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10 初めての街歩き

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(sideアギット)


 
 翌朝、俺は真っ先に母上の所へ顔を出した。
 
「あら、珍しい。初めての失恋を経験した私の可愛い末息子じゃない。」
 
「……恋すらしていないのですから、失恋などしていません。そんな事より母上、どういう事ですか! 侍女などと!」

「あら? 何故知っているの? イヴちゃんから聞いたの? 引き受けてくれるって?」

 い、イヴちゃん? 母上はよほど彼女を気に入っているようだな。珍しいな、同郷だからか? 男の好みが同じだからか?

「知りません。」

「何よも~、怖い顔してぇ~。半分は貴方のために引き留めたのよ? じゃなきゃ、すぐにでも貴族籍を抜けて平民になりたいと言うんですもの。」

 やはり母上と話してもその結論に至ったのか。
 まさか彼女は、理由はわからないが、チュベローズ伯爵家が嫌で、平民になる事が目的で親父に嫁ごうとしたんじゃないのか?

「アギット、母は言い切るわ。貴方はイヴちゃんの事を好きになるわよ。絶対。でもね~イヴちゃんがねぇ~貴方を好いてくれるかどうか……」

 フリード兄さん……ここに、どう見ても俺の味方とは思えない人がいます……。

「それは俺達の問題です、放おっておいてください! ですが、何故侍女なのですか! 客人として留まってもらうだけでもいいではないですか!」

「え~、客人なんて暇じゃない、可哀想よ。そ、れ、に、客人だとアレコレ頼み辛いけど、侍女ならある程度はお願い出来るじゃない? ……例えば~、コレとか!」

 母は何やらこの国の王室の印章が捺された書状を俺の前にチラつかせた。

「何ですか?」

「アレクサンダー王太子殿下の結婚式よん。」

「……ああ……」

 アレクサンダー王太子殿下とは、親父の姉の息子である。
 つまり、親父の姉はこの国の王妃なのだ。

 ゆえに、我が家は全員参加が命じられる。ましてや、俺はアレクと同じ歳で、小さい頃から一緒に遊……ばさせられていた。
 悪いが俺は、アレクが嫌いなのだ。会いたくないのに、歳が同じと言うだけで無理矢理一緒にされ、比べられ……。

 アイツのために、俺は何度わざと・・・負けてやった事か……。勉強に剣術、武術に馬術……芸術なんかもそうだな。

 俺に負けると暴れるわがままなあいつのせいで、俺は子供ながらに、王族を立ててやる術を習得していたのである。

 しかし、どうしても負けてやりたくても、俺自身ではどうにも出来ない事があった。

 それが……女性からの人気だ。

 さらには、ある日を境に、俺が日頃わざと負けていた事を理解したようで、プライドが傷付いたと文句を言ってきたのである。そして、“二度とわざと負ける事は許さない! ”と、啖呵を切られたのだ。

 それ以来、アレクは俺を目の敵にしている節がある。


「……結婚は俺に勝てたみたいだな……紙一重で。」

「まぁ、貴方が“保留”にさえならなければ、やっぱり結婚も貴方の勝ちだったかもしれないわね。」

 いや、俺は別に競うつもりなんかないから、どうでもいいんだが。

「で? アレクの結婚式とイヴリンの侍女の件と、何か関係があるのですか。」

「イヴちゃんが侍女なら、パートナーのいない可哀想な末息子のパートナーをイヴちゃんにお願い出来るわ。」

 そ、そんな事のために……。

「……母上、俺はパートナーなど不要です。いつも一人でしたし、今回も……。」

「駄目よ! アレクサンダーの結婚式に貴方がパートナーも無しに一人で行ったら、どうなると思う? どうせ捻くれ者のあの子はまた……『お前! こんな時まで、“負けてやったぞ”、とでも言いたいのか! ……腹の底で馬鹿にしているんだろ! クソッ!』って、被害妄想が爆発するに決まってるじゃない。アギットの方が美男子で女性に人気だったのは、間違いないのだから。アレクが可哀想よ。」

 いや、なら尚更……。

「でも、見たことのないイヴちゃんをパートナーにしたらどうなると思う? アレクは、貴方に“(俺より先に)結婚してたのか? ”と聞いてくるわ。」

「……」

 聞くだろうな。でも……。

「でも、イヴちゃんならぁ~」

 ああ、母上の考えている事がわかってきた。

「……間違いなく、“いいえ、私はただの侍女でございます。”とでも、答えるだろうな。」

 それもきっと、ものすごく嫌そうな表情で、嘘の無い事実を述べてくれるだろう。

「でしょう~! アレクへの、最高の結婚祝いになるわっ! アレクも、素直に“勝った! ”っと、思うでしょうからね。」

 つまりなんだ? 俺は、アレクのくだらない自尊心だかプライドだかを傷付けないために、彼女をパートナーに結婚式に参加しなければならないのか?

「それに、女性避けにもなるわよ? 貴方、いつも面倒だの臭いだのと、困っているじゃない。」

 それは助かるが……。

「……ですが、母上が何を企もうと、彼女が侍女になってくれたら、の話しですよね。あまり期待しないほうがよろしいのでは?」

「え~、そんな感じなのかしら? ……つまらないわ……。」

 何がつまらない、だ。息子のアレコレで楽しもうとするな。







 しかしその後イヴリンは、平民としてしばらく生活できるほどのお金が貯まるまでと、期間限定で母上の侍女を引き受けると言ったのだ。

 その期間はひとまず半年間と決まった。

 母上は大喜び。

 さらには……。

「イヴちゃん、ごめんなさいね、侍女用の部屋に空きがないの。だから、空いてるデパンダンスを一棟丸々使って頂戴。イヴちゃんの身の回りの物資は、もう揃っているから、好きに使っていいわ。アギット、貴方も護衛代わりに一緒にそっちに移りなさい。いいわね。」

 と、職権乱用・パワハラも同然に、断る隙すらも与えられず、あれよあれよ命じてしまった。

 イヴリンは、母上を王族と見ている節があるため、あきらかな暴君命令にも関わらず、渋々従う事にしたようだ。








「……結局、こうなりましたね。」

「……はい」

 なんだろう、この仕組まれた感は。

 大体、護衛ってなんだ護衛って……新婚夫婦用のデパンダンスなせいか、寝室もベッドも一つしかない。
 あとは広いキッチン、リビングダイニングルームと子供部屋と書斎が二部屋とドレスルーム、バスルームなどがいくつかあるだけだ。


「アギット様、それぞれのベッドが搬入されるまで、私はソファーで結構ですので、ベッドをお使いくださいませ。」

「……そんな訳にいかないでしょう。私がソファーを使います。護衛ですから。」

「私は侍女ですから。それに、アギット様ではソファーは狭いかと。」

「……」
「……」

 あ、コレ、絶対引かないパターンだな。
 なんとなく、彼女の事がわかってきたぞ。

「わかりました。では、ベッドの端と端で寝ましょう。妥協案です。平民になるのですよね? それくらい許せないと貴族籍を捨てるなんて無理ですよ。」

 少し言い過ぎただろうか……。それともまだ、未婚の男女がどうとか言い出すだろうか?
 でも彼女は仮面舞踏会マスカレードで初めてを捨てるような豪快な女性だ。気にしないかもしれない。


「……わかりました。妥協案、ですものね……。仕方ありません。」

 お、意外と素直に受け入れたな。







 そして翌日……。

 母上の侍女として仕事の補助をするために、“まずオスマンサスについて学んで来て”と、言われた彼女は、俺を護衛にオスマンサスの街に繰り出していた。


「アギット様もお忙しいでしょうに護衛などと、申し訳ございません。」

「いいですよ、どっちにしろ予定では貴女との結婚休暇に入る予定でしたから、仕事は組んではいません。」


 そう……今日は俺達の結婚式のはずだった。

 俺からしたら、結婚式が街案内になっただけの事である。


「さて、どこから案内しましょうか」

「おおよその物価が知りたいので、市場や商店街を見て回りたいですわ。その後は、一般的な居住区を見に行きたいです。」

 ……平民になる気満々だな、おい。早速下調べか?

「……わかりました。ご案内します。」


 こうして俺は何故か、嫁さんになる予定だった女性の、独り立ちのための手助けをする羽目になったのだった。


 とはいえ、女性とこんな風に街を歩き回る事など、俺も初めてだ。

 貴族令嬢は普通、あまり自分の脚で歩かない。
 基本的に目的地まで馬車で移動し、ドア・トゥ・ドアだ。

 今の俺達のように、宛もなくブラブラと歩き回る事など本来あり得ない。

 ……が、意外と楽しいじゃないか。

「イヴリン、ほらコレ、美味いんですよ一本どうぞ。」

 屋台の串焼きなど、人前で大きな口を開けて頬張れない、と、拒否されるかと思いきや、彼女は俺の手にある串焼きにそのままかじりついた。

 その際の、髪の毛を耳にかける仕草に、何故かグッとくる。

「本当ですわね、絶妙な香ばしさが美味しいですわっ」

 口の端にタレをつけて、笑顔でそのタレを舌先でペロリとする仕草にも、グッとくる。


 俺、こんな事をする貴族女性は初めてだ。

 俺の身近にいる女性と言えば、元王族の母上と、兄達の嫁さん達なんだが、兄嫁達は皆わりと生粋の貴族令嬢であり、プライドも高い上に、各々がものすごく個性的だ。

 イヴリンのような貴族令嬢の矜持はありながらも何故か庶民的な感じの……ハイブリッド女子は俺の周りにはいない。

「アギット様、アレはなんですの? あの子供が食べている物です。美味しそうだわ。どこで買えますの?」

「ああ、アレはクレープですね。」

「アレがクレープですって?! 手で持っているじゃない。」

 お、やっぱり貴族令嬢だな。皿に盛られたナイフとフォークで食べるクレープしか受け入れられないか?

「……案内してくださいませ。食べてみたいですわ。」

 ……これだよ。
 目を輝かせてクレープを求めるその表情が、可愛いってわかってて、俺に見せてるだろ。あざといかよ。

「アギット様、お早く。無くなってしまうかもしれませんわ。」

 食い意地を隠さないのか……。

「大丈夫ですよ、注文してからその場で生地を焼いて、好きな具材を包んでくれるんです。」

「まぁ! そうなのですか? とても親切ですわね! では尚更、お早く!」

「はははっ、はいはい。クレープは逃げませんよ。」


 しかし……。

 “閉店”


「閉店? ……閉まってしまいましたわ。」

「あ~……そうみたいだ。もうそんな時間でしたかね。」

 残念だが、クレープは昼間しか開いていない事が多い。

「……っアギット様がちんたらしているからですわ! 何が“クレープは逃げませんよ”ですか! 店主が逃げてしまったではないですか!」

「そ、そう言われましても……仕方ないではないですか。」

 クレープが食べられなかっただけで、こんなに責められますか?! え、クレープ屋台が閉まったのは、俺のせいなのか?

「……では、場所はわかりましたのでお休みの日に自分で来ますわ。」

「屋台ですので、いつもここにいるとは限りませんよ?」

「っな! ……っ!」


 食い物の恨みは恐ろしいと言うが、俺、貴族には当てはまらない言葉だと思っていました。
 考えを改める必要がありそうです。

「……ふ、はははは! イヴリン、子供じゃないのですから、そんなに怒らないでください。次は絶対食べさせてあげますから!」

 顔を赤らめ、俺を恨めしそうに見上げるイヴリン。
 ……駄目だ、可愛い。

「私はもう17です! 失礼なことを仰っしゃらないで!」

「……え、まだ17歳なのですか?!」

 まだ子供じゃないか。
 ……は! 俺はっ17歳の女の子の初めてを?! あんなに痛がるわけだよ……。
 でも、今の17歳は発育がいいな。てっきり19歳くらいだと……。

「嘘ではありませんわ。アギット様はおいくつでいらっしゃるの? 19歳くらいですか?」

「私は……今年21歳になります。」

「まぁ……なんでしょう……失礼ですが、とても21歳には見えませんわね。私の元婚約者のフリッツは20歳ですがもっと紳士的でしたわ。少なくとも、アギット様とのように、口論などした事はありませんでした。」

 ……元婚約者、だと? いたのか? なら、何故その男と結婚せずにチビデブハゲの変態おやじと……?

「あ、今、私がこんなだから破談になったなどと、失礼な事を想像されましたわね? 違いますわ。義理の妹に婚約者を取られましたの。容姿の整った侯爵家の子息でしたから。」

 義理の妹に……婚約者を取られた・・・・

「……婚約者って……奪えるのですか?」

「簡単に奪えますわ、両家の合意があれば完了ですもの。本人達の意思など関係ないのが、貴族同士の婚姻です。」

 そうだったのか。
 俺達兄弟は全員が親父が選んで連れて来た相手しか知らないし、自主的に恋愛した事もないから、その当たりは全く疎い。
 まぁ、兄さん達は身体の関係だけは何人かとあったようだが……。


「だが、何故義理の妹が容姿の整った・・・・・・侯爵子息で、姉であるイヴリンがチビデブハゲの変態おやじが相手だったんですか?」

 だが、義理の妹という事は、母親が違うという事か?
 つまり、チュベローズ伯爵は再婚したのか?

「知りません。継母がそうしたのです。私は、辺境伯様が隣国の辺境伯様である事も、実は愛妻家でいらっしゃる事も、何も知らされないままこちらに参りましたから。若い美しい女性を沢山囲っているという話しも、義理の妹が嫌味のつもりで教えてくれました。」

「……それはつまり……自分の産んだ娘には良い嫁ぎ先を用意して、前妻の子はどうでも良いと言っているように聞こえるんですが……。」

 いや、むしろ不幸になれとばかりではないか? 父親ほど歳上のチビデブハゲの変態おやじの噂のある男を充てがうなど……。

「アギット様は愛し合う素晴らしいご両親に恵まれ、辺境という環境でお過ごしですので、信じられないかもしれませんが、中央貴族など、あちこちで妻以外の女性と戯れ、子を作る人もいるのです。」

「……」

 今俺、遠まわしに、世間知らずのお坊ちゃん扱いされたよな。いや、間違いじゃないけどさ。

「ですから、私は結婚などしたくないのです。夫に裏切られたとしても、貴族社会で女性はまだまだ無力ですから……耐えるしかないのです。そんな事、私はまっぴらごめんですわ!」

 なるほど……。

「貴女が頑なに結婚を拒否し、貴族籍を捨てようとするのは、そういう理由があったのですね。」

「ご納得頂けたようで、良かったですわ。」

「……ええ、良くわかりました。」



 俺はその日の夜、ある兄夫婦のデパンダンスを訪ねた。


 
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