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Sell my Soul

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 手の届く距離に、彼は居た。



「聞いたぜ?」

 薄暗い俺の部屋で、煙草に火をつけながら奴は何気なくつぶやいた。そぉ、と俺はやっぱり何気なく返す。

「よく来れたなぁ?」
「表、ひどいよな。俺ラッパーな格好してきて正解かもね」

 長い髪をニットの帽子に突っ込んで、そして目も見えるかどうか、というくらいにかぶり、しかも下はジャージ。らしいといや、らしい。苦笑しながら、その帽子をもう一度かぶってみせる。

「このクソ暑いのによぉやるで。何処から見てもアヤシイにいさんや」

 くす、と笑いがどちらとも無く漏れる。
 昼間なのに、カーテンも閉め切った部屋は薄暗い。灯りはつけているが、天気も時間も何も判らない。
 うるさいハエども。窓の外をぶんぶんと耳障りな音を立てて飛び回る。
 いい加減にせい、阿呆んだら。地獄に落ちろ。
 笑えない顔のまま、何度繰り返したろう? 
 でもきっと俺自身も地獄行きのタイプやから、いっそ天国に行ってまえ。それでひどくウツクシイ世界で居心地悪く過ごせばええんや。けっ。
 これでまたこんなとこを奴らが見たら、いいエサになる。できるもんなら、してみやがれ、と言いたい所だけど。

「俺も、聞いたで? お前らのなんちゃって12インチ」
「ふっふー♪」
「面白いやん。何か何処かの音パクってきたよな感じはせぇへんし」
「そりゃあな。それがウチの取り柄だからなあ」

 ウチ、ね。
 ぱらぱらと事務所にある音楽雑誌を見ると、あちこちで、こいつの顔を目にする。俺達が載っている雑誌、載っていない雑誌、色んな所で、その顔を目にする。最後に俺達と載った時とまるで変わらない顔で。
 まじまじと奴の顔を見ると、何、と濃い眉と黒目のでかい目を同時に上げた。

「や、お前全然老けへんなぁと思てな。ばけもんか」
「何それ、俺が相変わらずガキってこと? ……だいたい人のこと言えるのかよ」
「俺はええんや」
「何だよそれ」
「ま、それもありやな。万年ガキ。ほれ、こぼすなよ?」

 そう言いながら、俺は冷蔵庫からビールを出して放った。しかし予想はしていたが、どすっと音がして、一度カーペットの上に、缶は落ちた。
 ああこれできっと、開けた瞬間にこぼれるのは間違いない。俺は午後茶と一緒に、開けたばかりのティッシュの箱をもテーブルの上に置いて座り込む。

「ほんでも、あの時よか太ったとちゃうか?」
「余計に男前になっただろ」

 ふん、と鼻で笑うと、奴はへへへ、と顔を緩める。そして案の定、開けた缶は、ぷし、という音とともに、しぶきを奴の顔に散らした。俺はけけけ、と声を立てて笑う。
 どのくらい時間が要ったのだろう? 気楽に話すことができるようになるまで。
 奴が休んでいる間も、会えない訳ではなかった。誰も止めた訳ではない。誰が止められるっていうんだ。
 会おうと思えば会えた。ただ、自分の気持ちがずっと、そうさせなかっただけだ。ただそれだけだ。



「何かこのビール冷えすぎじゃねえか?」
「そらそうや。ずぅっと冷蔵庫の奥に眠ってたからなぁ。しゃあないやん」
「お前そういや、あんまり呑まなかったっけ」
「ああ…… よぉ覚えてたな」
「そりゃまあ、俺ばっかだったしな。そういや、奴は、コーラだっけ」
「そ。何か実にロッカー!!って感じだからそのまんま追求してくれ、って俺は思うけどね」
「仲良さそうじゃん」

 俺は首を横に振る。

「んな、いちいちウチまで来んわ。お前やあらへんし。そぉ深いつき合いは無いで、最近は皆」
「ふぅん。皆元気?」
「元気、かな? よぉ判らん。今の俺見てお前元気って言うならな、皆もそぉかもしれん」

 そうか、と奴はそのままビールを飲み干した。いい加減テーブルを拭け。


 
 ところでさ、と話を切り替えたのは奴の方だった。
 何、と俺は目だけで奴の方を向いて問い返す。

「聞いたよ?」
「何を」
「アルバム」
「それはもう、さっき言うたやん。ちゃんとお前、金払て買うたんか? 律儀やな」
「そりゃまあ。でもそれは事実の確認。今度はちょっと濃ゆいお話をしよ」
「濃いのは疲れる。止しや」

 俺は目を伏せて、ひらひら、と手を振る。今その話はしたくはなかった。
 だがその手を、奴は不意に掴んだ。

「何すんねん」

 俺は目線を逸らしたまま、問いかける。

「ちゃんと聞いてくれない? ほらこっち向いて」
「聞きたない。何で言いたいんや」

 首を横に振ると、俺は掴まれた手の方にじっと視線を集中してた。下手にこいつと視線を合わせたら、掴まる。そんな予感がしていた。それはまずい。
 今掴まったら、俺は。

「ホント、止め。痛いやんか」

 掴まれた手を、俺は強く揺さぶる。目は逸らしたまま。
 だけどそれは離れる気配はない。痛みさえ感じる。そしてその痛みにつられて、顔を上げる。
 間違えた、と俺は即座に感じた。視線が、合ってしまう。
 掴まる。
 奴の、でかい、やけに黒目がでかい、あの、考えてることが丸わかりの、あの。
 そしてこっちの中身まで見透かしてしまうような。
 その下の口が、こう 動く。

「お前さ、俺に、歌ってなかった?」

 震えるな、俺の声。

「何言うとる。あんな、歌詞なんてな、どんなシチュエイションも皆、作り話やん。うぬぼれるんやないで」

 冷静な声冷静な声冷静な声。他人事の様に吐き出す言葉を耳にしながら、胸の中で呪文のように唱える。
 俺は、決してそのつもりではなかった。だけど出してみたらこのザマだ。何って正直な俺の心。
 ラジオやらインタビウでは毒にも薬にもならないような言葉をまき散らして煙に巻いても、どうしてもこれだけは、本性が出る。それはそうだ。これで俺達は生きてるんだ。ただおまんまの足しにするだけではなく、どうしようもない気持ちを、空に飛ばす手段として。俺が苦しくなりすぎないように、言葉を音に乗せて空へ飛ばすのだ。
 その空は、明るかったはずだ。光に満ちていたはずだ。あの夏の空のように。
 まだ、それほど世間が賑やかではなかった、あの夏。
 俺は髪を切るか切らないか、というところだった。こいつは髪を伸ばしだした頃だった。
 夏の、緑の中で、野外で歌った時には心地よかった。
 「野音」はともかく、それ以外で俺達が野外をやったのは、その時だけだ。そしてこいつとやったのも。昼間から夕暮れにかけて移り変わる時間の中で、演奏したのは。
 これからどれだけ、大人数を野外で集めたところで、こいつがそこに居る訳じゃない。
 光と緑。きらめき。
 俺は光が欲しかったはずなのに、どうして、今、こんなに窓を固く閉めていなくてはならないんだ?

「何でそな、阿呆なこと考えるんや。うぬぼれるのもええかげんにせい」

 言葉が固くなるのが判る。そしてそれに追い打ちをかけるように、奴は言葉を続けた。

「だってお前、全然幸せじゃないように見える」
「勝手に俺の気持ち想像すんな。俺今、結構幸せやで?そらま、ハエどもがごちゃごちゃ居るけどな。人気者やからな。ちゃんと綺麗な女も手に入れたし」
「棘は?」
「え?」

 思わず問い返していた。

「綺麗だけど、棘があるんじゃないの?」

 びく、と自分の身体が固くなるのを感じる。

「彼女のことは好きやで?」
「鍋なんか、あいつらともやっただろ」

 ああ読んでるな、と俺は奇妙におかしくなる。そんなトコまで、よく見てる。いちいちコンビニへ行ったんだろうか? 自分だってそういう奴等には結構食い物にされたクセに。それともずいぶんと友達思いの誰かさんが、こいつに何か言ったのか?
 ああよせよせよせ。ロクな想像になりゃしない。
 俺はもう一度掴まれた手を大きく振った。それで解けるとは思わなかったが、ただ、そうしてみたかった。
 あの頃聞き慣れた、あの名前でこいつは俺の名を呼んだ。強引に目を逸らすと、俺は声を低め、首を横に振った。

「どぉとったってええわ。お前いちいちそんなこと言いに来たんか? わざわざあのハエどもの間をすりぬけて? ご苦労なこった」
「誰がそんなヒマあるかよ?」
「ヒマやろ。俺に比べれば」
「お前ね」

 そして奴は俺のもう片方の手も取った。



 あんたの歌詞は時々見てて怖くなるわ。
 リーダーは言った。
 何で俺の曲、あんな怖い歌詞がいつも載るの?
とそう繰り返した。
 しゃあないやん。曲が呼ぶんやから。
 俺はそのたびこう答える。あの朝の番組に何故か使われてしまった曲にしても、あの一見明るい冬の曲にしても、俺は決して明るい意味にとっていない。
結果として、映像はあんなものになる。救いの手がそこにあったと思ったダイビング・マンは救われることなく内臓をまき散らし、俺は猫を抱いて他人事。
 人類の希望…… おいそんなものに誰がなる言うんや? あれじゃどぉ見たって極刑や極刑。人類のいなくなった世界に、誰が悲しゅうて、暢気に歌歌えるって言う? そしてそれも、目覚めるかどうか判らない眠りの中のただの夢。目覚めないかもしれないね、その中で腐ってしまうかもしれない。
 そして朝な爽やかな占いの時間には、沈み込む誰かと誰か。
 何でや? とリーダーは俺に聞く。俺は判らん、と言う。そして、それは曲が俺を呼んだんや、と付け足す。
 あんたの曲の中に含まれる、何かや。それを感じ取って、俺は言葉を探すだけや。だからもしそれが怖いものだとしたら、それはあんたの中のもんや。俺には判らん。



 ああだからだよな。俺は俺の曲で、嘘は書けない。
 俺の曲の呼ぶ言葉に、俺は嘘を書けない。



 重いわどけ、とひどく疲れた様な奴の身体を押しのけ、俺は煙草の箱を引き寄せると、一本取り出した。
 解けてしまった髪をゴムであらためてくくると、奴はのそのそと身体を起こした。
 吸う? と俺は奴に自分の箱を差し出す。もらう、と素直に奴は手を出す。
 こういうだらだらとした時間は、嫌いじゃない。だけど今ではそう簡単には他に入らなくなっている。
 暗い昼の時間に取る眠りは、ただ疲れを取るだけのものになってしまっている。
 あの頃、毎晩の様にこいつは俺の夢に出てきた。
 何が言いたい、と問いたかった。じっと見ているだけの奴に、俺は何かをいつも聞きたがっていた。
 だけど声は出ず、奴も俺に何も言わなかった。
 夢はやがてフェイドアウトし、見る間も無く今度は忙しい日々が俺達を襲った。
 冗談じゃないスケジュール、音楽でない「営業」をこなす日々。
 その計画は自分達で詰めたとは言え、その忙しさは、それまでの自分達より激しかった。
 だけど俺は激しくしていたかった。
 そうでもしないことには、少し突っつけばあふれ出してくるあの時の気持ちが、そして押し殺している願望が、襲いかかってきそうだった。
 「彼女」とつき合いだしたのも、そのあたりだ。周囲が用意したお膳立て。
 悪くはない。
 だけどそれが本気かどうかなんて、自分自身にだって判らない。でもいい。放っておく。ある程度の噂なら、本当にことを隠すには有効だ。
 俺達は、人気は出ているらしい。CDは売れているらしい。冗談ではない動員数が可能らしい。
 らしいらしいらしい。
 半ば意識は眠っているようなものだ。何かもう、自分自身のこととは思えない。
 街角にはでかいボードに俺達の顔が載る。新聞に何ページも顔が印刷される。TVにはいきなり訳の判らないCFかと思ったら、俺達のだった。何考えてるんだ、俺達。
 喋る言葉、見せる表情、マス・メディアの中、自分の表情が、ひどく凍っているのが判る。
 貼り付けたような笑顔。おっとりした口調。答えを期待する司会者を軽くかわす慣れた気怠さ。下手なこと言ったら、簡単にカットしてしまうくせに。は。
 そしてそんな一通りを眺めて思う。
 本当にこれは俺の表情か?



 吸い終わった煙草を灰皿に潰すと、俺は奴の頭を軽く抱え込んで、唇に唇を押し当てた。
 どうして、手の届かないものを、強く求めてしまうのだろう?
 あの時には、当たり前だったのに。ただそばに、居るだけのこと。
 ひどく簡単なことだったのに。
 再び回される腕の力の強さを感じる。時間は止まればいい。どうだっていい。どうせなら、今世界が壊れてもいいんだ。



 でも俺は、時間が進むしかないことを、知っているのだ。
 どうしようも、なく。
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