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第3話 残った縁組の決定と、藤英の恩返し、そして仲頼のこと

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 さてその様に、新右大臣邸で最も重要な婿入りが無事終わった。
 そこで正頼と大宮は後の娘達の婿入りに精を出すこととし、調度や仕人も仲忠や涼の時に劣らない様に用意しておく。
 だが。

「あなた」

 大宮は心配そうに夫に訊ねる。

「婿君達がこのお話に乗り気で無い様ですけど、どうしましょう?」

 今宮の下の姫君達四人に、と打診した者達は「あて宮にふられたばかりですぐにそういう話に飛びつくのは」となかなかいい返事をして来ない。

「しかし仲忠や涼にしたって、もともとはあて宮に懸想していた訳なのに、今はあれで幸せそうだ。何とかしてししまえば何とかなるものさ。ともかくもう一度、こっちからも心を尽くした伺いを立ててみよう」

 正頼はそう言うと、息子達を呼び出した。

「兵部卿宮の元には顕純《あきずみ》、兼雅どのの所には祐純《すけずみ》、平中納言どのの所には兼純《かねずみ》、実忠の所には連純《つらずみ》が行ってくれ」

 それぞれ多少なりとも彼らに縁のある息子達に文を託すと、正頼は待った。



 やがて息子達は、それぞれの成果と被物の女装束を一具携えて戻って来た。
 まず顕純が戻って来て報告する。

「兵部卿宮さまはご承諾なさいました。『あて宮が入内なさってからずっと、思いあまって隠遁してしまいたいと思っていましたが、こういうお話をもらったありがたさに心も静まりましたから、お受けしたい』ということです」

 良かった良かった、と思わず正頼は手を叩く。
 次に戻ってきたのは兼純だった。

「平中納言どのからはこの様に御文を預かって参りました」

 早速正頼はそれを開く。

「あて宮に申し上げたことが何の役にも絶たなくなってから、魂まで掻き乱されて当惑し悲嘆し、結婚などということも全く忘れていました。その私にこの様にご親切に仰って下さいまして、何とも有り難く、返す返すお礼申し上げます」

 よかったこっちも大丈夫だ、と正頼はほっとする。



 だがそれ以降の返事は、はかばかしくないものだった。
 祐純は苦笑しながらこう報告した。

「右大将どのはこうおっしゃいました。『あて宮がまだ小さい頃から、妻にと思って消息しておりましたが、入内してまだ間もないのに、他の女君に心を向けたとお聞きになったら、本当に可哀想です』とのことです。でも父上」

 ちら、と祐純は正頼を見る。

「相撲の節会の時に新しく尚侍になった方がいらっしゃるのです。元々何かの間違いだったと思った方が」

 そうだな、と正頼も答える。
 実際彼は「三条の北の方」がどういう女性か知らなかったから娘を勧めてみたのだ。だがあの尚侍では。彼は思う。残りのどの娘でも太刀打ちできないだろう、と。

「ではまあ、兼雅どのの代わりはまた考えるとしよう。ところで、実忠の所へ行った連純はまだかね?」

 さあ、と兄弟達は顔を見合わせる。

「そう言えば遅いですね」
「最近はもうずっと隠りっきりだと聞きますしねえ」

 果たして、連純が戻ってきたのは、その翌日だった。

「只今戻りました」
「おお、それでどうだったね」

 はい、と連純は話し出した。

「実忠どのは、父上からの御文を読むと、もう涙をぽろぽろとこぼされて、すぐには物をおっしゃることもできませんでした」

 その後はこの様な有様だったと言う。

 連純は実忠に、妹の方を、という事情を詳しく話した。実忠の強い思いは通じていた、だからこそ彼にはできれば大宮腹の姫を差し上げたい、と。
 すると実忠はしばらくためらっていたが、やがてこう話し出したという。

「今はもう、私など誰からも必要とされない者となっております。いたずら人です。宮仕えもせず、外歩きもせず、また訪れる人も無く、誰かと会うこともこうして稀になってしまいました。いつか世の中を心許なく思っている様な者となってしまったというのに、殿のその様な御文が……」

 そう言って実忠は涙を流した。

「一体前世にどの様な宿縁があったのでしょうか、あて宮に思いをかけてからというもの、生涯を共にしようと誓った妻や、可愛い子供がどうなってしまったのかも構わなくなってしまい、もう自分の心が自分でもどうにもならなくなってしまいました。そんな自分ですから、あて宮が御入内された後は、もう生きる気力も無く、どうしていいのか判らなくなって、こうして山里に引きこもっていました。親の顔を見るのも辛く、世間のことにも関わらず、―――あ、ご結婚やご昇進のこともあったのですね、お悦び申し上げます。こんな言い方で何ですが。今日明日にも出家しようと思っていた次第の矢先、こうしてご訪問をいただけ、しかも殿からこんな丁重な御文を…… でも私はもう不用の者でございます」

 そんな、と言いかけた連純に実忠は最後にこう言ったという。

「こんな風になってしまった私のことを、あて宮がお聞きになってもきっと『可哀想だ』とも仰っては下さらないのだけが大変辛いのです」

 連純は少しばかり呆れた、と正頼に向かってぼやいた。
 その後実忠は大宮に返事の文を書きだした。

「誠に私こと心許ないくらい疎遠になりましたのを、お詫び申し上げなくてはなりません。
 それなのに却ってたいそう有り難いお言葉を頂き、恐れ入りました。
 この数年来どうしたことでしょう、この世に生きたいとも思ってもいなかったのに、不思議と今まで生き長らえてきましたが、
 もうこの上だらだらと生き長らえようとも思いませんので、御目をかけて頂きましても、甲斐の無いことを繰り返しお詫び申し上げます。しかし、
 ―――死ぬほどにあて宮を恋い焦がれてきた自分は、たとえ同じ野の花/妹君でも夫としてまみえることは出来ません―――
 あて宮にお会いしない前でしたら、妹君とも結婚する気持ちもございましたでしょう」

 そして連純に何度も杯を交わし、物語などして長い時間引き留めた。出立する時には綾掻練の袿と赤色の唐衣の女装束を一式被物として渡した。
 その被物にはこう書き付けが添えられていた。

「―――私の染めた紅の袖を、あなたでなくて誰にお見せ致しましょう。恥ずかしくて。/親しいあなただから何一つ隠さず私の悲しみを打ち明けるのですよ」

 それに連純はこう返したという。

「―――紅の色は薄くも濃くも染められるから、どうしてそれを思い/愛情の深さ浅さを知る手だてに致しましょう」

 その帰りがけに、連純はこの時実忠が暮らしている場所をふっと顧みた。
 引きこもっているとはいえ、近くに音羽川が流れ、庭が広く、前栽にも趣がある。音羽山が近くにあり、時雨に色付いた紅葉や、花盛りの秋草が非常に美しい。
 その風景をただぼんやりと実忠は眺めている。
 一体どうしてこうなってしまったのだろうな、と連純は呆れもするが、やはり胸の痛むものがあったという。

 息子の話を聞き終えた正頼は大きくうなづく。

「可哀想なことだ。ああ勿体ない。惜しい人物を台無しにしてしまったことだ。父君である太政大臣も残念に思われることだろうな。いつも『実忠を気に掛けてやってくれ』と度々頼まれてはいたのに……」
「でもそうすると」

 大宮が口を挟む。

「二人の姫はどう致しましょう?」
「そうだな……」

 正頼は考える。他の良い婿がね、そしてあて宮に求婚したことが一度でもある者。

「藤英がいい」
「彼ですか?」

 大宮の表情がや不安そうなものになる。

「あれは優秀だ。今は右大弁だが、すぐに納言や宰相にもなるだろう。右大将の代わりには、そう、行正がいい」
「行正どのなら、私も賛成です。では向こうの十一の君を兵部卿宮に、十二の君を平中納言どのに、こっちの袖宮を行正どのに、けす宮を藤英どのに、ということで」
「そのことなのですが」

 口を挟んだ女房が居た。

「何ですか、突然」
「あの、その話のうち、もしも代わりに行正さまのお名前が上がりそうだったら、一言申し上げたいことがある、と向こうの上さまの御言づてがございました」
「向こうの」

 大宮と正頼は顔を見合わせる。



 三人がこうやって顔を合わせるのはどれだけぶりだろうか。
 同じ屋根の下に居たとしても、正頼とそれぞれの妻、そして妻同士が顔を合わせることはあっても、三人ということはまず無い。
 特にこの大殿の上という人は、何ごとも大宮に遠慮する控えめな所がある。この婿取りの問題にしてもそうだった。
 自分の腹を痛めた娘のことであっても大宮が主導権が握ることに異論は無かった―――はずだった。

「実は、行正どのはこちらの姫と娶せてはいただけないでしょうか」
「それは…… 突然どういうことかな。十一か十二の君は、行正と何か約束でも?」
「いえ、さすがまだ小さいのですもの。そういうことではありませんわ。ただ」
「ただ?」

 大宮はその言葉を繰り返す。

「行正どのは、顕純《あきずみ》の友達で、内裏に出仕しない時には、こちらで休んでいることが多く、私達こちらの者には、皆馴染みとなっていて」

 そう言えば、確かに行正の姿を大宮はあまり見た記憶が無い。
 仲純の友であった仲忠や仲頼は良く見たのだが、並び称される彼の姿は。

「あの方は、家族も無く、ずっと寂しそうだったので、顕純がこちらへと誘ったのです。それからずっと、私もあのかたのお世話を息子同様して参りました。こちらのあこにしても、近純も皆彼を慕っております。姫にしても、口には出さないし、まだ幼いとは言っても、まんざらでは無い様です」

 大宮と正頼は顔を見合わせる。

「ですので、私は彼を…… こちらの婿として迎えたいのです。本当に家族として、迎えたいのです。駄目でしょうか?」

 正頼はうなった。
 駄目、という理由は特には無かった。
 元々兼雅の代わりの有望な者につながりがあればそれでいいのだ。
 それが大宮腹であろうと、大殿の上腹であろうと、彼にとっては格別問題は無い。
 正頼は大宮をちら、と見る。

「私は構いません」

 大宮は言う。そして大殿の上の手を取ると、ふっと涙ぐむ。

「そういう事情があるなら、何故もっと早こちらに話して下さらないのですか。水くさいですわ。ええ、では、兵部卿宮に私の袖宮を。十一の君は行正どのに」
「そう言って下さると嬉しいですわ、でも順番が……」
「そんなことは。兵部卿宮は私の弟ですから、何とでも言い様もあります。袖宮は私の大事な子、だから弟のあなたにあげると言えば彼もきっと納得しますわ。それより大切なのは、お互いの気持ちですわ!」
「あ…… ありがとうございます」

 女二人でいつの間にか盛り上がっている様に、正頼は唖然として口を挟む隙も無かった。



 結果、婚儀に良い八月が終わる一歩手前、正頼の四人の姫君は、それぞれの婿君を迎えたのだった。
 十一の君は行正を。
 十二の君は平中納言を。
 十三の君、袖宮は兵部卿宮を。
 十四の君、けす宮は藤英を。
 三日目の所露には四人の婿が全員正頼と対面し、それぞれに常よりも立派な被物をした様は、非常にこの家の富と勢力を感じさせるものだった。

   *

 さてその婿のうち、藤英であるが。
 彼はこの時四十才。
 右近少将、式部丞、文章博士それに東宮の学士を兼業し、内裏、東宮、そして院の殿上をも許され、彼らの覚えもめでたかった。
 ちなみに格別武に秀でている訳ではない彼が少将の役を兼ねているのは、親の代からの敵がある彼に、公から庇護の意味を込めたものだった。
 それほど彼は将来を嘱望されているのだ。
 さてその藤英はある日、東宮のもとから退出した後、良家の子息十人も混じった大学寮の学生達三十人相手に文などを読んでいた。
 そのうちに秀才が四人やってきて、彼らも銜えて物語りなどをする。

「そう言えば君は宣旨が下ったのだろう? いつ出立するつもりだ?」

 秀才の一人ははい、と答える。

「下りました。近い内に都を離れ、任地の方へと向かいたいと思います」
「なるべく早く起った方がいいと思うよ」
「ところがこの頃忙しくて。史記の講義の方を済ませてから、と仰せられも致しましたし」
「ああ、帝がそうおっしゃられていたなら、まずそちらだろうな。自分のことはそれからにしたまえ」

 などと助言を加えたりする。

 そんな彼のもとに、ある日あの忠遠《ただとお》が訪れた。そう、彼が見いだされるきっかけとなった男である。
 この時、忠遠は大学寮の判官で、現在の藤英よりずっと低い地位にあった。
 藤英は驚き、かつ喜んで彼を迎えた。

「どうしたんですか、ずいぶんと久しく顔をお見せにならないから、私は心配しておりましたよ」

 すると忠遠は苦笑して、無沙汰を謝る。

「何となく、自分が情けなくて。近頃任官したばかりの人が、幾人か地方へと出立するのに、私は今もって何処へも行かれない…… 少しばかり妬ましく、それでいてそんなことを考えている自分が情けなく、何となくあなたの前に出るのが憚られたまです」
「そんな!」

 藤英は思わず忠遠の両肩を掴んだ。

「そんな情けないことを仰らないで下さい。聞いて下さい。先日蔵人に欠員があるというので、その蔵人にあなたはどうか、ということを右大臣どのに推挙致しましたのですよ」
「えっ」
「すると大殿は、私にあなたの世話をする気があるのか、と仰ったので、私とあなたの今までのいきさつを詳しくお話致しました。大殿はすぐに奏上しよう、と仰いました。この時の言葉が嘘では無いのなら、―――あなたもこれから成功なさるでしょう」
「しかし、その宮仕えも、運が悪くては」
「そんな風に考えないで下さい。私があなたに受けた恩を忘れているとでも思っているのですか? ええ、公の仕事を忘れてでもここはあなたのために私は奔走すべきでしょう。そうでなくては私はあなたを粗略にしていると思われてしまう。あなたはそう扱われるべき方ではない!」
「あ、有り難う……」

 思わず忠遠の目から熱い涙がほとばしる。

「もう公からは捨てられたかと思っていた…… 私一人ならともかく、年をとった両親や、妻や子のことを思うと……」
「仰る通りです。力がありながら世に認められず、人の後について行かなくてはならないことの無念さは、この私がよく判っております!」

 ぐっ、と藤英は触れた肩を強く掴む。

「大殿と相談致しましょう。そう言えば、長年京で生活なさって、生計の方はどうしておいでになりますか?」
「それは……」

 忠遠はうつむく。

「ええ何も心配することはございません。私は今年の位禄は近江のものを賜りました。まだ取り立てにやっておりませんが、近江守に紹介状をやりましょう。取りにやって、それをお使い下さい」
「でも、あなたが」
「私のことなら心配要りません。世話をしなくてはならない人が居るでなし。この身一つなら、特に今困ることも無いので」

 さあ、とそのまま彼はすぐに近江守への紹介状を書きだした。
 そのまま詩を作ったり酒を呑みかわしたりして、二人はその晩過ごした。
 藤英は忠遠が明け方になって帰る時には、綾掻練の袿を一襲に袷の袴をつけて被物として持たせた。



 その後、正頼に熱心に頼んだ甲斐があってか、忠遠は蔵人に任じられた。藤英は彼に蔵人の装束を一具送ったり、様々なことで援助してやるのだった。

   *

 この様にして、かつてあて宮に懸想した者達も、人によっては妹君に婿取られ、一緒に住む様になった。
 しかしそうなってみると、正頼はそれ以外の懸想人のことも気になった。
 特に仲頼に関しては不憫で仕方がなかった。
 そこで綾重ねの法服を二つ用意し、宮あこ君を使いにして届けさせた。
 その衣の裳には、こう書かれた文が結びつけてあった。

「―――元結は不用におなりですが、剃刀はなくてはならない物でしょう」

 それを見た仲頼は涙を流し、こう返す。

「―――元結が朽ちてしまったほどの涙は今も尽きませんが、その嘆きに沈む私をお忘れなくお訪ねいただき、只今必要な剃刀までお恵み下さる厚いお心を嬉しく存じます」
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