十年目に咲く花

栗木 妙

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『カンザリアの英雄』『漆黒の騎士』などと呼ばれるトゥーリ・アクス騎士は、今や庶民の間で絶大な人気を誇っている人物、といっても過言ではないだろう。
 我が国最南端にあるカンザリア要塞島沖で開かれたユリサナ軍との初戦、そこで我が軍の指揮をとった彼は、援軍も無く、あまりにも数少ない軍艦と不充分な武器だけしか無かったにも関わらず、見事な戦略をもって数で勝るユリサナ艦隊を退けたのだという。その戦いぶりが、彼と共に戦った兵士たちの口から巷間へと伝わり、ちょっとした英雄譚となっていた。
 その功績を認められて軍最高峰である近衛騎士団へと異動した彼は、ユリサナとの戦争の終結後、シャルハ殿下の信頼までもを得て、平民出身者としては初めて一等騎士の地位にまで上り詰めている。


 その英雄サマが、今こんなところで、よりにもよってシャルハ殿下と、がっつがつタメ口で口論なんてしていらっしゃるとは、一体どういうことなのか―――。


「だから、何だってアンタ、護衛も付けずに一人でほいほい、こんなとこほっつき歩ってるワケだよ!? 馬鹿じゃねえの!? ホント馬鹿だろアンタ!?」
「うるさい!! 貴様のような馬鹿に馬鹿と言われる筋合いは無い!!」
「とーころがどっこい、これがあるんだよねっ!! つか、そもそもで言うなれば、こんなことに俺が引っ張り出されなきゃなんない筋合いだってコレッポッチも無いんだよ、っつ話だよねっ!! アンタの副官、ホントやんなるくらい有能な男だよねっっ!!」
「なんだと……? カシムが貴様に、何を頼んだと……?」
「わざわざカンザリアまで早馬使って、アンタがマルナラに向かってるから護衛して王宮まで無事に送り返してくれ、なんて頼んできたんだよ!! しかも、俺宛てなら即座に握り潰してたところだが、よりにもよってレイノルド通されちゃったからね!! しかも、陛下の大事な人まで連れてるとか言われれば、あのひとが『行け』って言わないハズないよね!!」
「カシムめ……よりにもよって、何てことを頼みやがる……!」
「それで、仕方なくマルナラで待ってたっつーのに一向に来やがらないし、挙句にはアヤシゲな街道封鎖とかされちゃってるし、おかしいなと思って強行突破してきたら、案の定、なんか厄介なことに巻き込まれてやがるしっっ……!!」
 もうだからアンタ一体なんなんだよ!? と言い放つや、やおらそこでアクス騎士が、おもむろにはーっと深くタメ息を吐いた。
「もういいや……今さら言ってみたところで仕方ない」
 そして馬の首を巡らすと、「とにかくこの場を離れよう」と、言うや山林の方向へと足を進める。
「アンタ怪我してるし、その手当てもさっさとしといた方がいい。どっちにしろ、この分じゃ今日中の山越えも無理だろうから、どっか目立たない場所でも探して野営しよう。――詳しい話は、その時にでいいだろ」


 そんなワケで、場所を移して腰を落ち着けて、ようやく私も人心地つき。
 思い出したように荷物の中から薬草の類を取り出すと、シャルハ殿下の怪我の手当てに取りかかった。
 当面の生活の役に立てばいいなと、カシム副官に色々と使えそうなものを取り揃えておいてもらってよかった。こういう時の必需品、傷薬になる薬草も、痛み止めの薬草も、ちゃんと用意されてある。
 シャルハ殿下の傷は、先ほどかすめた矢傷と、あと剣を交えた際に作ったと思しきものが幾つか。どれもどくどく流血はしていたものの、そこまで深くはないようだったので、少しだけ安心した。
 傷の一つ一つに、よーく擂り潰して練った薬草を塗り込むと、油紙を当て軽く包帯を巻く。
 そして、アクス騎士が火を起こしてくれたので、ついでだから、殺菌・解毒の効果がある薬草も煎じておいた。そうすることで、これは飲み薬にもできるのだ。
「念のため、これも飲んでおいてください」
 万が一、矢や剣の刃に毒でも塗られていたら、これで少しは症状を軽減できるはず。
 そう言って渡した煎じ薬を、あからさまに嫌そうな表情をしたシャルハ殿下が、渋々のように受け取った。受け取ったものの……しかし、それを見つめたまま微動だにしない。――無理もない、匂いでわかるが、ものっすごーく苦いのだコレ。
「後で口直しに飴あげますから、ぐーっといっちゃってください」
「…子供じゃあるまいし」
「大人なら、そう言われるまで飲むのを躊躇ったりしませんよ」
 そこでグッと言葉に詰まったような表情をすると、意地になったのか、殿下が器の中の薬をぐっと飲み干す。
 途端、自分の水筒を掴むや、ぐびぐびっと中身を一気に飲み干した。――やはり苦かったよね……当たり前ですけれども。
 仕方なく、無言で私は殿下に飴を差し出して。
 さすがに殿下も、それは素直に受け取ってくれた。
「――そういえば……」
 口の中で飴を転がしながら、どこまでも不機嫌そうな表情を崩さずに、おもむろに殿下が問う。
「なぜ君は、自分の国の国王も知らなかったクセに、よりにもよってアクスのことなんて知っていたんだ?」
 やはり殿下は、思わず洩らしていた私の先ほどの呟きを、ちゃっかり聞いていたらしい。
「だって、有名じゃないですか。カンザリア英雄譚」
「君のいた神殿は、そこまで俗世にまみれた場所なのか……?」
「神殿ですから、救済院が併設されているでしょう。そこの孤児院に慰問に来た詩人さんが詠ってたんですよ。それをこっそり聴いてました。やはり子供たちに大人気なだけあって、とても面白かったですよ」
「言っとくが、あの最初の海戦は、我が軍が劣勢になって撤退させられたわけではないからな! あくまで作戦の一端として、意図的な撤退だったんだ! アクスごときに我々が後れをとるはずもないだろう!」
「そんなこと私に言われても……」
「そもそも、こんな男が英雄なんて器か!」
「――てーか、それもこれも、半分以上アンタの所為だろーが」
 拗ねたように軽く唇を尖らせたシャルハ殿下の真向かいで、アクス騎士が、そんなボヤキと共にタメ息を吐く。
「もとはといえば、アンタがあんな過剰な昇進までさせてくれちゃうから、英雄だの何だのの話がここまで大きくなっちまったんじゃねーか。しかも、人のことさんざん客寄せに使っちゃあ、あちこちで曝してくれやがって。おかげで、この頭隠さないと、うかうか外も歩けないっつの。もー俺、どこ行っても子供たちに大人気だよ」
「そこまで昇進させてやったんだから、少しは喜んだらどうなんだ?」
「あーそうですねっ! おかげさまで、近衛もすぐには辞められなくなって、俺の蜜月も遠のいたしねっ!」
「はっ、それは御愁傷様だな!」
「そこまでわかっててやりやがったくせに、しらばっくれてんじゃねえっ!」
 ホントいつもいつも人の恋路の邪魔ばっかしやがってー…! と、手にしていた焚き木の枝をばっきり折っては思い出したようにわなわな震えるアクス騎士を眺めやり、ああここにもいたかシャルハ殿下の被害者が…と、なんだかとても同情してしまった。――ホント心から御愁傷様だな。
「しかしアクス騎士は、近衛騎士団をお辞めになられていたんですね」
 詩人のお兄さんも、そこまでは詠っていなかったから、全く知らなかった。
 それを言った私に「うん、そう」と、アクス騎士が感じのいい笑顔を向けて応えてくれる。
「近衛を辞めて、今はカンザリアに居る。――そんなワケで、マルナラの一番近くに居たもんだから、こうやってこの馬鹿殿下のおりが降りかかってきたんだろうけどねー」
 そこで、これみよがしにチッと殿下が舌打ちをしたが、取り合っても仕方ないので黙殺しておく。
「カンザリアって……あのカンザリア要塞島ですか? マルナラの沖にあるっていう」
「そう。でも、今じゃ私有地になってるから、もう要塞島じゃないけどね。その島の今の持ち主が、俺の剣を捧げた主なもんでさ」
「それが、さっき言ってた『レイノルド』さん……?」
「そうだけど……よく聞いてたね、そんな細かいことまで」
「だって、それ、ひょっとして、レイノルド・サイラーク閣下ではないですか? もと宰相で、カンザリア要塞島総督でもいらした……」
「え……? つか、どうしてそんなことまで知ってんの……? まさか、知り合いじゃないよね……?」
「神殿に慰問に来た詩人さんが、わざわざ私のところにまで寄ってくれて、ついでに詠っていってくださったんです。――サイラーク閣下と時の国王陛下の悲恋の物語から、切々と」
「は……? なんだって……?」
「カンザリア英雄譚に至る、とても壮大な物語でしたよ。――突然すぎる陛下の死で、その愛に終焉を迎えた傷心のサイラーク閣下が、総督として赴任させられたカンザリア要塞島でアクス騎士との運命の出会いを果たし、互いの愛を育んだ二人が共に手に手をとってユリサナの大軍へと立ち向かうことを決意する、という……まあ上手いこと、主に女性が喜びそうな恋愛物語風味に仕立て上げられてましたよね」
 何気なくそれを言ってみた途端、アクス騎士だけでなくシャルハ殿下までもが、なんだか驚いたように瞳を瞠っては軽く引き攣りつつ無言で私をまじまじと見つめていることに気付き、ちょっとだけビクッとおののいてしまった。――なんだそれ……? 私、また何か変なこととか、言っちゃった……?
「――わりと的外れでもないところが、また怖ろしいこと限りないな……」
「――うん……俺、多分その情報源に心当たりある……まーた賭けでもして、あること無いこと喋ったんだろうけど……」
 そして二人でタメ息、揃って深々と。
「まさか、そんな話までが広まっていたとはなあ……どうりで、たまにマルナラ行くと、顔馴染みのオバチャン方が妙な絡み方してくるワケだわ」
「もうレイは島の外に出さない方がいいな……」
「俺もそう思う……」
 そこで、また更にタメ息、揃って深々と。
 ――ひょっとして……なんか私、余計なこと言ったっぽい……?
 しかし、なんだ……さっきの会話の端々に出てきた『蜜月』といい『恋路』といい……つまり、そういうことなのか。アクス騎士とサイラーク閣下って、つまり本当に、そういう関係、だってことか。
 それがわかってしまったら、どうにもこれ以上、深くツッコミ入れるに入れられないじゃないか。こんなことなら、そこ変に掘り下げなければよかったよ。
 詩人の詠う物語うたなんて、どこまで本当のことか分かったもんじゃない、なんて軽く考えてはいたけれど……案外すごいな、そのリサーチ力!
 どうしてくれよう、この気まずい空気……と、どうしたらいいのかわからなくなって、こっそり小さくタメ息を吐いたところで。
「しかし君、一体ナニモノ……?」
 そう、アクス騎士の方から、唐突に私へと話が振られた。
「見たとこ神官にも見えないけど、何で神殿なんかに居たワケ?」
「え……?」
「しかも、関係がよくわかんないんだけど、カシム副官が手紙に書いてきた『陛下の大事な人』って君なんでしょ? 見るからにお育ちも良さそうだし、あの陛下繋がりなら、どうせ君もどっかのお貴族サマなんじゃないの? それが一体、どういうワケで神殿に?」
「――おい、アクス……!」
 そこで見かねたようにシャルハ殿下が口を挟んでくれたが、しかし同時に、「ああ、そっか」と、思わず私もそれを呟いていた。
「そういえばアクス騎士は、貴族のご出身ではなかったのですよね」
 おもむろに自分の口からクスリとした笑いが洩れる。
「ああ、ごめんなさい、決して馬鹿にしたわけではなくて……まがりなりにも貴族の家に生まれた者なら、その理由を当然のように知っているはずだから、ああ知らない人もいたんだなーって、ちょっとだけ嬉しくなってしまって……」
 考えてみたら当然のことだ。――貴族なんて呼ばれている人種は、この国の、ほんの一握りだけなのだから。
「貴族の血筋に連なる者が神殿に軟禁されるということは、いわゆる禁固刑のようなものなんですよ」
「え……?」
「つまり私は、神殿という名の牢獄に繋がれていたということです。――罪人として」


 罪を犯した者が平民であれば、この国の法律に則って判事により罪状が決められ、判決も下される。
 罪を犯した者が軍人であれば、軍規に則って上官より処分が下される。
 しかし、罪を犯した者が貴族であれば……それを裁断する法は無い。
 その罪を断ずるべきは、その者の属する家の当主だ。
 今回の父のように、当主である者が罪を犯したとみなされれば、国王陛下直々による沙汰が下されることにもなり得るが……そんなことは、まず滅多にないことだ。
 基本、貴族の家の当主は、裁く側である。
 ゆえに、私が罪人であるならば、ティアトリード家の当主――つまり私の父が、その裁断を下す立場に在る。
 父の裁断により、十五の私は神殿へ閉じ込められることとなったのだ。
 神殿送りとなることは、いわば終身刑――体よく勘当を受けたにも等しい処分だった。
 つまり私は、父によって“利用価値なし”という烙印を押されて捨てられたのだ。
 あの側妃の件でもなければ、私は一生、あのまま神殿へと閉じ込められる人生を余儀なくされていたはずだ。
 ――まあ、とはいえ、実際は逃げ出す気マンマンだったわけだけど。
 しかし、上手いこと逃げ出せたところで、あくまでも罪人である私は、もはやティアトリードの名による恩恵に与ることは、決して出来ない。


「ごめん……幾ら知らなかったとはいえ、とても失礼なことを聞いてしまったかな……?」
 本当にごめん、と、深々と頭を下げたアクス騎士に、私は笑って「いいえ」と応える。
「貴族である自分は捨て去ったつもりでいましたけれど、私もまだまだ、これまで通りの価値観で物事を考えていたようです。それが分かって少し反省できました。あなたのおかげです、ありがとうございます」
「いや、そんなことでお礼なんか言われても困るから。――てーか、『貴族である自分は捨て去った』って、そっちの方が非常に引っ掛かるんだが……何か大事おおごとそうだよね、それ?」
「そうですね……でも仕方ないんです、自分で蒔いてしまった種ですから。なにせ、こちらからケンカふっかけるような真似をして、父を敵に回してしまったもので」
「『父を敵に』って……君、事もなげに言うけど、じゃあ、ひょっとして、さっきの襲撃とかって、つまり、それ……」
「ええ、おそらくは父の回した手の者ではないかと」
「なんか、もう、もはや聞きたくもないんだけど……君のお父さんって、一体、ナニモノ……?」
「――ティアトリード侯爵だ」
「――はあ!?」
 私の後を引き継いでそれを答えたシャルハ殿下の言葉を受けて、アクス騎士が過剰なまでに顔半分を引き攣らせ、心底イヤそうーな声を上げる。
「なんっで、よりにもよって、あんな大物の狸ジジイ敵に回してんのアンタら!?」
「えーと、事情を話せば少しばかり長くなるのですけれど……」
「まあ端的に言えば、ヤツの逆恨みだな。私とアレクで、領地召し上げのうえ王都からの追放処分なんぞをくれてやったもんだから」
「ちょっと待て……! なんで、あの石橋を叩いて渡るにもホドがありすぎる陛下が、そんな突拍子もない処分なんかに関わってくれちゃってんの……!」
「仕方ないだろう、このアリーシアこそ、陛下の可愛い妹分なんだから。一度でも弟妹認定した者をトコトンまでに可愛がって世話を焼いてしまうのは、あのアレクの死んでも治らない病気だろう?」
「わかった……ようやく事情が飲み込めてきた……! もはや怖ろしすぎるから、その『ケンカふっかけるような真似』についての詳細は聞かないが、つまり、それで怒り狂ったティアトリード侯爵を宥めるどころか、陛下みずからが暴走してくれちゃった結果、こんなことになってるっつーワケだな?」
「うん……まあ、おおむねそんなところだな」
 ――いや、それはかなり違うと思うんだけど……!
 とは思ったものの、とりあえずこの場は黙っておこう。私だって空気くらい読む、たまには。
 こんなことにまでなった以上、殿下の身の安全のためにも、とにかく味方でいてくれる人が居るに越したことは無いのだから。それも『カンザリアの英雄』アクス騎士なら、充分に頼りに出来るし!
「うん、じゃあ、そこは分かった。とりあえず、無理矢理にでも理解した。――が、じゃあ何だってアンタらは、そんな状況の中でマルナラへなんか向かってんの?」
「あ、はい! それは私が国外逃亡を図っているからです!」
「ひょっとして、ユリサナへ逃れると……?」
「その通りです」
「うん、それもよくわかった……しかし解せないのは、このアホ殿下までが、よりにもよって単騎で、どうして一緒にくっついて来てるのか、っつー……」
「もちろん、アリー一人で行かせるのが心配だったからだ!」
「ふうん……それで、護衛も付けず、副官にまで黙って、勝手にこのお嬢ちゃん連れて出奔してきやがった、と……?」
「そうだな、大体そんなところか」
「じゃあ、どのみち一番の元凶はテメエじゃねえか、このどこまでも自分勝手な俺様殿下めがーーーーーっっっ!!!!!」


 そうやって突如として勃発した二人の白熱しすぎるほどの舌戦には、もはや私は何の口も挟むことさえ出来ず、ただただ呆れながらに成り行きを見守っていることしか出来なかった。
 しかし、この二人、なんでこんなに仲悪いんだ……つーか、そのアクス騎士に殿下の護衛なんてものを頼んじゃうカシム副官が、もはや一番の強者だよね。だって間違いなく、こんな二人の関係を知らないハズもないだろうから。
 これは相当なお怒りであるとみたぞ。絶対、殿下が帰ったらガチで叱られるんだろーな。――ああ、御愁傷様。




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