こころのみちしるべ

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アーケルシア編

032.『賭け』1

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 彼女の瞳には静かな闘志と覚悟が宿っていた。グローブとダガー用の剣帯を外しブーツを脱いで先ほど路上でリヒトに会ったときより身軽になった彼女は、体のシルエットのよくわかる薄手のシャツにショーツ、ソックスにバンテージだけという格好だった。露になった肉体のシルエットは丸みを帯び彼女が女性であることを伝えていたが、同時に大きく発達した上腕や大腿部の筋肉は彼女の本性が獣であることを感じさせた。先刻は気付かなかったが、それは無駄なトレーニングで鍛えた肉体ではなく、戦いを何度も経ることでのみ培われ得る真の強者の肉体だった。彼女は観客の最前列まで歩み出ると、理解の追いつかない司会と観衆にもう一度理解を促すため平然と繰り返した。
「やらせてくれ」
 凛と澄んでいながら、しかし重く芯のある声だった。観衆に目を走らせリヒトを探した彼女は彼と目が合うと彼に向けてウインクをした。唖然としていた彼はそれを見て深く嘆息した。客の反応は三様に分かれた。笑うもの、戸惑うもの、喜ぶもの。座って休んでいるカシアスは表情を変えなかった。司会はやや戸惑いつつも実況を続けた。
「これはなんとアイシャ選手の登場です! 先月の開催で突如現れて十人抜きを全KOで達成した史上最強ルーキー! 地下格闘技史上初の女性選手! なんと彼女がカシアス選手に挑戦を表明しました!」
 笑っていたものの半数はこれを聞いてどよめいた。しかし残り半数は「どうせ女だろ」と相変わらず蔑む笑いを続けた。
「さてどちらが勝つでしょうか! オッズはカシアス選手1.2倍、アイシャ選手1.6倍といたしましょう!」
 その声を潮に観客は売り子から次々に券を買った。票は圧倒的にカシアスが集めているようだったが、好奇心でアイシャに投票する者も少なくなかった。券が一通り売れ終わると司会は再び声を張り上げた。
「それでは投票終了です! 試合に参りましょう! 両選手は前へ!」
 両者は中央へ歩み出た。体格では圧倒的にカシアスが勝る。アイシャは先ほど負けた痩せた男よりもなお小さい。特にリーチ差はあまりにも致命的に思える。先にアイシャが構えた。腰を低く落とした半身の構えだった。構えると彼女は一層小さく見えた。
 しかしその瞬間、地下室の空気が一変した。構える直前の彼女は人間であり女であり選手であった。だが今の彼女は解放と躍動のときを待つ筋肉の塊であり、獲物の血肉に飢えながら息を殺し忍び寄る獣であった。先ほどまで笑っていた者たちの表情は一様に凍りついた。地下室は静まり返った。カシアスに高額の投票をした者たちは今まさに大きく揺らいだカシアス勝利の確実性を自らに言い聞かせるように投票券を握りしめた。
 遅れて構えたカシアスは戸惑っていた。彼は目の前の女が強者であることを否応なく感じさせられつつも、それを頑なに信じまいとした。さらに彼女から放たれる迷いなき闘志に飲まれまいと心中で自身を鼓舞していた。同時にルーキーの、それも女に負けたら名声を一気に失うという焦燥も彼の胸中には萌芽していた。拳による殴り合いを始めるにしては両者の間合いは遠く思えた。司会の合図が沈黙を破った。
「始め!」
 得体の知れない挑戦者を前にして迷った末にカシアスがとった作戦はリーチを最大限に活かしたジャブとローキック主体のアウトボクシングだった。彼は初手をジャブにするかローキックにするか迷った。相手が一気に距離をつぶしてくるならその突進に合わせてジャブを衝く。慎重に距離をあけるならローキックを当てる。最初は様子を見、徐々に相手の攻撃のスピードに目が慣れたら攻める。カシアスは視界の中の小さな獣の出方を注視した。
 だが次の瞬間彼女はカシアスの懐の内にいた。それは静かで、鋭く、迷いのない、大きな跳び込みだった。リヒトは目を見開いた。すでに彼女の前髪がカシアスの胸に触れそうなほど両者は近かった。もうローキックもジャブも到底間に合わない。それどころか防御も回避も間に合わなかった。彼女は跳び込んだ勢いそのままに右の正拳突きをカシアスの鳩尾に放とうとしていた。カシアスほどの動体視力をもつ選手だけが試合の中で体感できるコマ送りの凝縮された時間感覚の中で彼は彼女の前髪の一本一本の揺れを見ていた。その澄んだ瞳の美しい輝きを見ていた。これは何かの間違いだと思った。だが同時に心のどこかで彼女の強さを素直に認めた。人間の体とはかくも柔らかいものかと思わせるほど彼女の拳はカシアスの腹の内に深く深くめり込んでいった。ちょうど彼女の拳がまるまる彼の腹に埋まって隠れたあたりで彼の意識は途切れた。カシアスの巨体はアイシャの踏み込みと同じ速力で壁まで飛んだ。その際観客数名を巻き込んだがそれでもなお勢いは微塵も衰えなかった。風のなかった地下室に突風が駆け抜けた。悲鳴とどよめきが起きた。カシアスは壁に貼り付き、レンガの壁には縦横に亀裂が走った。カシアスの体はその重みで自然と壁から離れてどさりと音を立てて地に落ちて伏せ、動かなくなった。歓声も怒号も起きなかった。ただどよめきが静かに続いた。アイシャに多額の投資をした一部の男たちでさえ言葉を失った。アイシャはゆっくりと構えを解いた。余韻はなお消えない。司会は戸惑いながら勝者を告げた。
「勝者、アイシャ選手…!」
 司会が無理に明るくそう宣言しても客は盛り上がらなかった。彼らは自分たちが信じてきた常識が覆る瞬間を目の当たりにしてひたすら戸惑っていた。司会もそれきり言葉を失った。アイシャは倒れて動かないカシアスに深く礼をした。さらに彼女は客と司会に礼をすると、客の間を縫ってリヒトの前まで歩いて来た。彼女はすっかり笑顔を取り戻していた。リヒトは呆れたように笑った。
「何だこれは」
 アイシャは嬉しそうに笑った。
「あたし強かっただろ?」
「結局誰なんだよお前」
 アイシャは笑顔を保ったまま、しかし少しだけ目を眇めた。
「ここじゃ話せないんだ。ちょっと来てくれ」



 地下格闘場を出た二人は貧民街をさらに歩いた。建物を出てすぐに話があると思っていたリヒトはアイシャが話を始めないので少しじれったくなった。
「おい、いつになったら話すんだ?」
 アイシャは呑気に答えた。
「ちょっと先に案内したい場所があるんだ。そこで話すからちょっと付き合って」
 リヒトは嘆息してそれに従うことにした。先ほどの鮮烈な一撃を見て彼の中にはアイシャへの興味が萌芽していた。
 アイシャとリヒトは大通りを外れて裏通りの商店街を歩いた。二人は終始無言だったがアイシャは楽しそうだった。二人は貧民街の中心部へやって来た。そこは工場とそれを囲むように建ち並ぶレンガ造りの長屋と狭い生活道からなる煤けた街だった。アイシャは工場が並ぶ一角の裏路地に入った。彼女は一つの工場の前で足を止めた。
「着いたのか?」
「ああ」
「どこなんだ?ここは」
 アイシャは不敵な笑みをリヒトに向けた。
「入ればわかるよ」
 そう言って先を歩くアイシャにリヒトは続いた。入口のドアを入るとすぐに男が一人座っていた。
「ただいま」
「ういっす」
 アイシャと男は手短な挨拶を交わした。男が義足をしていることをリヒトは見落とさなかった。義足はプロの手によるものではなく、明らかに端材を使って作った素人の手によるものだった。おそらく彼もまたまともな医療が受けられない貧民なのだろう。アイシャはさらに奥へと進んだ。やはりそこは工場だった。棚には金属の板とそれを加工する道具が並んでいた。大きな木箱があり、そこには加工された鉄製の何かが入っていた。よく見ればそれは剣などの武器の類だった。だがどれ一つとしてアーケルシア騎士団の紋が刻まれたものはなかった。
「武器の密造か」
 リヒトが呟いた。
「ご明察」
 アイシャは嬉しそうだった。工場を隅々まで見渡したがそこにあるのはすべて鉄製の武具とその材料と工具だった。二人は工場の奥まで来た。そこにまた一人の男が座っており、アイシャたちが来ると彼は床板を外した。男は片目を眼帯で覆っていた。
「おつかれ」
「ういっす」
 床板を外すと下り階段が現れた。二人はそこを降りた。階段を降りるとそこは小さな部屋になっており、そこにもまた男が座っていた。その男には片腕がなかった。
「おつかれ」
「ういっす」
 そこから先の地下には広大な空間があった。大小さまざまな寝室、炊事場、居間、トイレ、浴室などがあり、ところどころに階段があって地上の複数の工場を結んでいた。工場ごとに兜、剣、肩当て、胸当てなどそれぞれ違う武具が造られていた。工場には中二階や二階があり、そこにも寝室があった。寝室には小さな窓があり、窓の脇には誰か必ず男が座っていて、男の座る椅子の脇には必ず弩と矢が立てかけられていた。工場の地下には少なくとも十人以上の子どもが住んでいたが、その多くが家庭ごみや廃材を運ぶ仕事をしているようだった。彼らのうちの年長者は工場の仕事と家事の手伝いをしていた。歩くうちにリヒトには段々とその場所がどこなのかわかってきた。
 アイシャは地下の一室の前で足を止めた。そこは地下の空間の中でもとりわけ広い部屋だった。そこには多くのベッドがあり、多くの者がそこで寝ていた。中には起きてベッドに腰掛ける者、ベッドに寝る者の看病をする者の姿もあった。リヒトは呆然と尋ねた。
「ここは…?」
 アイシャは特にためらう様子もなく平然と答えた。
「闇医者」
 リヒトは目を眇めた。
「貧民はまともな医療を受けられないからな、ここでこうやって貧民の傷病者をかくまってるんだ」
 資格なき医療行為は違法である。だがリヒトはそこにいる患者たちと医師たちの姿を見て咎める気をまったく起こせずにいた。きっと彼らはアイシャの言う通り貧民であるがゆえにまともな医療を受けられないのだろう。そしてきっと看病をする彼らは貧民街出身であることを理由にまともな教育を受けられないのだろう。そのとき、どこかで女の呻き声がした。
「う…、ぐぅぁ…、ぁあああああ…」
 アイシャはそちらのベッドへ駆け寄った。リヒトも勢いそれに続いた。痩せた女の一人が体を捩らせていた。
「大丈夫か? イザベラ」
 アイシャが駆けつけると、女はなおも呻いた。
「痛い…」
 彼女の首と手首には帯状に黒い斑模様が浮き出ていた。その痛ましさにリヒトは息を呑んだ。アイシャはイザベラと呼んだ女の耳元で声を張り上げた。
「イザベラ、薬は飲んだのか?」
「いたい…」
 しかしアイシャの声が聞こえていているのかいないのか、イザベラは目を閉じたまま痛みを訴えて体を弱々しく捩らせるばかりだった。アイシャは痩せたイザベラの肩に手を添え、彼女の耳に懸命に言葉を届けた。
「イザベラ、もうすぐ治るからな、あと少しの我慢だ。明日あたしがもっと強い薬をもらって来てやる。イザベラは花が好きだったよな? たくさん買って来てやる。安心しろ。何もかも良くなる。苦しいのは今だけだ」
 イザベラは苦しそうに息をし、それきり言葉を発しなかった。アイシャはしばらくイザベラの傍を離れることができなかった。リヒトもまた眉根を寄せてそんな二人を後ろから見守ることしかできずにいた。



 一通り施設を案内して回るとアイシャはリヒトを再び入口まで連れて来た。リヒトはため息交じりに尋ねた。
「で、ここは一体何なんだ?」
 アイシャはリヒトの方を振り向いて嬉しそうに笑った。
「流星団のアジト」
 リヒトは呆れ顔で質問を重ねた。
「お前誰だ」
「言っただろ? 流星団のリーダーだって」
 もはやリヒトは疑わなかった。アイシャのあれだけの強さ。加えてここは紛れもなく武器の密造所だ。しかも工場同士を繋ぐ地下の構造。複数の見張り。潜伏場所としては最適。その中でこの女はリーダーとして慕われていた。貧民街の奥地にあればアジトの場所が捕捉されないのも合点がいく。
「なぜわざわざ俺をこんな場所まで連れて来た」
「信じないからだよ。あたしがせっかく素性を明かしたのに信じようとしなかっただろ?」
「なぜ俺に素性を明かす。なぜアジトの場所を明かす」
「リヒト、あたしを仲間にしてみない?」
 リヒトは嘆息した。
「結局お前騎士になりたいだけなんじゃねえか。それにな、お前は立派な犯罪者なんだぞ? それもこの国第二の犯罪組織のリーダーだ。そんなの騎士にできるわけねえだろ。むしろ逮捕だ逮捕」
 そう言われてもなおアイシャの笑みは微塵も崩れなかった。
「でもあたしを仲間にしたらメリットだらけだよ?」
 リヒトは思考を巡らせた。たしかに彼女の強さは虎狼会討滅やフラマリオン奪還の要になり得る。
「あたしね、虎狼会出身なんだ。だから虎狼会のことめちゃくちゃ詳しいよ」
 リヒトは驚嘆した。虎狼会の内部事情にまで精通しているとは。だが彼はこのままアイシャに乗せられてはいけない気がしてあえて冷淡な態度をとった。
「ってことはお前国内最大の犯罪組織にもいたってことじゃねえか。なおさら信用できねえしむしろ逮捕する理由が増えたわ」
 しかしアイシャの自信は揺るがなかった。
「虎狼会を潰したいんでしょ?」
 リヒトは小さく嘆息しつつ認めた。
「まあそりゃそうだけど、虎狼会だって首領を潰されれば反転攻勢に出る。そうなりゃ武器を奪われた騎士団は不利だ。武器を調達するまでは虎狼会に手出しはできない」
 アイシャはそれを聞いてニヤっと笑った。
「武器ならあるだろ?」
 リヒトは訝し気な顔をして首をひねった。
「うちの工房に」
 リヒトははっとさせられて嘆息し、顔をうつむけた。たしかに流星団の工房には大量の武器があった。あれがあれば虎狼会に奪われた武器を補って余りありそうだった。リヒトがうつむけた顔を上げるとアイシャと目が合った。彼女はその日一番の会心の笑みを見せた。



 アイシャに振り回されてすっかり遅くなってからリヒトが邸に帰って来ると、庭の隅にしゃがんでいるマリアの姿があった。もう暗くなっていたのでリヒトに背中を向ける彼女が何をしているのか門の位置からは判然としなかった。彼女が庭にいるのはだいたい洗濯をしているときだったので、彼女の後ろ姿をリヒトは不思議に感じた。近づいてみると彼女はスコップで庭いじりをしていた。彼女のそんな姿を見るのは初めてだった。
「何してるんだい?」
 マリアはリヒトを見上げた。彼女は目を細めて笑った。
「これ見て。何かわかる?」
 マリアは足元に視線を移した。リヒトもそれにならった。そこには何かの苗があった。しかし苗である以上の特徴を見出すことはできなかった。
「何かの苗か?」
 彼女は慈しむようにそれを見ていた。
「そうよ。これはね、花の苗」
 リヒトにとってそれは意外な答えだった。
「花…?」
 リヒトが予想通りの反応を示したことが嬉しかったのか、マリアは彼を振り仰いで得意げに笑った。
「そう。アストラ様のお邸で見たでしょ? 綺麗なお花」
 思えばフラマリオンを出て以来王の邸以外の場所で花はほとんど見かけたことがなかった。もちろん道端に名もない花は咲いているし木にも花が成る。しかし、それらは自然の生命力が成した花だ。それに対してマリアの言う花とは、花屋の花であり、庭や窓辺に人が活けた花だった。言い方を変えれば、それは人が生活や心の余裕から育てる花であり、生活や心に余裕をもたらすためにこそ咲かせる花であった。リヒトはアーケルシアを寂しい国だと思っていた。思ってはいたものの、その実その正体はわからずにいた。
「花か…」
 彼はフラマリオンの街並みのそこかしこを彩っていたそれらの姿を思い出した。
「そう、花よ」
 リヒトはそこで一つの疑問に行き当たった。
「花の苗なんてどうやって手に入れたんだ?」
 マリアはくすっと笑った。どうやらリヒトのこの反応も予期していたものだったらしい。
「ビュルクからの行商人が売りに来るのよ」
「買う人なんていないだろ?」
「いいえ、貴族は買うの」
「じゃあ、高かったんじゃないか?」
 マリアは再びくすっと笑った。彼女は話しながら充分な大きさの穴を掘り終えていた。
「私も最初はそう思ったの。それでね、アストラ様に聞いてみたの。そしたらね、お花はちゃんと正規の価格で売られてるの」
 リヒトは今日何度目かわからない驚きを覚えた。
「え? それじゃあ、ほとんど売れないようなものを普通の値段で売ってるってことか…? 商売にならないだろ…?」
 マリアは口元を綻ばせながら作業を続けた。彼女は小さな花の苗を大切に両手で包んで愛おしそうに扱った。
「貴族しか買わないけど、ちゃんと正規の値段で売ってくれるの。そこは商人の信用にかかわるしね。それに、お花なんてその気になれば誰でもいくらでも増やせるでしょ? だからそれを高く売っても、一時的にはそれで儲けたとしてもすぐに価格崩壊が起こるってわかってるから、彼らはそんなことしないの」
 リヒトはアーケルシアで長らく経験しなかった人の善意に触れたような気がして胸がすく思いがした。
「そっか…。花は育つのに、育てないだけなんだな」
 そう独りごちるリヒトの横顔を見上げてマリアは目を細めた。



 アイシャが騎士団への入団を志望したのは八か月前のことだった。しかし入団試験さえ受けさせてもらえなかった。理由の一つは貧民出身であること、もう一つは女性であること。アーケルシア騎士団は全員男性である。彼らは「女性に騎士は務まらない」という固定観念の持ち主であり、彼らに女性を受け入れそれを同輩と認める度量はない。アイシャは歯痒い思いをした。私を雇えば誰よりも活躍するのに、結局男という生き物は実益より沽券を選ぶのか。
 負けず嫌いの彼女はそこで屈しなかった。彼女は地下格闘技に毎週試合を見に行くようになった。彼女は上位ランカーの戦いを参考にし、彼らのパンチやキックを真似て練習した。筋力トレーニングのし方も選手にインタビューした。それ以来アイシャはさらに戦いの世界に没頭した。
 アイシャの実力はその類まれな才能のみがもたらしたものではない。彼女は台車を使わずに廃材を運んだ。その仕事でパワーとスタミナを養うと同時に収入も増え、栄養管理にも気を遣えるようになった。彼女は大木を相手に戦うようになった。はじめは苦戦したが一か月後には殴り倒した。次に戦ったのは石の壁だった。それも半年後には打ち砕いた。それから数日後、自らの鍛錬の成果を測る場として、アイシャは地下格闘技へ飛び込み参加した。今からちょうど一か月前のことである。
 だが大木を殴り倒し石の壁を砕くアイシャにとって地下格闘技の選手たちはもはや相手にならなかった。その頃には地下格闘技と窃盗と武器の密造により流星団の収益は安定を見せ始めていた。彼女は自身の格闘センスをより高い次元で発揮できる活躍の場を求めていた。



 それから数日後、騎士団庁舎の二階の中央の廊下の真ん中を貧民街出身の一人の小柄な若い女が悠然と闊歩していた。居合わせた兵やすれ違う兵はみなそれに目を奪われ唖然とした。彼女は軽装だが腰にダガーを二本携えている。娼婦でもなければ侍女でもない。犯罪者として他の兵員に連行されているわけでもない。何かの目的があって戦力としてここに招かれた者だということになる。それは彼らにとって非常に珍妙な光景であった。だがアイシャにとってはそうやって眺められることがかえって誇らしかった。彼女の歩幅は自然と大きくなった。やがて彼女はその突き当りにある最奥の部屋の前で足を止めると、ノックもなしにその扉を開いた。扉の先には呆れ顔のリヒトと、唖然とするユスティファの姿があった。リヒトは騎士王の執務室に急にノックもなしに入ったことを咎めようか迷ったが、アイシャにそんなことをしても無益であることに気付いてやめた。
「座れ」
 会議室も兼ねるその部屋の長机の周りに並ぶ椅子の内、アイシャはリヒトにできるだけ近いものを選んでそれにどさりとふんぞり返るように座った。ユスティファはまだ唖然としていた。リヒトは呆れ顔のまま口を開いた。
「ユスティファ、こいつがアイシャだ。流星団の団長」
 ユスティファには事前にアイシャが流星団の団長であること、彼女の手を借りて虎狼会討滅を目指すこと、彼女が今日ここに来ることは伝えてあった。アイシャはにっこり笑って彼女なりの挨拶をした。
「ちす!」
 リヒトはユスティファのこともアイシャに紹介した。
「こいつはユスティファ」
「ユスティファです、どうも…」
 リヒトは気を取り直してアイシャに神妙な目を据えた。
「さて、それじゃお前の作戦を聞こう」
 アイシャもまたその言葉を聞いて少し神妙になった。彼女は腕を組み足を組み替え、リヒトをじっと見据えて言った。
「そうだな。まず断っておくが、現状のアーケルシア騎士団の戦力じゃゼロアの寝首を掻くのは多分無理だ。それをするには隠密と奇襲に長けた人間の協力がいる。つまりあたしのような」
 リヒトは尋ねた。
「お前だけでどうにかなるのか?」
 アイシャはさわやかに笑ってあっさりと否定した。
「いや、多分あたし一人でも無理だ。向こうは相当な手練れをそこいらに配してる。特にビュルクの狩人リサが向こうの手に落ちたのはデカい。何人かにはその手練れの相手を頼みたい。しかし少数精鋭は守りたい」
 リヒトは先を促した。
「つまり戦力を数名増強すると」
 アイシャは口の端を吊り上げた。
「ご明察」
 ユスティファはアイシャに尋ねた。
「流星団でもない。騎士団でもない。虎狼会でもない。ビュルクでもない。そんな戦力があるのか?」
 アイシャはその問いにニヤリと笑みを返した。ユスティファは何かピンときたようだった。
「まさか、地下格闘場…?」
 アイシャはふっと目を細めて笑った。
「惜しい。でも地下格闘場なんかよりもっとすごいところだぜ」
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