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三章
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その夜、再開した『ゼア・イズ』に大神が朝比奈を訪ねてきた。
「お前に依頼されていた被害者の男について、出入国管理局に確認を取ってみたけど、該当する人物は居なかった」
大神は、一様書類を差し出して話を始めた。
「男の身元が分からないということは、住居や滞在していたホテルは勿論、スマホの着信記録も解読されていないってことだよな」
マスターに許可を得て休憩扱いとなった朝比奈がテーブルに付いて尋ねた。
「スマホについては、本部のサイバーセキュリティ部で分析中なんだが、日本のスマホの様に4桁の数字ではないようでロックの解除ができなくて着信記録も確認されていない。それに、ホテルについても該当する人物を特定できていない状態だ」
グラスに注がれていたビールを一気に飲み干した。
「結局何の手掛かりも無かったってことか。いつも偉そうなこと言ってるけど、日本の警察もたいしたことないなぁ。テレビで見る科学捜査はドラマを面白くする為の盛り盛りのフィクションだったのかな。やはり警察には任せてはおけないな。こりゃ、姉さんにもよく話して聞かせておかなきゃな」
朝比奈は、周りの人の目を気にしてか着ていた制服の上に持ってきていた自前のジャケットを羽織った。
「そんな偉そうなことを言って、お前は俺たち警察に手を借りなくても、事件に繋がる情報を少しは手に入れることができたんだろうね」
朝比奈の言葉に反発して言い返した。
「ああっ、実はこの前は話していなかったけれど、事件が起こる直前にあの現場から姿を消した人物が1人居たんだよ」
朝比奈は勤務中である為に烏龍茶を口にした。
「おいおい、その人間が事件に関与しているというんじゃないだろうな。まさか、その人間を調べよなんて言わないよな」
グラスに注ぎ掛けていたビール瓶をテーブルに戻して大きな音が響いた。
「そのまさかだ。でも、安心していいよ、亡くなった男性と違って身元は分かっているからな。姉貴の同期で東大の法学部を卒業後に外務省に入省してそうだけど、そこを辞めて今は外資系のニューランドリーという会社に勤めているそうなんだ」
朝比奈はビール瓶を手にしてグラスに継ぎ足した。
「そこまで分かっているのに、他に何を調べさせるつもりだ」
注いでもらったビールを口へと運んだ。
「事件の起こった後、店に戻ってこなかったんだ。姉さんに聞いた話ではとても優秀な人物だそうで、事件に関わりたくないと考えたのかもしれないけれど、姉から頼まれて同席していた美紀にも迷惑を掛けた訳だから、連絡があってもおかしくはないよな」
空になったビール瓶を手に厨房に向かって合図を送ると、他のスタッフが新しいビールを持って現れた。
「それは確かにおかしいとは思うけど、男性が亡くなった現場がここでなく、原因も他の店でフグ料理を食べたとしたら、その人物の事をわざわざ調べる必要はないと思うけどな」
朝比奈の疑問の意味が分からなかった。
「お前との付き合いも長いから分かってくれると思ったんだけど、どんな小さなことでも気になったことは、きっちりと解決しなくちゃ気が済まない性格なものですからね」
「それは長い長い鎖縁だから十分に存じていますが、お前の気持ちをスッキリする為に警察機構を利用するのはどうなんでしょうね」
イヤミを含めての丁寧な口調ではあったが『勘弁してくれ』という意味がこもっていた。
「お代官様、今日の食事代は奢りますので捜査していただけないでしょうか」
両手の平を擦り合わせた。
「警察を動かすにしては、随分とお安い対価だな」
大神は、追加で運ばれた瓶ビールを手にグラスに注ごうとした朝比奈を制して、自分でグラスにゆっくりと注いだ。
「それは昔からのよしみでお願いしますよ。ひょっとして、ひょっとして事件に関係している可能性があるかもしれないからね」
追加もどうぞとばかりにメニューを開いた。
「それで、姉さんの同期の名前は何というのだ」
いつものことではあったが、朝比奈の強引な責めに負けて今晩の『奢り』で手を打つことにした。
「名前は北川龍一。ニューランドリーと言う外資系の会社に勤めていて、今回はビジネスの為に来日したようだけれど、大学時代の同期生だった姉も言っていたけれど、北川さんの父親と黒田法務大臣が昔から親しくて、今も両家の関係は続いていると思われる。だから俺の考えでは、ビジネスもだろうが本当の理由は、来月行われる国政選挙の応援ではないかと勝手に考えている。だから、面倒な事件には関わりたくなかったのだろうとね」
「それで何を調べればいいんだ」
「それは・・・・・」
「それは」
「それは、お前に任せるよ。今どこに滞在していて、会社ではどんな仕事を担当しているのか。そもそも、本当にビジネスの為に来日していたのかなど、できれば今後の日程なども分かれば助かるけどな」
「冗談じゃないよ。俺達は、そこいらの調査員じゃないし、ましてやお前の部下じゃないんだから、こんな夕飯を奢ったぐらいで事件でもない人物のにそんな事まで調べさせるつもりなのか」
そう言いながらも、大神は朝比奈の類まれな『感』を認めていて、厨房に向かってメニューに載っていない『青菜炒め』を注文し、マスターは軽く頷くと名古屋で『台湾ラーメン』で有名な味仙にも劣らない味と速さ、そして山盛りの青菜炒めがテーブルに届いた。
「あなた達警察は公務員で国民に尽くすのが仕事ではありませんか。確かに、起きた事件を捜査を駆使し解決するのも大切ですが、事件を起こらないように防ぐことが、もっと重要な使命ではないでしょうか」
青菜炒めを掻っ込む大神を見ながら、飲み干したグラスにビールを注いだ。
「それだけ言って、もし事件に関係なかったら覚悟しとけよ」
回りくどく一般論を言い放つ朝比奈への怒りのせいか、青菜炒めの美味しさなのか箸が進んだ。
「捜査1課の離島と呼ばれている大神班。どうせまともな事件をさせてもらえないんだろ」
大神の食いっぷりに朝比奈のお腹が鳴った。
「ほっといてくれ、俺達の班が忙しくないということは、それだけ街が平和だということなんだよ」
その様子に、大神は箸で青菜炒めを摘んで、匂いが伝わる程の朝比奈顔の近くへ運び、慌てて口へと押し込んだ。
「物は言いようだな。夜のカフェバーで、何処の誰かも分からない人間が死んでるんだぞ。それも、俺が司法解剖・・・・・いや、胃の内容物だけでも確認した方が良いと助言しなければ、病死による突然死で処理してただろうからな」
朝比奈はプィと横を向いた。
「分かったよ。出来る範囲で調べてみるよ」
観念して朝比奈の依頼を本気で受ける覚悟をした。
「世の中、決して無駄なことはない。無駄だと決め付けることが、そもそも無駄であるって・・・・・確か、偉い人が誰かが言ってたぞ」
右手の人差し指を立てて言った。
「その偉い人っていうのは誰なんだ」
そういいながらも、どこかで聞いたフレーズだと頭を捻った。
「うーん、今度会う時までに調べておくよ」
烏龍茶の入ったグラスを手に取り顔をそらした。
「本当にいつもいい加減なんだからな。だけど、冗談抜きで暇ではないんだから、空いている時間に調べることになるので、時間が掛かることは覚悟してくれよ」
「えっ、この前会った時は3人揃っていたし、そんなに忙しい感じはしなかったけど、もしかして何か難しい案件じゃないだろうな」
大神がそんなことを言うなんて今まではないこと、朝比奈の頭には違和感が湧いてきた。
「まだマスコミには公表されていないから、ここだけの話にしておいてくれよ。実は、先週港区で指定暴力団による麻薬の取引があることを、県警の捜査2課の潜入捜査員が突き止め、取引現場を抑えることには成功したんだが、その時に残念なことに銃撃戦になってしまい、応援で呼ばれていた所轄の警察官が発砲の際に拳銃が暴発して、両手に大きな損傷を負ってしまったんだ」
朝比奈に近づいて周りの人間には聞こえないように小声で話した。
「それはちょっと・・・・・・」
朝比奈は自分のグラスを飲み干すと、大神のグラスとビール、そして伝票を持って奥にある個室へと場所を変えた。
「こんな部屋があったんだ」
初めて連れて来られた部屋に驚いていた。
「そんなことはどうでもいいよ。それで話の続きなんだが、応援に呼ばれた所轄の警察官って言ったけど、刑事ではなく警察官だってことだな」
席を進めて目の前のテーブルにグラスとビールを置いた。
「ああっ、警察官になって5年目のまぁ中堅の警察官だから、一年に最低一度は拳銃の試射が義務付けられているが、拳銃に対しても不慣れではなかったと考えられるな」
「ということは、警察官だから使用した拳銃はS&W社製の5連発リボルバーで、フィンガースパー付きのクリップやランヤードリンクなど、日本警察仕様に独自改修された『М360SAKURA』なんだな」
射撃の構えをしてみせた。
「おい、随分詳しいな。その通り、その警察官が使用していたのは昨年購入されたばかりのものだった為に、極秘に調査することになったんだ」
朝比奈の言葉に驚きながらも話を続けた。
「またいつものようにマスコミに事実を公表しないで、秘密裏に捜査して事件そのものを隠蔽するつもりなんだな」
警察組織の隠蔽気質に呆れていた。
「これは市民に不安を与えない為の仕方ない処置だと思う。市民を守る警察官の拳銃が暴発したなんて発表したら大変なことになるだろう」
その言葉は大神の本心とは思えなかった。
「公表しないことを、また警察は市民のせいにするんだ。警察のいつもの事勿れ主義にも呆れるよ。国会議員じゃ無いんだから、悪いことは悪い、間違いは間違いと、はっきり発言できる警察の中でも偉い立場の人間に早くなってくれよな。その為に、微力ながら協力しているんだから」
大神の気持ちは分かっていても言わずにはいられなかった。
「お前の場合は、協力ではなく迷惑だ。このままでは、そんな立場は夢のまた夢。お前と付き合っている限り、一生実現できないと思うよ」
気持ちは嬉しいが、現実は足を引っ張って迷惑を掛けている状態であった。
「それは失礼いたしました。以後気を付けさせていただきますが、今回は協力させていただきたいと思います。ではまず、そのリボルバー式拳銃サクラなんだが、昨年納入された物ということは、殆んど新品だってことだよな。昔に採用されたナンブの整備不良での事件なら有り得なくもないが、そんな新品が暴発するものなのか」
朝比奈は頭を傾げた。
「先ず初めに、ナンブは今はどこの警察署でも使われちゃいない。展示室には飾られているかもしれないが、殆んど廃棄処分になっているはずだ」
「ナンブの後に使用された、同じ新中央工業社製のリボルバー式のニューナンブも、今は使用されていないのか」
朝比奈は残念そうに答えた。
「ニューナンブМ60は生産は1990年に終了したが、今でも多くの警察署で運用されているよ。ただ、今回暴発事件を起こしたのは、М360SAKURAだった」
「納入されたばかりの拳銃の暴発事件か・・・・・・ちょっとその前に、1つ聞いておきたいんだけれど、先程話してくれたように警察官は定期的に実射訓練をするんだよな。その時の銃は、個人に配布された物を使用するのか、それとも実射訓練みたいな室に元々配置された銃のどちらで実射訓練を行っているんだ」
ドラマで見たことのあるシーンを思い出して尋ねた。
「全国の県警本部までは把握していないけど、愛知県警では配布された拳銃と同じ物、警察官は殆んどサクラを使用して射撃訓練をしているはずだ」
「ということは、暴発したのは初めて使用された可能性が高い訳だ」
「ああっ、実際にその銃は配布されたばかりで、S&W社のリボルバー式のサクラだったとのことだ」
「どうせ、納品した何千丁の中にたまたま入り込んだ、発砲時の衝撃に耐えられなかった欠陥品だった何てことで結論を出させるだろうな」
「そうならないように俺たちが捜査することになったんだ。愛知県警の中、いや、俺のところに案件が来たってことは、ひょっとするとお前の親父さんが裏で糸を引いているかもしれないぞ」
何か企んでいそうな風貌の威厳に満ちた、朝比奈の父親の顔が頭に浮かんでいた。
「まさか、地方の事件まで関わる程暇じゃないよ。そう、俺の依頼は暇は時にちょっとだけ調べておいてくれよな。俺、休憩時間終わるから、後はごゆっくり」
「ちょっと待てよ。今度も色々首を突っ込んでくるけど、どうして一円もならないことにそんなに一生懸命になれるんだ」
立ち上がった朝比奈に真面目な表情で尋ねた。
「それは『情けは人の為ならず』って言葉があるだろ。勿論、意味は知っているだろ」
今一度座り込んで尋ね返した。
「ああっ、日本人のほぼ半数が情けを掛けることは、その人を甘やかすことになり敢えて情けは掛けずにおくものだと勘違いしているが、本当の意味は人に情けを掛けることは、巡り巡って自分に帰ってくるので、人には情けを掛けることが大切だと説いた言葉だよな」
どうだとばかりに胸を張った。
「まぁ、そこまでは東大を出ていらっしゃるエリートさんには当たり前のこと。この言葉は、旧5千円札の肖像となった新渡戸稲造が残した言葉の一部で、正式には『施せし、情けは人の為ならず、おのが心の慰めと知れ。我人に掛けし恵は忘れても、人の恩をば忘れるな』なんだ。つまり、他人の為ではなく全ては自分の心を満足させる為なんだよ」
そう言い放つと、朝比奈は立ち上がり伝票だけを持って部屋を出て行き、大神はその背中に『本当に唯我独尊、いつも勝手な奴だな』と小さく言葉を投げ掛けた後、朝比奈が口にした北川の勤め先である『ニューランドリー』という言葉が頭に残った。
「お前に依頼されていた被害者の男について、出入国管理局に確認を取ってみたけど、該当する人物は居なかった」
大神は、一様書類を差し出して話を始めた。
「男の身元が分からないということは、住居や滞在していたホテルは勿論、スマホの着信記録も解読されていないってことだよな」
マスターに許可を得て休憩扱いとなった朝比奈がテーブルに付いて尋ねた。
「スマホについては、本部のサイバーセキュリティ部で分析中なんだが、日本のスマホの様に4桁の数字ではないようでロックの解除ができなくて着信記録も確認されていない。それに、ホテルについても該当する人物を特定できていない状態だ」
グラスに注がれていたビールを一気に飲み干した。
「結局何の手掛かりも無かったってことか。いつも偉そうなこと言ってるけど、日本の警察もたいしたことないなぁ。テレビで見る科学捜査はドラマを面白くする為の盛り盛りのフィクションだったのかな。やはり警察には任せてはおけないな。こりゃ、姉さんにもよく話して聞かせておかなきゃな」
朝比奈は、周りの人の目を気にしてか着ていた制服の上に持ってきていた自前のジャケットを羽織った。
「そんな偉そうなことを言って、お前は俺たち警察に手を借りなくても、事件に繋がる情報を少しは手に入れることができたんだろうね」
朝比奈の言葉に反発して言い返した。
「ああっ、実はこの前は話していなかったけれど、事件が起こる直前にあの現場から姿を消した人物が1人居たんだよ」
朝比奈は勤務中である為に烏龍茶を口にした。
「おいおい、その人間が事件に関与しているというんじゃないだろうな。まさか、その人間を調べよなんて言わないよな」
グラスに注ぎ掛けていたビール瓶をテーブルに戻して大きな音が響いた。
「そのまさかだ。でも、安心していいよ、亡くなった男性と違って身元は分かっているからな。姉貴の同期で東大の法学部を卒業後に外務省に入省してそうだけど、そこを辞めて今は外資系のニューランドリーという会社に勤めているそうなんだ」
朝比奈はビール瓶を手にしてグラスに継ぎ足した。
「そこまで分かっているのに、他に何を調べさせるつもりだ」
注いでもらったビールを口へと運んだ。
「事件の起こった後、店に戻ってこなかったんだ。姉さんに聞いた話ではとても優秀な人物だそうで、事件に関わりたくないと考えたのかもしれないけれど、姉から頼まれて同席していた美紀にも迷惑を掛けた訳だから、連絡があってもおかしくはないよな」
空になったビール瓶を手に厨房に向かって合図を送ると、他のスタッフが新しいビールを持って現れた。
「それは確かにおかしいとは思うけど、男性が亡くなった現場がここでなく、原因も他の店でフグ料理を食べたとしたら、その人物の事をわざわざ調べる必要はないと思うけどな」
朝比奈の疑問の意味が分からなかった。
「お前との付き合いも長いから分かってくれると思ったんだけど、どんな小さなことでも気になったことは、きっちりと解決しなくちゃ気が済まない性格なものですからね」
「それは長い長い鎖縁だから十分に存じていますが、お前の気持ちをスッキリする為に警察機構を利用するのはどうなんでしょうね」
イヤミを含めての丁寧な口調ではあったが『勘弁してくれ』という意味がこもっていた。
「お代官様、今日の食事代は奢りますので捜査していただけないでしょうか」
両手の平を擦り合わせた。
「警察を動かすにしては、随分とお安い対価だな」
大神は、追加で運ばれた瓶ビールを手にグラスに注ごうとした朝比奈を制して、自分でグラスにゆっくりと注いだ。
「それは昔からのよしみでお願いしますよ。ひょっとして、ひょっとして事件に関係している可能性があるかもしれないからね」
追加もどうぞとばかりにメニューを開いた。
「それで、姉さんの同期の名前は何というのだ」
いつものことではあったが、朝比奈の強引な責めに負けて今晩の『奢り』で手を打つことにした。
「名前は北川龍一。ニューランドリーと言う外資系の会社に勤めていて、今回はビジネスの為に来日したようだけれど、大学時代の同期生だった姉も言っていたけれど、北川さんの父親と黒田法務大臣が昔から親しくて、今も両家の関係は続いていると思われる。だから俺の考えでは、ビジネスもだろうが本当の理由は、来月行われる国政選挙の応援ではないかと勝手に考えている。だから、面倒な事件には関わりたくなかったのだろうとね」
「それで何を調べればいいんだ」
「それは・・・・・」
「それは」
「それは、お前に任せるよ。今どこに滞在していて、会社ではどんな仕事を担当しているのか。そもそも、本当にビジネスの為に来日していたのかなど、できれば今後の日程なども分かれば助かるけどな」
「冗談じゃないよ。俺達は、そこいらの調査員じゃないし、ましてやお前の部下じゃないんだから、こんな夕飯を奢ったぐらいで事件でもない人物のにそんな事まで調べさせるつもりなのか」
そう言いながらも、大神は朝比奈の類まれな『感』を認めていて、厨房に向かってメニューに載っていない『青菜炒め』を注文し、マスターは軽く頷くと名古屋で『台湾ラーメン』で有名な味仙にも劣らない味と速さ、そして山盛りの青菜炒めがテーブルに届いた。
「あなた達警察は公務員で国民に尽くすのが仕事ではありませんか。確かに、起きた事件を捜査を駆使し解決するのも大切ですが、事件を起こらないように防ぐことが、もっと重要な使命ではないでしょうか」
青菜炒めを掻っ込む大神を見ながら、飲み干したグラスにビールを注いだ。
「それだけ言って、もし事件に関係なかったら覚悟しとけよ」
回りくどく一般論を言い放つ朝比奈への怒りのせいか、青菜炒めの美味しさなのか箸が進んだ。
「捜査1課の離島と呼ばれている大神班。どうせまともな事件をさせてもらえないんだろ」
大神の食いっぷりに朝比奈のお腹が鳴った。
「ほっといてくれ、俺達の班が忙しくないということは、それだけ街が平和だということなんだよ」
その様子に、大神は箸で青菜炒めを摘んで、匂いが伝わる程の朝比奈顔の近くへ運び、慌てて口へと押し込んだ。
「物は言いようだな。夜のカフェバーで、何処の誰かも分からない人間が死んでるんだぞ。それも、俺が司法解剖・・・・・いや、胃の内容物だけでも確認した方が良いと助言しなければ、病死による突然死で処理してただろうからな」
朝比奈はプィと横を向いた。
「分かったよ。出来る範囲で調べてみるよ」
観念して朝比奈の依頼を本気で受ける覚悟をした。
「世の中、決して無駄なことはない。無駄だと決め付けることが、そもそも無駄であるって・・・・・確か、偉い人が誰かが言ってたぞ」
右手の人差し指を立てて言った。
「その偉い人っていうのは誰なんだ」
そういいながらも、どこかで聞いたフレーズだと頭を捻った。
「うーん、今度会う時までに調べておくよ」
烏龍茶の入ったグラスを手に取り顔をそらした。
「本当にいつもいい加減なんだからな。だけど、冗談抜きで暇ではないんだから、空いている時間に調べることになるので、時間が掛かることは覚悟してくれよ」
「えっ、この前会った時は3人揃っていたし、そんなに忙しい感じはしなかったけど、もしかして何か難しい案件じゃないだろうな」
大神がそんなことを言うなんて今まではないこと、朝比奈の頭には違和感が湧いてきた。
「まだマスコミには公表されていないから、ここだけの話にしておいてくれよ。実は、先週港区で指定暴力団による麻薬の取引があることを、県警の捜査2課の潜入捜査員が突き止め、取引現場を抑えることには成功したんだが、その時に残念なことに銃撃戦になってしまい、応援で呼ばれていた所轄の警察官が発砲の際に拳銃が暴発して、両手に大きな損傷を負ってしまったんだ」
朝比奈に近づいて周りの人間には聞こえないように小声で話した。
「それはちょっと・・・・・・」
朝比奈は自分のグラスを飲み干すと、大神のグラスとビール、そして伝票を持って奥にある個室へと場所を変えた。
「こんな部屋があったんだ」
初めて連れて来られた部屋に驚いていた。
「そんなことはどうでもいいよ。それで話の続きなんだが、応援に呼ばれた所轄の警察官って言ったけど、刑事ではなく警察官だってことだな」
席を進めて目の前のテーブルにグラスとビールを置いた。
「ああっ、警察官になって5年目のまぁ中堅の警察官だから、一年に最低一度は拳銃の試射が義務付けられているが、拳銃に対しても不慣れではなかったと考えられるな」
「ということは、警察官だから使用した拳銃はS&W社製の5連発リボルバーで、フィンガースパー付きのクリップやランヤードリンクなど、日本警察仕様に独自改修された『М360SAKURA』なんだな」
射撃の構えをしてみせた。
「おい、随分詳しいな。その通り、その警察官が使用していたのは昨年購入されたばかりのものだった為に、極秘に調査することになったんだ」
朝比奈の言葉に驚きながらも話を続けた。
「またいつものようにマスコミに事実を公表しないで、秘密裏に捜査して事件そのものを隠蔽するつもりなんだな」
警察組織の隠蔽気質に呆れていた。
「これは市民に不安を与えない為の仕方ない処置だと思う。市民を守る警察官の拳銃が暴発したなんて発表したら大変なことになるだろう」
その言葉は大神の本心とは思えなかった。
「公表しないことを、また警察は市民のせいにするんだ。警察のいつもの事勿れ主義にも呆れるよ。国会議員じゃ無いんだから、悪いことは悪い、間違いは間違いと、はっきり発言できる警察の中でも偉い立場の人間に早くなってくれよな。その為に、微力ながら協力しているんだから」
大神の気持ちは分かっていても言わずにはいられなかった。
「お前の場合は、協力ではなく迷惑だ。このままでは、そんな立場は夢のまた夢。お前と付き合っている限り、一生実現できないと思うよ」
気持ちは嬉しいが、現実は足を引っ張って迷惑を掛けている状態であった。
「それは失礼いたしました。以後気を付けさせていただきますが、今回は協力させていただきたいと思います。ではまず、そのリボルバー式拳銃サクラなんだが、昨年納入された物ということは、殆んど新品だってことだよな。昔に採用されたナンブの整備不良での事件なら有り得なくもないが、そんな新品が暴発するものなのか」
朝比奈は頭を傾げた。
「先ず初めに、ナンブは今はどこの警察署でも使われちゃいない。展示室には飾られているかもしれないが、殆んど廃棄処分になっているはずだ」
「ナンブの後に使用された、同じ新中央工業社製のリボルバー式のニューナンブも、今は使用されていないのか」
朝比奈は残念そうに答えた。
「ニューナンブМ60は生産は1990年に終了したが、今でも多くの警察署で運用されているよ。ただ、今回暴発事件を起こしたのは、М360SAKURAだった」
「納入されたばかりの拳銃の暴発事件か・・・・・・ちょっとその前に、1つ聞いておきたいんだけれど、先程話してくれたように警察官は定期的に実射訓練をするんだよな。その時の銃は、個人に配布された物を使用するのか、それとも実射訓練みたいな室に元々配置された銃のどちらで実射訓練を行っているんだ」
ドラマで見たことのあるシーンを思い出して尋ねた。
「全国の県警本部までは把握していないけど、愛知県警では配布された拳銃と同じ物、警察官は殆んどサクラを使用して射撃訓練をしているはずだ」
「ということは、暴発したのは初めて使用された可能性が高い訳だ」
「ああっ、実際にその銃は配布されたばかりで、S&W社のリボルバー式のサクラだったとのことだ」
「どうせ、納品した何千丁の中にたまたま入り込んだ、発砲時の衝撃に耐えられなかった欠陥品だった何てことで結論を出させるだろうな」
「そうならないように俺たちが捜査することになったんだ。愛知県警の中、いや、俺のところに案件が来たってことは、ひょっとするとお前の親父さんが裏で糸を引いているかもしれないぞ」
何か企んでいそうな風貌の威厳に満ちた、朝比奈の父親の顔が頭に浮かんでいた。
「まさか、地方の事件まで関わる程暇じゃないよ。そう、俺の依頼は暇は時にちょっとだけ調べておいてくれよな。俺、休憩時間終わるから、後はごゆっくり」
「ちょっと待てよ。今度も色々首を突っ込んでくるけど、どうして一円もならないことにそんなに一生懸命になれるんだ」
立ち上がった朝比奈に真面目な表情で尋ねた。
「それは『情けは人の為ならず』って言葉があるだろ。勿論、意味は知っているだろ」
今一度座り込んで尋ね返した。
「ああっ、日本人のほぼ半数が情けを掛けることは、その人を甘やかすことになり敢えて情けは掛けずにおくものだと勘違いしているが、本当の意味は人に情けを掛けることは、巡り巡って自分に帰ってくるので、人には情けを掛けることが大切だと説いた言葉だよな」
どうだとばかりに胸を張った。
「まぁ、そこまでは東大を出ていらっしゃるエリートさんには当たり前のこと。この言葉は、旧5千円札の肖像となった新渡戸稲造が残した言葉の一部で、正式には『施せし、情けは人の為ならず、おのが心の慰めと知れ。我人に掛けし恵は忘れても、人の恩をば忘れるな』なんだ。つまり、他人の為ではなく全ては自分の心を満足させる為なんだよ」
そう言い放つと、朝比奈は立ち上がり伝票だけを持って部屋を出て行き、大神はその背中に『本当に唯我独尊、いつも勝手な奴だな』と小さく言葉を投げ掛けた後、朝比奈が口にした北川の勤め先である『ニューランドリー』という言葉が頭に残った。
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