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44 逃げる決意
しおりを挟む息が出来ない。掴んだ手を解こうと暴れるけど、ヒュウゼの手はびくともしなかった。
「ユンネは俺の言う通りにしないと。ユンネは侯爵と離婚して俺と結婚したらいい。大丈夫、離婚の血判はソフィアーネが上手く侯爵を誘導するって言ってたからさ。」
ああ、何でこんなことに………!
「………………っ!……っっ!」
「ドゥノーとの婚約解消の処理は済んでいる。ドゥノーが騎士学校に通う理由も無くなるから、直ぐに家から退学するよう連絡がくるはずだよ。そうしたらユンネには俺だけだ。」
本気で嬉しそうに笑ってるけど、俺の首は絞められたままだ。
頭がクラクラしてきた。自重がかかって腕が持ち上がらなくなってくる。
口が空気を求めてパクパクと動くのに、空気が喉を通ることはない。
ヒュウゼの笑みが深くなり、手が離された。
地面に落とされることはなく、俺はヒュウゼに抱き止められる。
ひゅうっと空気が喉に流れ込み、俺は激しく咳き込んだ。
「ユンネは離婚しないとあの女から命を狙われるだろう。だから君も上手くやるんだ。………ね?」
ヒュウゼのことがよく分からない。なんでこんなことをするんだろう。
水色の瞳が弓形に笑う。
まだ咳き込んでいるのに唇を合わせられ、熱い舌が入り込んできた。
力の入らない手で必死に押し返そうとするけど、びくとも動かない。
なんで、なんで。
「ユンネ、愛してるよ。」
俺は、愛してない…。
息が苦しくて意識が遠のいていく。
ヒュウゼの前で意識を手放してはダメだと分かっているのに止められない。
「俺が助けてあげるよ。」
違う、…………それは助けじゃないだろう?
あれからドゥノーに会えずじまいだった。
急に実家から迎えが来て退学してしまったからだ。
二年生の俺はずっとヒュウゼに管理されていた。
寮の部屋もヒュウゼの広い部屋に移動させられて、学科だけは流石に体格が合わないと移動せずに済んだ。
授業の時だけが俺の自由時間だ。
いつか逃げる為に必死で取り組んだ。
ヒュウゼの異様な俺の囲い込みに気付いた学生達は、誰も俺に関わろうとしなかった。
ヒュウゼにはスキル『風雷』がある。風の力で素早く動き、雷を纏って攻撃してくるので誰も敵わない。
学校の教師達ですら負かしてしまう。しかも学園長の息子だ。咎める人間なんかいなかった。
「………や、めて、…………ぅ、ヒュウゼ、……お願い、…………あぁ…。」
ヒュウゼの愛情は俺を蝕んでいた。
なんで俺?
身体に入るヒュウゼのものが、熱くて痛くてたまらない。涙を流して止めるよう懇願しても、ヒュウゼが止まることはない。
どんなに愛してると囁かれても、嬉しいなんて思わない。
友達だと思ったのに、今はその優秀な顔を見るだけで吐き気がする。
ヒュウゼと共に過ごすうち、ファバーリア公爵家本邸のこともソフィアーネとヒュウゼの家が何を企んでいるのかも知った。
ファバーリア侯爵家は絶対君主なのだ。エジエルジーン・ファバーリア侯爵に逆らえるものはいない。主である王家だけがファバーリア侯爵を動かすことができると言ってもいいくらい、力を持つ家門だった。
その家門の一部が当主不在時に乗っ取りを計っているのだと知った。
現侯爵夫人を排除して、ソフィアーネを侯爵夫人の座に据え、自分達はソフィアーネと共に侯爵家を統治する。ファバーリア侯爵は基本王都の騎士団に常駐しなければならない為、不在時の今のうちに主要な利権を手に入れようとしていた。
元々ファバーリア侯爵家当主が不在時でも、家門が一丸となって領地を守っていくはずなのに、長い歴史の中で腐っていく部分があるのは仕方ない。問題は戦時と当主交代が重なってしまった今、それが表に出てきたことだろう。
俺が離婚して消えたら、ソフィアーネを推して再婚を勧める腹積りのようだった。
ファバーリア侯爵家を筆頭にした家門の中で、定期的に話し合われる議題でソフィアーネ・ボブノーラ侯爵令嬢を再婚相手として提出し、半数以上の票で押し通すつもりだ。
ヒュウゼの生家ナリュヘ家もその中に含まれていた。
「離婚したら生かしておくとは言ってるが、あの女は分からないだろう?俺が守ってやるよ。」
それがヒュウゼの主張だった。
俺は自分の顔を腕で隠し、ヒュウゼを見ないようにしている。ギラつく目も、笑みをつくる口も、上がる頬骨も、醜悪に見える。
シナリオを変えたくて、なんでもいいから試してみようと学校に行く許可を取って、ソフィアーネから騎士学校に行けと言われて俺のスキルで何故騎士に、とは思っても、攻撃手段を学べば自分を自衛できるとはずだとやってきた。
少しでも何かが変わるように。
俺が死なないように。
そうしたらこんな目にあってしまった。
どうしたら良かったんだろう。
大人しくシナリオ通りに離れの屋敷にいたら良かった?
そうしたらヒュウゼに愛されることも、ドゥノーとヒュウゼの婚約が解消されることもなかった?
こんなに苦しい思いもしなかった?
顔の上に重ねていた腕を無理矢理取られて、上からヒュウゼの水色の瞳が見下ろしてくる。
どうしてそんな顔をするの?
俺をそんな愉悦に満ちた顔で見下ろすのが、愛してるということなのか……?
流れる涙でヒュウゼの顔が全部見えなければいいのに……。
演習だと言って一人取り残された。
森の中で静かに立っていると、人の気配を感じる。
何人?五?六?
息遣い、衣擦れ、足音。
ナイフを持って上に飛び上がると、脇から二人人間が飛びかかってきていた。
トントン、と二人の首にナイフを打ち落とす。
項に生えたナイフは二人の命を奪っていった。
『複製』でナイフを手に増やす。
木に飛び移り、俺を見失った男の後ろに降り立ち首を掻き切る。
俺は攻撃力が低いので、急所を躊躇いなく攻撃しないと倒せない。
次も、次も、木や草の影を使って身を隠して倒して行った。
はぁ、と息を吐く。
もう慣れた。最初に人を殺した時は、吐いて震えてどうしようもなかった。
不覚にもヒュウゼに慰められ介抱されてしまい、ますますヒュウゼの干渉が激しくなった。
俺を狙うのは家門の奴等だ。
俺を殺した方が早いと考える奴らが刺客を差し向けてくるようになった。なんなら家門に属する一族の子も、生徒として通っているのに俺に攻撃するようになってきた。俺も死ぬのは嫌だから反撃する。
俺の周りには死者だけになっていった。
それが表沙汰にならないのは、学園長率いる一派がもみ消しているからだ。
ヒュウゼが苦情を申し立てているが、ヒュウゼの家ナリュヘ家はそう地位があるわけではない。基本は無視されていた。
ナリュヘ家当主である学園長はもっと上を目指したいのだろう。家門の中でも上位に位置する爵位持ちの人達に楯突くわけにもいかず、沈黙を保っていた。
休まる日がない。
いっそのこと逃げて身を隠した方がいいのか?
最近ずっと血の匂いを嗅いでいる。
鼻にこびり付いて取れない。
清涼な空気ってどんなのだっただろう?
なんでこんなに………、手が血まみれなんだろう?
たんなるサラリーマンが手に負える世界じゃないよ。
BL漫画?恋愛?もう、そんなこと考えてる暇なんてない。
「……………BLちゃっ、 BLか………。」
血がこびり付いた手のまま、俺は学校に向けて歩き出した。
今日もヒュウゼは学園長と共にファバーリア侯爵家の本邸へ出かけて行った。窓も扉も厳重に外から鍵が掛けられ開けることは出来ない。
逃げるにしてもそれなりの用意がいる。手ぶらでは逃げきれない。
武器と食料とお金。最低これくらいは持ち出したい。
「金ない……。」
それに行く当てもないのだ。追われる身で実家には帰れない。全く関係のない場所に行かなければ。
ベットに座り考え込んでいると、目の前にふわりと輝く粒子が集まり出した。
「なんだ、これ?」
綺麗だし危険そうにも見えない。が、初めて見る。
粒子は集まりだし長方形に変わった。
光が薄れてヒラヒラと落ちる。
差し出した手のひらにヒラっと落ちた。
「………手紙?………!」
『風の便り』だ!ドゥノーのスキルで届いた手紙だ!
急いで封を開く。
手紙が入っていた。
元気かと、ウチの領地に逃げてこいと書かれている。学校の内部の様子は外に漏れないが、どうにかして情報を掴み、俺の現状を知ったのだという。
「早く逃げておいで。」
そう書かれた手紙からドゥノーの声が聞こえるようだった。
涙がボロボロと流れる。
ドゥノーは俺を忘れてない。俺にも心配してくれる人がいる。
手紙は蝋燭の火で燃やし、燃えカスはトイレに捨てる。ヒュウゼに見つかればもっとここに拘束されてしまう。
最近体調が悪いのだ。逃げるなら早めがいい。
心に灯ったほんの少しの希望だ。
ドゥノーの生家イーエリデ男爵家の正確な場所は知らないけど、かなりの田舎だと言っていた。暫く身を隠せるかもしれない。
でも行けば迷惑を掛けてしまう。それを思うと決心がつかなかった。
二年生がそろそろ終わるという頃、ヒュウゼから戦争が終わりそうだと聞いた。
時期としてはあっている。
三年生に入るという頃にファバーリア侯爵達は戦地から帰還する。そして今から一年後に漫画のシナリオが始まるのだ。
俺のスキルがもし『複製』ではなく、ドゥノーの『風の便り』だったなら、どんなに良かっただろう。
ボウと虚に考えながら、ファバーリア侯爵に早く帰ってきてと祈るように考える。
イーエリデ男爵家に行ってドゥノーに『風の便り』でファバーリア侯爵に手紙が送れないか聞いてみる?
「そう……、そうしよう。」
元々騎士学校を卒業したら真っ直ぐ王都に向かうつもりだった。
お金?ここはヒュウゼの寮部屋だ。金目の物はそれなりに置いてあった。
ずっとここにいても、離婚されてヒュウゼに監禁される日々じゃないのか?
最近は考えるのも億劫になってきたけど、もう一度立ち上がってみよう。
俺の事とか関係なしに、もしファバーリア侯爵が領地のことを知ってまた大量虐殺することになっても嫌だ。
もしかしたらソフィアーネは主人公ラビノアにまで刺客を送るかもしれない。流石に王太子や白銀騎士団長もいるから殺されないだろうけど、危険なことに変わりはない。
俺は逃げることを決意した。
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