カソレン

えすけ

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2話

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「矢藤と山田が付き合っている」というゴシップはその次の日、稲妻の速度で学校中に伝わった。
 と言っても男子生徒から告白された山田が言った「ごめんなさい。私、同じクラスの矢藤くんと付き合っているの。だから、これ以上付きまとわないでね」という情報が源なので、ほとんど事実に近いゴシップだ。
 しかも、倉山先輩が校内放送を使って広めてしまった追い風付き。前から思っていたのだが、放送部は倉山先輩に、何か弱みでも握られているのだろうか。
 ただ、その稲妻の後に雷鳴が響き渡ることはなかった。僕と山田が男女の関係にあるという事実は、多くの生徒に静かに納得されたのだ。みんなが口を揃えて「お似合いのカップルだ」と言った。失恋してしまい泣き出す生徒もいたらしいが、最後には「これでやっと諦めがつく」と逆に感謝される始末だ。
 何度も言うが、僕と山田は正確には付き合っていない。「付き合っているふり」をしているだけだ。
 もちろん、ただ「付き合っているふり」をするだけではない。僕たちはこれからデートに行くふりをしたり、喫茶店でお茶をするふりをしたりするなど、色々な工作を行っていく方針――らしい。
 山田と倉山先輩はそれを「カソレン」と呼んだ。「仮想恋愛」の略でカソレン。少し意味がずれている気もするが、彼女たちがその響きを気に入っているので僕から何かを言うことはない。
 お互いに言い寄られることを抑止するために始めたカソレンについて、僕と山田が定めたルールはこうだ。

①電話はOK。メールはアウト。
②交際は全て二人で作った作り話であること。
③お互いに苗字で呼び合うこと。

 だから、山田が僕にモーニングコールをすることはあっても、一緒にデートをすることはない。これから作られるであろう、僕たちの交際話は、全て「仮想」のものだ。 
 当然のことというか、周囲の友人たちは、今まで恋人を作らなかった僕と山田の交際に興味津々だった。「初めてのデートはどこに行く予定なんだ?」と山田とカソレンを始めてから一週間、僕は毎日のように聞かれる。
「同じ電車で帰ることは、ルール違反じゃないのか?」
 下校中の電車で僕は山田に聞いてみた。
「仕方ないじゃない。同じ方向なんだし、カソレンを始める前から一緒に帰っていたから、セーフよ。それよりも、今日の朝言ったデートのこと、ちゃんと覚えてる?」
「いや、忘れてた」
 山田は僕を鋭く睨んだ。そんなに怒らなくてもいいと思う。怖いことに、美人は怒っても美しいのだ。
「言っておくけど、私は本気なんだからね。矢藤くんも今後のこと、ちゃんと考えて」
 その言葉だけ聞くと、本当に付き合ってるように聞こえるよ。
 僕は山田に聞こえないように小声で文句を言う。
「最初のデートの場所は、矢藤くんが決めてよね」
「じゃあネズミの国で」
「ベタすぎるわ」僕の投げやりな答えに、山田は呆れた。「でも、実際に行くわけじゃないし、どこでもいいわよね」
「うん。どうでもいいよ」
 電車の窓から空を見る。浮んでいるのも面倒臭そうな、やる気のない灰色の雲があった。あれでイケメンだったらまさに僕だろうな、とつまらないことを考える。



 日曜日の朝、僕はこの前のように、電話で山田に叩き起こされた。
「今日は休みだ」
 当然ながら僕は憤慨する。日曜日は昼まで寝ることが、僕の生活スタイルなのだ。
『何言ってるの? 今日はデートの日よ。そろそろ、ゲートインの時間ね』
「デートは作り話じゃなかったのか?」
 寝起きの僕の頭は混乱を極めた。山田は今ネズミの国にいるのだろうか?
『もちろん作り話よ』
 実は、私の事務所のマネージャーをネズミの国に行かせてるの、と山田は楽しそうに言う。
「マネージャーさんも暇だな。でも、何のために?」
『作り話を作るためよ。精巧なものをね。そのためには、現地の情報が必要じゃない』
 話によると山田は仕事用とプライベート用の二つのケータイを持っているらしい。仕事用のケータイでマネージャーに現地の様子を実況させながら、プライベート用のケータイで僕とその時その時に行動することを話合うという。仕事用のケータイをプライベートに使っているじゃないか、とは言わないでおいた。
「君のやりたいことは分かった。だけど、やりすぎだ」
『やりすぎることはないわよ。もし私たちの交際が嘘だってバレたら、また告白の嵐よ。同じ手は二度通じることはないんだから、念には念を入れましょうよ。倉山先輩もそう言ってたのよ』
 倉山先輩の言うことは。確かに正しい。それに、告白されることがなくなり、僕の高校生活はずっと過ごしやすいものになった。
 何せ、毎日のように「君の気持ちは嬉しい。でも、僕は君の気持ちに応えることができない。本当にごめんね。本当に」と繰り返す必要がなくなったのだ。
 僕は布団から這い出ると、ノートパソコンを起動させた。
「分かった。僕も気合を入れるよ」
『そう来なくっちゃ』
 電話の向こうで山田が微笑んだ気がした。
 そこで、ふと僕は気になることが頭に過ぎる。
「山田。もしかして、マネージャーさんは一人でネズミの国に行ってるのか?」
『当然じゃない。費用は私が出してるんだから。節約よ、節約』

 それから僕と山田はマネージャーの実況を頼りながら、その日のデートの行動を打ち合わせした。僕はインターネットのネズミの国のホームページで地図を見ながら、山田との会話を続ける。
『ネズミの形のオレンジアイス買ったあとに、アトラクションに向かったわ』
「どんな?」
『水に突っ込むやつ』
「あー、あれね」
『私と矢藤くんどう いうふうに座る?』
「どっちでもいい……というと怒るんだろ? じゃあ、僕は右利きだから右で」
『私は左利きよ。でも、腕時計は左につけてるわ』
「どうでもいい」
『あ、マネージャーがオレンジアイス美味しかったから、もう一個食べたいって』
「どうでもいい」
 そうやっていくつかのアトラクションを制覇した僕と山田(実際にはマネージャー一人)は、ショップでお土産を買ってゲートアウトした。
 一応、倉山先輩のお土産として、ネズミの形のクッキーも買っておいた。
『疲れたわ』山田はふう、とため息をつく。『でも楽しかった』
「確かに楽しかった」
 僕はしぶしぶ認めた。初めこそ、このカソレンにあまり乗り気でなかった僕だが、山田とこうやって緻密な作り話を作り上げる作業は、純粋に面白かった。
「でも疲れた」
『今日はありがとう、矢藤くん。それじゃあね。とっても愛してるわ』
「僕もだよ、山田。ばいばい」
 最後に「「嘘だけどね」」と言い合い、僕たちは通話を終えた。
 初めての「仮想デート」はおおよそ成功、と言っていいだろう。僕は満足だった。

 山田との電話を終えた二時間ほど後、僕の家に客が来た。その人物は両手に大量のネズミの国の袋をぶら下げており、頭には黒い耳のついたカチューシャをした、若い女性だった。
 今日一人でネズミの国に特攻した山田のマネージャーだ、と僕はすぐに理解する。
「お土産を持ってきました。はい、これ矢藤くんの選んだぬいぐるみです」
 それは僕の半身ほどの大きさのある、巨大なぬいぐるみだった。冗談のつもりで言ったのだが、まさか本当に買って来るとは思わなかった。僕は恐縮しながらそのぬいぐるみを受け取る。
「今日は僕と山田のおふざけにつき合わせて、申し訳ないです」
「おふざけじゃないですよ。華子ちゃんは真剣です。だから、矢藤くんも、華子ちゃんに優しくしてあげてくださいね? もちろん嘘で構いませんが」
 それじゃあ、これからまた行く場所があるんで、と彼女は去っていく。
 僕はぬいぐるみを抱えながら山田のマネージャーを見送る。「まさかね」と僕は苦笑いをした。「まさか。さすがにそれはない」
 しかし、次の日学校で山田の左手の人差し指にシルバーの指輪が光っていた。それは昨日、僕が山田に選んで買ってあげた――ということになっている――ネズミの国のお土産だ。
「尊敬する人は?」と聞かれて、エジソンよりも先に思い浮かぶ偉人が僕にできた瞬間だった。



『精巧な性交の作り話を作りましょう』 

 僕と山田がカソレンを初めてから、早いことで一ヶ月が経った。今も僕たちの秘密が、友人たちにばれていることはない。山田とクラスで話すことはなかったが、クラスメイトは僕たちの関係が嘘であることを、疑いもしないのだ。
 それだけ、僕と山田が作った交際の作り話は、上手くできていた。実際に、山田のマネージャーが現地に赴いたリアルな情報で、打ち合わせをするのだ。完璧でないはずがない。
『雨が降ってきたそうよ』「相合傘だね。僕が傘を持つよ。山田が右隣にいる」
『矢藤くんのおごりで喫茶店に入ったわ』「君は左利きだ。僕は気が利くからカップの持ち手を君の持ちやすい位置に置く」
『映画を見に行こう。何を見るか矢藤くんが決めて』「今回のジブリ作品は面白いらしいから、それにしよう」『アニメなんて子供っぽいから嫌よ。ハリポタが見たいわ』「じゃあ、それでいいよ」
 そんな仮想の交際話を友人たちに話しているうちに、僕は本当に山田とデートをしたような錯覚に陥るほどだった。
 僕はこの特殊な関係に満足している。山田も生き生きとしていた。 僕たちに振り回されている、山田のマネージャーには申し訳ない気がしたが、彼女自身も楽しんでいるようなので安心だ。
 倉山先輩も、山田の直筆サイン入り写真集は高く売れた、と喜んでいた。山田はあまりサインをしないらしい。
 だけれども、まさかこのカソレンの果てに、山田の最低な駄洒落を聞くことになるなんて、僕は夢にも思ってもいなかった。
 それはある、日の暮れたときのことだった。学校の宿題をしていた僕の元に、山田からケータイに電話がかかって来た。
 その第一声があれである。
「山田。別れ話をしようか」
『落ち着きなさい、矢藤くん。真面目な話よ。今日仕事の後輩に私の性生活について聞かれたの。まだ彼氏との経験がないって答えると、信じられないって顔をされたわ。これは由々しき事態よ』
 一ヶ月もすれば付き合ったばかりの男女は、猿みたいにセックスをしまくるものって、倉山先輩が言っていたわ、と山田は言う。
 あまり、倉山先輩の言うことを、真に受けないで欲しい。
『ちなみにその後輩は男なんだけど』「よし、セクハラで訴えろ」
 僕はため息をつく。
「それで、どうしたって言うんだ?」
『どうもこうもないわ。やるわよ、セックス。今、すぐに』
 今日の山田はなんだか気合が入っていた。発情期なのだろうか。
『もちろん「仮想」でね』
「わかったよ。でも、それはどこでする設定なんだ?」
『「設定」って言わないで。嘘っぽく感じるわ』
 本当に嘘なのだからいいじゃないか、と憤慨したくなるが、この間、山田とカラオケに行ったときに、喧嘩をして「男はとにかく女に対して謝るべきよ」と言われたことを、思い出す。
 もちろん、それも作り話なのだが、思わず僕は「悪かったよ」と謝ってしまった。
『場所はすみれ野駅の裏にあるラブホテルよ』
「まさかだが、そのラブホテルにマネージャーさんを行かせた、なんてことはないだろうな」
『ええ、そのまさかよ』
「……君は自分のマネージャーを、なんだと思ってるんだ?」
『えっと……そうね、「いい人」かしら?』山田は少し考えてから、そう言った。『でも安心して。今日は彼女一人ではないわ』
「なんだ。山田も行っているのか」
 そりゃそうだろう。真剣だろうがなんだろうが、僕たちの嘘のためだけに、若い女性を一人でラブホテルに突撃させるわけにはいかない。
 そんなの人権侵害だ。
『いいえ。私は今自宅よ。代わりに強力な助っ人を呼んだわ。さっき街で知り合った、トミィという黒人をマネージャーに同伴させたの』
 色々な意味で強力だった。僕は漫画のようにずっこけて、椅子から転げ落ちる。
「お前は自分のマネージャーをなんだと思ってるんだ?」
『「都合のいい人」かしら』
 嫌な即答だった。
『でも安心して。彼女、真正のMだから』
「全然安心できねえよ。それよりも、今、マネージャーさんはどんな状況なんだ? 無事なんだろうな?」
 僕は努めて冷静に、山田のマネージャーの安否を気遣う。
 なんとか、このふざけた茶番を食い止めることが、山田の彼氏――のふりをしている僕に課せられた、使命だ。
『ラブホテルに入って、マネージャーの趣味で回転するベッドを選んで、部屋に入って、二人ともシャワーを浴びて、今トミィにのしかかられて、パンストを破かれているところだそうよ』
 思った以上に状況が進んでいた。しかも、どうやらトミィは完全にスイッチが入ってしまっているらしい。
 これは、もう手遅れだ。
『あら、始まったようね』
「何で君はそんなに冷静なんだ」
『たかがセックスじゃない。大げさよ。これだから男って』
 山田は大げさにため息をつく。カチンと来たが、僕は何も言わないでおいた。
 しばらく僕は山田の言葉を待ったが、どういうわけかか無言が続いた。その後、山田の悲痛な『――なんてこと』という呟きが漏れる。
『……大変よ、矢藤くん』
「何があった?」
 まさか、山田のマネージャーの身に何かあったのだろうか? 
『何だか私、興奮して来ちゃったわ』
「……山田。今すぐ別れよう。もしくは病院を紹介するから、脳を切開してもらえ」
『……まあ、落ち着きなさい』
 こほん、と山田は可愛らしく咳払いをして誤魔化そうとする。
『それで、何だったかしら? 私のマネージャーの淫らな声をおかずに、精巧な性交の作り話を作る……だったかしらね。そうね、ラブホテルでお楽しみ中の 二人を邪魔するのも悪いし、場所は私の自宅ってことにしましょうか。安心して、今、両親は二人とも出かけているから。私は矢藤くんのどんなマニアックな欲求にも、身体を張って応えてみせるわ。嘘だけどね』
「もう勝手にしてくれ」
 不貞寝したい気分だった。
 しかし、電話を切ろうとすると山田が、『じゃあ、矢藤くんはいざ本番というときに勃たなかった「フニャ●ン野郎」ということを、倉山先輩に報告しておくけど……よろしくて?』と脅してきたので、結局、僕はしぶしぶ彼女に付き合った。



 そんなアクシデントもあったが、大よそ僕と山田のカソレンは順調に思えた。
 しかし、全てが嘘である以上、いつかはボロが出てしまうだろう。
 僕と山田の偽りの恋愛は、きっと長くは続かないに違いない。漠然と僕はそう感じていた。
 だけれども、まさかカソレンがこんな形に変わってしまうなんて僕はもちろん、山田も倉山先輩も、協力者であるマネージャーも思っていなかっただろう。
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