マスクマンが笑った

奥田たすく

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2回ウラ

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 入部から一か月、弦は部内ですこぶる上手くやっていた。持前の敵を作らない雰囲気で先輩も含め野球部員のもうほとんど全員と冗談を言い合うくらいに仲がいい。
 実力が飛びぬけていると、こういう芸当もうまくなるんだな。生き抜く知恵というやつだろうか。

 というのはおそらく俺の、偏見以外の何物でもないだろうが。

 あの高野弦がどんな奴かと思ったら、案外普通にいい奴だったな。なんて声があちらこちらから聞こえてくるから、きっとクラスの方でもそういう立ち位置なんだと思う。

 俺も眉毛の動きで辛うじてなんとなくの表情は分かるようにはなってきていた。とはいえあんなのっぺらぼう、他の奴らは気色悪くないのだろうか?
 俺はすこぶる不満だったがそんなことを言ったって誰も相手にはしまい。面倒くさいのはごめんだし、そもそも俺はあまり人とつるまないタイプだったからなるたけ弦に近寄らなかった。


 それはいつ頃のことだったか、雨の日がつづいて室内練習のやり方をいい加減覚えてきたくらいの日の夕食だった。

 先に座って飯を食っていた俺の前に、弦がこれといって何も言わないまま座った。素直に言うと、絶対いつか来るとは思っていた。

 毎日のように見ていれば俺も弦の顔にも慣れ始める。ただし驚かないという意味であって気持ち悪いのは変わりない。俺が頑として顔を上げずにいたら弦が声をかけるタイミングを完全に見失って、難しそうに息を吸う音が聞こえた。

 弦が何も言わないことを良いことに俺はさっさと食べあげてしまおうとピッチを上げる。すると弦もそれに続く。奇妙な時間がそこを流れる。食器とスプーンがかちあう音が、食堂中で不協和音を奏でていた。

 弦がついに声を発したのは、俺が最後の一口を水で流し込もうという時だった。

「しょうた、くん」

 最後の敬称はあからさまに取ってつけられている。流石に、俺の方もそろそろ息苦しくなってきていたので目ん玉で視線を上げれば弦の眉毛がぐっと寄った。笑っている風だった。

 癪なのでこちらも眉を一瞬寄せて返事をする。弦はさほど気にせず続けた。

「小柄な割に、長距離砲だよね」

 汚い話、咀嚼物を水のコップへ逆流させるところだった。自分が小柄なことは嫌なくらい知っていたから、そこはもうどうでもいい。いや、こんなでかい人間に言われるとやっぱ腹が立つが。

 当時俺も弦も一年生で、弦はともかく、俺に部活中バッティング練習の時間など無きに等しい。現在進行形で平均に少し届かないくらいのこの体格だけを見て、そんなことを言う奴がいるとは思えなかった。

「……きめぇ」

 絞り出した俺の返事はこれだった。すぐさま目線を皿に落とせば上から弦の笑い声が降ってくる。でもそれは先輩とかに向けて鳴らす品の良い感じのやつじゃなくて、ちょっと人を馬鹿にした感じの、勘が当たって喜んでるガキみたいなやつ。

 俺はそれほど飛び出た成績は持ち合わせていなかった。でも、中学時代は二年からクリーンナップを任されていた。内野安打は周りよりずっと少なかったように思う。んなこと、弦が知ってるはずなかった。

 訳も分からぬまま俺はとにかく悔しい。弦はそんな俺を見ていつまでも笑い続けていた。引き笑いに近いその声が周りに全然響いていかかずに滞留しているので俺は振り切ろうと立ち上がる。
 まだ食べ終わっていなかった弦が焦って一緒に立ち上がって、俺よりも高い位置から言った。

「あ! の! 話かけてもいい、か、な」

 端折られすぎてもうよく分からないそのセリフは、いつもより幾分高い音だった。
 なんなんだよ。やたらと今日は弦のイメージから離れた声色ばっかでまた俺はテンパって思わず顔を向けた。

 すっと切れ長の目が二つ。細められて弧を描いている。鼻は高くてあまり日本人らしくなく、薄い唇が自信無さげに引きあがっていた。
 いわゆる美形じゃねえか、ムカつく。神はコイツにどれだけ与えれば気が済むんだ。

 とっさに口を開いてしまったものだから、俺は何か言わなくてはいけない。こんな時に出てくるのはやはり口癖の類で、俺は「めんどくさい」と言った。

 弦は笑った。愛想の良い笑い声だった。
 えぇ、そんなぁ。
 弦の顔はまた、端から溶けて消えた。

 それは一瞬の出来事で、俺は込み上げた酸っぱさを我慢できずに走って逃げた。
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