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……どうしてアギット様を前にすると、あんなにも、怒りの感情を抑えられないのかしら。
アギット様が仮面舞踏会の夜のお相手だったのではないかと思い始めたのは、デビュタントの夜からだった。
アギット様の正装姿の背格好と立ち振る舞い、そしてほのかに香るオスマンサスの香りと、シャンデリアに輝くブルーの瞳に、妙に既視感を覚えたことがキッカケだった。
それ以降ずっと彼の言動を注視していたのだが、その後の彼との会話などからも含め、重ねてみれば見るほどに、同一人物としか思えずにいたのだが……。
やっぱり間違いではなかった。
あの夜の記憶は、私にとって複雑なものであった。もちろん、アギット様も同様のはずだったはず。
私の髪の色からして、アギット様があの夜の相手が私だったと、気付いていないとは考えにくいので、気を使って知らぬふりをしてくださっていたことは、むしろありがたかった。
とはいえ……。
私は当初から、彼の不自然な作った笑みが苦手だった。何か別の感情を腹に隠している貴族の顔。
夫人の侍女をしていた時、彼がお兄様方と接する様子を何度か目にしたが、その時のアギット様は、私の前で見せる姿とは全く違っていた。
末の弟として、みんなから可愛がられているせいか、表情も言葉遣いも行動も、とても子供っぽくて自然だった。
私には、そちらのアギット様の方が素敵に見えたのに……。
なぜ、私の前ではあのような紳士のフリをしているのだろうか。
なぜ、仮面舞踏会の夜のように、仮面をつけた時のアギット様と同じなのだろうか。
その時私は、口では妻だの結婚だのと言っておきながら、アギット様自身が、一番私を家族として受け入れていないような気がして仕方がなかった。
加えて、仮面舞踏会の夜にアギット様が話していた、“親の決めた結婚相手との初夜で、粗相の無いように”という言葉が頭に浮かび、自分の事だったのか、と気付く。
もちろん、初対面の女性の前で普段の姿をさらすことなど普通はしないと思うが、同じ屋敷で生活している以上、普段の姿を私が見ることだって容易に考えられるのに、彼は頑なに紳士のフリを続けていた。
だから、と彼のせいにするわけではないが、私だって彼に心を許すことなど到底難しかったのだ。
半年間、同じデパンダンスで生活していても、アギット様の紳士のフリは徹底的に続き、最後の最後まで、彼は私の前で自然な姿を見せることはなかったため、私は本当のアギット様を知らぬまま、予定通りオスマンサス辺境伯様の御屋敷を出た。
それなのに……。
二度と関わることなどないと思っていたのに、突然森に現れたアギット様は、平民となった私の前でも、やっぱり紳士のフリをしたまま。
あげく、平民の私に対してお世辞を口にしたり、“半年も一緒に過ごした仲”だとか、“私達の仲”だとか、彼の口からは一番出てくるはずのない、言われたくない言葉を何度も使うので、思わず感情的になってしまった。
彼が何をしたいのかわからない。親の決めた結婚相手を大切にしたいのなら、もう一度、辺境伯様から別の結婚相手を見繕ってもらえばいい。ただそれだけなのに、いつまで表面っ面だけの姿で私に構うのか。
もやもやとした感情のまま、アギット様をお屋敷まで送り届けた後、ログハウスに戻ると、明かりを消し忘れたことに気付く。
しかし、玄関を開け中に入ると、キッチンからいい香りがしていた。
……まさか精霊達が料理を?!
そう思い、キッチンに急ぐと、そこにはギルバート様があの失敗作を詰め込んだ鍋の前に立ち、何やら鍋の中身をかき混ぜていた。
なぜいるのだろう、という感情よりも、なぜか彼の顔をみてホッとする自分がいた。
いくら大家さんとはいえ、女性の家に勝手に入り、勝手にキッチンで調理をするなんて、精霊達の存在があるにしても普通ならば考えられないだろう。
しかし、ギルバート様の図々しく気さくで飾らない態度が、まるで昔、お母様に読んでもらった物語の中に出てくる、私の理想とする家族のように感じ、なぜだか不快な気持ちにはならなかった。
お風呂に浸かり、少し気持ちが落ち着いてくると、先ほどの自分のアギット様に対する態度が、あまりにも失礼過ぎたのではないかと、後悔してきた。
平民平民と自分で言っているわりに、貴族であるアギット様に、なんという言動をとってしまったのだろうか……しかし、反省しなければならないと思いつつも、このまま本当に関りを断つことが出来れば、今回のような行き場のない感情に振り回されることもなくなるだろうか。
優しい家族に囲まれ、愛情いっぱいに育ってきたであろうアギット様は、私には眩し過ぎる。
翌日、私はノワールに頼み、アギット様と会話ができるネーロに伝えてもらうことにした。
私の事をアギット様に報告しないで欲しい、アギット様をこの森に連れて来ないで欲しい、と。
ノワールと私は会話が成立しないので、ノワールが正確にネーロに伝えてくれたかはわからないが、今私に出来る最短の伝達手段はこれしかない。
こんな危険な森の中には、ドラゴンに乗ってくる以外、交通手段など無いのだから。
ところが数日後、ネーロが大きな袋の荷物を携えて現れたのである。
嫌な予感がしたが、ネーロが持って来ている事からして、送り主はやはりアギット様で間違いないだろう。
袋の中には、大量の御菓子が詰め込まれていたことから、精霊用の御菓子を送ってくれたのだろうが、こういうことは本当にやめて欲しい。
大体、ドラゴンを宅配便に使うなんて、一体何を考えているのだろうか。
しかしよく見ると、御菓子と一緒に手紙も添えられており、手紙の差出人は、辺境伯夫人の名前が書かれていたため、私は廃貴届が受理されたという知らせかと思い、すぐに手紙を開き、中を確認した。
「……え、どうして……。」
夫人からの手紙には、私の廃貴届を遅れながらも先日提出したところ、なぜか受理してもらえなかった。と書かれていた。
夫人は、窓口に問い合わせてくださったそうだが、“理由はお答えできません”、の一点張りだったようだ。
手紙には、夫人の考えも書かれており、もしかするとヘキシルカノールの王家から何らかの圧力がかかっている可能性があるとして、確認するので時間が欲しいと書かれていた。
「……どうして今更ヘキシルカノールが出てくるの……。」
廃貴届を含む貴族の届出は、国を問わず提出・受理が可能な統一様式の書類であることから、どこの国からでも提出・受理が出来る。
それなのになんの不備もない私の届出が受理してもらえないということは、夫人が言うように、誰かが受理しないように通達している可能性が高い。
「オスマンサスが駄目なら、自分でラウリルア公国で出すわ。」
オスマンサスの所属するデシルテトラ王国とヘキシルカノール王国とは、友好国であるため、今回のような融通が比較的通りやすい。
ならば、いくら王国とはいえ、大公の許可が無ければ無理は通せないラウリルア公国経由ならば、受理してもらえるはずだ。
私は夫人に返事を書き、その手紙をネーロに託した。
そして翌日、オスマンサス辺境伯様の御屋敷まで夫人に会いに行き、失礼も承知で挨拶もそこそこに自分の廃貴届を受け取り、その足でラウリルア公国の役所へと向かったのだ。
しかし、私の予想に反し、ラウリルア公国の窓口でも、“受け取ることが出来ません。”と言われてしまったのである。
「どうしてですの? 一体誰がそんなこと!」
窓口の担当者は、ここでも“お答えすることは出来ません”の一点張り。
考えたくはなかったが、可能性があるとしたら、レオポルト王太子殿下の仕業だろう。
……きちんとお断りしているにもかかわらず、どうしてみんなこうも自分勝手なのかしら。
殿下は、本気で私を王太子妃にするつもりなのだろうか? そうでなければ、こんなことをするはずがない。
いずれにせよ、こんな妨害をされて、王太子妃になんてなりたいと思うわけがないではないか。
これでは、私までお母様を同じ道を歩むことになる。そんなことは絶対に嫌だ。
私は仕方なく、レオポルト王太子殿下に直談判しに行くことにした。
不本意ながらも、一応は私も現状は貴族のままなので、問題はないだろう。
そして謁見申請の翌日、異例の速さで殿下との謁見が叶った。
「イヴリン! 今までどこにいたんだ!」
「レオポルト王太子殿下にご挨拶申し上げます。この度は、急な申請にも関わらず早々に謁見の機会を頂きまして、ありがとうございます。」
正直、顔も見たくはない相手ではあるが、ここは貴族社会、致し方あるまい。
「堅苦しい挨拶はいい、座ってくれ。……会いに来てくれて嬉しい。」
会いに来たくて来たわけではないので、そんなに嬉しそうな顔はやめていただきたい。
「殿下、本日はお願いがあって参りました。……私の廃貴届を受理して頂きたいのです。もしくは、受け取らないように手を回されたのであれば、撤回してくださいませ。」
「……なぜ私だと?」
「殿下でないのであれば、大変申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます。ですが、失礼ながら、殿下以外にそのようなチカラをお持ちの方に心当たりがございませんの。」
ただの貴族がここまで出来るはずはないし、少なからず私が貴族籍を捨てようとしていた事を知っている人物にしぼられる。
王太子殿下には話していないが、夫人の手紙に“アギットがイヴちゃんは平民になったと、レオポルト殿下とオークモス侯爵子息に話してしまった。”と書かれていた。
その時点で本当に廃貴届が出されていれば良かったが、そうではなかっため、事実確認をした殿下に、先手を打たれたのだろう。
「……すまなかった。」
「お認めになられるのですね……すぐに撤回してくだされば、それで結構ですわ。」
良かった、知らないと言われたら面倒な事になるところだった。
「昨日、叔母上にもひどく叱咤を受けたよ……君は、本当に叔母上に大事にされているんだな。」
「夫人がいらっしゃったのですか?」
「ああ、たいそうお怒りで、一目散に私のところへ怒鳴り込んで来られた。」
……本当に夫人が自ら動いてくださっていたのね……。
夫人の心遣いに、なんだか胸が熱くなる。
「イヴリン、本当に私との結婚は考えられないか?王太子妃、ではなく、私の妻になる事が嫌なのか?」
王太子殿下は、私の手を握り、まっすぐに私を見つめていた。
「申し訳ございません。私には王太子妃などとても務まりませんし、殿下の事も判断できるほど存じ上げません。それよりも……私は、貴族よりも平民の生活が性に合っているようなのです。」
殿下は、私の敬愛する国王陛下に見た目も雰囲気もとてもよく似ていらっしゃる。聡明で頭の回転も速く、回りくどい話し方をされないので、会話に無駄がないところは大変好ましい。
「そんなことはないんだがな……だが、私とてアギット・オスマンサスのように、これ以上君に嫌われたくはない。この辺で潔く手を引くとする。だが、君への気持ちは消えることはない、気が変わればいつでも私のもとへ来てくれ。」
何故、その人の話が出てくるのかはさておき、殿下は王族からの求婚を断わろうとする失礼な私の回答も素直に受け入れてくれた。
「寛大なお心遣いに感謝いたします殿下。そうですわね、気が変わる日がくれば、真っ先にそうさせて頂きますわ。」
殿下は最後に、私に見せたいものがあるとして、場所を移し、どこかの部屋の奥へと案内された。
そしてその部屋の壁には、私によく似た女性の肖像が飾られていたのである。
「……殿下、これは……まさか、私の母でございますか?」
「そうだ。君の母君の若い頃だそうだ。美しい方だったんだな。もちろんイヴリン、君もよく似ていて美しいが。」
私の記憶の中にある最後のお母様は、病気でやせ細ってしまい、見る影もない姿だった。
こうして、美しいお母様にまた会うことが出来るとは思ってもみなかった。
「殿下、ありがとうございます。最後にもう一度、美しい母の姿を目に焼き付けることが出来ました。本当に、感謝いたします。」
「いつでも会いに来ていいと、父上からも伝言を預かっている。」
「国王陛下からですか?」
「ああ、父上にとっても、愛した女性に生き写しの君は特別な存在であるようだ。まったく、親子そろって、女性の趣味が同じとはな。……笑ってくれ。」
「ふふっ」
ちゃんと話してみれば、レオポルト殿下はとても素敵な方だった。このお方ならば、ヘキシルカノールの未来は安泰である。
「殿下、このようなところまで送ってくださり、ありがとうございます。」
「いや、いいんだ、またいつでも遊びに来てくれ。待っているぞ。元気でな、身体に気をつけるんだぞ、無理はするなよ、一人で抱え込まず、周りを、私を頼れ、……それから……」
「……はい、肝に銘じますわ。」
「……。」
見送りのはずが、いつまでたっても行かせてくれない殿下を少し不思議に思っていると……。
「イヴリン、勝手なことをして悪かったが……お、ようやく来たな。」
私の背後に視線を移した殿下を追うように、私も自分の後ろを振り向く。
「イヴリン!」
「フリッツ!?」
遠くから、フリッツが少し速足でこちらに向かって来ていた。
「彼も、ずっと君の安否を心配していたんだ、今日来ることを伝えておいた。時間があれば、話してから行くといい。」
「殿下……。」
いつの間にか、殿下とフリッツの間に不思議な関係が築かれていたようだ。次期オークモス侯爵であるフリッツにとって、殿下との繋がりがある事は、とても良いことだろう。
息を切らしたフリッツが到着し、私を見て心配そうな表情をしたかと思えば、フッと優しく微笑み、私の手を握った。
「殿下、ご連絡頂きありがとうございました。」
「いいんだ、私はフラれてしまったが、君は頑張ってくれたまえ。」
私が目の前にいると言うのに、そのような会話はやめていただきたい。
殿下は、フリッツの肩をポンポンと叩き、そのまま王宮の中へと戻って行かれた。
「イヴリン、時間あるかい? 話したい事と会わせたい人がいるんだ。」
「ええ、大丈夫よ。」
一体、会わせたい人とは、誰だろうか?
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