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第17話 母親という役目に「向いていない」。

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「私も少なからずそういうところはあった。そしてあ奴もだが、……総じて皇太子を産んでしまう女は、育てるのに向かない」
「ですが乳をやるのは」

 アリカは自分でも驚く程早く口を挟んだ。そしてまたそれにすかさずダリヤも手を挙げる。

「いやそれはいい。おそらくそれはいいんだ。だが」

 何と言ったものか、と彼女は少し考える。この新たな皇后はおそらく自分達以上に物事を言葉通りに受け止めるのではないか、という不安がダリヤにはあった。
 しかし言わない訳は行くまい。

「お主の体力は今の時期においては、疲れない母親としてたいそう便利だ。だがその時期が終わったら? お主はまた何かしら調べて、しかも身軽になったことで、あちこち自分で調べに動き出したくなるのではないか?」
「それは…… 確かに」

 え、とサボンは表情を変えずに答えるアリカに驚いた。さすがにそう答えるとは想像していなかったのだ。

「それは判る。判るのだが……」
「太后さまが見捨てた様なことはしないつもりですが……」
「うん。それも判る。だが、お主の態度は母親という職にんだよ、アリカ」

 むいていない、と彼女は復唱した。

「お主はおそらく、息子を手に抱いていても、気になる事象があればそちらに目が向く奴だ。それが悪いか、と言えば……」
「嬉しくはないわ」

 サボンはぽつんと言った。


「そう、そこでそう聞くところなのよ!」

 アリカは軽く視線を落とした。

「カヤを引き取ったカイはな、赤子を背負って新しく開いた旅籠屋を切り盛りしていたんだよ。まあオウミの様な手助けはあったが、奴は法師の装束のままだったからな。修行の一環として受け容れられた…… ではなく!」

 飛びそうになる話の行き場所をダリヤはできるだけすぐに引き戻そうとする。

「仕事はする。だけどそれはあくまで自分と子供の生活のためだ。泣いたら客に申し訳ない、としつつもちゃんと…… ではなくとも、それなりに手をかけた。何せカイも子は作ったことはないからな。花街の出だから、子供は慣れてはいただろうが…… そして育てていれば愛着も湧く。それが当人にも伝わっていたから、今皇帝は慌てて飛び出した。だがお主の態度では、そういう愛着が生まれる様には思えないんだよ。そもそもお主、乳をやること以外に、今自分が側にいることの利点を考えていないだろう? いや、利点という観点で見ていないのではないか?」

 サボンはその時、アリカの顔からいつも以上に表情が消えていたことに気付いた。

「そう――― そうですね。ダリヤ様は正しい。早く教えていただけてありがたいです」

 目が覚めた様に、そう言うと幾度も幾度もアリカはうなづく。


「え」
「だとしたら、乳をやる時以外は乳母につけた方がいいでしょう。確かに」
「え…… それで納得がいくの? 貴女は」
「いや逆なんですよサボン」

 ふるふる、とアリカはそれまでサボンが見たことの無い程に驚いた様に首を振っていた。

「私は知りませんでしたから――― 教えられません。そういう感情は。感情は学習するものです。私はそれを意識的にしてましたが、普通は違うはずです。サボンあなたが私に気付いたら笑いかけてくれた様なことが、私にはできなかったの、覚えてますか?」

 あ、とサボンは思い返す。
 確かに二人してほんの小さな頃から一緒だった。だがこの乳母子が感情を顔に表すことが小さな頃、あったか? 否。
 それだけではない。転んで膝をすりむいた時にも、葉で手を切った時も、何の意思表示もしなかったから、あとで「血が出てる!」と焦ったことがあったではないか。

「そういうのは、本当に生まれてすぐに学習しだすものなの。よほどそういうものでない限りは。この子供は、先ほどダリヤ様が指であやしていてくれた時、ちゃんと反応していました。だったら、普通の感情を持っているはずです。ああしまった。それに思い至らなかったなんて」

 そうか、とサボンは思った。
 そこでアリカが悔いているのは、子供に対して可哀想とか、離されたら嫌だとか辛いとかという感情ではなく、「予想が違った」ことに対することなのだ。

「判ったな?」
「はい……」

 サボンもまた、頷かずにはいられない。

「本当に、言われなくては気づけませんでした。ありがとうございます。確かに私には無理です。この子に感情は教えられません」
「うん。ちゃんとそれ用の人材もあるんだ。お主はそちらに任せればいい。乳は有効だぞ。我々の様な身体の力も含まれているからな。そこでしきたりというものを利用すればいいんだ」
「しきたり、ですか」
「女官長に『やはり乳母に任せた方がいいと思う』と一言告げれば、あっさりその様ににしてくれるさ。ずっと自分の役目がなかなか来なくて、焦れているだろう。お互いの利益は一致する。そうじゃないか?」
「そうですね」

 サボンはそんな二人の会話を聞いていて、不意にリョセンに会いたい、と思った。彼にこのことをそのまま言う訳にはいかない。だけど、彼だったらどう思うだろう。沢山の母親を持っていたという彼なら。
 彼は、そのどの母親にも愛情と敬意を持っているのだろうか。
 自分は乳母のことがとても好きだった。自分の生まれと殆ど引き換えに母を亡くしているだけに、彼女は殆ど現実の母と同じだった。
 当時のサボンを「一緒に育ててくれ」と連れてこられた時にも、子供同士としてのびのびとどちらにも愛情と厳しさの両方をくれたと思う。おそらくはマドリョンカのところの乳母よりずっと。
 そうでなければ、今の生活に適応することはできなかったろう。今更の様にサボンは彼女に感謝し――― 既に故郷に帰ってしまっていることを寂しく思った。
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