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32 君が好きだよ
しおりを挟む(sideアギット)
結論……。
大家さん、めちゃめちゃいい人だった。
正直、大家さんとイヴリンに身体の関係があったことは凄く悔しいけど……俺だと、彼女にあの夜の痛みを思い出させてしまって駄目だっただろうから、考え方を変えれば、逆によかったのかもしれない。
大家さんは“いい男”の見本として、参考にさせてもらおう。少しヴィルさんに似ている感じもしたけど、なんというか、もっとこう高貴な人の余裕というかなんというかがある気がする……軽薄そうに見えて、ものすごく色々と考えてくれている感じもあるし。
でも、ああいう人って、心に大きな何かを抱えていて、わざと他者と深くかかわらないようにしているんじゃないかと思ってしまう。気さくなように見えて、自分の事には一切踏み込ませない感じだったもんな。
それはともかく……よし、俺もこれからは大家さんから教わった美筋肉トレーニングをしながら、ノワールの二次成長の被害から色々と護れるように、鍛錬しよう。
そして、これはチャンスだ。イヴリンとの関係を修復して、せめて近くにいさせてもらえるようにしよう。ヘキシルカノールの王太子やフリッツ・オークモスのように、いつでも会っておしゃべりしてもらえるような良好な関係を築けたらいい。
でも、それだけじゃ正直俺は我慢できない。
だから、気持ちはキチンと小出しにして伝えて行こうと思う。
大家さんからのアドバイスによれば、イヴリンは他人から無条件に注がれる好意や愛に免疫がないらしいから、一気に気持ちをぶつけてはドン引きされてしまうかもしれない。
それと同時にイヴリンは、人一倍誰かに愛されることに憧れがあって、愛に飢えてもいるだろう、とも言っていた。
俺でよければ、いつでも枯れることなく愛を注ぎ続けるのに……。
俺は今、オスマンサスの屋敷のデパンダンスで護衛として彼女の側にいた時と同じように、イヴリンと同じ家で生活することを許可されている。
寝室は一つしかないというので、今回もまた“妥協案”としてベッドの端と端で眠ることになった。
思い起こせば、デパンダンスでの生活では結局、母上の陰謀によりそれぞれのベッドが搬入されることはなく、半年間ずっと一緒のベッドで眠ったが、一切なにもなかった。もちろん俺が手を出さずにいたからではあるが。
そんなわけで、その実績からして、俺は彼女から結構信頼されているようなのだ。
「アギット様、ノワールの二次成長の兆しは、私が見てもわからないものなのですか?」
俺が森の家に滞在して三日が経ったある日、ノワールと俺とで畑を耕していた時、苗を運んでいたイヴリンが、尋ねてきた。
あの後、二人には具体的な危険については説明してあり、その時には、ドラゴンの二次成長の事やあの巨大な湖の出来た理由を初めて知った、と言って、ずいぶんと驚いていた。
「そうだな、見た目にわかる時にはもう始まって危険な状態だからな……。事前にと言うなら、じんわりと体温が高くなってくるらしいんだけど、ノワールの普段の体温なんてわからないからな……。」
「毎日朝と夜、検温してみましょうか。」
「……え?」
その場にいた俺とノワールは、言葉の意味がわからず、二人で首をかしげたが、理由はその夜、すぐにわかった。
「ノワール、小さくなってくれるかしら。」
『クルル?』
「……イヴリン、まさかその手に持っているのは……」
なんとイヴリンは、小さくなったノワールのケツの穴に体温計をさしたのだ。人間がドラゴンの体温を測るなんて、聞いた事がない。
本当に、イヴリンは奇想天外な事をする。
「36.5℃……人間と変わらないのね。」
「初めて知った……凄い発見だ。」
こうして、ノワールの毎日の体温測定が始まったのである。
イヴリンは、ノワールの体温を毎日二回計測し、記録した。
そして数日間の記録で、朝と夜では朝に体温が下がる事などがわかったりして、彼女もなんだかんだ楽しんでいるようだ。
そしてある日の夜。
「……アギット様、見て下さい。全体的にノワールの体温が上がって来ました。」
珍しく、ベッドに入った後の寝る前の時間に、イヴリンが話しかけてきたかと思えば、その声はなんだか不安げだ。
「……本当だ。」
イヴリンの作ったグラフをみると、確かに朝も夜も1℃ほど上昇している。
「そろそろか……。」
明日から、本格的に警戒した方が良さそうだな。
「……大丈夫でしょうか。」
「大丈夫だよ。イヴリン達を護るために俺がいるんだから。」
「私達は護って頂けるので不安はありませんが……アギット様は、その……大丈夫なのでしょうか? お怪我や命を落とすなんて事は……。」
ま、まさか、イヴリンが俺の心配をしてくれているのか?
これは、関係を一歩進めるチャンスか?
「……命なんて、イヴリンを護れるなら惜しくはないよ。」
「……私のために死なれたら、夢見が悪いですわ。」
ははは……そうだよね、恩着せがましいよな。
「……イヴリン、明日死ぬかもしれないから、伝えておくね。俺は君が好きだよ。」
「……っえ?!」
なんだ、その反応は。まさか、知らなかったわけはないよな? 確かに初めて口に出して伝えたかもしれないけど……嘘だろ?
「イヴリン、君の事が好きだ。自分で自分の気持ちに気付けなくて伝えるのが遅くなったけど、きっと仮面舞踏会の夜、バルコニーですれ違った時から、俺は君を好きになっていたんだ。」
「……。」
イヴリンは複雑そうな表情をしている。
「……イヴリン? ……せめて、何か言ってくれないと、死んでも死にきれないんだけど……」
なんてな。
「す、好き? ……私が、辺境伯様が選んだ結婚相手だから、ではなくてですか?」
「……仮面舞踏会では、君が結婚相手だなんて知らなかったよ。でも、あの時俺は思わず引き止めてしまうほどに、イヴリンの香りに惹かれたんだ。」
「……そういえば、そんな事をおっしゃってましたわね。てっきり、口説くための適当な常套句だと思っていましたわ。」
……やっぱり、そうだったか。本当にカッコ悪いな、俺って。
「本当は、あの夜も仮面なんて取っ払って、顔を見ながら君を抱きたかった。まぁ、それ以前に、もっと上手に抱いてあげたかったんだけどさ。」
「……。」
「イヴリン、好きだよ。……君がそんな顔をしてくれるなら、これから死ぬまで毎日、伝えようかな!」
イヴリンは俺が“好き”と言うたびに、耳や頬を赤くし、なんとも、困ったような表情をする。
それが凄く可愛い。
「っからかわないでくださいませ! もう寝ますわ! おやすみなさい!」
○○●●
(sideイヴリン)
翌日、アギット様と同じ時、私もノワールの異変にすぐに気付いた。
ノワールは家の側の林の切れ目辺りで羽を畳み、小さくうずくまっていた。
赤く綺麗だった目は黒く濁り、私にまで唸り声を上げている。
二次成長が始まってしまったのだ。
「アギット様っ! ノワールが!」
「ああ、どうやら、あの状況でも君の側にいたいみたいだ……君の気配が消えると、あの危険な状態で探しに飛んで行きかねないな……。すまないが、他の地を危険にさらすわけにはいかない。必ず俺が護るから、ここにいてほしい。」
「ええ、そのつもりですわ。見届けます。」
初めは私だけポータルでどこかに避難すればいい、とアギット様と話した事もあったが、私は精霊達と、このバルナバス様の家が心配だった。
アギット様も、ノワールが意識が混沌としてもなお、私の側にいようとする可能性を心配していたので、状況を見て、という事にしていたのだが……。
アギット様の心配が的中してしまったようだ。
ノワールの近くでは、ネーロ達がすでに結界のようなものを張っており、アギット様が言うには、ノワールの苦しみを軽減させているのだという。
『黒いドラゴン、痛い痛い!』
「……ええ、そうね、痛い痛いなの、可哀想よね……危ないかもしれないから、隠れていてね。」
その時だった。
ドゴンッ!
ネーロ達の結界の中のノワールが羽を広げ、暴れ出した。
木々をなぎ倒し、結界を破ろうとしている。
「イヴリン、俺は少し離れるけど、ここから動かないでね。」
「はい。」
アギット様はネーロ達の結界に加勢するように、重ねて結界を張ったようだ。
だが、きっと気休め程度なのだろう。ギルバート様には、防御結界は効かないと、話していたのを私は聞いた。
私は、アギット様とネーロ達が頑張る姿をただ見ているしかなかった。
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