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【5】
しおりを挟むせっかくの良い雰囲気に水を差してくれちゃったのは、私の隣りに座るお方――シャルハ殿下だった。
相変わらず面白そうな表情で……でも、どことなく不愉快にも馬鹿にしているようにも見える、そんな見下すような色までのぞかせていた殿下は、どこまでも飄々とした口調でもって、先を続ける。
「さっきから聞いてれば、君たち相思相愛もいいとこじゃないか。丁度いいから、彼女を君の妃に迎えてやれば? それで全ては解決だ」
即座にポカンと「は…?」と出てしまった私の声と、陛下の「馬鹿を言うな!」という怒声が、図らずも重なった。
「俺は妃など迎えないと、言ったはずだ!」
――あ、そうなんだ、アレクセイ様まだ独身だったんだ……やっぱりな。
「もう何度も言っているだろう! わざわざ俺が妃を迎えて世継ぎを作らなくても、既に王太子はいる! あくまで俺は、甥が成長するまでの中継ぎだ、わざわざ跡目争いの種を蒔く気はない! それに、王妃としての手が必要であれば、姉上がいる! そのために、わざわざ前王妃である姉上に未だ後宮に留まっていただいているんだ! おまえも、それで納得してくれたはずじゃないのか、シャルハ!」
「はいはい、そう何度も何度も繰り返し言われなくても、ちゃんと納得してはいるよ。確かに君の言う通り、そこまで行き届いていれば何も問題は無いよね。だが、こちらも何度も言っているだろう? 王が妃を迎えないというのは、諸外国に対しても、もちろん国民に対しても、とにかく体裁が悪いんだ。形ばかりでいいから妃を持って欲しいというのが本音だね。世継ぎ問題でゴタゴタするのが嫌ならば、子を作らなければいいだけの話なんだから」
「だから、そういう形ばかりの結婚が嫌なのだと、何度言ったらわかるんだ貴様は!」
――なるほどね……だいたいの事情は、わかってきたぞ。
つまり、王太子であるのは、前王妃――亡くなられた前王の正妃であった姉上さまが、儲けられた王子なのだろう。
その甥を無事に王位に就けるため、中継ぎの王として、何一つ禍根となるものを残したくないがゆえに、アレクセイ様は未だ独身を貫いていらっしゃる、と―――。
そういえばアレクセイ様は、もともと剣術がお得意ということだったし、昔から武官になると――最高峰の近衛騎士になるのだと、常に語っていらした。その夢を叶えたのならば、この御方の清廉なご気性のことだ、それゆえに結婚もせず、ただ主と定めた王のためだけに、武官としての業を一心に磨いてこられたことだろう。
そのお立場が、騎士から国王へと変わられたところで……そのご気性は、きっと微塵も変わることなど無いに違いない。
この御方にとって、王にしろ妻にしろ――生涯の伴侶となるべきは、ご自身の誠意を捧げる唯一無二の相手に他ならないのだろうから。
「形ばかりを取り繕ったところで、中身が無ければ、いずれはバレる! それこそ、国民に対する侮辱であり、諸外国への恥さらしだ!」
「まったく……まあ、わかってはいたことだけど、相変わらず石頭なんだからなあ君は……」
「わかっていて、何故それをわざわざアリーシアの前で言うんだ! それこそ、彼女に対する最大の侮辱だろうが!」
「どうかな? それは当人に訊いてみないとね。――ねえ、アリーシア嬢?」
そこで、ふいにシャルハ殿下の視線が、隣りの私へと向けられる。
「君は、どうなの?」
「はい……?」
「アレクのことが好きなんでしょ?」
「え? ええ、まあ、それはもちろん……」
「なら、どんな形であれ、妻として彼に愛される立場になりたいとは思わない? そう願ったりしたことは無いの?」
「いいえ、全く」
「は……?」
あまりにも意外な言葉を聞いた、とばかりに、私が即答したその瞬間、瞬時にしてシャルハ殿下の眉が寄り、表情が固まる。
あ、ひょっとして、こちらの意が上手く伝わってないのかな? と心配になったので、改めて私は、そんな微妙な表情の殿下に向けて、もう一度きっぱりと告げた。
「そんな立場、私には無理です!」
「『無理』って、なんでそう……」
「だって、アレクセイ様は面倒くさいですし!」
そこまできっぱり言い切った途端、その場の空気がパッキリ凍り付いたのが、さすがに私でも分かった。
目の前のシャルハ殿下は、これでもかとばかりに目を瞠っていて、明らかなまでの驚きの表情を全く隠そうともしないまま、呆然と私を見つめているし。
殿下だけじゃなく、その場の全ての視線が、私へと集中しているのを感じる。見えなくても分かる。
――なんだろう……ひょっとして私、言葉の選択、誤った……?
ちょっとヤバかったかな? と少し焦った私は、「あ、つまり、『面倒くさい』というのは言葉のアヤで…」などと、ややしどろもどろになりつつも、慌てて別の言葉を探し始める。
「つまり、アレクセイ様ってば、何ていうか……シスコンの上にメンクイだから……?」
目の前のシャルハ殿下の表情が、またさらに歪む。
「昔から姉上さまを見慣れていらっしゃる分、アレクセイ様の女性に要求する水準は、世間一般に比べて高すぎるんですよ。あんなにも完璧な御方が近くにいたら無理もないとは思いますが、それにしたって、世の女性すべてを姉上さま基準で判別するのは、ちょっと如何なものかと思うんですよね。そんなの、誰も敵うハズなんてないじゃないですか」
私の知っている限り、アレクセイ様の姉上――ローレリア様は、見事なまでの赤毛が印象的な絶世の美女で、また優しくたおやかなご気性も申し分なく、世の男性の目を釘付けにするのは勿論、さらには同性からの憧れの眼差しまでをも一身に浴びる、まさに『社交界に咲き誇る艶やかな花』とまで称されるほど最高の御令嬢であり。さらには、是非にとまで望まれて、時の王太子――つまり前の国王のもとに嫁いだ、という御方でもあった。
アレクセイ様は、幼い頃から、そのローレリア様に、このうえもなく可愛がられまくって育ったらしい。
そんな、シスコンになるのも当然とばかりの環境では、ローレリア様よりも美しい女性でないと目を惹かれないのは当然だろうし、何をするにつけ『姉上ならこうするのに…』などと言われたりしてしまえば、ちょっとどころではなく、もはやかなり面倒くさいではないか。
「それに加えて、ただでさえ普段から口数も少なくていらっしゃるし、ご自身のお気持ちを全く外に出したりもなさらないでしょう? その分、身近な人間には色々と重たいこととか要求されちゃうんだろうなー、なんて、それを考えると、たとえ愛していたとしても、そんな方のお相手をするのは、やはり面倒くさいですよねー……」
――あ、しまった、また『面倒くさい』と言ってしまった。
それを打ち消すかの如く、「だから結局のところ!」と、慌てて次の句を繋ぐ。
「アレクセイ様には、小動物認定されて、妹分として可愛がっていただく、という距離感でいるのが、いちばんラクなんです! それでしたら、こちらも思う存分、何の気兼ねも無く、お慕いすることができますし!」
だからお気遣いなく、と、相変わらず何ともいえない表情で呆然としているだけのシャルハ殿下を真っ直ぐに見つめて、どこまでも真剣に、私は告げた。
「私には、アレクセイ様の妻になりたい気持ちなど、これっぽっちもありませんから。どうぞ、それは別の御方にお決めなさってください。――あ、でも、問題がないのであれば、現状のままがよろしいんじゃありませんか? ローレリア様も後宮にいらっしゃるということですし、なまじの女性をお迎えするよりは、陛下にとって、姉上さまがお傍にいらっしゃるこの現状が、最も居心地の良いものと推察いたしますが」
――ぶっ……!! と、そこでふいに響いてきた、まさに堪え切れなくなったとばかりに吹き出される音に、そちらを見やれば。
陛下の連れてきた近衛騎士のうち一人が、もう一人の身体の陰に隠れるようにして、あからさまに肩を震わせては堪え切れない笑いをぐふぐふと洩らしている。
「…おい、失礼だろうセルマ」
それを注意した騎士にしても、ものすごく笑うに笑えないといった微妙な表情をしている。
「だってリュシェルフィーダ、これが笑わずにいられるか、っつー……!」
そう返して言いながら、また途中で堪え切れなくなったようで、更に盛大にぶはーっと吹き出し、それでもどこまでも笑いを堪えようとしているものか、くつくつ悶絶しては震えている。
――そんなに笑われるようなことなんて、言ったかな私……?
事実しか言ってないはずなんだけどなあ…? なんて少しだけ訝しく思いつつ、そのセルマと呼ばれた騎士の姿を眺めてみて。
そこでようやく、彼がものすごい美形であることに気が付いた。
近衛騎士は美形ぞろいだと、以前どこかで聞いたことはあったけれど……それにしたって、これほどの美女とまで見紛う美しい男性などは、そうそう居ないのではなかろうか。――しかも……、
「ああ、なるほど……近衛騎士とは、陛下のお好みで選ばれるものなのですね」
思わず、目の前で未だどことなく呆然としている風な陛下に向かって、ぽろっとそんな呟きを洩らしてしまったところ。
にわかに我に返ったかのように、そこで即座に「いや違う! それは断じて違うっ!」と、真っ赤な顔で否定される。
「だって彼、アレクセイ様の好みド真ん中じゃ……」
「だから違うから! 断じて違うから! もう黙れ、アリーシアっっ!」
そんなに真っ赤な顔でムキになって否定されても説得力というものがありませんし……しかも、そこで一斉に件のセルマ騎士に向けられた“道理で…”と言わんばかりな皆の視線の方が、よっぽど説得力がありますよねー……。
それから、すぐに陛下がお帰りになって……せめて、その真っ赤な顔を平常に戻してからにした方がいいのでは、とも思ったが、なんだか“どうしても今すぐこの場からいなくなりたい”とでも言わんばかりの雰囲気がひしひしと感じられてしまったので、結局は何も言えず、その場でお見送りすることしか出来なかった。
去り際、『ティアトリード侯爵の処分については、また追って使いを寄越す』と言った陛下の言葉に、シャルハ殿下が、『じゃあ、カシムを連れていっていいよ。その方が話も早いだろう?』と応じられたので、カシム副官まで、陛下と共にこの部屋から居なくなってしまった。
残されたのは、私とシャルハ殿下の二人だけ―――。
「――いいの? 結局、君の性別のこと、言わなかったけど?」
アレクだけには嘘は吐かないんじゃなかったの? などとからかうような口調で言われて、それを少しだけ不愉快には思ったものの。
しかし私は何事でもないかのように、「別に嘘は吐いてません」と返した。
「ただ言わなかっただけです。嘘を吐いたわけではありません」
「ふうん、モノは言いようだな。――とはいえ、つまりは同じことじゃないか。アレクを騙している、ってことについてはさ」
「同じではありません。騙してもいません。これは、ただの私の秘密ごとですから、あえて言わなかったとしても不思議なことではありません」
「ああ、そう……ホント、言葉の使い方ってのはムズカシイよねー……」
言いながら殿下が、そこで座っていた長椅子の上で、ごろんと寝そべる。さも当然のように、隣りに座っている私の膝を枕にして。――まったく、この俺様殿下め。
「…でも、本音はどうなんだ?」
仰向けで目を閉じて、そんなことを殿下は続ける。
「君は、あんなふうにアレクのことを言ったけど……あれも本音じゃないだろう?」
「本音ですよ。私は、事実しか言ってません」
「でも、本当に考えたことは無いのかな? ――妻に、とまでは言わなくても……恋人になりたい、くらいのことは」
「――悪趣味ですね、シャルハ殿下」
見下ろしていたその綺麗な顔から視線を逸らし、私はおもむろに一つタメ息を吐いた。
「先ほども、よりにもよって王妃になれだなんて話など持ち出して……本当に、戯れにしても悪趣味なこと甚だしい限りです。そんなの、たとえ私がアレクセイ様を女として愛していたとしても、絶対に受け入れることなんて出来ないに決まってるじゃないですか。妻だろうが恋人だろうが、言い方は変わっても、所詮は同じことです。男である私が、そんな大それた望みなんかを抱いたところで、絶対に叶えられるはずもない。――それをわかっていて仰るのであれば、相当、趣味の悪さを極めていらっしゃいますね」
「ならば、願ったことさえも無いというのか? ――もし自分が本当に女であったなら、と……」
「自分が女であったならと、願うだけなら、もう何度も何度も、飽きるほど繰り返し続けてはきましたが……とはいえ、それでも私は、アレクセイ様と共に在る自分など願ったことはありません。たとえ本当に女になれたとして、それでも私は、それだけは望まないと思います」
ふいに頬に何かが触れた感触がし、驚いて視線を戻すと、いつの間に目を開けていたのだろう、その翠玉のような二つの瞳が、見下ろす私を真っ直ぐに見上げていた。
「…その理由は? そこは、さすがに君の語った事実などではないだろう?」
頬に触れている指が、ゆっくりと肌の上を滑る。
思わず、それを虫か何かのようにはたき落とすと、「やっぱり殿下は悪趣味です」と、その二つの翠玉から視線を逸らしてソッポを向いた。
軽くふっと息を洩らすような笑いが下の方から聞こえてきて、ああこの御方は実に厄介だなと、我知らずタメ息が洩れてしまう。
「悪趣味でもいいから、そこは知りたいんだけど?」
「大した理由ではありません。――知り合った時から既に、アレクセイ様には特別な方がいらっしゃるんだろうな、と……それがわかってしまったからです」
二人で交わす会話の中で、ふとした拍子にアレクセイ様が洩らす言葉に、私はそれを見つけてしまった。
無意識のうちに、『あいつは』などと、この場に居ない誰かを呼んでしまう、そのアレクセイ様の表情が好きだと思った。
あの無愛想なアレクセイ様に、こんなにも蕩けるくらい柔らかな表情をさせてしまうなんて、一体どんな人なんだろう、と。
だから、その人と上手くいって欲しいと願ったことはあれど、その表情を自分へも向けて欲しいなどとは、決して考えたことも無かったのだ。
「ご当人から語られたことではございませんし、あくまで私の勘でしかないことですが……それでも、あながち間違ってはいなかったと思います。あんなアレクセイ様の表情は、他のどんな方に対した時だって、一度も見たことはありませんから」
ただ私が願わくは―――、
「どんな形であれ、その方と幸せになっていただきたい。――それだけが、私がアレクセイ様に願ってきた唯一の望みです」
現在、その方とどうなったのかまでは知らないが……それでも、先ほど見えたアレクセイ様の御様子は、それなりに幸せで、また充実しているようにもうかがえた。
そのことが嬉しかった。だって、アレクセイ様が笑顔でいらっしゃる、それが私の幸せにもなるのだから。
アレクセイ様の姿を思い浮かべていたから、無意識に笑みでも零れてしまっていたのだろうか、その口許をふいにむにっと摘ままれて引っ張られる。
ちょっとだけ嫌そげな素振りを見せ付けつつ視線を戻してみれば、どこまでも不愉快そうな表情が、こちらを見上げて唇を尖らせていた。
「――つまらないな、そんな理由」
唐突に私は無言のままに立ち上がると、長椅子から殿下を転がり落とした。
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