上 下
30 / 38

第30話 苦労は苦労と思う時に苦労

しおりを挟む
「そりゃ、普通のところで大っぴらに口にされるようなことじゃないよ。あたしの居た花街だから知れたことだ。たださすがに十人衆になってからは、城の中を自由に歩き回ることもできたし、耳にしているかと思ってた」
「そんな」
「特に彼奴らだ。イセとハリマ。彼奴らはもともと女官だったからな。あたしが聞いたら『城外には漏らさない様に』だけだったね」
「嘘よ」
「何と言っても、あのお嬢さんだったカガリが白梅君についたってのは、あの子は紅梅様が、ということが許せなかったのさ。
 一緒に行ったのは…… ああ、名前が最近は上手く出てこないねえ。あれはカガリのことが好きだったからそれだけのことさ。
 あの子があんたを嫌いだったのも、紅梅姫のことをそう見ていた上で、そんな女をよく崇拝しているな、遊ばれているのも知らないで、という気持ちだったんだと思うよ。
 大店の娘ってのは、そういうこともそれなりに見てきているし、そもそもあの子はそういうのが嫌で武芸に打ち込んだんだから。だからそういうの、の代表の様な国軍の指揮者がそんな不純なことを、っていきり立ったんだよ」

 つらつらと口にするカイの言葉は淀みない。

「それで新しい嫁さん、あんたの調べた書類の中に、誰とも関係が無かった、とあったらしいが、まあそれ自体は大して宛てにはならないね。公式なもんには書かないだろう? いや、公式な愛妾とかについては書くだろうさ。代々の城主の中でも、花街から請け出した公式の愛妾なら書いてあったろ?」
「あ、はい。数代前の城主が全部で三十人がところの愛妾を持ったが子はできなかったとか、花街から請け出された女性が実質的な妻であったという記述は確かにありました」
「そう。だからそれはいいんだよ。だけど書けないことはある。白梅君も紅梅姫も、互い以外に関係していたのは近くに仕える者ばかりでね、そう、ハリマがこぼしていたな。
 自分達が志願したのは御守りするためだけど、その一方で紅梅姫のお手がつかないようにしたいがためだ、と。あの二人は自分に近しい者しか受け付けなかった。一緒に生まれたきょうだいと、同じ性を持つものだね。まあよくあることさ。あたしからしたらね」

 がくん、とイチヤの肩が落ちた。

「あんたは紅梅姫のお気に入りにされるかと思ったんだけどね。だから知ってるかと思ってたんだ。けど知らなかったってことに、正直今更! だけど、あたしは驚いてるよ」
「本当なのか? 育ての母殿」
「そのお声はどなたです? ずいぶんと重々しいですが」
「こ奴等同様の、歳を食わない一人だ。お主はまたずいぶんと肝の座った者だな」
「そりゃ、花街に生まれ、武の十人衆、帝国の追っ手を逃れたと思ったら、友に絶望し、男もいないのに母になっちまい旅の宿の女将なんていう何かと危険なことをずっと続けていたんですよ。そうそう驚くことなんざありませんわ」
「カヤよ、お主いい母親を持ったの」
「ええ、母さんは俺の誇りです。ずっと一緒に暮らしたいと思ってたんですよ。だからこそ、皇后には本当に感謝しております」
「だそうだ。生みの母親、何か言うことは無いか?」

 ダリヤはさらりと、それでも容赦なくイチヤに言葉を投げた。

「証拠は?」
「証拠?」
「紅梅姫様達がそうだったという」
「証拠も何も。皆知っていて、あの距離に居た奴の中で、あんただけが知らなかったか、知らされなかったか、知りたくなかったか、その三つしかなかったね。
 だからあたし等は次の国主が本当にできるのか不安でもあった。
 あの二人は国主としては失格だった。いや、あの二人なりに国主としてできることが、帝国にそんな形で譲渡して守ってもらうことだった、とあたしは思うがね」
「―――当時の帝国の軍勢からしたら、最後に狙っていた国が桜だった訳です。おそらくはもうずっと前に無血開城した上で帝国民を恨まない方策を練っていたのでしょう。記録上ではそうなっていました」
「では私がしてきたことは全て無駄だったと?」
「客観的に見れば無駄です」

 さすがにそのアリカの言葉にはダリヤもカイも、皇帝までも息を呑み、顔が引きつる思いだった。

「ですが貴女様の主観的にはどうでしょう? 全く無駄でしたか?」
「ガキが!」

 立ち上がると、窓の方へ向かう。大きく開けるとそのまま彼女は長棒を使って飛び上がった。

「逃げたか」

 続いて外に出たダリヤは屋根を見上げる。

「怒らせた様ですが、構わなかったでしょうか」
「ああいい。まあこれでしばらくはこっちに寄りつかないだろうさ。まあ改めて、初めましてだ、新しい嫁よ」

 カイはアリカに手を伸ばす。取っておやり、とダリヤはアリカに勧める。

「あんたにゃ感謝するよ。兎にも角にも、この息子がやっとあと二十年かそこらで本当の意味で自由になれることにしてくれたんだから。あたしの死ぬ前にその算段がついて良かった」
「お母上、お目以外に何処かお悪いのですか?」
「息が苦しいことが多い。いやもう、充分歳だ。いつ死んでもおかしくはないんだよ」

 そしてぎゅ、とアリカの手を取る。

「なるほど、あんたもなかなかに苦労してきたんだな」
「苦労は苦労と思う時に苦労です。私はそう思ったことはありません」
「うん。そういうアタマをしていることが、この先、上手くやっていけるといいね」
「大丈夫です。私にはサボンが居ます」
「サボン? ああ、さっき茶を持ってきた娘かね」
「私に足りないものは、彼女がよく知っています」
「ではそろそろ男の孫を抱かせてもらってもいいかね?」
「喜んで」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...