上 下
10 / 38

第10話 皇帝は出発し、祖后は過去の話を始める

しおりを挟む
 皇帝は実に素早く荷をまとめると、その日のうちに帝都を出発した。あまりの素早さに宮中ではまだまだ新参のアリカもサボンも呆気にとられた程だった。

「ずいぶんと軽装でしたね……」
「大丈夫なのですか?」

 赤子がよほど気に入ったのか、ちょいちょいと指であやしているダリヤに向かってアリカは問いかける。
 この初代の皇后は、湯浴みをして服を着替えた後も、そのままアリカの居る宮に居座っていた。

「まあ大丈夫だろう。皇帝も其方もそう簡単には何かあっても死ぬことはないしな。ああ、無論私もあの女もだが」
「なら良いのですが、あまりに軽装でしたので」
「あれは普段から自分を『宿屋の倅』と言っておるだろう?」
「はい」
「あれはずっとそうありたかったことをつい口にしてしまうのだ。まあ大目に見るといい」

 大目も何も、一応皇帝の仕事というものはこなしている(らしい)のだから、アリカがどうこう言うことも無い。
 そもそも帝国は先帝の時に皇帝無しでも国自体の動きは止まらない様な官僚機構を一応作り上げていた。
 だからと言って皇帝の価値が損なわれることはない。正確に言えば、「損なわれる様なことが無い様な機構になっていた」のだ。
 そして現在の皇帝カヤはその機構をわざわざひっくり返そうなどという気を一欠片も持っていない。
 ただ下手にこの状況をひっくり返そうとした藩候などには軍を皇帝の名で差し向け、鎮圧する。その権限と決定権は彼にあった。
 帝都を開ける時には、その次の皇族が―――ということになるが、実際のところ、カヤは殆ど遠出をしてこなかった。その代わり、各地の藩候の帝都住みを奨励した。半ば強制的な程に。

「下手に動くと、またあちらこちらに行きたくなるから、と仰有ってました」

 太公主もそう言い添える。

「苦労をかけるな」
「いいえ、私の選んだことですし。私がカヤさんにできたことはそれしかなかったですから」

 だが時間の流れが自分にだけのしかかって来ることに関して、彼女は何も思わなかったのだろうか? サボンはふとそう思う。

「どうしました?」
「な、何でもないです」

 ふむ、と二人の様子を眺めていたダリヤは軽く首を傾けた。黒く長い、ざらりとした髪が湯浴み後だけあって、しっとりと流れていく。
 やがて太公主も自分の宮へと戻って行くと、ダリヤは二人の元に近寄り、非常に小さな声で問いかけた。

「一つ聞きたい。どっちが本当の令嬢だ?」

 ひゅっ、と二人の喉が鳴り、肩がびくついた。

「ああ別に責めようということではない。ただ事実だけ知りたいだけだ。普通の令嬢では無理だ、と思っていたのでな」
「……ご想像の通りです」

 アリカは静かに答えた。

「成る程。やはりそうだろうな。まあそれは大したことではない。あれの母親などもっと大層な問題のある女だ。だがだからこそ、あれを妊み、産めたのだと私は思っている」
「どういうことですか?」

 アリカは身を乗り出した。

「あれから話は聞いているか?」
「あの方から見た話ですが」

 サボンも小さくうなづく。自分もまた、皇帝の話は聞いてはいたのだ。

「そう、あれの視点と、あの女の視点では話はまた変わってくる。そこがあの親子の問題でな……」

 ダリヤは苦笑する。

「で、おそらく近々あの女がやってくる。そしてこの子に会いたがるだろう」
「どうすれば良いでしょうか」
「そこは其方の判断だ。だから今からあの女の話をしばらくしてやろう。どうせ長々しい夜だろうから、サボナンチュ? と言ったな。其方は時々眠るがいい。我々はそう眠らなくても大丈夫なのだ」
「大丈夫」
「そういう生き物なのだ」

 それは? と言葉を無くし、サボンは首を傾げる。

「聞けるところまで聞いてください。それで明日の仕事に差し障る様でしたら、私が女官長にお願いします」
「それでいいのかしら」
「聞きたいのでしょう?」

 それにはさすがにサボンも黙るしかなかった。
 確かに彼女も、皇帝が母親を避ける気持ちは分かるのだが、何故皇太后がそういう女性だったのか、やはり理解できない部分が多すぎるのだ。

「私は今の陛下から受け継いでいる『記憶』も多少ありますが、やっぱりそれは皇帝方の視点ですから……」

 そう。基本となる「知識」はアリカもダリヤも、近々やってくる皇太后も同じなのだろう。
 だが、その上に多少なりとも先の皇帝達の「記憶」もうっすらと含まれている。ただそれは「知識」程には強烈なものではなかったので、アリカの頭の中では別の引き出しにしまい込んでおけば充分だったのだ。
 それに「知識」の方がアリカには興味深すぎた。
 誰と誰がどういう感情を持ってどういう経緯で惚れたはれたを行ったということは、アリカにとってはなかなか処理が難しいものだった。だからとりあえず横に置いておいたのだ。

「カヤの父親、私の孫の武帝と呼ばれた三代帝が生まれた頃はまだ国の中が酷くごたついていたんだ。私は私で、当時太后と言っても将軍の一人だったから、あちらこちらへ出向いていて、子を産んだ女のことをそう気にすることもできなかった。まあそれが最初の間違いだったんだ」

 サボンはそっと立って、茶の用意をすることにした。本当に長くなりそうだ、と予想がついた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

虐げられた皇女は父の愛人とその娘に復讐する

ましゅぺちーの
恋愛
大陸一の大国ライドーン帝国の皇帝が崩御した。 その皇帝の子供である第一皇女シャーロットはこの時をずっと待っていた。 シャーロットの母親は今は亡き皇后陛下で皇帝とは政略結婚だった。 皇帝は皇后を蔑ろにし身分の低い女を愛妾として囲った。 やがてその愛妾には子供が生まれた。それが第二皇女プリシラである。 愛妾は皇帝の寵愛を笠に着てやりたい放題でプリシラも両親に甘やかされて我儘に育った。 今までは皇帝の寵愛があったからこそ好きにさせていたが、これからはそうもいかない。 シャーロットは愛妾とプリシラに対する復讐を実行に移す― 一部タイトルを変更しました。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

誰の代わりに愛されているのか知った私は優しい嘘に溺れていく

矢野りと
恋愛
彼がかつて愛した人は私の知っている人だった。 髪色、瞳の色、そして後ろ姿は私にとても似ている。 いいえ違う…、似ているのは彼女ではなく私だ。望まれて嫁いだから愛されているのかと思っていたけれども、それは間違いだと知ってしまった。 『私はただの身代わりだったのね…』 彼は変わらない。 いつも優しい言葉を紡いでくれる。 でも真実を知ってしまった私にはそれが嘘だと分かっているから…。

【完結】ある二人の皇女

つくも茄子
ファンタジー
美しき姉妹の皇女がいた。 姉は物静か淑やかな美女、妹は勝気で闊達な美女。 成長した二人は同じ夫・皇太子に嫁ぐ。 最初に嫁いだ姉であったが、皇后になったのは妹。 何故か? それは夫が皇帝に即位する前に姉が亡くなったからである。 皇后には息子が一人いた。 ライバルは亡き姉の忘れ形見の皇子。 不穏な空気が漂う中で謀反が起こる。 我が子に隠された秘密を皇后が知るのは全てが終わった時であった。 他のサイトにも公開中。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

処理中です...