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33 そんな未来はいらない①
しおりを挟むあー夢だ。
そう思いながら携帯の画面を送る。
エジエルジーン・ファバーリア黒銀騎士団長の番外編を読んでたんだ。
結局主人公ラビノアは王太子ルキルエル・カルストルヴィンを選んでしまった。
恋に敗れたエジエルジーン団長は、一度領地に帰ったんだ。
悪妻ユンネとは既に離婚が成立している。
漫画の中ではあの大量虐殺の話から時間は巻き戻り、ラビノアが王太子を選んだ後の過去の話から始まっていく。
戦後ひと段落して帰った領地は、昔の雰囲気から一変していた。
華美に装飾された侯爵家の屋敷とは対比して、荒れた領内にエジエルジーンは愕然とする。
以前、屋敷に残してきた古参の側近が、辞める旨の連絡を受けてはいたが、現在の屋敷内の雰囲気も、使用人から何から変わっていたのに驚くエジエルジーン。
屋敷に勤める人間は全て侯爵夫人が管理している。ユンネが全員解雇し新たに雇い入れたのだと教えられた。
領地本邸で出迎えてくれたのは元婚約者のソフィアーネだった。
ソフィアーネはボブノーラ公爵家の娘で母型の従兄弟だが、それは近い血筋でいけばという話で、過去には双方王族が降嫁してきた家なので、遡り出せばどこで繋がっているか分からないくらいの近さがある。
一方的な婚約解消にも関わらず、この侯爵家の屋敷に引き取ったのは、ソフィアーネの父親であるボブノーラ公爵の頼みでもあったからだ。
婚約者が戦地に行って国の為に働いている間に浮気をした令嬢として、ソフィアーネは王都の社交界にいられなくなった。
それでも娘が可愛いボブノーラ公爵は、エジエルジーンに頼んで来たのだ。ソフィアーネを数年間ファバーリア侯爵領で預かって欲しいと。ボブノーラ公爵家の領地は王都の直ぐ隣に位置する為、少し離れた我が領でほとぼりが冷めるまで、と頭を下げてきたせいだった。
ファバーリア侯爵家とボブノーラ公爵家は昔から繋がりが強く、お互い王家にも近く信頼も厚い家同士として仲が良かった。
エジエルジーンとソフィアーネは幼馴染として婚約者として、兄妹のように育ってきた。殆どが妹としての愛情ではあったが、いずれは共に夫婦となる存在と思い大切にしてきたつもりだった。
だがそれもソフィアーネの裏切りによって切れた縁。
しかしソフィアーネは泣きながら暫く滞在させてくれと頼んでくる。
呆れもしたがボブノーラ公爵の頼みを断ることも出来ない。
新しく妻を迎える時期に、元婚約者を屋敷に入れたくはなかったが、ファバーリア侯爵家とボブノーラ公爵家は様々な繋がりがあり、継承したばかりのエジエルジーンには断りづらかった。
仕方なく離れで良ければと了承した。
そしてただ滞在するだけでなく、何かファバーリア侯爵家に従事するよう条件をつけた。新しい妻と同等では困る。
ならば今までファバーリア侯爵家に嫁ぐ予定で教育を受けてきたので、その内容を新しい侯爵夫人に教える家庭教師になると申し出てきた。ボブノーラ公爵にも了承をとりそのように契約を交わす。
新たに迎えた妻が、あまりにも幼く頼りなく見えて、元婚約者ではあったが妹として信頼するソフィアーネをつければ、何とか領地経営も上手く回るのではと思った。自分が帰ってくるまで保てばいい。そう思ってのことだった。
いくら戦時で忙しかったとはいえ、もう少しこちらの事を優先すべきだった。いったい自分は何をしていたのか。
ソフィアーネが離婚によって不在になった夫人の代わりに、使用人の入れ替えを申し出てきた。だがそれは断り、とりあえず目立って不正をした者を解雇して、新たに自分の側近を王都から呼び寄せ領地に就かせた。
それからは王都と領地を行ったり来たりして、荒れた領内を立て直していった。
兎に角この華美な屋敷を一掃したい。
ファバーリア侯爵家が持っていた事業も早々に見直し、領民が安定して暮らせる土地にしなければ。
やる事が山積みだった。
ルキルエル王太子殿下とラビノアの結婚式が半年後に迫る頃、エジエルジーンは多忙を極め、ラビノアに振られた心の傷もそれによって過去へと流されようとしていた。
元々自分は妻帯者だった。
過ぎた望みだったのだと元から思ってはいた。
だからラビノアがルキルエル殿下を選んだ時も、それでいいのだと納得する心もあった。
それでもどこかであの可憐な姿が焼き付いて離れず、時々思い出しては仕事に没頭していった。
「団長、ちょっと相談があるんですけど。」
ワトビ副官が声を掛けてきた。
ワトビには領地に戻っている間、留守を預けっぱなしになっている。何でも相談に乗るつもりだ。
「うーん、団員が子供を拾ってきたんですよね~。」
「拾った?」
「はい、倒れていたらしくて。未成年かと思ったら成人してるって話で、ご飯食べさせて城下に戻そうと思ったら働くところがないからどこかないかと相談されたらしくて。」
「たまにそういう者はいるだろう?」
「そうなんですけど、平民なのに読み書き計算出来るんですよね。」
「ああ、事務方で雇いたいのか。」
ワトビはそうだとばかりに笑った。騎士団は王宮内部にあるのでどんな職に就くにしても試験がある。
騎士団内部の事務補佐が欲しくとも申請がいるのだが、今回は急に辞めた者がいたのでその補填に雇いたいのだろう。
「どこにいる?」
「こっちです。能力はありそうなんで、団長の面接だけ通ればいいかなと思います。」
頷いてその青年が待つ待機室に向かった。
そこには灰色の癖毛を長く伸ばした小柄な青年が座っていた。テーブルに置かれたお茶を所在なさげに弄っている姿が、確かに成人前に見える。
「あ、ユネ君、こちらが我が騎士団長のエジエルジーン・ファバーリアだよ。侯爵家当主でもあるからね。」
「ぁ、…………は、はじめ、まして。」
私の顔をじっと見ながら、ユネと呼ばれた青年は挨拶をした。
そこから経歴を確認したところ、学校には通わず独学で文字や計算を学んだが、特に働いかことがなく、どこで職を探せばいいのかも分からず彷徨っていたらしい。
持ち物は盗まれてしまい全財産を無くし途方に暮れていたところを団員が声を掛けたというが、誰も声を掛ける者がいなければ、貧民街に流れてのたれ死んでいたことだろう。
暫くは騎士団の宿舎の隅に寝泊まりさせて様子を見ることになった。
「よろしくお願いします。」
ペコリとお辞儀をすると、柔らかそうな髪がふわりと広かった。
「……………。」
「?」
「団長?どうしました?」
ハッとして何でもないと答える。何となく既視感を覚えたが、知った顔だっただろうかと思ったのだ。
この日からユネは黒銀騎士団の事務所で働く事になった。
ユネはどこかおっとりとして静かな青年だった。真面目で大人しいので目立たないが、何故か目につき話し掛けるようになった。
最初は挨拶をする程度だったのだが、姿を見かければお互い世間話をするようになり、たまに食堂で会えば一緒に食べるようになった。
「団長が誰か特定の人間と一緒にいるなんて珍しいですね。」
「そうか?」
「団員は皆んな驚いてますね。一時期王太子殿下の婚約者殿とばかり喋ってたので。団長が普通に別の人間と喋ってる姿を見れて、俺はちょっと安心したぞ。」
どうやらワトビにはかなり心配を掛けていたらしい。そこまでラビノアばかり追いかけていたつもりはなかったが、自分のような人間は少し違うことをすると目立つのかもしれない。
「ユネは何となくあの静かな喋り方が落ち着く。」
「あー、わかる。結構ユネのこと気に入ってる団員いますもんね。」
そうなのか……。
何故かそれを聞いて気落ちした。ユネがいつか誰かの恋人になれば話しかけるのはやめた方がいいだろう。
ついこの前までラビノアに夢中になって、妻の不貞と散財を理由に離婚したばかりだというのに、何を考えているんだ。あんまりだろう。
軽く自分自身に自己嫌悪した。
スッスッと指で送りながら、旦那様の姿に見入っていた。
フッと影が落ちるので、俺は顔を上げた。
ユンネだ。
またここに来たんだ。俺の目の前にはヒビの入ったガラスの壁が立っていた。
「一緒に読む?」
何も考えずに佇むユンネに話し掛けた。
ユンネはゆっくりと首を振る。
「もう読んでるから。」
「え?そうなの?」
ガラスの向こうのユンネは頷いた。そして微笑む。
「それ、続き読むの?」
「あ、うん、読むつもりだけど……。読んじゃマズい?」
だって始まりが虐殺からのソフィアーネ滅多刺しだよ?気になるよ。とても今の旦那様がそんな事やるとは思えない。
ガラスの向こうのユンネは少し考えているようだ。
「ファバーリア侯爵のこと、どう思ってる?」
「へ?旦那様のこと??うーん、顔面偏差値良いね?」
「確かに。」
二人で頷き合う。
「仕事人間なんだろうけど、領地も実物目にした方がいいよね。」
「一理あり。任せっきりは良くない。かと言って任せないのも良くない。任せつつ確認作業を怠らず、定期的に現場を見て現場で働く人間と交流を持つべき。」
二人でまたウンウンと頷きあう。
「旦那様、いい人だよ。石鹸くれた。柑橘系のいい匂いのやつ。」
「……そうか。…………ねぇ、その漫画を読んでこれからどうしたらいいか考えてみてくれない?」
「え?これから?」
「そう。」
「……………分かった。」
俺は頷いた。
また携帯に視線を戻す。
スッと指で画面を送るとユンネが歩き出した。
十三歳で婚姻の為にファバーリア侯爵領のお屋敷に来たこと。ソフィアーネに追い出されて、離れの中でも一番遠くて使われていない、古い屋敷に押し込められたこと。誰も相手にしてくれないこと。
十八歳になったらファバーリア侯爵様が戻ってきて、結婚式を挙げてくれると思ったのに、離婚届が送られてきたこと。
ソフィアーネに脅されて離婚届に血判を押してしまったこと……。
ずっと屋敷に監禁されていて、外に放り出されたらユンネ・ファバーリアは稀代の悪妻と呼ばれていたことを思い知らされた日々。
ソフィアーネから追い出される時、ユネという平民になれと言われた。姿を消し遠く行けと言われた。実家に戻ればベレステ子爵家を潰すと言われたから、一人トボトボと行くあてもなく彷徨った。
涙はずっと止まらない。
あの日美しかった侯爵様は、何を考えているんだろう。何故自分が悪妻と言われているのかも分からず、ただただ侯爵様に助けて欲しかった。
ユンネは何も理解出来なかった。
なんとか王都には着けたけど、誰も助けてくれやしない。お金を盗まれ途方に暮れていたら、黒い騎士服の人に話しかけられた。こんな服を見たことがある。ファバーリア侯爵が着ていた服だ。
言われるがままついて行き、どうやって生きていけばいいか縋った。誰でもいいから助けて欲しかった。
そうしてユンネは、ファバーリア侯爵と再び出会った。
ああ、この人はユンネ・ファバーリアを知らない。
ユンネは少し微笑んだ。
だったらもう、自分は平民のユネで、見ず知らずの他人となろう。
ユンネは誰かに縋るのを諦めた。
覚えてもらってもいない自分を、貴方の元妻ですとは、死んでも言えないと思った。
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