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7.「だからあなたは、あの本を隠した?」
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「……ちょっと待って」
「何?」
キムは笑いを崩さない。腰を下ろした机に両手をついて、彼女の表情が変わる様を笑顔のまま、冷静に見ている。
「それ、見付けたの?」
「うん。図書館の片隅で。誰が隠したのかなあ、と思っていたけどね?」
彼女は自分自身の腕を握っていた。無意識なのだろう、ぎゅっと掴まれる袖には大きくシワが寄った。
「見付けたの?」
そして同じ問いを繰り返す。彼もまた、同じ応えを返した。
「見つかっては、悪かった? 何で文学関係の本が、スポーツ関係のとこにあるのかなあ、と思ったけど」
「……きっとそれは、マスコミ関係の本と間違えたのよ。だって分類からしたって、スポーツと芸能って近いじゃない……」
「それに」
やんわりと、だけどきっぱりと彼は言葉をはさむ。
「その前に借りたのは、あなたでしょ、ジナイーダ・ウーモヴァ?」
「カードを見たのね?それであたしを探した?」
彼女の顔が、険しくなる。うん、と彼はまたうなづいた。
「半分は本当。そう」
そしてでもね、と付け足した。
「こないだあなたに会ったのは、偶然。だけどカシーリン教授の本に興味あったのは前から。あなたに会ったから余計にキョーミを持って、図書館で本探したら、面白いことが起きた、そんだけ」
彼女は手を腕から離し、改めて腕組みをした。
「それであなたに余計キョーミ持ったのは事実だけど、別に、それだけだよ? それはそれ。これはこれ。カシーリン教授に会ってみたいなあ、ってのも本当だけど、あなたをお茶に誘いたいのもホント。これはこれ、あれはあれ」
さらさらとこの目の前の男の口から流れる言葉にジナイーダはやや当惑する。彼女は口を歪めたまま閉じ、何と言ったものかと考える。
「お茶につきあってもいいわよ。だけど自分の分は自分で払うわ」
「そういうのは、でーとのマナーに反しない?」
でーと、という言葉に彼女は敏感に反応する。
そんなそんなそんな。
彼女は内心頭をぶるんぶるん振る。
そんなのは無いわよ。あたしはヴェラじゃないんだから。
男子学生の慣れない言葉は、彼女を戸惑わせる。いや、男子学生に友達は居ない訳ではない。だけどそういう意味での言葉は聞いたことがないものだから。
免疫がない。
彼女は必死で冷静をとりつくろう。そうよあたしはヴェラじゃないんだから。
「そういうのは、外の連中のマナーよ。少なくともこの中央大学の女子学生にとってはそうではないわ」
むきになって言い返す彼女にくす、とキムは笑った。
「何がおかしいの?」
「いや別に。じゃそのお茶にお菓子はプレゼントしていい?」
「……いいわ。そうしたいなら。そこでカシーリン教授の本について話しましょ。それで納得したら、ゼミの方に紹介してもいいわ」
「了解」
彼はにこやかに笑って、机から跳ね降りた。
*
だが構内にある学生食堂の一角の喫茶室で、彼女は自分の敗北を理解した。
「中央広場」と「大通り」からやや下った所に学生の最もよく利用する食堂がある。その一角は喫茶室になっており、市街のそういう場所より、やや味は大ざっぱになるが、値段はお手頃になる場所がある。
女子学生にとって嬉しいのは、お菓子の種類が案外多いことだった。
セルフサービスでコーヒーと紅茶を「大」カップで頼むと、キムは彼女に何がいい? とずらりと並んだお菓子を指し示した。これ、と彼女はクッキーの袋を指した。
「これでいいの?」
「いいわよ」
ケーキ類なぞ頼んでみろ、と彼女は内心つぶやく。この相手の前で、どういう顔で食べたらいいのかさっぱり判らない。クッキーなら、喋りながらぽんぽんと口に放り込める。
彼は肩をすくめると、自分の分の紅茶とそのクッキーの代金をレジに置いた。
適当に空いた、やや脇にサビが見える椅子に座ると、クッキーの袋をがさがさと開け、とりあえずは手にしていた本の談義から始まった。
「『言葉の力』は読んだのよね?」
「まあね。これは文章そのものとしても綺麗だよね。言葉が力を持ってる、ってことを実証してる」
自分の好きな著者をあからさまに誉められれば悪い気はしない。ジナイーダはかし、とクッキーをかじりながら、少しだけ緊張が融けるのを感じた。
「言葉の力」は、カシーリン教授が世に出した第一評論集だった。研究よりまず、評論のほうが先に出てしまったあたりに、教授の矛盾がある。
「研究のほうは確か、昔から、人々を感動させる言葉、とか、そういう状況とかについて、だったっけ?」
「そう。それが文学にある場合とか、その文学が社会にどういう影響を及ぼしたとか、そういう類」
「だとしたら、さぞそれは出版しにくかっただろうね」
「だと思うわ」
ジナイーダはうなづいた。
「だからあなたは、あの本を隠した?」
ジナイーダは音を立てて、クッキーを噛みしめた。
「何?」
キムは笑いを崩さない。腰を下ろした机に両手をついて、彼女の表情が変わる様を笑顔のまま、冷静に見ている。
「それ、見付けたの?」
「うん。図書館の片隅で。誰が隠したのかなあ、と思っていたけどね?」
彼女は自分自身の腕を握っていた。無意識なのだろう、ぎゅっと掴まれる袖には大きくシワが寄った。
「見付けたの?」
そして同じ問いを繰り返す。彼もまた、同じ応えを返した。
「見つかっては、悪かった? 何で文学関係の本が、スポーツ関係のとこにあるのかなあ、と思ったけど」
「……きっとそれは、マスコミ関係の本と間違えたのよ。だって分類からしたって、スポーツと芸能って近いじゃない……」
「それに」
やんわりと、だけどきっぱりと彼は言葉をはさむ。
「その前に借りたのは、あなたでしょ、ジナイーダ・ウーモヴァ?」
「カードを見たのね?それであたしを探した?」
彼女の顔が、険しくなる。うん、と彼はまたうなづいた。
「半分は本当。そう」
そしてでもね、と付け足した。
「こないだあなたに会ったのは、偶然。だけどカシーリン教授の本に興味あったのは前から。あなたに会ったから余計にキョーミを持って、図書館で本探したら、面白いことが起きた、そんだけ」
彼女は手を腕から離し、改めて腕組みをした。
「それであなたに余計キョーミ持ったのは事実だけど、別に、それだけだよ? それはそれ。これはこれ。カシーリン教授に会ってみたいなあ、ってのも本当だけど、あなたをお茶に誘いたいのもホント。これはこれ、あれはあれ」
さらさらとこの目の前の男の口から流れる言葉にジナイーダはやや当惑する。彼女は口を歪めたまま閉じ、何と言ったものかと考える。
「お茶につきあってもいいわよ。だけど自分の分は自分で払うわ」
「そういうのは、でーとのマナーに反しない?」
でーと、という言葉に彼女は敏感に反応する。
そんなそんなそんな。
彼女は内心頭をぶるんぶるん振る。
そんなのは無いわよ。あたしはヴェラじゃないんだから。
男子学生の慣れない言葉は、彼女を戸惑わせる。いや、男子学生に友達は居ない訳ではない。だけどそういう意味での言葉は聞いたことがないものだから。
免疫がない。
彼女は必死で冷静をとりつくろう。そうよあたしはヴェラじゃないんだから。
「そういうのは、外の連中のマナーよ。少なくともこの中央大学の女子学生にとってはそうではないわ」
むきになって言い返す彼女にくす、とキムは笑った。
「何がおかしいの?」
「いや別に。じゃそのお茶にお菓子はプレゼントしていい?」
「……いいわ。そうしたいなら。そこでカシーリン教授の本について話しましょ。それで納得したら、ゼミの方に紹介してもいいわ」
「了解」
彼はにこやかに笑って、机から跳ね降りた。
*
だが構内にある学生食堂の一角の喫茶室で、彼女は自分の敗北を理解した。
「中央広場」と「大通り」からやや下った所に学生の最もよく利用する食堂がある。その一角は喫茶室になっており、市街のそういう場所より、やや味は大ざっぱになるが、値段はお手頃になる場所がある。
女子学生にとって嬉しいのは、お菓子の種類が案外多いことだった。
セルフサービスでコーヒーと紅茶を「大」カップで頼むと、キムは彼女に何がいい? とずらりと並んだお菓子を指し示した。これ、と彼女はクッキーの袋を指した。
「これでいいの?」
「いいわよ」
ケーキ類なぞ頼んでみろ、と彼女は内心つぶやく。この相手の前で、どういう顔で食べたらいいのかさっぱり判らない。クッキーなら、喋りながらぽんぽんと口に放り込める。
彼は肩をすくめると、自分の分の紅茶とそのクッキーの代金をレジに置いた。
適当に空いた、やや脇にサビが見える椅子に座ると、クッキーの袋をがさがさと開け、とりあえずは手にしていた本の談義から始まった。
「『言葉の力』は読んだのよね?」
「まあね。これは文章そのものとしても綺麗だよね。言葉が力を持ってる、ってことを実証してる」
自分の好きな著者をあからさまに誉められれば悪い気はしない。ジナイーダはかし、とクッキーをかじりながら、少しだけ緊張が融けるのを感じた。
「言葉の力」は、カシーリン教授が世に出した第一評論集だった。研究よりまず、評論のほうが先に出てしまったあたりに、教授の矛盾がある。
「研究のほうは確か、昔から、人々を感動させる言葉、とか、そういう状況とかについて、だったっけ?」
「そう。それが文学にある場合とか、その文学が社会にどういう影響を及ぼしたとか、そういう類」
「だとしたら、さぞそれは出版しにくかっただろうね」
「だと思うわ」
ジナイーダはうなづいた。
「だからあなたは、あの本を隠した?」
ジナイーダは音を立てて、クッキーを噛みしめた。
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