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74.吉屋信子の戦前長編小説について(29)長編のキャラとか構成というあたりから見て(1)メジャーデビュー作「地の果まで」

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 ​​​​​​​​​​​​​​……で、今までが修士論文の内容を「まとめ」以外資料絡めてざっくりと語ったものなんだな。
 彼女の「昭和に入ってからの長編小説がどうやって形成されたか」を

「世間要求されていたもの」

 という面と

「自分の嗜好」

 との折り合いをつけた結果、ダブルスタンダードにならざるを得ない、首をひねる結果となる、他人が演出すると彼女の意図は消えてしまう、という話だったわけだ。
んで。

 じゃあ大正期の長編はどーだったか、というのを少しまた語ってみたいざんす。
 これは大学院の紀要のほうに出した論文をまたざっくりと。

 まずは「大人の長編」としてのメジャーデビュー作「地の果まで」のこと。
 この話を書くまでの経緯ですが。
 大正七年、吉屋信子は当時の「親密な」友人・菊池ゆきえの勧めにより、『大阪朝日新聞』に「地の果まで」を投稿しました。
 この菊池さんって言うのは、まー何というか、次に出す「屋根裏~」の相手嬢の「こうあってほしい」モデルですな。
 津田英学塾に通っていたんだけど、『大阪朝日新聞』の英文ニュース欄にだけ載ってた「創立四十周年の原稿募集」を発見したことが吉屋の投稿のきっかけなのだ。

 で、この時の様子は、後年、短編「歳月」において吉屋自身が描写しているんだけど。



>その春卒業したらあるミッションの幼稚園に就職の約束もほぼきまった早春のある朝、寄宿舎の食堂に備え付けの新聞綴の台で新聞を見ていた友が呼んだ。
「これに応募なさいよ」
「歳月」(『婦人之友』婦人之友社 昭和三十九年十二月号)



 一応この時期、もう洛陽堂から『少女物語 赤い夢』という童話作品集を出版、『少女画報』では「花物語」を連載していた。好評でしたよー。
 だけど当時、童話や少女小説は文壇の外にある存在だったわけです。
 で、吉屋は職業作家、大人向け小説への挑戦として、三番目の兄(一家の中の出世頭で、妹の才能を認めてくれたひと)が居た北海道において初の長篇「地の果まで」を執筆するわけですな。

 この時の募集要項は

「小説、時代は現代、新聞連載に適する家庭の読物、約百五十回、一回は一行十五字詰め百行内外」

 換算すると一回につき千五百字。←今だったらこっちのほうがわかりやすいな。
 現在の四百字詰原稿用紙だと四枚弱。
 吉屋はこれを全百五十五回の原稿にまとめて投稿したわけです。
 その直後、父の死の知らせがありまして。単行本になった時、吉屋は「父上の御霊に捧ぐ」と言葉を添えているのですな。
 ちなみに発表は十二月二十六日、そして翌大正九年一月一日から『大阪朝日新聞』誌上での連載が始まったわけどす。
 ただし『大阪』であって『東京』ではないことに注意。

 で、この話の内容ですが。
 一口で言えば、「強気な姉と弱気な弟の考え方の違いと彼等を巡る人間模様」……だな。
 いや、もの凄くそれぞれの立場と話がごった煮になっていてですな、あらすじ書く時にすげー苦労したのよ。
 一応論文のほうでは↓のように価値をつけたんだけど、

>その中で、当時のキリスト教に対する若者の受容、結婚に対する吉屋の考え、ブルジョア子弟の生活改善といった、時代の特質を抜き出して考察するきっかけには充分興味深い物語である。

 「うーんどうだろう」(にこにこ)としたくなる話でもあるのさ。

>中心になるのは、ヒロインである春藤緑と、彼女に立身出世の夢を押しつけられる弟・麟一。
 弱い立場にある彼等に降りかかる事件に対し、麟一への強い願いに突き動かされる緑が引き起こしてしまう行動が、この物語の原動力となっている。

 ……それは間違っていないとは思うんだけど。まあちょっと彼等に起こる事件を中心としてあらすじを追ってみようか。

> 最初の事件は、麟一の学費問題だった。
​​ ここで一高~帝大コースのみしか認めない緑は、現実的な叔父と衝突する。叔父と姉弟は絶縁することとなり、上の姉の直子の夫、叔父の異母弟である浩二のみが頼りとなる。​​
 麟一はかつて母が働いていた園川家へ書生として入り、そこで出戻りの長女・関子に恋される。やがて麟一も関子の兄嫁・千代子の後押しもあり、二人の仲は“清く”深まっていく。

 もうここで人間関係がもの凄く面倒なことになっています。
 緑さんは怒りすぎてぶっ倒れてます。

> 第二の事件は、緑の結婚話である。相手は彼女が惹かれていた神学生であるが、“処女”“容姿”“年齢”等の条件のみで求められたことに憤慨し、きっぱりと断る。
 やがて麟一は一高受験に落ちる。また、労働争議の関係で浩二夫妻が北海道へ転勤になる。千代子に麟一をそのまま書生として居させるように緑に頼む。

 いやーここでも滅茶苦茶緑さん、憤慨してます。
 ただし体裁は繕ってるあたりが。

> 第三の事件は、「麟一が婦女子の愛玩物となっている」という匿名の投書である。緑は差出人不明のその手紙に憤慨して園川家へ怒鳴り込む。衝突する緑と千代子と関子を見て、麟一は自殺をほのめかす書き置きをおいて失踪する。
 緑は半狂乱で飛び出し、友人・梅原敏子に救われる。人生に意味を感じなかった彼女も、緑の必死さにやる気が起こり始める。
 一方、千代子は物足りなさを感じていた夫を頼る。彼は妻と妹のために実家へやってきて、生活の改善を父に誓い、妹を引き取って行く。夫妻は敏子と連絡をとって麟一の捜索もさせる。

 ここで梅原さんってのがいい子なんですよねー。
 もともとは学校の中でもふらふらしいたひとなんだけど、この緑さん見て感動しちゃってお世話するんだから割れ鍋に綴じ蓋なんですが。

> 最後の事件として、北海道の直子の出産と死亡である。これだけは緑も動かされる側の人間となっている。
 その知らせは音信不通にしていた叔父の心を溶かし、切れていた緑との関係修復をさせる。その一方、麟一が見つかったという知らせも千代子~敏子から入る。姉の遺骨を抱いて帰る時、ようやく緑は弟の人生は弟に任せようと決心する。

 何というか、人が多い。
 んでもって、……まあ、たぶん作者がどんなジャンルか考えて書いてなかったからだと思うけど、生き方とか「べき論」とか満載でなあ……
 章立ても特にされてなくって、ただ回数だけ付けられてる。だから何というか、全体を眺めると、筋らしい筋は無い話と言っていいのよ。
 物語上の時間に添って、淡々と物事が綴られて行く書き方。
 つまり、吉屋信子がそれまで「純文学的に」短編で書いてきたやり方とさほど変わらないわけだ。
 プロットの組み立て方がまだよくわかっていないというか。

 ただ!
 キャラの個性は強いぞ。
 多人数だけど、それぞれ個性的な性格とそれに伴う行動をしている。
 吉武輝子は彼等について、「現実世界の中では、とても通用するとは思われない純化された人間像」と指摘しているんだけど。まあ言うなれば、ある程度​テンプレな人物像​ってことだな。

 その中でも、ヒロイン・緑は強烈だぞ。
 彼女の行動が物語の原動力となっていることは先に書いたけど、いやもう、何というか。

​ まず、第一の事件では、それまで学資の援助をしてくれた叔父に対し、更なる要求をした上で叶えられないと知ると​「私達の若い芽を摘もうとする悪魔」​とののしった上、興奮のあまり貧血を起こして倒れる。​
 ​第二の事件では、それまで好意を感じていたはずの青年に対し、​心の中で罵倒を浴びせかける。​勧めてくれる牧師夫妻には冷静だが、内心は怒りで爆発しており、​​反動の様に弟への執着を強める。​​​
 そして第三の事件では、誰とも知れない投書により、​それまで尊敬すら抱いていた千代子に詰め寄り、関子を「毒婦!」と罵しり、ついには暴力も振るう。​
 第四の事件では彼女は何もせず、ただ流されて行くだけ。

 ただなあ。
 この緑さん、叔父さんに対し、全然謝ってねえのよ!
 謝ったら死ぬ病的に何一つ自分の非を認めてねえの!
 最後の和解の場面で謝るのはあくまで「こうなるまで放っておいた自分だ」と嘆く叔父さん。緑はかつての「悪魔」呼ばわりまでした暴言について何も言わないんだよ…… 失礼すぎる。
 叔父さんは典型的な「頑固親父」なわけだ。彼が反省の涙を見せる以上、対応する緑の行動としては、やはり泣いて「私も悪うございました」が丸く収まる形だと思うのね。
 だけど彼女はそうならないんだわ。
 確かに涙は流す。その理由は​この和解によって「神は確かにいる」と確信したから​なんだよ。なんだよ。
 んで、モンペならぬモンシスの彼女ですが、帰る列車の中で弟の将来については、付け足しの様に一行記されているだけなんだな。

 しょーじき、作者はこのメアリ・スーな緑をんじゃねえかと思うのよ。
 そら物語の展開上、麟一の進路については考え直させたけど、最低ラインとして、叔父に頭を下げるのは死んでも嫌、という感じなんだよなー。
 それに姉や義兄の態度もかなりおかしくてなあ。
 学費を頼むべく緑が叔父に使う手は朝の御馳走だとばかりに、当時貴重な卵を用意する辺りではこんな風な描写なのよ。



>​何故こんなにまで叔父につくすのか――と思ひ当ると、其処に緑のまだ若い幼稚な子供らしい見えすいたこの仕業が了解された。そして可愛い様なまた可哀さうな気持ちが妹に対して与えられたのである。​
『吉屋信子全集 第八巻』(新潮社 昭和十年九月 p72)



 また、叔父を罵倒しまくったあと、ヒステリーで気を失ってしまうんだけど。
そんな緑を見た義兄の描写。



>​涙に顔を濡らしながら、乱れた髪もその儘に、人目も恥ぢず、かうした他愛ない容子をする緑を見た浩二は、そのいぢらしさに涙を浮かべた。​
(同 p85)



 いや、既に――― 二十歳越えてる緑に対しての視線は、何処までも許して子供扱いして甘やかす保護者なんだよなあ。
 とは言え、強烈だから人の目はひく。
 ということで、キャラクター小説としてはよかったんじゃないかと思うんだけど。
だから「ジャンプの連載」的に次々に事件がおきて~展開してって~という感じでは正しいんだよな。新聞連載としてはオッケーだと思う。
 だけどこれが単行本でまとまると、「え、どういうあらすじだっけこれ」ってなるわけだ。
 ということで、論文書いたときのワタシの結論。

> 大筋と登場人物の動きに未だ上手くバランスが取れていない状態。それがこの長篇処女作「地の果まで」における吉屋の技量だったのだろう。
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