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10 母が付けた名前の由来

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「美味しい……」

 久しぶりだった。
 こんなに美味しいお茶を貰うのは。
 いや、ロルカ子爵家でもお茶と菓子は出してもらったことはある。
 おそらくここより良い茶葉だし、きっと淹れ方も完璧だろう。
 だがどうにもあの家では緊張の連続で、味わうだけの余裕が持てなかった。
 だけど今この応接間は、私がもてなされるには充分な広さと、この暖かい雰囲気。
 そしてスリール夫人手ずから淹れてくれるという。
 お茶の半分以上は雰囲気なんだなあ、と私はしみじみ思った。

「スコーンも召し上がれ。ジャム? はちみつ? クリームも充分あるわ。うちのマーサは小さめのものを作るのが上手いの。遠慮せずに」

 はい、と言われて口にする。
 ……本当に美味しい……
 男爵邸では正直、あまりスコーンは作らなかったのだ。
 あの家は基本ドイツ料理だったから、薄い焼き菓子やパイは作っても、この何の変哲もないスコーンは母が作ってと言わない限りはドロイデもわざわざ作らなかったのだ。

「お口に合って良かったわ」
「は、はい。ありがとうございます…… あの」
「なあに?」
「さっきのアビー…… さんっていうのは」
「ああ、ごめんなさいね。貴女より少し小さい頃、流行風邪で亡くしてしまった娘なの。アビゲイルって言ってね。夫も同じ風邪で亡くしているから、もうこの辺り私、悲しくて悲しくて」 

 思い出したのだろう。
 夫人の目に涙がにじむ。

「ああ、ごめんなさいね。ミュゼットさんが立っているのを見て、そのアビーが帰ってきたかと思ってしまったのよ…… ちょっと待って」

 ぱたぱた、と夫人は立ち上がり書棚からアルバムを取り出す。
 私はお茶をこぼさないようにそっと横にポットとカップを移動させた。

「もう二十何年昔になるかしら」

 そう言って開くアルバムには、家族で撮った写真が年ごとに綺麗に並べられていた。

「これがアビゲイルよ」

 え、と私は本気で驚いた。
 先日の古い写真でも相当だったが、私とそう変わらない少女の姿を見ると。
 服が昔のそれだけに、もの凄く違和感はあるけれど。

「……確かに…… よく似てます……」

 いやもう、似てるってものじゃない。

「でね。息子が言っていたの。その昔もの凄く好きだった女性の娘さんだって。でもちょうど息子と…… な時と時間が合うんですって。それに、その名前」
「名前」
「息子はフランスで流行り出したその音楽が好きだったのよ。アコーディオンの切ないメロディがちょうど切ない自分の思いと重なるから、って。だからもしかして、その言葉を名前にしたのかしら、って」
「母が…… それにちなんで?」

 男爵にすぐに気付かれまい、と思ったのだろうか?

「判りません、奥様、だって私、母に捨てられたんですよ、家の中に女は一人でいいから、って……」
「そうね、私は貴女のお母様ではないから判らないけど、ともかくその時は貴女を産みたかったんじゃないかしら」

 スリール子爵には、自分が男爵の後妻の娘として育てられた、ということは告げてあった。
 無論夫人にも伝わっているだろう。

「だったら何故」
「それは、……当人だけの胸の中にあるんでしょうね」
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