こころのみちしるべ

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B.『踊るように生きる』

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「ちょっと大胆すぎるんじゃない?」
 そう神楽から指摘されてもルナは自身の衣装の魅力をまったく疑わなかった。「大胆」な衣装をこそ着たいと思っていた彼女にとってそれはむしろ褒め言葉であり、彼女はそれを聞いて神楽に向けた表情を明るくした。
「かわいいでしょ?」
 そう言ってルナは目を細めた。
 昼下がりのフラマリオンの円形広場には麗らかな春の日差しが降り注いでいた。石畳はそれを照り返し白昼夢のように幻想的に広場を彩った。街の中心である円形広場では多くの人が往来し、商売を営んでいた。暖かい陽気とはいえ春になって間もないこの時季は日が落ちると肌寒くなるため彼らの多くがまだ薄手の上着を羽織っていた。
 その中でその白く透き通るような肌をほとんど隠さない衣装を身に着けるルナは日の光を浴びてまぶしく、異彩を放っていた。宝石と金属から成る髪飾り、ピアス、ネックレス、ブレスレット、指輪、アンクレットが繊細で煌びやかな美しさを放つ一方で、胸と腰を隠す布の面積は狭く、特に腰に至っては脚の付け根や臀部が露になっていた。
 またその一方で少し幼さを残し化粧っ気がなく小ざっぱりした端正な顔立ちと清潔感のある黒いストレートの髪と細い体のため、それだけ大胆な衣装を着ていても彼女からは下品な印象がまったく感じられず、むしろ品さえ感じさせた。そうであればこそもっと清楚な身なりに身を包んだ方が彼女本来の魅力が出せるのではないかと思う神楽は少し苦笑いを浮かべていた。
「男の人から変な目で見られるんじゃない?」
 広場の一角の喫茶店のテラス席に座る神楽に立って一通り衣装を見せ終わるとルナは向かいの席に腰掛けて変わらぬ笑みで応じた。
「男の人が喜んでくれるならいいじゃない」
 それを聞いた神楽はますます困惑した。
「娼婦みたいなことを言うのね。そのうち裸で踊り出したりしないわよね?」
 ルナは噴き出すように相好を崩した。
「まさか。裸は下品じゃない。それに捕まっちゃうわ。私はたくさんの方に私の踊りを見てもらいたいの」
 たしかにルナの踊りのうまさと人間性と本来の美しさ、そこに衣装の大胆さが加われば様々な人々から人気を博しそうではあり、神楽はその言葉に少し説得力を感じた。ルナが今まさに身に着けている衣装は彼女が踊り子として踊りを路上で披露するにあたって初めてオーダーメイドで新調したものだった。それを着て嬉しそうに目の前に現れたルナを見たときは神楽は裸同然のそのあられもない姿に唖然としてしまい、同性としての気恥ずかしささえ感じたが、ルナが幸せそうに舞い、多くの観客がそれに魅せられるところを想像すると、不思議とこれはこれで良いような気もしてきた。何よりイメージ通りに出来上がったばかりの真新しい衣装に心を躍らせるルナにそれ以上の苦言を呈するのははばかられたため、神楽は少し話題を変えることにした。
「そもそもルナはいつから踊ってるの?」
 ティーカップから口を離したルナはあっさりと答えた。
「ずっとよ。この世界に来る前から」
 踊りはルナにとって文字通りのライフワークなのだと知った神楽はそれを知りもしなかった自分が彼女の衣装のセンスについて口出ししてしまったことを少し後悔した。そんな神楽の後悔をよそにルナはいたずらっぽく微笑んだ。
「神楽もこれ着て踊ってみる?」
 いつもロングスカートばかり履く神楽は自身がルナの衣装を身に着ける様を想像して顔を真っ赤にした。
「やめて恥ずかしい」
 ルナは嬉しそうに目を細めた。
「神楽綺麗だからけっこう人気出るわよ」
 やや落ち着きを取り戻した神楽は苦笑いした。
「そんなことないわ。それにみんなびっくりしちゃうわ」
 ルナはまだ神楽をからかう手を緩めなかった。
「だからいいんじゃない。いつもおしとやかな神楽がこんな格好したらみんな喜ぶわ。みんなを驚かせてあげましょうよ。それに踊ってるところをみんなに見てもらうのってすごく気持ちがいいのよ」
「初めてこの街を訪れる人が私のそんな姿を見たら変な街だと思われちゃうわ」
 ルナは少しきょとんとした。
「あら、そんなことないわよ。それに樹李ちゃんだって大胆なレオタード着てるじゃない」
「あの子はあれが似合ってるからいいのよ。それにあんな小さな子をそんな目で見る人なんていないでしょ」
 ルナは口角を上げた。
「あなただってきっと似合うわ」
 ルナの追及に心の中で白旗を上げた神楽は困ったように笑って目を伏せた。
「やめて」
 一しきり神楽を困らせたルナはそれに満足して話題を変えた。
「でも本当にあなたのおかげね。こうやって旅ができたり、踊れたりできるのも」
 急に神妙な話を始めたルナに驚きつつも神楽は遠い目をしてティーカップのコーヒーに映る自分の象の揺れに目を落としながら謙遜した。
「そんなことないわ。まだ戦争は続いてるし、みんな困惑してる」
 自責の念を感じているであろう神楽を慈しむようにルナは微笑みを向けた。
「少しずつ何もかも良くなるわ。それに弱さも人の魅力じゃない」
 神楽は心持ち目を上げてルナを見た。
「あなたって本当に不思議よね。サバサバしてるというか、何でも許容しちゃうっていうか…」
 そんな風に評されたことのないルナはティーカップを両手で包みながら少し戸惑った。
「私は…、ただ見たものをそのまま表現してるだけ。喜びも悲しみも、愛も戦いも、絶望も希望も、ただそこにあるものとしてそのまま受け止めて踊りにするの」
 ルナらしい答えだな、と神楽は思った。
「随分達観してるのね」
 今度はルナが謙遜する番だった。
「そんなことないわ」
 そういえばこれだけ長い付き合いなのにルナが悲しんだり苦しんだり怒ったり怖がったりしているところを神楽は一度も見たことがないような気がした。ルナがこれほど大胆な衣装を着て微塵も恥じらいを見せないのもあるいはそこに通ずる何かなのかもしれないと考えた神楽は素直な疑問をぶつけてみた。
「ねえ、ルナって旅先で恐怖を感じたり、うまく踊れなくてもどかしさや悔しさを感じることってないの?」
 ルナは「そんな馬鹿な」という笑みを浮かべた。
「あるわよもちろん」
 神楽はその答えに驚いた。
「でも私ルナのそんな表情一度も見たことない気がするの」
 ルナはそれを聞いて神楽の疑問に理解が及んだ。紅茶で唇を湿らせながらルナは一つ頷いた。
「そうね、顔に出す前に心の中で捌いちゃうのかも」
 神楽は「私もあなたみたいになりたいわ」と言おうとしたが少し皮肉っぽい気がしてやめた。代わりに神楽は「どうしてそんな風に何でも心の中で捌けちゃうの?」と尋ねてみた。ルナはあらためて問われて少し考えを巡らせていた。
「そうね、きっとそうするって決めたからだと思うわ」
 神楽はルナの言葉の意図を測り損ねた。神楽の顔に浮かぶ疑問符を見たルナは言い方を変えてみた。
「『踊るように生きる』って決めてるの」
 まだルナの言葉に理解の及ばない神楽はそれを復唱した。
「『踊るように生きる』…?」
 一つ頷いたルナは石畳に目をやり自身の思考を辿りながら説明の口を開いた。
「そう、何ていうか…、いろいろな苦しいことやつらいことや怖いことがあるでしょ? でもそれに真正面から立ち向かってぶつかっちゃったら私の細い体なんてあっという間に壊れちゃう」
 再び神楽に目を移したルナは口元を綻ばせて続けた。
「だから踊るの。全身の力を抜いて、それをしなやかに使う。大きなものや固いものがぶつかって来たら、ぶつかられた勢いそのままに身を泳がせ、しならせる。風にも雨にも逆らわず、まるで風見鶏のようにくるくると回る」
 神楽は話を聞きながらルナが胴や四肢をしならせて舞い躍る姿を思い浮かべていた。音楽に合わせて踊るルナの表情には常に苦痛も緊張もなければ無理な作り笑いもなかった。表情らしい表情といえばただ時折清々しい微笑を浮かべるばかりだった。ルナはさらに言い足した。
「自分や自分の周りで起きたことは変えられないでしょ? だからそれをありのまま受け入れたり、受け流したりするの」
 ちょっと聞くと悲観主義者の考え方にも聞こえる。また楽観主義者の意見にも聞こえる。でもきっとどちらでもない、と神楽は思った。ルナはきっと踊るのが好きで、踊るように生きてきて、それが身に染みついているんだ。ルナの価値観に感服した神楽は本心から言った。
「みんながあなたみたいだったら、きっと戦争も起こらないし、こんな世界も必要ないのにね」
 ルナはちょっと驚きつつ笑って肩をすくめた。
「いいのよ、そんな不器用なところも人間じゃない。みんなが私みたいにサバサバしちゃったら、私そんな世界嫌よ。そんなところで踊りたくない。色んな人がいて、色んなことが起こるから、私はそんなみんなの前で踊るのが楽しいの」
 白い日差しとその照り返しで白昼夢のように霞む円形広場の賑わいにぼんやりと目を細めた神楽には一目見たときには異彩を放っているように感じたルナの新しい衣装が、いつの間にか彼女に似合っているようにも、またこの景観になじんでいるようにも見えた。きっとルナはどんな衣装でも着こなすんだろうなと思った神楽は、そうであればこそやっぱりもう少し清楚な衣装を着てほしいと思う自分がいることに気付いて、苦笑いを浮かべながらコーヒーに口をつけた。
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