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第33話 「知識」は地図を欲する
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「でしょうね」
「判っているのか?」
「そもそもヤンサシャフェイ太公主さまと居られるならやってもいい、という姿勢だったとお聞きしました。だったらあの方がこの世に居なくなったら陛下にはこの世に残る理由は無くなります」
「お主はいいのか?」
「私はどうにもこうにも。ただできればあと二十年はご存命であって欲しいとは願うのですが」
「冷静だな」
「すがってそのまま生き続けて下さる方ではないでしょう? でしたら私は今は赤子のあの子に安心して受け継がせることができる状態にするしかないですし、陛下も私にはそれを望んでいるのだと思います。ただ」
「ただ?」
そこまで悟っている女でも、何か希望することがあるのか、とダリヤは思う。
「少なくとも少年のままで時を止めるのは当人にとっても、その次の女君達にも辛いことでしょうから……」
「ああ、そういうことか」
そこだけは気に掛かったらしい。
「老いることができないならば、老いなくともまあ何とかなる程度の歳で止められればと」
「お主は少女と言ってもおかしくない姿だが」
「太后さまもそうでした」
「……そうだな」
「そしておそらく、本当にそこで受け継がせることができれば、私もお二方の様に、あちこちを旅して歩きたいと思います」
「え?」
さすがにその言葉が出るとは思わなかった。
「本気か?」
「はい。私は『知識』を蓄えてそこから出し入れが容易ですが、それが現実とどう上手く折り合えるのか判らないのです。そしてやはり、『あれ』が本当に『あの場所』にあるのかは知らないといけないと思います」
「『あれ』か。イチヤは何も気にしていない様だったが」
「『知識』によると、『あれ』のせいで砂漠ができたということです」
それはダリヤも知っている。実際そもそも夫が「皇帝」になってしまった時、彼女はそこに居たのだから。
「ああ」
「ところがその砂漠の位置が、受け継ぐ『知識』の中でぶれているのです」
「何だと?」
「ダリヤ様がご存知なのは、最初に『あれ』が落ちて来て、砂漠を作ってしまった地点そのものなのだと思うのですが」
「違うというのか?」
「初代から先帝、それに今の陛下、それぞれが持っていた『知識』が、その件について、それぞれ微妙に異なるのです。ですから現在あの場所は砂漠のままなのか、そして、現在『あれ』は本当にまだ最初の位置にあるのか―――」
それは考えたこともなかったことだった。
「お主は『知識』を自由に分類して引き出せると言ったが、そういうことなのだな?」
アリカはうなづいた。
「その微妙な差異が、何を意味しているのか私は知りたいのです。地図が必要なのもそのためです。北は何処までそれが広がっているのか。もし北に広がっていなかったら、向こうから最短で帝国にやって来る者もあるでしょう」
「それは私も思った」
だがそれは、長い長い時間彷徨ってきた結果だ。
「何せこの帝国では、砂漠の向こうに人間が住んでいるということも皆知らない。砂漠の向こうに世界が広がっていることも知らないだろう。況んや、この世界が平べったいものではなく、球体だとは」
「そこには気づくことが出てくるとは思います。ただ、やはり気付くことができるまでの下地は必要です。だからこそ、技術方に測量の件を持ち出しました」
「もし『あれ』の本体が移動していたら?」
「その時にはおそらく、それを探さなくてはならないでしょう。そうでなければ、今この帝国で皇帝陛下が皇帝陛下たる意味が損なわれかねません」
「また乱世になる、と」
「砂漠の向こうの世界の存在があればともかく、今は無理でしょう。『知識』の中には、巨大になりすぎた国はいつしか内乱で壊れていくという姿が出現しております。いつか皇帝という存在が必要無くなる場合があるかもしれませんが、それは少なくとも、向こう側と渡りがついてからですし、ついてもしばらくは駄目でしょう」
「いつか、帝国の規模に匹敵する仮想敵国が出来たなら、内乱は少なくなるな。それは確かだ」
「だからこそ、今からでもこの帝国の範囲をしっかりと調査することが必要です。そして正確な地図も。向こう側の様子を探るだけの経路を作ることができるか、ということも」
「南は海だな」
「海に面した南側の藩候とはその件で話をつけなくてはならないと思っています。彼等が向こう側とつながっていないとは限りませんし」
「全くだ」
それにしても。ダリヤは内心思う。情だけが欠けているとは本当に惜しいことだ、と。だが情が欠けているからこそ、普通の娘なら押しつぶされてしまう量の「知識」を分析し最適解を出そうとできるのだろう、とも。
「そのためにはできるだけ太公主さまにも長生きしていただきたいのです」
「それはそうだ。……カヤの奴も、待って待ってやっと得た時間なのだから、長続きさせたいと思うだろうな」
はい、とうなづくアリカの表情には、皇帝に対する情が確かに含まれていないことが判る。
「一つ聞きたい、アリカよ」
「はい」
「お主にとって、最も大切なのは自分か? 帝国か? 別のものか?」
「……少し難しい質問ですね。ダリヤ様にとっては如何ですか? どの方面から答えていいのか判らない部分がありますので」
「私にとって大切なのは帝国だ。何せイリヤと共に作った国だ。つまりはこの国自体が我と我が子にも等しい」
アリカは少し考え込んだ。ダリヤの考えは非常に明快なのだ。だがどうも自分のそれは違うらしい。
「私にとって大切なものは今は三つですね」
「三つ」
「自分自身。これは無くなったら全く意味が無いです。そして皇太子。そのうち良い名を選んでくれるということです。私は直接どうこうできる訳ではないですが、この子が健やかに育つこと自体が帝国の安定に結びつきます」
「最後の一つは?」
「サボンです」
さすがにそれにはダリヤは目を瞬かせた。
「判っているのか?」
「そもそもヤンサシャフェイ太公主さまと居られるならやってもいい、という姿勢だったとお聞きしました。だったらあの方がこの世に居なくなったら陛下にはこの世に残る理由は無くなります」
「お主はいいのか?」
「私はどうにもこうにも。ただできればあと二十年はご存命であって欲しいとは願うのですが」
「冷静だな」
「すがってそのまま生き続けて下さる方ではないでしょう? でしたら私は今は赤子のあの子に安心して受け継がせることができる状態にするしかないですし、陛下も私にはそれを望んでいるのだと思います。ただ」
「ただ?」
そこまで悟っている女でも、何か希望することがあるのか、とダリヤは思う。
「少なくとも少年のままで時を止めるのは当人にとっても、その次の女君達にも辛いことでしょうから……」
「ああ、そういうことか」
そこだけは気に掛かったらしい。
「老いることができないならば、老いなくともまあ何とかなる程度の歳で止められればと」
「お主は少女と言ってもおかしくない姿だが」
「太后さまもそうでした」
「……そうだな」
「そしておそらく、本当にそこで受け継がせることができれば、私もお二方の様に、あちこちを旅して歩きたいと思います」
「え?」
さすがにその言葉が出るとは思わなかった。
「本気か?」
「はい。私は『知識』を蓄えてそこから出し入れが容易ですが、それが現実とどう上手く折り合えるのか判らないのです。そしてやはり、『あれ』が本当に『あの場所』にあるのかは知らないといけないと思います」
「『あれ』か。イチヤは何も気にしていない様だったが」
「『知識』によると、『あれ』のせいで砂漠ができたということです」
それはダリヤも知っている。実際そもそも夫が「皇帝」になってしまった時、彼女はそこに居たのだから。
「ああ」
「ところがその砂漠の位置が、受け継ぐ『知識』の中でぶれているのです」
「何だと?」
「ダリヤ様がご存知なのは、最初に『あれ』が落ちて来て、砂漠を作ってしまった地点そのものなのだと思うのですが」
「違うというのか?」
「初代から先帝、それに今の陛下、それぞれが持っていた『知識』が、その件について、それぞれ微妙に異なるのです。ですから現在あの場所は砂漠のままなのか、そして、現在『あれ』は本当にまだ最初の位置にあるのか―――」
それは考えたこともなかったことだった。
「お主は『知識』を自由に分類して引き出せると言ったが、そういうことなのだな?」
アリカはうなづいた。
「その微妙な差異が、何を意味しているのか私は知りたいのです。地図が必要なのもそのためです。北は何処までそれが広がっているのか。もし北に広がっていなかったら、向こうから最短で帝国にやって来る者もあるでしょう」
「それは私も思った」
だがそれは、長い長い時間彷徨ってきた結果だ。
「何せこの帝国では、砂漠の向こうに人間が住んでいるということも皆知らない。砂漠の向こうに世界が広がっていることも知らないだろう。況んや、この世界が平べったいものではなく、球体だとは」
「そこには気づくことが出てくるとは思います。ただ、やはり気付くことができるまでの下地は必要です。だからこそ、技術方に測量の件を持ち出しました」
「もし『あれ』の本体が移動していたら?」
「その時にはおそらく、それを探さなくてはならないでしょう。そうでなければ、今この帝国で皇帝陛下が皇帝陛下たる意味が損なわれかねません」
「また乱世になる、と」
「砂漠の向こうの世界の存在があればともかく、今は無理でしょう。『知識』の中には、巨大になりすぎた国はいつしか内乱で壊れていくという姿が出現しております。いつか皇帝という存在が必要無くなる場合があるかもしれませんが、それは少なくとも、向こう側と渡りがついてからですし、ついてもしばらくは駄目でしょう」
「いつか、帝国の規模に匹敵する仮想敵国が出来たなら、内乱は少なくなるな。それは確かだ」
「だからこそ、今からでもこの帝国の範囲をしっかりと調査することが必要です。そして正確な地図も。向こう側の様子を探るだけの経路を作ることができるか、ということも」
「南は海だな」
「海に面した南側の藩候とはその件で話をつけなくてはならないと思っています。彼等が向こう側とつながっていないとは限りませんし」
「全くだ」
それにしても。ダリヤは内心思う。情だけが欠けているとは本当に惜しいことだ、と。だが情が欠けているからこそ、普通の娘なら押しつぶされてしまう量の「知識」を分析し最適解を出そうとできるのだろう、とも。
「そのためにはできるだけ太公主さまにも長生きしていただきたいのです」
「それはそうだ。……カヤの奴も、待って待ってやっと得た時間なのだから、長続きさせたいと思うだろうな」
はい、とうなづくアリカの表情には、皇帝に対する情が確かに含まれていないことが判る。
「一つ聞きたい、アリカよ」
「はい」
「お主にとって、最も大切なのは自分か? 帝国か? 別のものか?」
「……少し難しい質問ですね。ダリヤ様にとっては如何ですか? どの方面から答えていいのか判らない部分がありますので」
「私にとって大切なのは帝国だ。何せイリヤと共に作った国だ。つまりはこの国自体が我と我が子にも等しい」
アリカは少し考え込んだ。ダリヤの考えは非常に明快なのだ。だがどうも自分のそれは違うらしい。
「私にとって大切なものは今は三つですね」
「三つ」
「自分自身。これは無くなったら全く意味が無いです。そして皇太子。そのうち良い名を選んでくれるということです。私は直接どうこうできる訳ではないですが、この子が健やかに育つこと自体が帝国の安定に結びつきます」
「最後の一つは?」
「サボンです」
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