もう転生しませんから!

さかなの

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建国 編Ⅱ【L.A 2071】

なみだを やさしくぬぐって くれるひと

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「……ジェイ、コブ」

 少女の言葉は多くの民の耳に入った。共に逃げ延びた奴隷たちにも。そして……ベネットにも。

「ボクは気付いたら葉についた雫をなめて、虫を食べて生きていた……ミドラスの、魔族討伐団の旗が、ささった地で。村の生き残りは全部、奴隷狩りに連れて行かれた……ボクも、ボクの妹も!」

 かつてミドラスの魔族討伐団として、勇者パーティーとして名を馳せた仲間。同じ罪を背負うもの。生前の『彼』もまた、転生者だと言っていた。
 と呼ばれた少女は、燃え滾る憎悪の眼差しで過去の仲間たちを睨む。枯れ果てた目からは涙の一滴も出なかった。腕に抱く妹もジェイコブも、まるで骨と皮だけのような肢体が布からはみ出している。
 その強すぎる憎しみの目にたじろぐトーマには見えていなかった。ジェイコブの腕に抱く幼い妹……その妹の腕にある丸まった布の塊が。

「お前たちにこの赤ん坊が見えるか! 見えなかっただろう!? 誰の、子供かわかるか……? どうして、どうして何の罪もない、ボクの妹が……っ」

 息が、止まる。トーマは自分たちの罪を甘く見ていた。殺した魂への祈りしか、その胸になかった。奪ったのは命だけではない。生き残った魔族たちの住む場所も未来も、その意識が無くとも確実に奪っていたのだ。
 ドレアスやジェイソン、サイロンとユリウスもきっと同じ気持ちのはずだ。同じでなくてはならない。これは自分たちの罪が成した結果なのだ。

 誰もが少女の言葉に動きを止める。息をしているのかも分からない妹と、生きているのかも分からない赤ん坊に目を奪われていた。
 張り詰めた空気の中でそれでも動けたのは、二人だけ。

「……よく、妹と子供を生かした」

 炎のような鮮明な赤が目の前を通り過ぎる。アラシはジェイコブごと少女たちを抱いていた。

「自分の血を飲ませて二人を生き延びさせたんだな、腕の傷で分かった。噛み千切って血を流すのはさぞ痛かっただろう、辛かっただろう」

 枯れたと思っていた涙がジェイコブの目の端から一筋、伝い落ちる。固く抱きしめていた腕から力が抜け、妹の体はいつの間にかアラシの腕の中におさまっていた。

「お前の妹と、赤子を助けさせてくれ」
「……赤ん坊が、夜明けから、息をしていない。妹は、二日前から何も喋って、ないんだ」

 ぽつぽつと、涙と共に言葉が零れ落ちる。怒りと憎しみで叫んだ喉からは、掠れた声しか出なかった。

「白湯を、持ってきました!」

 救護班の女性から水差しを受け取り、アラシはジェイコブへと渡す。

「お前は自分で飲めるな。ゆっくり、飲むんだ」

 ほんのりあたたかな入れ物は久しぶりに触れたぬくもりだった。冷たい床で眠り、凍える体を寄り添わせて温め合おうにも、骨と皮だけの体同士ではぬくもりなどないようなものだったから。
 ジェイコブは、アラシから目が離せずにいた。腕に抱かれる妹への心配もある、それとは違うものもあるかもしれない。
 赤い狼の存在は勿論知っている。その脅威がどれほどであるかも。目の前の少女とも少年とも言えない子供が、赤い狼かもしれないと頭では分かっているはずだった。
 仮面で顔が見えないことに不安を抱くことが当然であるはずなのに、その言葉が、自分を包み込んだ細い腕があまりにやさしかったから。
 だから、妹を守らなければという警戒が完全に解けてしまっていた。

 仮面を少し上にずらして、目の前の赤い狼の子供は水差しを自らの口へ運ぶ。その小さな唇は閉じたまま、妹の口へと覆いかぶさった。ほんの短い間の出来事のはずなのに、随分長く感じた。
 どうしてそんなことができるんだ。劣悪な環境で体中のどこもかしこも汚い。本当は鼻をつまみたいくらいにおいだって辛いはずだ。それなのに。

 何度か繰り返すうちに、妹の胸は小さく上下し始める。息をしているかも分からなかった、本当はとっくに事切れてしまっているのでは、とも。けれど目の前のこのヒトは生きていることを信じてくれた。生かそうとしてくれた。

「羊のだけど大丈夫かな、哺乳瓶はまだ作ってないからスプーンだけど」
「殺菌してきたか」
「したよ、赤ん坊は俺がミルク飲ませておくから、そっちお願い」
「……絶対に死なせない」

 ぬっと現れたのは異形の頭を持つ男だった。外套のせいもあってやけに大きく見える。一瞬ひゅっと息が詰まり恐怖を感じた。
 でも彼も同じなのだと思った。このヒトたちは、妹を、赤ん坊を助けてくれる。
 誰に請うても、ひとりも目もくれなかった自分たちを助けようとしてくれている。

 妹の腕の中にいる布でくるまれた赤ん坊が、あぐらをかいたアオイの足の間にそっと寝かされた。小さな頭を支えてスプーンでミルクをなんとか飲ませようと奮闘している。

「……あか、ちゃん」

 消え入りそうな声は、妹のもの。生きている、喋っている、ジェイコブは身を乗り出して妹の顔を覗きこんだ。

「ごめ、ね……おちち、でなくて……だれか、あか、ちゃん……たす、け……」

 妹は、自分の体よりも赤ん坊を心配していた。まだこんなに子供なのに、どうして、と心の内で嘆くことしかジェイコブにはできない。

「飲んだ! 飲んだよアラシ!」

 滅多に感情的にならないと囁かれるアオイが、明らかな喜びを声に出したことに民たちは驚いたが共鳴もした。口に出るのは安堵の言葉。よかった、よかった、と涙を浮かべるものもいる。

「ん、だいじょぶ。生きてる、生きようとしてる。強い子だね」

 普段であればアオイに近付くこともない女性たちは駆け寄った。布でやさしく拭い、ミルクを飲ませるためにと代わりに抱いてやる。彼女たちはみな、同じような顔をして微笑んでいた。母親の、顔で。

「謝らなくてもいい、お前は頑張った、頑張って生きたんだ。もう大丈夫……お前も、赤ん坊も、助かる、一緒にいられる。大丈夫だ」
「……あ、りが、とぉ」

 乾きすぎて張り付いた目は開けることができない。しかし閉じた目蓋の端から涙の粒が滲み出る。アラシは指でやさしく目頭を拭ってやり、再び白湯を口移しで飲ませてやっていた。大丈夫、そう何度も呟きながら。
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