12 / 13
十一章
しおりを挟む
翌朝、東名医科大学の個室で、ゆっくりと目を開いた月見里恵子は、隣でじっと見詰めていた朝比奈の顔を見ると、天国ってこんな感じなんだと思わず微笑んだ。そして、お姉ちゃんと唱え瞼を閉じるとなぜだか両目から泪が零れた。
「恵子さん、無事で本当によかったです。しかし、見掛けによらず大胆なことをしますね」
朝比奈は恵子の左手を握り優しく話し掛けた。
「えっ、どうして・・・・・・」
恵子には今の状況が理解できなかった。
「恵子さんが使用したのは『アクロニン』と言う毒物で、かつては豚や鶏の屠殺などで使われていたものだそうです。神経毒で、神経の信号伝達を阻害して昏睡状態になり、神経や筋肉の麻痺を引き起こし、呼吸困難や心不全、痙攣などをもたらします。ただ、テレビドラマでよく出てくる青酸化合物のように急性ではないので、解毒剤を投与すれば助かる可能性は高いのです」
左の顳かみを叩きながら答えた。
「朝比奈さん得意のうんちくですね。でも、殺人を犯してしまったし、私生きていても仕方がないです」
1つ溜息を吐いた。
「うんちくだけではありませんよ。資格オタクと呼ばれ、救急救命士の資格も持っていましてしっかり処置も行い、また解毒剤の投与が早くできましたから、白井良二の命も救うことができました」
握る右手に力を入れた。
「あんな男の命、どうして救ったりしたのですか」
目を閉じ、朝比奈を避け横を向いた。
「人の命を奪うことは決して許されないのです。例え、それがどんなに酷いことをしてきた人間だとしても。それに一番なのは、そんなクズのような人間の命を奪ったとしても、恵子さんは殺人犯となってしまうのです。そんな馬鹿げたことは許せない、許さない」
その力強い言葉に恵子が振り返った。
「朝比奈さんがそう言っても、あいつは何の罪にも問われないんです。現に、警察からも釈放されたんじゃないですか」
朝比奈を睨み付けた。
「警察が裁けないなら自分で・・・・・・そうですよね。今までのことを考えれば、そう思っても仕方ないかな。それでも、なんとかしてくれると思って、僕に頼ってくれたのですよね」
「あっ、いえ、朝比奈さんは誤解をされています」
「誤解?」
「依頼をしたのは妹の恵子で、私ではありません」
「ああ、そちらでしたか。頼ってくれたのが間違いだったのかと思っちゃいました。あなたが恵子さんだということは薄々感じていました。これでも、山咲夏海の烈々なファンですからね」
左の顳かみを叩いた。
「そうでしたか、山咲夏海の付き人として働いていたこともあったけど、この2年間誰にも気づかれなかったのに、朝比奈さんの目は誤魔化せなかった。と言うことは私が白井良二を殺そうとした理由もご存知なのですね」
嬉しそうに笑った。
「恵子さんが山咲夏海に成り代わっては復讐したんですよね。あなたとお姉さんの関係を考えれば、そう思う気持ちは分からなくもないですが、敢えてあなたが白井良二を殺害して楽にする必要はなかった。罪と罰、犯した罪に対しては、それそれ相当の罰を受けなければなりません。彼のしたことは許されるものではない、もっともっと苦しんでもらいましょう。それも、あなたの手は汚さずにね。それに、復讐する人間は1人だけではないはずですよ」
「えっ、どういうことですか」
何の事を言っているのか戸惑っていた。
「あなた達の家族を苦しめた人物が他にも居るということです」
「朝比奈さんは、何をどこまでご存知なのでしょう」
「勿論、全てではありません。証拠もありませんので、僕の勝手な推理だけなんですが、恵子さんが協力してくれればなんとか解決できると思うのですがね」
「私ができることしたらなんでもします。朝比奈さんがいなければ私はここには居ませんから」
「それは助かります。協力に当たって、一連の事件について説明しなければいけませんね。事の発端は、15年前のお父さんが経営していた月見里フーズの倒産により、ご両親が自殺されたことから始まったのです」
「警察からは練炭による一酸化炭素中毒で、事件性は無く自殺に間違いはないと言われました」
当時の情景を思い出していた。
「僕も、従業員の皆の為、関連業者に迷惑を掛けない為の、生命保険金を目的にした自殺だったと思います。しかし、自殺の原因となった会社の倒産に関しては、調べた限りお父さんには全く責任はなかった。関連会社だった白井グループの計画倒産のあおりを受けて連鎖倒産したんだ」
「えっ、まさかそんなこと・・・・・」
動揺して言葉が続かなかった。
「15年も前のことで、それを証明する資料も既に処分され、既に時効にもなっていますので、その責任を問うこともできませんが、まず間違いないと思います」
「じゃあ、父と母はその白井グループの社長に騙されて自殺したんですか」
感情が溢れ出し悔し涙が両目から流れ落ちた。
「当時白井グループを経営していた社長は既に亡くなり、その跡を継いだ息子の白井健吾が新しく帝王グループを立ち上げて大成功させたんです」
「・・・・・・・」
「そして、その傘下である『オメガシールド』が恵子さんのお姉さんを偽のスキャンダルで陥れ、それでもめげずに立ち直ろうとすると息子を使って襲わせ、最後には死を選ばざるを得なかった」
「朝比奈さんの言われるように、姉はスキャンダルの批判に耐え頑張ろうとしていました。でも、白井良二に襲われたことは余程ショックだったのでしょう。私が部屋に戻ると、遺書を残し『アクロニン』を飲んで亡くなっていました」
机に倒れ込むようにして動かなくなっている姉の姿が蘇った。
「お姉さんのご遺体はどうされましたか」
「昔、父の会社と取引があった『三島フーズ』を覚えていて、その会社の冷凍庫を借りて保管してあります。初めは警察に知らせようと思いましたが、遺書もあり事件性はなかったものですから、遺書にあった『オメガシールド』のことや白井良二について自分の手で調べてみようと成り済ましたのです」
「結構無茶なことを考えましたね」
恵子の大胆さに感心していた。
「なかなか手掛かりも掴めず、このまま続けても自分の力では無理だと感じましたが、やめる勇気もなくて・・・・・・」
悔しそうな表情で語った。
「しかし、運命のいたずらなのか、あなたは何十万分の一の確率の裁判員に選ばれ、その裁判の被告人がお姉さんを襲った白井良二でその被害者があなたの母方の叔父である石川由幸だったんですからね」
朝比奈は顔を左右に振りながら、運命とは本当に恐ろしいものだと感じていた。
「私も本当に驚きました。2人の命を奪った白井をせめて傷害致死でも罰したかったのに、正当防衛で無罪にされそうでどうしても納得ができないと憤っている時に、朝比奈さんが現れて・・・・・・」
「白井良二が犯人ではないと言い出した。もう、びっくりですよね」
「びっくりと言うよりは、恨みました。その責任を取ってもらおうと朝比奈さんに近づいたのです」
「まぁ、その理由はどうあれ、素敵な時間を与えていただいたことには感謝しています。なんとか、叔父さんを殺害した犯人も分かりましたから」
「えっ、誰だったのですか、私の知っている人なんですか」
「ええ、弁護士の吉田鋼鉄です」
「弁護士が犯人だったのですか。それで・・・・」
起き上がろうとする恵子を朝比奈が制した。
「落ち着いてください。既に逮捕して、今頃は優秀な大神刑事が取り調べをしているところです。ちょっと心配ですが、自白させると思います」
「あの裁判の弁護士が殺人犯だったなんて」
もう一度ゆっくりと天井を見た。
「その吉田弁護士の父親と帝王グループの総帥白井健吾の父親は親友だったようで、15年前の白井グループの計画倒産にも加担していた可能性が高く、実際に彼が検察を退職して弁護士事務所を設立する時にも、多額の資金を提供しているようです」
「叔父だけでなく、両親も間接的に殺されたということなんですね」
「そのこともきっちりと調べてくれると思います」
いつもと違い力強く答えた。
「やっぱり朝比奈さんはすごいですね。私は2年も懸けて何も見つけ出せなかったのに、たった数日でここまで調べ上げてしまうなんて、本当に有り難うございました」
「えっ、仇討ちは、まだまだこれからですよ」
大袈裟に驚いてみせた。
「仇討ちですか」
「まぁ、吉田弁護士と白井良二の方は大神が何とかしてくれると思うので、そんな悪代官や出来の悪い息子ではなく、金の亡者となったバカ殿を退治しなければなりませんからね」
「悪代官にバカ殿、そして仇討ちなんてまるで時代劇みたいですね」
「残念ながら水戸黄門の印籠は持ち合わせていませんが、叔父さんがそれくらい有効なデータを残してくれました」
「えっ、叔父がですか」
「そうなんです。実は、叔父さんはミシュランガイドブックの覆面調査員、いわゆるマスクドアセッサーをしていらして、色々なホテルや飲食店を調査して格付けする責任者だったようなのです」
「あの三ツ星とか五ツ星とかを審査する人だったのですか」
「そのデータを持っていた叔父さんが帝王グループには不都合だった為、悪代官の吉田弁護士に殺害されてしまったと僕は考えています」
「でも、そのデータを奪う為に叔父が殺害されたのなら、データも奪われているんじゃないですか」
「バカ殿もそう思って、今は安心しているでしょうね。さあ、出陣しましょうか」
「えっ」
言葉の意味が理解できなかった。
「先生の許可はもらっていますよ」
「でも、私はあんな服しかないですよ」
ハンガーに掛けられた派手なドレスを指差した。
「あっ、それは大丈夫です。今朝、ヨネクロでセーターとスカートは買ってきました。センスとかは自信がありませんので、その点は我慢してください」
大きな紙袋を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
流石に戸惑っていた。
「廊下で待っていますね」
そう言って出口へ向かい、恵子が呆然と後ろ姿を見送ったその時、愛知県警の取調室には、白いカッターシャツにグレーのズボン姿の吉田鋼鉄がふてぶてしい表情でパイプイスに腰を降ろしていた。暫くして、扉が開き大神がゆっくりと近づいて机を前にして座った。
「おや、取調官が代わるのですか、今度は物分りのいい人なんでしょうね。私ね、被疑者ということで取り調べを受けているんですが、何もやっていないんですよ、無実なんですから一刻も早く返してくださいよ。弁護士を犯人扱いして、ただで済むと思っているんですかね」
大神が席に着くと吉田の方から声を掛けた。
「そうですね、本当に無実であれば今すぐ釈放しますよ。でもね、残念ですが返す訳にはいきません。なぜならあなたは罪を犯しているからです」
大神は顔を左右に振った。
「何を馬鹿なこと、一体何の証拠があるんだ。あるなら今すぐ出してみろ」
大きな声で怒鳴るように言った。
「まあまあ、そんな大きな声を出すと疲れるばかりですよ。これからたっぷり付き合ってもらいますから」
ゆっくりとした口調で言い返した。
「だから証拠を出せと言っているんだ」
今度は少し落ち着いて答えた。
「まぁ、昔に戻っていただき、そう15年前のこともお聞きしたいのですが、それはあなたの言う通り証拠もありませんので後のお楽しみとしまして、先ずは今回の事件から取り掛かりましょうか。先日、あなたが担当された事件の被害者、石川由幸さんとは事件の時が初めてではなく、以前からも付き合いがあったのではないですか」
正面から吉田の顔を睨み付けた。
「い、いいえ、被告人が顧問弁護士先の帝王グループの社長さんの息子さんでしたので、弁護をお受けしたのです」
目を外らしながら答えた。
「それはおかしいですね。亡くなった石川さんの携帯を調べたところ、あなたの携帯からの着信が何度もあるんですよ。弁護士さんが嘘をついていけませんね」
嬉しそうに少し顔を傾けた。
「あっ、会ったことは無いと言いたかっただけだ」
苦しい言い訳を放った。
「まぁ、良いでしょう。それでは、まず石川さんが殺害された時刻、あなたはどこで何をされていたのでしょう。これについては、すぐに追求されますので、嘘や誤魔化しはされない方が賢明だと思います」
右の人差し指を突き立てて牽制した。
「・・・・・・」
まさか自分が疑われるとは微塵も思っていなくて、アリバイ工作は不十分だった。
「残念ながらアリバイは用意されていなかった。石川さんを殺害した動機はなんですか」
いきなりストレートに投げ込んだ。
「わっ、私は弁護士なんだ、彼を殺す訳がないだろう」
動揺し顔も赤みが帯びてきた。
「弁護士も人間です。それに、二流のサスペンスドラマでもよく弁護士が犯人ってこともありますよ。今回の事件は白井良二が犯行を認めた為に本格的な捜査はされませんでしたが、判決は無罪になり振り出しに戻ったことで、今度はあなたが疑われることになりました。しっかりと事務所や自宅を捜査させていただいた結果、色々なものが出てきました。残念ながら決定的証拠となるデータが保管されているあなたのパソコンは、12桁のパスワードが設定されていましたので、データを取り出すことができませんでした。できれば、教えていただければ助かるのですが、ご協力していただけないでしょうか」
真面目な表情で頭を下げた。
「そう言われましても、各企業の個人情報もありますので非常に不本意ではありますが、お教えすることはできませんね」
決め手を掴んではいないと感じ少し余裕が出てきた。
「流石抜かりがない、敏腕のヤメ検弁護士ですね。でもね、自宅のあなたの部屋の奥に謎のパソコンが隠されていたのですよ。確認したところ、石川さんが普段使用されていたパソコンと一緒らしいんですよ」
川瀬刑事がそのパソコンを机の上に置いた。
「特殊なパソコンじゃないし、そんなのどこにでもあるだろう」
パソコンを見ながら答えた。
「まぁ、さう言われると思いました。それにしっかりと処理されていまして、指紋もDNAも検出されず、石川さんのものだと断定することは出来ませんでした。でも、問題は中身なんですよ」
パソコンを開き電源を入れ、パスワードの入力画面になると大神は12桁の文字を素早く打ち込み、リストをピックアップして吉田弁護士に見せた。
「まっ、まさか、そんな・・・・・」
赤い顔が今度は青ざめた。
「あなたとの会話の録音記録もしっかり残されていました。弁護士のあなたなら良くご存知だとは思いますが、単独による殺人よりは命令による殺人教唆の方が罪は軽くなると思います」
その言葉に吉田は観念したように肩を落とした。
「恵子さん、無事で本当によかったです。しかし、見掛けによらず大胆なことをしますね」
朝比奈は恵子の左手を握り優しく話し掛けた。
「えっ、どうして・・・・・・」
恵子には今の状況が理解できなかった。
「恵子さんが使用したのは『アクロニン』と言う毒物で、かつては豚や鶏の屠殺などで使われていたものだそうです。神経毒で、神経の信号伝達を阻害して昏睡状態になり、神経や筋肉の麻痺を引き起こし、呼吸困難や心不全、痙攣などをもたらします。ただ、テレビドラマでよく出てくる青酸化合物のように急性ではないので、解毒剤を投与すれば助かる可能性は高いのです」
左の顳かみを叩きながら答えた。
「朝比奈さん得意のうんちくですね。でも、殺人を犯してしまったし、私生きていても仕方がないです」
1つ溜息を吐いた。
「うんちくだけではありませんよ。資格オタクと呼ばれ、救急救命士の資格も持っていましてしっかり処置も行い、また解毒剤の投与が早くできましたから、白井良二の命も救うことができました」
握る右手に力を入れた。
「あんな男の命、どうして救ったりしたのですか」
目を閉じ、朝比奈を避け横を向いた。
「人の命を奪うことは決して許されないのです。例え、それがどんなに酷いことをしてきた人間だとしても。それに一番なのは、そんなクズのような人間の命を奪ったとしても、恵子さんは殺人犯となってしまうのです。そんな馬鹿げたことは許せない、許さない」
その力強い言葉に恵子が振り返った。
「朝比奈さんがそう言っても、あいつは何の罪にも問われないんです。現に、警察からも釈放されたんじゃないですか」
朝比奈を睨み付けた。
「警察が裁けないなら自分で・・・・・・そうですよね。今までのことを考えれば、そう思っても仕方ないかな。それでも、なんとかしてくれると思って、僕に頼ってくれたのですよね」
「あっ、いえ、朝比奈さんは誤解をされています」
「誤解?」
「依頼をしたのは妹の恵子で、私ではありません」
「ああ、そちらでしたか。頼ってくれたのが間違いだったのかと思っちゃいました。あなたが恵子さんだということは薄々感じていました。これでも、山咲夏海の烈々なファンですからね」
左の顳かみを叩いた。
「そうでしたか、山咲夏海の付き人として働いていたこともあったけど、この2年間誰にも気づかれなかったのに、朝比奈さんの目は誤魔化せなかった。と言うことは私が白井良二を殺そうとした理由もご存知なのですね」
嬉しそうに笑った。
「恵子さんが山咲夏海に成り代わっては復讐したんですよね。あなたとお姉さんの関係を考えれば、そう思う気持ちは分からなくもないですが、敢えてあなたが白井良二を殺害して楽にする必要はなかった。罪と罰、犯した罪に対しては、それそれ相当の罰を受けなければなりません。彼のしたことは許されるものではない、もっともっと苦しんでもらいましょう。それも、あなたの手は汚さずにね。それに、復讐する人間は1人だけではないはずですよ」
「えっ、どういうことですか」
何の事を言っているのか戸惑っていた。
「あなた達の家族を苦しめた人物が他にも居るということです」
「朝比奈さんは、何をどこまでご存知なのでしょう」
「勿論、全てではありません。証拠もありませんので、僕の勝手な推理だけなんですが、恵子さんが協力してくれればなんとか解決できると思うのですがね」
「私ができることしたらなんでもします。朝比奈さんがいなければ私はここには居ませんから」
「それは助かります。協力に当たって、一連の事件について説明しなければいけませんね。事の発端は、15年前のお父さんが経営していた月見里フーズの倒産により、ご両親が自殺されたことから始まったのです」
「警察からは練炭による一酸化炭素中毒で、事件性は無く自殺に間違いはないと言われました」
当時の情景を思い出していた。
「僕も、従業員の皆の為、関連業者に迷惑を掛けない為の、生命保険金を目的にした自殺だったと思います。しかし、自殺の原因となった会社の倒産に関しては、調べた限りお父さんには全く責任はなかった。関連会社だった白井グループの計画倒産のあおりを受けて連鎖倒産したんだ」
「えっ、まさかそんなこと・・・・・」
動揺して言葉が続かなかった。
「15年も前のことで、それを証明する資料も既に処分され、既に時効にもなっていますので、その責任を問うこともできませんが、まず間違いないと思います」
「じゃあ、父と母はその白井グループの社長に騙されて自殺したんですか」
感情が溢れ出し悔し涙が両目から流れ落ちた。
「当時白井グループを経営していた社長は既に亡くなり、その跡を継いだ息子の白井健吾が新しく帝王グループを立ち上げて大成功させたんです」
「・・・・・・・」
「そして、その傘下である『オメガシールド』が恵子さんのお姉さんを偽のスキャンダルで陥れ、それでもめげずに立ち直ろうとすると息子を使って襲わせ、最後には死を選ばざるを得なかった」
「朝比奈さんの言われるように、姉はスキャンダルの批判に耐え頑張ろうとしていました。でも、白井良二に襲われたことは余程ショックだったのでしょう。私が部屋に戻ると、遺書を残し『アクロニン』を飲んで亡くなっていました」
机に倒れ込むようにして動かなくなっている姉の姿が蘇った。
「お姉さんのご遺体はどうされましたか」
「昔、父の会社と取引があった『三島フーズ』を覚えていて、その会社の冷凍庫を借りて保管してあります。初めは警察に知らせようと思いましたが、遺書もあり事件性はなかったものですから、遺書にあった『オメガシールド』のことや白井良二について自分の手で調べてみようと成り済ましたのです」
「結構無茶なことを考えましたね」
恵子の大胆さに感心していた。
「なかなか手掛かりも掴めず、このまま続けても自分の力では無理だと感じましたが、やめる勇気もなくて・・・・・・」
悔しそうな表情で語った。
「しかし、運命のいたずらなのか、あなたは何十万分の一の確率の裁判員に選ばれ、その裁判の被告人がお姉さんを襲った白井良二でその被害者があなたの母方の叔父である石川由幸だったんですからね」
朝比奈は顔を左右に振りながら、運命とは本当に恐ろしいものだと感じていた。
「私も本当に驚きました。2人の命を奪った白井をせめて傷害致死でも罰したかったのに、正当防衛で無罪にされそうでどうしても納得ができないと憤っている時に、朝比奈さんが現れて・・・・・・」
「白井良二が犯人ではないと言い出した。もう、びっくりですよね」
「びっくりと言うよりは、恨みました。その責任を取ってもらおうと朝比奈さんに近づいたのです」
「まぁ、その理由はどうあれ、素敵な時間を与えていただいたことには感謝しています。なんとか、叔父さんを殺害した犯人も分かりましたから」
「えっ、誰だったのですか、私の知っている人なんですか」
「ええ、弁護士の吉田鋼鉄です」
「弁護士が犯人だったのですか。それで・・・・」
起き上がろうとする恵子を朝比奈が制した。
「落ち着いてください。既に逮捕して、今頃は優秀な大神刑事が取り調べをしているところです。ちょっと心配ですが、自白させると思います」
「あの裁判の弁護士が殺人犯だったなんて」
もう一度ゆっくりと天井を見た。
「その吉田弁護士の父親と帝王グループの総帥白井健吾の父親は親友だったようで、15年前の白井グループの計画倒産にも加担していた可能性が高く、実際に彼が検察を退職して弁護士事務所を設立する時にも、多額の資金を提供しているようです」
「叔父だけでなく、両親も間接的に殺されたということなんですね」
「そのこともきっちりと調べてくれると思います」
いつもと違い力強く答えた。
「やっぱり朝比奈さんはすごいですね。私は2年も懸けて何も見つけ出せなかったのに、たった数日でここまで調べ上げてしまうなんて、本当に有り難うございました」
「えっ、仇討ちは、まだまだこれからですよ」
大袈裟に驚いてみせた。
「仇討ちですか」
「まぁ、吉田弁護士と白井良二の方は大神が何とかしてくれると思うので、そんな悪代官や出来の悪い息子ではなく、金の亡者となったバカ殿を退治しなければなりませんからね」
「悪代官にバカ殿、そして仇討ちなんてまるで時代劇みたいですね」
「残念ながら水戸黄門の印籠は持ち合わせていませんが、叔父さんがそれくらい有効なデータを残してくれました」
「えっ、叔父がですか」
「そうなんです。実は、叔父さんはミシュランガイドブックの覆面調査員、いわゆるマスクドアセッサーをしていらして、色々なホテルや飲食店を調査して格付けする責任者だったようなのです」
「あの三ツ星とか五ツ星とかを審査する人だったのですか」
「そのデータを持っていた叔父さんが帝王グループには不都合だった為、悪代官の吉田弁護士に殺害されてしまったと僕は考えています」
「でも、そのデータを奪う為に叔父が殺害されたのなら、データも奪われているんじゃないですか」
「バカ殿もそう思って、今は安心しているでしょうね。さあ、出陣しましょうか」
「えっ」
言葉の意味が理解できなかった。
「先生の許可はもらっていますよ」
「でも、私はあんな服しかないですよ」
ハンガーに掛けられた派手なドレスを指差した。
「あっ、それは大丈夫です。今朝、ヨネクロでセーターとスカートは買ってきました。センスとかは自信がありませんので、その点は我慢してください」
大きな紙袋を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
流石に戸惑っていた。
「廊下で待っていますね」
そう言って出口へ向かい、恵子が呆然と後ろ姿を見送ったその時、愛知県警の取調室には、白いカッターシャツにグレーのズボン姿の吉田鋼鉄がふてぶてしい表情でパイプイスに腰を降ろしていた。暫くして、扉が開き大神がゆっくりと近づいて机を前にして座った。
「おや、取調官が代わるのですか、今度は物分りのいい人なんでしょうね。私ね、被疑者ということで取り調べを受けているんですが、何もやっていないんですよ、無実なんですから一刻も早く返してくださいよ。弁護士を犯人扱いして、ただで済むと思っているんですかね」
大神が席に着くと吉田の方から声を掛けた。
「そうですね、本当に無実であれば今すぐ釈放しますよ。でもね、残念ですが返す訳にはいきません。なぜならあなたは罪を犯しているからです」
大神は顔を左右に振った。
「何を馬鹿なこと、一体何の証拠があるんだ。あるなら今すぐ出してみろ」
大きな声で怒鳴るように言った。
「まあまあ、そんな大きな声を出すと疲れるばかりですよ。これからたっぷり付き合ってもらいますから」
ゆっくりとした口調で言い返した。
「だから証拠を出せと言っているんだ」
今度は少し落ち着いて答えた。
「まぁ、昔に戻っていただき、そう15年前のこともお聞きしたいのですが、それはあなたの言う通り証拠もありませんので後のお楽しみとしまして、先ずは今回の事件から取り掛かりましょうか。先日、あなたが担当された事件の被害者、石川由幸さんとは事件の時が初めてではなく、以前からも付き合いがあったのではないですか」
正面から吉田の顔を睨み付けた。
「い、いいえ、被告人が顧問弁護士先の帝王グループの社長さんの息子さんでしたので、弁護をお受けしたのです」
目を外らしながら答えた。
「それはおかしいですね。亡くなった石川さんの携帯を調べたところ、あなたの携帯からの着信が何度もあるんですよ。弁護士さんが嘘をついていけませんね」
嬉しそうに少し顔を傾けた。
「あっ、会ったことは無いと言いたかっただけだ」
苦しい言い訳を放った。
「まぁ、良いでしょう。それでは、まず石川さんが殺害された時刻、あなたはどこで何をされていたのでしょう。これについては、すぐに追求されますので、嘘や誤魔化しはされない方が賢明だと思います」
右の人差し指を突き立てて牽制した。
「・・・・・・」
まさか自分が疑われるとは微塵も思っていなくて、アリバイ工作は不十分だった。
「残念ながらアリバイは用意されていなかった。石川さんを殺害した動機はなんですか」
いきなりストレートに投げ込んだ。
「わっ、私は弁護士なんだ、彼を殺す訳がないだろう」
動揺し顔も赤みが帯びてきた。
「弁護士も人間です。それに、二流のサスペンスドラマでもよく弁護士が犯人ってこともありますよ。今回の事件は白井良二が犯行を認めた為に本格的な捜査はされませんでしたが、判決は無罪になり振り出しに戻ったことで、今度はあなたが疑われることになりました。しっかりと事務所や自宅を捜査させていただいた結果、色々なものが出てきました。残念ながら決定的証拠となるデータが保管されているあなたのパソコンは、12桁のパスワードが設定されていましたので、データを取り出すことができませんでした。できれば、教えていただければ助かるのですが、ご協力していただけないでしょうか」
真面目な表情で頭を下げた。
「そう言われましても、各企業の個人情報もありますので非常に不本意ではありますが、お教えすることはできませんね」
決め手を掴んではいないと感じ少し余裕が出てきた。
「流石抜かりがない、敏腕のヤメ検弁護士ですね。でもね、自宅のあなたの部屋の奥に謎のパソコンが隠されていたのですよ。確認したところ、石川さんが普段使用されていたパソコンと一緒らしいんですよ」
川瀬刑事がそのパソコンを机の上に置いた。
「特殊なパソコンじゃないし、そんなのどこにでもあるだろう」
パソコンを見ながら答えた。
「まぁ、さう言われると思いました。それにしっかりと処理されていまして、指紋もDNAも検出されず、石川さんのものだと断定することは出来ませんでした。でも、問題は中身なんですよ」
パソコンを開き電源を入れ、パスワードの入力画面になると大神は12桁の文字を素早く打ち込み、リストをピックアップして吉田弁護士に見せた。
「まっ、まさか、そんな・・・・・」
赤い顔が今度は青ざめた。
「あなたとの会話の録音記録もしっかり残されていました。弁護士のあなたなら良くご存知だとは思いますが、単独による殺人よりは命令による殺人教唆の方が罪は軽くなると思います」
その言葉に吉田は観念したように肩を落とした。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
オーデパルファン
碧 春海
ミステリー
主人公朝比奈優作は、友人糸川美紀を連れ出して食事をしていると、挙動不審な人物を目にして後を追い、男性が女性をスタンガンで襲い暴行しようとするその時、追いついて彼女を助ける。その後、その事件の犯人として一人の大学生が自首し地検に送検されて来るが、臨時に採用された朝比奈が検察事務官として勤めていて、身代わりによる出頭だと気づき、担当する新垣検事に助言し不起訴処分となる。しかし、今度は不起訴処分となった大学生が自殺してしまう。死亡した大学生の大手電機メーカーに勤めていた父親も半年前に自己死を遂げていて、朝比奈はその父親の死も今回の事件に関係しているのではないかと調べ始めるめるが、それを疎ましく思った犯人により暴力団の組員を使って朝比奈を襲わせる。主人公の運命は・・・・・・
朝比奈優作シリーズ第4弾。
スコトーマ
碧 春海
ミステリー
主人公、朝比奈優作は色々なアルバイトを掛け持つフリーター。月刊誌の特集記事で『ワクチン』を扱うことになり、友人の紹介で専門家の杉下准教授に会うことになった。大学で准教授の講義を受けた後、二人で立ち寄った喫茶店で朝比奈の目の前で突然発作をおこし倒れてしまう。幸い、朝比奈の処置により命は取り留めるが、意識不明の重体になる。違和感を感じた朝比奈は、杉下准教授について調べ始めるが、五年前大勢の死傷者を出した交通事故に巻き込まれた妹を、杉下准教授がある大物議員のガン摘出手術に関わっていた為に、院長が緊急搬送を拒んだのが原因で死なせてしまったことを知り、外科医を辞めワクチンの研究者となっていたことを知る。
妹の意思を継いで、ワクチンの研究に、後の人生を捧げようと誓った杉下准教授は、政府の推し進めようとするワクチンの有効率の改ざんや不正の追求に、動き出そうとしていたことを感じ取った朝比奈は、杉下准教授は口封じを目的して殺害されようとしたと確信する。そこで、友人である大神刑事の力を借りて、その計画を企んだ人物を炙り出し、事件の真実を明らかにする。
うんちくを語る朝比奈と、彼女の美紀、そして友人の大神刑事との掛け合いを描きながら、難事件を解決してゆく『変人』探偵朝比奈の物語です。
朝比奈優作シリーズ第3弾。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
密室島の輪舞曲
葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。
洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。
特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発
斑鳩陽菜
ミステリー
K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。
遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。
そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。
遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。
臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。
リモート刑事 笹本翔
雨垂 一滴
ミステリー
『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる