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59 噂の侯爵夫人

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 こちらを凝視する旦那様と視線があった。
 いってらっしゃいと見送った時そのままの黒銀騎士団の正装だ。
 騎士団の服は常駐用、戦闘用、正装、鎧などなど状況によって数種類ある。その中でも装飾が多く煌びやかなのが王族、高位貴族へ謁見する場合や夜会などに着ていく正装だ。剣やマントも宝石や刺繍が増えて戦闘には向かないけど、見た目は物凄くカッコよくなる。
 本日の旦那様も無茶苦茶カッコいい。
 顔もいい!しかも俺を見て仮面越しでも微笑んでいるのがよく分かる!
 周りの人達が見惚れているのが少し離れたこちら側から見て取れ、あの人が自分の旦那様なのだと思うとむず痒い。
 
 旦那様が歩き出すと輪になって囲んでいた人達が自然と退けて道ができた。

「屋敷で見せてくれるものだとばかり思っていたのだがな。」

 話しかけられて騙していたことに申し訳なさもあるけど、それよりも俺に微笑みかける優しい雰囲気にホッとする。
 喋ろうとして今の自分の姿を思い出し、どうしようとモジモジしてしまった。
 こんな女の格好してて声低かったら笑われるかな。
 今更ながらに周囲に男とバレるのが恥ずかしくなってきた。
 何故か周りが注目しているし、考えた末に旦那様に近付く。
 顔を寄せ旦那様の耳元にコソコソと話しかけた。

「旦那様はきっとモテモテになるだろうからと思って、オシャレして邪魔しに来ました。」

 囁かれた言葉にエジエルジーンは此の上無く喜びを表す。

「そうか。分かった、ユンネ。」

 エジエルジーン自身でも自分の声が弾んでいると思った。
 可愛い妻の可愛い嫉妬だ。

「君の為に早く帰るつもりだったが、当の本人がここに来てしまった。せっかくだから一曲踊らないか?」

 周囲はまたもやどよめく。あのエジエルジーン・ファバーリア侯爵が他人をダンスに誘っている!信じられないと騒めく人々に、エジエルジーンは当たり前だと心の中で毒吐く。人生で初めて人をダンスに誘ったのだから、初めて見るに決まっている。

「はい、是非!今日の為に特訓したんですよ。」
 
 ユンネは笑いながら了承し、コソッと自慢気に練習したのだと教える。

 エスコートしてホールの真ん中へ移動すると、合わせたように曲が流れ始めた。

「あの、何故他に誰も踊ってないんですか?」
 
 広いホールの中央に連れて来られたはいいが、誰も踊る者が自分たち以外にいない。
 
「さあ、な。曲が始まった。気にせず踊ろう。」

 腰に回された手がユンネの細い腰をリードする。
 何故注目されているのか分からずに、ユンネは促されるまま踊りだした。
 ユンネのドレスは足首まで隠す長いスカートながら、動けばサラサラと軽く靡き、柔らかな生地が足の形を浮き上がらせるものだった。クルリと回ると光沢のある黒い布が、細い腰と足を強調する。
 エジエルジーンはそのユンネのドレス姿に目を細める。

「よく似合っている。」

 抱き寄せて囁くと、ユンネは嬉しそうに微笑んだ。






「黒銀団長のあんな気持ちのこもったダンスは初めてみたな。」

 曲を一旦止めたのはルキルエルだった。
 突然現れたファバーリア侯爵夫人。そしてその夫人を愛おし気に扱い微笑むファバーリア侯爵。
 いつもは儀礼的にダンスを受け、腰や手に添えるのも触れるか触れないかの形式的なものだったエジエルジーンも、愛しい妻にはこれでもかとくっついている。

「ふわあぁ~~~、ユンネ上手い!いい感じだし、これは大成功だね!」

 隣に立つドゥノーはそんな二人のダンスに感動している。
 誰の目から見ても二人は愛し合っていると分かった。ドゥノーはそれが嬉しかった。ユンネが苦しんだ時期を知るだけに、涙が浮かびそうなくらい嬉しいのだ。
 そんなドゥノーの様子を見下ろし、よくもまぁ他人の為にここまで感情移入出来るものだとルキルエルは呆れていた。
 
「おい、二人のダンスが終わったら俺達も踊るぞ。」

 ドゥノーがギョッと驚く。

「ええ!?王太子なんだからもっと他の有力貴族のとこと踊って下さいよ!」

「…………お前な、今日の俺のパートナーは誰だ?」

「あ、僕だった。」

 そうだった!とドゥノーが今気付いたように視線を彷徨わせた。

「よし、次の曲はステップ多めの駆け回るようなやつにしてやろう。」

「ゲッ!」

「なんの曲がいい?選ばせてやるぞ。」

 ドゥノーがムキーッと怒り出した。









 
 ラビノアはダンスが終わり仲良く手を取り合って会場を去ろうとする二人を見送っていた。
 本日のエスコート相手は予定どおり盗まれてしまった。
 大成功だけど、ちょっと寂しい。
 二人がラビノアに気付いて気にしなくていいように、少し離れて見送っていると、ユンネが急に立ち止まった。
 キョロキョロと見回しラビノアに気付くと、こっちこっちと手を振っている。ラビノアのことなど気にせず帰っていいのにと思いつつ仕方なく近付いた。

「ラビノア、ついて来てくれてありがとう。俺帰っちゃうけど、ちゃんと代役お願いしてたからね。」

「代役?」

 話し始めるとファバーリア侯爵が少し驚いたようだった。ラビノアが誰なのか今気付いたらしい。
 面白くてついつい口に手を当てて、やってやったとばかりに笑っていると、ポンと肩を誰かに掴まれた。
 んん?と振り返るとそこにはラビノアの大好きなソマルデさんが立っていた。
 夕方別れた時は普通の騎士服だったので今日は警備に立つのかと思っていた。だが今は黒銀騎士団長と同様に騎士の正装を着て立っていた。
 
 ポポっと頬が赤らむ。
 歳を感じさせないスッと伸びた背筋と落ち着いた雰囲気が大好きだ。

「ソマルデさん、後はよろしくお願いします。」

 ユンネ君は自分の頭の後ろに手を回し、紐を解いて顔に掛かっていた仮面を取り払った。そしてその仮面をソマルデさんに渡す。
 ソマルデさんは黒い仮面を受け取り顔に掛けた。

「承知致しました。私はここに残ることになりますので、お気を付けてお帰り下さい。」

「私がいる。ソマルデはルクレー子息を頼んだぞ。」

 バイバイと手を振るユンネに、ラビノアも軽く手を振った。
 去って行く仲睦まじいファバーリア侯爵夫妻の後ろ姿に羨ましさを感じるが、それよりもその幸せそうな姿に安堵感を覚える方が大きい。
 


 さて、どうしましょう。
 
 ラビノアは突然振って湧いたこの幸運に戸惑った。
 ソマルデさんと一緒にいられるのは勿論嬉しい。しかし、今までの経験上ソマルデさんは二人きりになると冷たいのだ。
 困って固まっていたラビノアの前に、スッと白い手袋をつけた手が差し出された。

「!」

 手袋をつけた手を見つめ、そっと視線を上げて行く。黒い仮面は表情を隠しているが、その奥の瞳は柔らかかった。
 
「さぁ、我々も踊りましょうか。」

 声をかけられラビノアは手を乗せる。

「こんな事なら女装が良かった…。」

 ついつい本音が漏れてしまい、アッと慌てて口を閉じる。
 ソマルデさんがキュッと乗せた手を握った。

「以前も申しました通り、よくお似合いですよ。」

 促されて歩き出す。
 この前、男装した時からソマルデさんが優しい気がする。何故だろう?………まさか、女装男子はあまり好きではなかった!?でもラビノアはドレスが好きなのだ。
 うううう、女装諦めるべき?
 これは深刻な問題です。
 
「おや、これはこれは……。」

 ソマルデさんが可笑しそうに笑うので、ラビノアもホールの中央を見てポカンと口を開ける。
 明るく早いテンポの曲に合わせて数組のペアが踊っていたのだが、その中に一際キレの良いダンスを踊り、縫う様に駆け抜けるペアがいる。

「殿下とドゥノー君?」

「なかなかお上手ですね。」

 楽しそうに笑う殿下と、怒っててもそれにあわせて踊るドゥノー君がいた。時々他のペアにぶつかりそうになっても、ルキルエル王太子殿下が上手くリードして避けている。

「さあ、お手を。」

 既に繋いではいても、輪に入りましょうと声をかけられる。

「我々も楽しみましょう。今日の装いの方が思いっきり踊ることが出来ますよ。」

 確かにドレスとヒールではこのテンポを踊ることはラビノアには無理だ。
 だったら開き直って男装で来て良かったのだと思って踊る方がいい。

「はい、よろしくお願いします。」

 ニコリと笑って手を握り返すラビノアに、ソマルデさんは優しく微笑んでくれた。

 どうして、優しいのだろう。
 この人はラビノアよりも長く生き、多くのことを経験してきている。
 だからラビノアにはソマルデさんの考えを読むことはできない。
 

 どうして、そんな目で見るのでしょう?
 どうして、そんな探る様な目で私を見るのでしょうか?


 そんな疑問も、数曲ダンスを踊ればどこかへ吹き飛んでしまった。
 ラビノアの足はガクガクしてはいるがなんとか立っている。だがドゥノーはよろけて歩けなくなっており、近くの休憩室に運ばれた。

「ぐ………、明日筋肉痛だよ。」

 ラビノアが見ただけでも四曲踊っている。ドゥノーはその意味を考えているのだろうか。

「ユンネ君のお友達ですから、分かってなさそうですよね。」

「なんの話?」

「ふふふ。」

 今頃ユンネ君はどうしてるかな?
 動けなくなったドゥノーに紅茶を入れてあげながら、幸せそうな侯爵夫妻の姿を思い浮かべた。

 できれば、ラビノアもそんな幸せな恋愛がしたい。







 ファバーリア侯爵邸に着いた二人は、出迎えた使用人達に休みを与え寝室に戻った。
 今日は新年の祝いの日だ。
 明日は皆ゆっくりする様にと伝えてあった。

「ダンスって初めて踊りましたけど、楽しかったです。」

 無邪気なユンネにエジエルジーンは苦笑した。
 隠しておきたかったのに飛び出してきてしまった。
 ほにゃっと細目を垂らして笑う姿に、身体の内側から滲み出る愛情を感じてユンネを抱き締めた。
 ノルゼは既に眠っている。
 
「次からは私が最初からエスコートしよう。」

 ユンネをソファに座らせた。
 使用人は休ませてしまったので、ユンネの髪につけた真珠の髪飾りはエジエルジーンが取ってあげる。
 灰色の髪が絡まってしまわない様に、一つ一つ丁寧に解いていった。
 ユンネがふわぁと欠伸をすると、目尻に涙を浮かべた。

「あっ、すみません。髪を触られると眠たくなるんですよね。」

 気持ち良いです、と言いながら頭が落ちかけている。
 髪飾りを全部取り払い、肩まで伸びた灰色の髪を手で掬い取る。柔らかいふわふわとした髪をエジエルジーンは気に入っていた。
 よほど眠たいのか、ベットまで歩いて行きドレスのまま潜り込んでいく。

「ユンネ、ドレスは脱ごう。」

「んん~~~、少しだけ………。」

 目を瞑って寝てしまった為、仕方なくドレスの背中に並ぶホックを外していく。こんなに無防備で大丈夫だろうか。信用してくれていると思えば嬉しいが。

「……………旦那様。」

 寝ていると思っていたが、どうやら起きていたらしい。

「どうした?」

 ホックを全部外し終え、袖を抜いてやろうとユンネの腕を持ち上げる。

「男が服をプレゼントするのは脱がせたいかららしいですよ………。」

 クスクスと笑いながらそう言う彼の姿は、どこか艶めかしい。
 中途半端に覗く肩も、細い腰も、本当は触りたい。

「……春になったら結婚式を挙げよう。その頃には領地の本邸も建て直しが終わる。これは、私なりのケジメのつもりだったのだが、やはりダメだったか……。」

 ユンネは真顔になって、ふむ、と考える仕草をした。

「旦那様は真面目なんですね。でもそれなら良いんです。俺に関心ないのかなぁって思ってて。その、違う男と子供ができてるし産んでるし、本当は嫌なのかなぁって思ってしまって……。」

「そんなことはないっ!………あ、いや、すまない。そんなはずないだろう?大事にし過ぎか?殿下と白銀団長は早くやってしまえと言うんだが。」

 ユンネはキョトンとした。
 そして頬が赤く染まりだす。

「……それって、皆んないろいろ知ってるってことですよね?そう言う話を三人でいつも話してるんですか?」

「え゛…。」

 いや、違う、と言うが他にいい言い訳が思いつかない。言ってないと言えば嘘になる。

「くそー、俺だって男ですから分かりますけど!夫婦のそういう話は黙ってて欲しいなぁ。」

 プリプリと怒りだしたユンネにエジエルジーンは必死に謝り出した。

「すまない、軽率だった。私も自分の考えが正しいのか不安で。ソマルデに聞くのはちょっと嫌だし…。」

 あーーー、ソマルデさんって旦那様に厳しいもんね。立ち位置が先生なんだよね~。ということは旦那様と殿下とアジュソー団長は悪ガキ生徒?
 そう思い付いてしまうと面白い。
 三人でどんなことを話してるのか。今度こっそり盗み聞きしてみたいな。

「じゃあ、仕方ないので我慢します。」

「え゛ぇ……、手を出した方がいいなら……。」

「我慢します。」

「いや……。」

「我慢。」

 旦那様の喉がグゥとなる。

「嘘です。本当は、俺も早くやりたいです。」

 ぱっと旦那様の顔が輝いた。
 だってその為に今日はドレスを着たのだ。
 脱がせる為のプレゼントなんでしょう?










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