばかりのソマルデさんがいる。でも中身は歳を取ったソマルデさんなのだ。なんとなく不思議だ。
「どうされましたか?」
チラリと見下ろし尋ねられる。見すぎてしまった。
「………ぁ、すみません。やっぱりお歳を取られると雰囲気が大分違うのですね。」
ラビノアに他意は無い。思ったことを自然に言っただけだ。
ソマルデの笑みが深くなる。
どうやら着いたらしく、ソマルデが開けた扉にラビノアは疑うことなく入った。
ラビノアが先に入り、ソマルデが後に続く。
ガチャンと鍵が閉まる音にラビノアは振り返った。
「さあ、よぅくお話を致しましょうか。」
ソマルデの手には血判を押した契約書が握られていた。
王都にあるファバーリア侯爵邸に着いたユンネは、既に帰宅していたエジエルジーンに迎えられた。
「あれ?もうお帰りなんですか?」
一日仕事なのかと思っていた。今はまだお昼になろうかという時間だ。
「急ぎの分だけ済ませて帰ってきた。」
ユンネは素直に喜んだ。
ワッと手を広げて抱き付くと、包み込むように抱き返してくれる。
旦那様は既に固い騎士服ではなく柔らかいシャツとジャケットに着替えているので、遠慮なくスリスリと逞しい胸におでこを当てる。髪を梳くように撫でられるのが気持ちいい。
「どうだったんだ?」
屋敷に入りながら尋ねられた。
「はい、大成功でした。」
昼食を取るためにテラスに案内される。先に帰宅の連絡が入っていたらしく、旦那様が用意してくれていた。
「そうか。それで、ソマルデはどうしてるんだ?」
「ラビノアを部屋に送って行きました。俺は帰りなさいって言われて帰りましたけど、殿下達も休憩するって部屋に行ったし、話は明日になりそうです。」
「………………そうか。」
なにやら旦那様の返答に気不味さが窺える。
「どうしたんですか?」
旦那様は少し考えて口を開いた。
「ソマルデは過去の記憶があるのかもしれない。」
「…………ああ、そう言われれば、ラビノアは過去のソマルデさんに会ってますしね。」
いや、そうではなく……、と旦那様が説明してくれた。
殿下とホトナルの推測によると、未来の人間の記憶は失われるのではないかということだった。過去ではまだ産まれていない人間。存在していない人や物は、いなくなると記憶に残らないかもしれない。それは未来の存在が過去を改変できないようになっているのでは?という理論を立てていた。
それなのにソマルデさんは記憶を残している。
だからこそ続けられる実験を傍観していたのではないか。ラビノアがソマルデさんの血判が押された契約書を持って帰って来るかもしれないと、予測していたのではないか。
「やけに余裕がある様子だったし、何より私に地位が欲しいから爵位をくれと頼んできた。」
「ソマルデさんがですか!?」
「そうだ。まだ若返りが成功していない段階で頼んできた。」
ソマルデさんは成功すると思っていたんだ?
でもなんで爵位?いや、普通の人間なら貴族になれると思えば喜んで貰うだろうけど、あのソマルデさんが貴族籍を欲しがるのかな?
「爵位貰ってどうするんですか?」
「若返るとソマルデの能力なら周りが騒ぎ出す。ファバーリア侯爵家の家門に入り、それなりの地位を持てば安全ではある。それと私が若返りの成功に伴う爵位の継承と交換条件で黒銀騎士団長の任命を受けて貰うよう頼んだ。」
「騎士団長辞めるんですか?」
旦那様はしっかりと頷いた。
「そうだ。私はもう少しゆっくりと時間が欲しい。そうすれば、ユンネとノルゼとの時間も増えるだろう?」
俺はぱぁと嬉しくなった。旦那様との時間が増える!
旦那様に抱き付くと、旦那様は俺を抱きしめ返し、俺の身体を膝に乗せた。
え?待って、待って、使用人さん達が見てるよ!?でも最近皆んなこれが普通だと感じ出したのか誰も驚かなくなってきた。
ならもういっかな~~~。
旦那様って身体が大きいから安定感あるんだよね。
ペトンッとまた胸に擦り寄り喜びを伝える。
「えへへ、そうなったら嬉しいです。」
そんな俺達を見ても、誰も止めようとはしなかった。
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