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36.創られ、芽吹いて
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「あれから1日経ってる。ここは布田ってとこにある病院。谷原の家の近くだ」
「面倒かけてごめんね」
「大丈夫大丈夫♪ ここにいる4人でバランスよく分担したから」
滋田さんがフォローを入れてくれる。ありがたい反面、僕の血の気はみるみる引いて。
「すっ、すみません!」
「あェッ!? いやいや! ホント、割と楽しかったから! なっ?」
滋田さんは兄さん達に同意を求めつつ、起き上がろうとした僕をそっと戻した。
いい香りがする。甘いウッディな香りだ。月並みだけどグレードの高さを感じた。細かなところにまで気を配れる心の豊かさと余裕。そういったものを感じ取ってのことなんだろう。
「……んで、お前が寝てる間に刑事が来たわけだが」
「っ!」
「安心しろよ。もう話しはついてる。疑われることはねえよ」
「本当に?」
俄かに信じがたい。
「入れ替わりのこと、話してないんだよね?」
「ああ」
「だったら、僕らが谷原さんの家にいた理由は? どう説明したの?」
谷原さんは悪名高いゴシップライターで通っている。そんな人の家に遠方から、それも人目を避けるように早朝から訪れていたんだ。不審に思わないはずがない。
「…………」
「…………」
沈黙が訪れる。状況から察するに理由の用意はある。だけどそれは、安易に口に出来ない。奏人にとって、とても重たい内容なんだろう。
「あ~……良かったら俺から話そうか?」
手を上げたのは滋田さんだった。すごく遠慮がちに。一方で、嬉々としているようでもあった。
「……いえ。俺から話します」
「そっ、そう?」
奏人は溜息混じりに返した。とてつもなく嫌な予感がする。
「俺は滋田さんと付き合ってる」
「……は?」
「そういうことにした」
頭が追い付かない。目が回る。何がどうしてそうなったのか。
「そうすっと辻褄が合うんだよ。それこそ腹立つぐらいにな」
奏人が語った筋書きはこうだ。
――奏人と滋田さんは、半年ほど前から交際をスタートさせていた。
きっかけは僕の弟子入り。これまで頑なに帰国を拒んでいた滋田さんが、僕の申し入れをあっさりと快諾。これに焦った奏人が滋田さんに猛アタックをしかけて、遠距離ながら交際をスタートさせた。
公表せずにおいたのは、両親への挨拶が済んでいなかったから。結果、その配慮が災いすることになる。
滋田さんは非公式ではあるものの、表向きにはパティシエの男性と交際していることになっていた。
そんな滋田さんに降って湧いた熱愛疑惑。それをいち早く掴んだ谷原さんが滋田さんを尾行。奏人と滋田さんがキスをしている場面に出くわし、激写するに至った。
だけど、谷原さんは記事化を見送った。自殺に追い込んでしまった例の女優さんと奏人を重ねてしまったからだ。
若さゆえの過ち。そう解釈した谷原さんは、奏人に忠告をするべく自宅に招いた。僕がその場にいたのは、奏人のただならぬ様子を心配して付き添っていたから、とのことだった。
筋は通っている。でも、やっぱりまだ足りない部分がある。
「あの状況は? どう説明したの?」
「谷原の自殺願望については包み隠さず話した。改心させたけど、それなりに手こずった。双方の怪我はその時に負ったものだってな」
「……そう」
「どうだ? 完璧だろ?」
これは皮肉だ。対象は自身。所謂自虐だ。頷くわけにはいかない。僕は首を左右に振って返した。途端に奏人の表情が歪む。
「言っとくけど、もう手遅れだからな。自己満で掻き回すような真似だけは止してくれ」
「嫌だ」
「ナオ………」
兄さんが案じてくれる。ちゃんと具体を挙げないと。
「しんどいだろ?」
「っ」
「これがお前の罰だ」
奏人が描いた筋書き通りに動く。奏人や滋田さんに非難が向いたとしても、僕はそれを黙って見ていることしか出来ない。設定上、僕は部外者だから。
「……そんなのって……」
「お前もお前でしんどい思いをするんだ。だから、気にしなくていい」
「これのどこが対等なの?」
「堂々巡りだな」
何と言われようと僕の主張は変わらない。本当にもう打つ手はないのか。
「話題を変えよう」
「そうだな」
滋田さんが同調してくれる。僕らを気遣ってのことだろう。
「という訳で、アニキと滋田さんは外に出てください」
「うん。……えっ? ……え゛っ!? ちょっ!? えっ!?」
兄さんは苦笑いだ。疑問を呈さないあたり、兄さんには既に話しを通してあるのかもしれない。
「こっからはアンタらには関係ない話になるんで」
「だそうなんで、飯でも行きませんか?」
「えぇ~?」
「近くに美味くて評判な蕎麦屋があるらしいですよ。そこ行きましょう」
「っ! 蕎麦好き! 好きだけど……んぅ~……」
滋田さんの目が留持さんに向く。
「涼は? 何でOK――」
「気ィ遣ってやってるつもりなんですけど」
「へっ?」
「病院、苦手なんでしょ?」
滋田さんの目が大きく見開く。
言われて改めて思い出す。滋田さんの過去――孤独な子供時代を。
生まれつき心臓が悪く、10歳で手術を受けるまではずっと病院暮らしだったらしい。楽しい思い出もある一方で、寂しい思いも沢山したんだろう。だから求める。求めずにはいられないんだ。
「あぁ……っ。………もう……好き……っ!!」
滋田さんは破顔した。恍惚とした眼差し。纏う雰囲気は熟れた桃みたいに瑞々しく、甘やかで。
「え……っ?」
まさか。
「はいはい。じゃあ、さっさと――」
「ああ! 待って待って! その前に、これだけ尚人に伝えさせて」
気を引き締める。どんな言葉がきてもしっかりと受け止めよう。お腹に力を込める。
「俺はその……本気だから」
「…………っ」
やっぱりそうなんだ。
「偽装からのスタートだけど、いつかは本当の恋人になれるよう頑張るつもり」
「どうして……ですか?」
考えるよりも先に疑問を口にしていた。奏人は憎しみを、滋田さんは負い目を感じていたはずなのに。
「奏人の愛に感動したんだ。……いや、そんな綺麗な言葉じゃないな」
滋田さんは少し思案した後で、はにかんだ。
「羨ましかったんだ。本当に」
滋田さんの目が僕に向く。その目は驚くほどに無垢で、真っ直ぐで。
「同時に愛したいとも思った。奏人のことを、思いっきり! 全力で!!」
甘くて爽やかな笑顔が奏人に降り注ぐ。
「……あほくさ」
「へへっ」
奏人は目を伏せて唇を引き結んだ。その表情は肯定とも否定とも取れて。
『ナオのこと頼みましたよ』
『君は? 本当に…………の?』
『……あんなふうに……で、……正直……。だから……』
朧気な意識の中で聞こえてきた奏人と留持さんの会話。あれはもしかしたら。
『ナオのこと頼みましたよ』
『君は? 本当に[いいの?] [滋田さん、たぶん本気だよ? まさか応えるつもりな]の?』
『……あんなふうに[肯定されたのは初めて]で、……正直……[――――です]。だから[――――]……』
こんなふうなことだったのかもしれない。けど、未だ真意の部分は掴めずにいる。立場が定まらない。僕はどうしたら。
「もちろん、無理強いはしない! 奏人は今回の件で責任を感じてて、別れたがってるってことにしたから! 奏人の方から俺に甘えたり、周りのみんなにアピールする必要はないんだ」
別れたがっている奏人を、滋田さんが必死に引き留めようとしている。そんな構図にしてくれたんだろう。
「だから、っていうのも変な話なんだけどさ……頑張らせてほしい、です」
眩しくて力強い。一方でか弱くもある。愛すること、愛されること。その両方を渇望しているからか。
その割に必死さや、焦りみたいな感情は伝わってこない。ただひたすらにキラキラしている。僕にはそれがすごく不思議で。
「話し終わり! よーし! 頼人、行くぞ! 蕎麦だ蕎麦!!」
兄さんは鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた後で、何かを噛み締めるように深く、深く頷いた。
「蕎麦久しぶりだなぁ~。ん~、楽しみだ!」
「……ご馳走させてもらってもいいですか?」
「えぇ~? いいのォ? 俺、そういうの遠慮なく乗っかっちゃうタイプよ?」
「ぜひ乗っかってください! もうホント、マジで!!」
「??? おっ、おう!」
楽し気な2人を見送る。部屋には奏人、留持さん、僕の3人だけが残った。
「尚人」
留持さんが口を開いた。壁から背中を離して僕に向き直る。
「まずは一言謝らせてほしい」
盗聴の件だろう。僕は「いえ」と否定の声を上げる。
「あれは僕のせいです」
「違う」
「えっ……?」
「全部、知ってた」
喉が渇く。
「内通者は僕」
留持さんが言っていることの意味がまるで分からない。
「君を裏切ったんだ」
「……うっ、嘘だ……」
咄嗟に否定の声を上げた。信じられなかった。どうしても。絶対に――。
「面倒かけてごめんね」
「大丈夫大丈夫♪ ここにいる4人でバランスよく分担したから」
滋田さんがフォローを入れてくれる。ありがたい反面、僕の血の気はみるみる引いて。
「すっ、すみません!」
「あェッ!? いやいや! ホント、割と楽しかったから! なっ?」
滋田さんは兄さん達に同意を求めつつ、起き上がろうとした僕をそっと戻した。
いい香りがする。甘いウッディな香りだ。月並みだけどグレードの高さを感じた。細かなところにまで気を配れる心の豊かさと余裕。そういったものを感じ取ってのことなんだろう。
「……んで、お前が寝てる間に刑事が来たわけだが」
「っ!」
「安心しろよ。もう話しはついてる。疑われることはねえよ」
「本当に?」
俄かに信じがたい。
「入れ替わりのこと、話してないんだよね?」
「ああ」
「だったら、僕らが谷原さんの家にいた理由は? どう説明したの?」
谷原さんは悪名高いゴシップライターで通っている。そんな人の家に遠方から、それも人目を避けるように早朝から訪れていたんだ。不審に思わないはずがない。
「…………」
「…………」
沈黙が訪れる。状況から察するに理由の用意はある。だけどそれは、安易に口に出来ない。奏人にとって、とても重たい内容なんだろう。
「あ~……良かったら俺から話そうか?」
手を上げたのは滋田さんだった。すごく遠慮がちに。一方で、嬉々としているようでもあった。
「……いえ。俺から話します」
「そっ、そう?」
奏人は溜息混じりに返した。とてつもなく嫌な予感がする。
「俺は滋田さんと付き合ってる」
「……は?」
「そういうことにした」
頭が追い付かない。目が回る。何がどうしてそうなったのか。
「そうすっと辻褄が合うんだよ。それこそ腹立つぐらいにな」
奏人が語った筋書きはこうだ。
――奏人と滋田さんは、半年ほど前から交際をスタートさせていた。
きっかけは僕の弟子入り。これまで頑なに帰国を拒んでいた滋田さんが、僕の申し入れをあっさりと快諾。これに焦った奏人が滋田さんに猛アタックをしかけて、遠距離ながら交際をスタートさせた。
公表せずにおいたのは、両親への挨拶が済んでいなかったから。結果、その配慮が災いすることになる。
滋田さんは非公式ではあるものの、表向きにはパティシエの男性と交際していることになっていた。
そんな滋田さんに降って湧いた熱愛疑惑。それをいち早く掴んだ谷原さんが滋田さんを尾行。奏人と滋田さんがキスをしている場面に出くわし、激写するに至った。
だけど、谷原さんは記事化を見送った。自殺に追い込んでしまった例の女優さんと奏人を重ねてしまったからだ。
若さゆえの過ち。そう解釈した谷原さんは、奏人に忠告をするべく自宅に招いた。僕がその場にいたのは、奏人のただならぬ様子を心配して付き添っていたから、とのことだった。
筋は通っている。でも、やっぱりまだ足りない部分がある。
「あの状況は? どう説明したの?」
「谷原の自殺願望については包み隠さず話した。改心させたけど、それなりに手こずった。双方の怪我はその時に負ったものだってな」
「……そう」
「どうだ? 完璧だろ?」
これは皮肉だ。対象は自身。所謂自虐だ。頷くわけにはいかない。僕は首を左右に振って返した。途端に奏人の表情が歪む。
「言っとくけど、もう手遅れだからな。自己満で掻き回すような真似だけは止してくれ」
「嫌だ」
「ナオ………」
兄さんが案じてくれる。ちゃんと具体を挙げないと。
「しんどいだろ?」
「っ」
「これがお前の罰だ」
奏人が描いた筋書き通りに動く。奏人や滋田さんに非難が向いたとしても、僕はそれを黙って見ていることしか出来ない。設定上、僕は部外者だから。
「……そんなのって……」
「お前もお前でしんどい思いをするんだ。だから、気にしなくていい」
「これのどこが対等なの?」
「堂々巡りだな」
何と言われようと僕の主張は変わらない。本当にもう打つ手はないのか。
「話題を変えよう」
「そうだな」
滋田さんが同調してくれる。僕らを気遣ってのことだろう。
「という訳で、アニキと滋田さんは外に出てください」
「うん。……えっ? ……え゛っ!? ちょっ!? えっ!?」
兄さんは苦笑いだ。疑問を呈さないあたり、兄さんには既に話しを通してあるのかもしれない。
「こっからはアンタらには関係ない話になるんで」
「だそうなんで、飯でも行きませんか?」
「えぇ~?」
「近くに美味くて評判な蕎麦屋があるらしいですよ。そこ行きましょう」
「っ! 蕎麦好き! 好きだけど……んぅ~……」
滋田さんの目が留持さんに向く。
「涼は? 何でOK――」
「気ィ遣ってやってるつもりなんですけど」
「へっ?」
「病院、苦手なんでしょ?」
滋田さんの目が大きく見開く。
言われて改めて思い出す。滋田さんの過去――孤独な子供時代を。
生まれつき心臓が悪く、10歳で手術を受けるまではずっと病院暮らしだったらしい。楽しい思い出もある一方で、寂しい思いも沢山したんだろう。だから求める。求めずにはいられないんだ。
「あぁ……っ。………もう……好き……っ!!」
滋田さんは破顔した。恍惚とした眼差し。纏う雰囲気は熟れた桃みたいに瑞々しく、甘やかで。
「え……っ?」
まさか。
「はいはい。じゃあ、さっさと――」
「ああ! 待って待って! その前に、これだけ尚人に伝えさせて」
気を引き締める。どんな言葉がきてもしっかりと受け止めよう。お腹に力を込める。
「俺はその……本気だから」
「…………っ」
やっぱりそうなんだ。
「偽装からのスタートだけど、いつかは本当の恋人になれるよう頑張るつもり」
「どうして……ですか?」
考えるよりも先に疑問を口にしていた。奏人は憎しみを、滋田さんは負い目を感じていたはずなのに。
「奏人の愛に感動したんだ。……いや、そんな綺麗な言葉じゃないな」
滋田さんは少し思案した後で、はにかんだ。
「羨ましかったんだ。本当に」
滋田さんの目が僕に向く。その目は驚くほどに無垢で、真っ直ぐで。
「同時に愛したいとも思った。奏人のことを、思いっきり! 全力で!!」
甘くて爽やかな笑顔が奏人に降り注ぐ。
「……あほくさ」
「へへっ」
奏人は目を伏せて唇を引き結んだ。その表情は肯定とも否定とも取れて。
『ナオのこと頼みましたよ』
『君は? 本当に…………の?』
『……あんなふうに……で、……正直……。だから……』
朧気な意識の中で聞こえてきた奏人と留持さんの会話。あれはもしかしたら。
『ナオのこと頼みましたよ』
『君は? 本当に[いいの?] [滋田さん、たぶん本気だよ? まさか応えるつもりな]の?』
『……あんなふうに[肯定されたのは初めて]で、……正直……[――――です]。だから[――――]……』
こんなふうなことだったのかもしれない。けど、未だ真意の部分は掴めずにいる。立場が定まらない。僕はどうしたら。
「もちろん、無理強いはしない! 奏人は今回の件で責任を感じてて、別れたがってるってことにしたから! 奏人の方から俺に甘えたり、周りのみんなにアピールする必要はないんだ」
別れたがっている奏人を、滋田さんが必死に引き留めようとしている。そんな構図にしてくれたんだろう。
「だから、っていうのも変な話なんだけどさ……頑張らせてほしい、です」
眩しくて力強い。一方でか弱くもある。愛すること、愛されること。その両方を渇望しているからか。
その割に必死さや、焦りみたいな感情は伝わってこない。ただひたすらにキラキラしている。僕にはそれがすごく不思議で。
「話し終わり! よーし! 頼人、行くぞ! 蕎麦だ蕎麦!!」
兄さんは鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた後で、何かを噛み締めるように深く、深く頷いた。
「蕎麦久しぶりだなぁ~。ん~、楽しみだ!」
「……ご馳走させてもらってもいいですか?」
「えぇ~? いいのォ? 俺、そういうの遠慮なく乗っかっちゃうタイプよ?」
「ぜひ乗っかってください! もうホント、マジで!!」
「??? おっ、おう!」
楽し気な2人を見送る。部屋には奏人、留持さん、僕の3人だけが残った。
「尚人」
留持さんが口を開いた。壁から背中を離して僕に向き直る。
「まずは一言謝らせてほしい」
盗聴の件だろう。僕は「いえ」と否定の声を上げる。
「あれは僕のせいです」
「違う」
「えっ……?」
「全部、知ってた」
喉が渇く。
「内通者は僕」
留持さんが言っていることの意味がまるで分からない。
「君を裏切ったんだ」
「……うっ、嘘だ……」
咄嗟に否定の声を上げた。信じられなかった。どうしても。絶対に――。
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