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番外編
65 ラビノアの奇跡④
しおりを挟む近くの小川にやって来た。
魚釣りをしたことがないと青年が言ったからだ。
今時魚も釣ったことのない人間がいるとは……。青年は驚く程世間知らずだった。
「来たぞ。釣れ!」
「はううぅぅ!」
どうやら精一杯竿を引いているつもりらしい。力がなさ過ぎる。呆れて青年の背後から一緒に竿を引っ張った。
ジャポッという音を立てて魚が一匹飛んでくる。
青年の足元に落ちた魚に、引いた当の本人がびっくりして「みぎゃっ!」と飛び跳ねていた。
「ふわっ、はうぅ!初めてお魚釣りました!」
キャッキャと喜ぶ姿は子供だ。とても自分よりも年上には見えない。
「あー、おめでと。」
晩御飯にするか。
一般的な家庭料理しか作れないのに、青年は美味しいとよく食べた。見た目から貴族の食事しかしてなさそうに見えるのに大丈夫なのかと最初は思っていたが、何でも口にする。
ここに来て二週間は経とうとしているが、一向に青年の迎えは来なかった。
最初の頃はいつ来るのか聞いたりもしたが、ここ二、三日は聞いていない気がする。
聞けば慌てて帰るかもしれない。
どこか遠慮がちな青年は、この家に居座るのを申し訳なさそうにしていた。
誰かと一緒に暮らすのは久しぶりだった。
たまに恋人が出来て数日暮らす事はあっても、長く続いたためしがない。ソマルデの方がいつも限界を感じて追い出して、そのまま別れることが殆どだった。
だがこの青年は二週間ここで過ごしている。
料理は作れないが、家事は手伝うことが出来るのか、洗い物や洗濯掃除はよくやってくれた。
手慣れた姿に実は貴族ではなかったのだろうかと思った。
貴族に引き取られた平民出身かもしれない。
青年はお喋りで優しい人柄のようだった。隣人が困っていればすぐに手を貸すし、店の人間ともよく喋り挨拶をする。
基本が親切で人懐っこいのだ。
「ずっと一人暮らしなんですか?」
「ああ、七歳からな。スキル持ってるから家族とは離れたんだ。」
「そうなんですね。分かります。私も持っているし、友達もそれで大変な目にあいました。……でも、今は皆んな元気に幸せそうにしてます!」
ソマルデはあまり自分のことを自ら喋ることはないのに、なぜか青年に聞かれると自然と答えてしまっていた。
ごく自然に青年はソマルデの中に馴染んでいった。
「あの、そろそろ私の目的をお話ししても大丈夫でしょうか?」
ある日青年はそう言った。
「いいも何も、俺の許可はいらないだろ?」
青年は青い目を困ったように瞬かせた。
「そうなのですけど、もしかしたら不快に思われるかもと思って、話せずにいました。本当はソマルデさんにお願いがあってここに来たのです。」
何となくそんな気はしていた。
二度目に来た嵐の日に、何かを出して話そうとしていたからだ。あれから特に何も言わなかったので、ソマルデの方からは聞かずにいただけだ。
「ふうん。で?話ってなんだ?」
青年はバックからゴソゴソとまた違う袋を取り出した。平たい皮の袋から出てきたのは紙が一枚。
その紙をソマルデに渡してきた。
内容は「一時的に身体の所有権を貸与する。」という変な内容だった。詳しく見ると、この青年が『回復』スキルを使う時に、ソマルデの身体能力を模倣したいというものだった。
「あの、突然こんな内容を見せられて嫌な気持ちになるかと思い、出せませんでした。」
確かに少し……、いや、かなり不快だ。
だが暫く一緒に暮らして、この青年が高圧的な貴族でもなく、ソマルデの気を引こうと強引な手を使うこともない人間だというのは理解していた。理解してもらいたくて、この契約書を見せずに一緒にいたのだろう。
「俺の身体を模倣する理由は?」
「あ、それは、私のスキルがそういうものだからです。私が『回復』したい相手の方が高齢の方で、ソマルデさんの身体を模倣して、『回復』をかけてあげたいのです。」
「なに?俺のって事は男性ってことか?あんたの爺さん?」
「いえ、身内ではありませんが、大切な方です。」
青年が嬉しそうに頬を染めて語った。まるで恋をしているかのような表情に、ソマルデの心がイラつく。
「ふぅん。」
「あの、ダメでしょうか。少し距離がある為、血判契約で繋がりを強化したいのです。一度『回復』をかけたら破棄されるような内容になっています。一度だけでいいんです。」
青年はいつになく一生懸命だ。
本当の依頼内容はこれなのだろう。護衛はついでなのだ。
そんなにその老人が大切なのだろうか?
涙目でウルウルと見上げてくる。
自分の身体の所有権を、他人に一時的にでも握られるということに抵抗があった。例えそれが一秒であっても何をされるか分からない。
もし主従契約の血判を勝手に押されでもしたらどうする?スキルには上下関係があるが、『回復』スキルの中でも強力なものもあれば微々たるものもある。ソマルデの『剣人』よりも強い『回復』ならば、抗うことが出来なくなる。
答えは否だ。
「それは出来ない。」
青年はショボンと項垂れた。
「………そうですか。」
そうですよねぇ~、と青年は落ち込んだが、ソマルデも何か胸の奥がモヤモヤした。
信じていた人間に裏切られた感じだ。友人と思っていた人間が好きだと付き纏い出した時にも似たような感覚になったが、この青年は友人ではない。依頼主だ。
「…………………。」
「ソマルデさん、ごめんなさい。それでもやっぱり諦め切れません。お迎えが来るまで、説得続けます!」
俯いた顔をパッとあげて、青い瞳をキラキラさせながら青年はそう宣言した。
青年の言葉にホッと息を吐く。断ったことによってここにいる意味がないと帰ってしまうかと思ったからだ。
迎えがくるまではまだいる。
でも迎えがきたら帰ってしまう。
ソマルデは青年の名前も住んでいる場所も知らなかった。
ここから出て行ってもまた会えるだろうか。
それからまた二週間経つが、青年はまだここにいる。そしてソマルデの血判を貰おうとあの手この手で説得しようとするが、基本が必死にお願いするだけなので拍子抜けするほどだ。
その見た目を活かした誘惑も、貴族お得意の脅迫もない。
一人の人間が精一杯自分の言葉で説得しようとする。
いつの間にかソマルデにとっては青年は家族になっていた。
名前も知らないのに、何処から来たのかも知らないのに、あまりにも青年がソマルデに信頼を寄せるから、ソマルデも同じように返すようになってしまった。
「このままここに居たくなっちゃいます。」
冗談めかして青年は言う。
居たら良いのに。
この年上の美しい青年は、態と揶揄い馬鹿にしても笑って受け流す優しい人だった。
その爺さんの代わりに俺が一緒にいても良いのにと思いながらも、ソマルデもまだ十六歳と言う年齢な為自信があるわけではない。
もし血判を押してその爺さんを助けた後も、ずっと側にいてくれるなら………。
そう頼めばいてくれるだろうか。
自分のベットに眠る青年を見下ろした。
長い金髪が古ぼけたシーツの上に広がっている。綺麗な金髪だ。髪は大切にしているのか、よく洗い櫛を通して整えている。仕草がナヨナヨしく見えるが、上品なのでどうしても良いとこの出身に見える。
少し暑いのか汗をかいて髪が湿っていた。
誰かと一緒にこんなに長く過ごすのは久しぶりだった。それこそ七歳の時に本物の家族を他国に逃して以来。
何故ずっとこの家に住まわせているのか自分でも不思議だったが、多分あの青い目の所為だ。
何の疑いもなくソマルデを信頼している。
信じられている。
絶対にソマルデがこの青年に対して、何かしらの酷い仕打ちを行うとは夢にも思っていない。そんな全幅の信頼関係を寄せられている。
どんなに愛していると言っている人間でも、ソマルデを前にするとこちらの様子を窺う。どこかソマルデを信じていない部分がある。なのにこの青年は、ソマルデが頼みを断り続けているのに、断ることが正しいことなのだと思っている。頼み込む自分の方が間違っているのだけど、それでもお願いしますと言ってくる。
「なんでそんなに一生懸命なんだ?」
寝ている青年を見下ろして、ソマルデは呟いた。
ソマルデはベットを青年に貸しているので、隣の部屋のソファで寝ている。最初は自分がソファでいいと言うので寝かせてみたが、直ぐに腰が痛いと言い出したので代わったのだ。
出ていこうと扉に向かうと、衣擦れの音がした。
振り返ると青年の目がぼんやりと開いていた。
「ソマルデさん……?」
寝ぼけた声で名を呼ばれた。
起こしてしまったようだ。
「ああ、すまない。起こしたか?暑そうだな。窓開けとくか?」
青年がコクリと頷くので、ベットの頭の上にある窓を少しだけ開けてやった。
ここの窓は少ししか開かないようにしている。昔夜這いをかけようとした人間がいたので、予防でそうしていた。
青年はモゾモゾと上半身だけ起き上がった。
「どうした?まだ夜中だぞ。」
青い目をボウとさせてソマルデを見上げている。
「夢を見ていました。しばらく会っていなかったので、すごく楽しかったです。」
「ふぅん?」
誰だろうか?例の爺さんか?
「やっぱり、ソマルデさんに血判を押して欲しいです。」
目を伏せて青年は呟いた。
「何でそんなに一生懸命なんだ?そんなにソイツが大事か?家族なのか?」
青年は首を振った。
そうじゃないと呟く。
「とても、大切な人なんです。」
「はぁ、俺はソイツのこと知らねーんだけど?」
青年は伏せていた青い目を見上げてきた。
「確かに知りません。でも、いつかは知ります。」
「はあ?」
「大切な人なんです。今のソマルデさんと同じくらい、大切なんです。」
真剣な青い瞳がソマルデを射抜いてくる。
月の光に照らされて、青の中に銀の星が輝くように美しくソマルデを瞳の中に捉えていた。
波打つ金の髪が柔らかな身体を覆い、月夜の闇の中に仄かに光って見えた。
本当に美しい人だ。
世界はこの青年の為に存在するかのように、彼の周りに神聖な空気を感じる。
きっと……、この人がいなければこの世界はない。
そう思わせるだけの存在感と、誰にも穢すことのできない美しい姿。
そんな青年に愛される老人とはどんな人物だろうと思ってしまう。
「この前会ったばかりの俺と比べたらダメだろう?」
青年は穢れを知らない笑顔で笑った。
「そんなことありません。私はソマルデさんをずっと慕っているのですもの。」
「ソマルデは俺の名前だろう?慕ってんのは爺さんじゃないのか?」
「ふふふ。」
可笑しそうに肩を振るわせて笑う青年に、ソマルデは少し折れてみることにした。
「血判、考えてみてもいい。」
青年はパッと顔を輝かせた。
「本当ですか!?」
「ああ、明日な。」
「はいっ!」
涙を浮かべて青年は喜んでいる。
血判を押したら、名前を聞こう。何処に住んでるのかを聞いて、ついてってもいい。
ここでお別れというのが嫌なだけだ。
ソマルデは別にこの街の人間というわけではない。
フラフラと街から街へ渡り歩いている人間だ。
おそらくこの青年もこの国からは出られない。スキルを持つ者は厳しく監視されている。この国の人間のはずだ。
「じゃあ、寝ろ。」
「はい、おやすみなさい。」
青年の青い瞳が閉じられるのを確認して、ソマルデは部屋から出て行った。
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