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しおりを挟む「いらっしゃいませ! 二名様ですね、ご案内します! ーーご新規二名様、藤の間お通ししまぁす!」
「「「「いらっしゃいませぇ!」」」」
ご注意いただきたい、ここは日本の居酒屋ではない。決してない。
遊女として、役立たずとなった私は、いち従業員として、申し訳が立たず、いたたまれなくなる前にと、すぐに妓館を退職した。
シアさんは、“客と寝れなくなる事なんて、遊女ならよくあることだ”と言って、退職を申し出た私を引き留めてくれたが、そんな甘いことを言ってはいられない。
働かざる者、食うべからず!
シアさんに預けていた私の給与は、とんでもない額になっていたが、私はその半分以上を“迷惑料”として妓館に支払って出てきた。
私の退職の決断から妓館を出るまでの期間は、わずか三日。
そんなに急いだ理由は、決心が鈍るのも怖かったが、それ以上に、フェイロンはもちろん、ウンランやハオランにも会わせる顔がなかったからだ。
結果、誰にも挨拶はせずにひっそりと最低限の荷物だけを持って、出てきた弱虫なのである。
リンちゃんは、最後まで、泣きながら私と一緒に行く、と言ってくれたが、リンちゃんにはリンちゃんの年季やらの事情やらがあるのでそれは出来なかった。
でも、私も凄くリンちゃんと離れる事が寂しかったので、リンちゃんの趣味の手作り人形を一体もらって、旅のお供にすることにしたのである。
私はこの世界にきて、一番自分がお世話になった人であるリンちゃんに、今までのお礼がしたかったので、シアさんにお願いして、迷惑料を支払って残った半分のお金で、リンちゃんの年季を減らしてもらえるように交渉し、お金を置いてきた。
妓館を出た私は、ただ一つ、心配な事があった。
それは、私のヌード画だ。誰だかわからない絵だったらいいが、人物を特定出来るような絵なのであれば、私が買い取らなければ……と思ったのだ。
そのため、まずはジョルジュを探そうと、街で聞き込みを行ったのだが、彼の手掛かりはまるでつかめず、途方に暮れること、わずか数時間。
正直面倒になったので、ジョルジュ探しは早々に諦めて、私はそのまま、一度も振り返ることなく花街を出た。
「花街を出てきたはいいけど、地理がまったくわかんなぁ~い! あはははは!」
気付けば、いつの間にやら誰もいない田んぼ道に出ていて、ぽつんと一人になったので、思わず叫んでみた。
そうだった、ここ、異世界だった。
「えぇっと、どこに行きましょうかね。」
『行先も決めずに出てきたのかよ! 馬鹿かお前!』
「だって、しょうがないじゃん……。」
『意地なんてはらずに、シアさんに甘えておけばよかったのに!』
「いやいや、それは出来ないよ。」
『じゃぁこれからどうするんだよ! 金もほとんど置いてきて! ほんと馬鹿! お前、ほんと馬鹿!』
私はリンちゃんにもらった小さな手作り人形に、“店長”と名付け、旅のお供と決めて、一人二役でおしゃべりしながら進むことにした。
独り言を言う女など、怖くて誰も話しかけてこないだろう、という作戦でもある。
「でもとりあえずさ、ジャパニーズおもてなしの心があれば、接客業は出来ると思うんだ。だから、どっかの大きな街に行って、まかない付きでお腹も満たせる一石二鳥な食堂とかで働こうと思ってるの。」
『食い意地はってんな!』
「いいのいいの、腹が減っては戦はできぬってね!」
『……。』
……どうしよう、秒で飽きてきた。
結局無言で歩き続けること数時間。
さっきから、私の後ろを同じペースで歩き続ける人がいる。私が止まれば不自然に止まり、私が走っても、同じ距離を保ってついてくる。
いつぞやのソウハのように、フードを目深にかぶり、口元に布を巻き、わざとらしく顔を隠している、めちゃめちゃ怪しげな奴だ。
やっぱり、女一人で旅は危険すぎるだろうか……。独り言くらいじゃ、インパクト弱かったかな……。
こりゃやっぱり、旅の商人さんとかと一緒に移動しないと駄目そうだな。次に出くわしたらお願いしてみよう。
「店長……誰かついてくるよ、どうしよう……。」
『追い越してもらえばいいじゃねぇか!』
「さっきからそれを試みてるんだけど、いっこうに追い越してくれないんだよ。」
『なら、襲うつもりもないんじゃないか? 話しかけてみろよ。』
「えぇ!? 話しかけて、やばい奴だったらどうするの店長!」
『死ぬときは一緒さ!』
「店長!」
『……。』
よし、わかったよ店長。話しかけてみるね。
私は方向転換し、ついて来ているであろう奴をめがけて大股に近づく。
「……! すみませんっ! 後ろを歩かれると気になるので、お先にどうぞ!」
「……。」
表情が見えないので、わからないが、どうやら私の行動に、驚いて固まっているようだ。一体、なんなんだ。
「……。」
しかし、数秒経過するも、まったく動く気配がない。
「あの、聞いてますか?」
「……。」
しびれを切らした私は、相手の顔を見てやろうと、思いきってフードを取った。
そして現れた人物とは……。
「ソンリェン?!」
「……。」
ソンリェンとは、遊女時代の数少ない私の顧客で、ハオランと同時期に現れた、名前しか知らない無口で無表情な男だ。
「何してんの? まさか、ストーカー?」
「……。」
そうだった、この人に話しかけても無駄なんだった。
「ソンリェン、私、もう遊女辞めたの。ごめんね、溜まってるなら、他あたってくれる?」
「……。」
「じゃぁ、私、行くね、もうついてこないでね。」
「……。」
そう言って歩き始めると、やっぱりついてくる。
先に行けと言っても行かない、ついてくるなと言ってもついてくる。
どうしたらいいんだ。
「ソンリェン、お願いだから、しゃべるか、ついてこないか、先に行くか、どれかにしてくれない?!」
「……。」
すると、ソンリェンは私の提示したすべてに当てはまらない行動に出た。
突如私を横に抱き上げ、走り出したのである。そりゃもう風のごとく猛スピードで。
「店長……ソンリェンは忍者だったみたい……。」
『ohh!』
あっという間に次の街に到着したかと思えば、ソンリェンは私を地面におろし、そのまま私の手を引いてどこかに向かった。
知ってる街なのだろうか?
「ねぇ、どこ行くの? 連れ込み宿とかやめてね、私もうそういうのやめたの。」
「……。」
くっそ、しゃべれよ。口ついてんだろ!
そして、急に足を止めたその場所は、一軒の旅館隣接の食堂のような場所だった。
……なんだ、お腹空いたのね。
そして、そのまま中に入るソンリェン。
すると……。
「いらっしゃいませ! ……っあら、ソンリェンじゃないの! 珍しい、可愛い子連れてっ。デートなら、こんな店じゃなくてもっとオシャレな店に連れて行きなさいよ。」
「……。」
「え? そうなの? それは大変そうねぇ……。」
え、この店の女将さん、ソンリェンと会話してるの!? 会話が成立してるの?! どういうこと?! テレパシー的な?!
「……。」
「しょうがない、ソンリェンの頼みなら聞くしかないわね。わかった、引き受けてあげるわよ。」
なんだかよくわからないが、交渉は成立したようである。
「そこのお嬢さん、今日からウチで働いてくれるんですって? よろしくね、私はこの食堂の女将の明玉(ミンユー)よ。」
えぇぇ!? 今のわずかなやりとりで、そんな会話がなされてたの?! ソンリェン、一言もしゃべってなかったよね?!
でも、もしかして、ソンリェンは、私に仕事を紹介してくれたの? かな?
あ……。思い出した。
歩き始めたばかりの時に、お人形の店長と食堂で働きたいとおしゃべりしていたことを……。きっと、ソンリェンはそれが聞こえちゃっていたに違いない。恥ずかしい。
でも、正直、有難い。
「初めまして、レイランです。急なお願いにもかかわらずお引き受け下さりありがとうございます。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします。」
こうして、私の異世界生活は、食堂からの再スタートをきった。
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