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第2話 友人、嵐の様に来襲す

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 だけどそんな余韻に浸っている暇をどうも運命という奴はあたしに与えてくれないらしい。
 その夜のうちに、とりあえず彼が皇帝陛下、ということは認めることにした。そう思わないことには生活そのものができそうにない。
 だけどいくら周囲がどうあろうと、あのひとをあたしの頭の中のイメージの「皇帝陛下」と結びつけるのは非常に無理がある。
 外見だって口調だって、学都でよく見た大学校生や研究生の男と対して変わらないのよっ。
 ―――ので、その件についてはしばらく保留にすることにした。



 執務のために皇帝陛下が本宮に帰って行って、しばらくしたら、いきなり来客。
 大きな窓から下を見たら、女官長が応対していた。
 ひどく丁寧に女官長にあいさつをすると、何やら重そうな荷物を従者に持たせている。見かねた女官長が慌てて、食事運搬用のワゴンに乗せさせた。
 確かあの顔は見覚えがある。国務大臣だ。大臣お三方の一人。本家の当主さまが、ここへ来る前の「学習」期間に写真を見せてくれた。
 歳の頃は四十かそこら。生きている年数からしたら、あの皇帝陛下よりずっと若いはずなんだけど、こちらはただの人だから、髪か薄くなりかかったり、肌に張りがなくなったり、それ相応のおじさん外見している。
 山高帽を取ると、国務大臣はあたしに一礼する。こんなこと、昨日までだって想像できなかったことだ。

「これはこれは、新妃様にはご機嫌うるわしく」

 新妃さまとはあたしのことらしい。
 何でも、後宮に入れられた女は、まず「妃」と呼ばれるのだそうだ。その新入りだから「新妃さま」。いまいち語呂が悪いけど。
その「妃」に子供ができて、その子供が男子だったら、「皇后」となり、女子だったら「夫人」と言うのだという。
 この辺りのことは学校でも、寄宿舎の友人ともずいぶん熱く意見を戦わせたものだわ。どうしているのかな、あたしの同居人は。

「お早うございます。大層素晴らしい気分ですわ」

 とりあえず愛想笑いを返す。「学習」の成果あって、その程度なら何とかできる。それを聞くと国務大臣は満面に笑みをたたえると、

「おお、それは良かった。実は陛下から、これを貴女にお持ちするようにと今朝早々仰せつかったものですから…」
「何でしょう?」

 従者はつ、と近付くと、ワゴンをあたしの前まで押し、一礼した。

「本、に見えますが?」
「その通りです。いやあ、新妃様はことの他陛下の御寵愛を得られたようで何よりです。今までわたくし、長年陛下の女性の方々を目にする機会を与えられてきましたが、このように御手づからお勧めの本を選んで運ばせるなど今までこざいませんでした」
「…そうですか?」
「ええ、そうです。もちろんどの方にも非常にお優しい方ではありますが…」

 ずいぶん熱心なことだ。
 国務大臣は午前中、これからのあたしの予定について話していった。少々舌が回りすぎる感じもするけれど、悪い人ではないらしい。職務に忠実なタイプだ。
 そしてこう締めくくった。

「…ですがまあ、お忙しくなられるのは、ご懐妊後ですね」

 部屋を出る時に国務大臣はやや真剣な顔になって言った。

「新妃さま、ぜひ御身体をお大事に。我々も今度こそは… と期待しているのです」
「…」
「それでは、またお目にかかれることを」

 一礼。頭を下げた拍子に国務大臣の頭のてっぺんがすだれ状態ということが判明。あたしはくす、と思わず笑っていた。

「おお、そうです。そうやって笑っていて下さい。陛下も貴女が笑ったところを見たい、と仰せでございました」
「…皇帝陛下が?」

 あの人が? そういうものだろうか? ちらり、とあたしはワゴンの上の本に視線を走らせた。
 国務大臣が下がってから、あたしは送られた本に手をつけた。
 そしてどうやら皇帝陛下は実にいい根性だ、とまたもや不敬罪に当たる考えを増やしてしまう。
 ぶ厚く重い、深みの強い焦げ茶の皮に金の線が入った、実に素晴らしい装丁の本が五冊、確かに従者君、重かっただろうな。
 タイトルは「帝国本紀」。つまり「この国で最も正式な歴史書」。
 …絶対にいい根性だ。


 
 その日、来客は一人ではすまなかった。
 昼食を軽く食べた後、それでもまた今夜、陛下がやってくる、と女官長が言うので、苦手で苦手で仕方ないはずの「帝国本紀」に手を出す。…だけど開いた瞬間めまいがした。
 別に本を読むのは平気なのよ。国史だって、人に内容を要約してもらったものを聞くのは好きよ。
 だけど、ただこうやって数字とか出来事がただただ羅列されていると頭が破裂しそうになるんだってば。
 だけど仕方ないので、とにかく一ページ読んではお茶に手を付けたり、一ページ読んでは外の景色を見たり、そんなことをして苦労しながら十ページくらい読んだ時だった。
 何たって他にすることが今のところないのだ。

「…ちょっと… 困りますっ!」

 今朝部屋の掃除をしてくれた若い女官の一人が叫んでいる。

「困るも何もないでしょ? 友達に会いに来るのがいけないっていうの?」

 あたしは思わず本を取り落としそうになった。取り落としていたら確実に足をケガしていただろう… 聞き覚えのある声だった。聞きたいと思っていた声だった。

「カラシュ!」

 すぐに判るわよ。学校の式典で全員斉唱なんて言っても、彼女の声だけはすぐに聞き分けがつく。決して「美声」じゃないけれど、すさまじく通る声。大気を切り裂く、と誰かが言ってた。

「リュイ!」
「あんたがここに居るって聞いて! 旦那に無理言っちゃったじゃない!隣の都市から馬何頭つぶしたと思ってるのよ!」
「ちょっと待てリュイ!今何て言った? 旦那?」
「ええそうよ、エファ・カラシェンナ、その事話そうと思ってあんたの実家へ連絡つけたら何なのよこの事態は一体!」

 大またに、乗馬用の服で闊歩してくる。つい三カ月前まで、夏休暇の前まで、一緒の部屋に寝起きしていた友人だった。

「そう大声でまくしたてないでよ! ただでさえカン・リュイファ、あんたの声は響くんだから!」
「ふん、人の特技にいちいち茶々はさむんじゃないわよ。あ、お嬢さん、済まないけれど、私と新妃どのにお茶をお願いできるかしら? 乳茶がいいわ。濃くね!」

 かしこまりました、と勢いに押されて若い女官はぱたぱたと駆け出していく。リュイはさてと、と間近にあった椅子を引き寄せると、遠慮と言う言葉など何処吹く風、という態度で座り込む。
 後ろでくくっただけの長いふわふわした髪が勢いでぽわん、とふくらんだ。

「さて、この事態をどう説明してもらおうかしら? 我が『不婚同盟』の盟主どの?」

 組んだ足に片ひじついて、にやにやと笑いを浮かべながらリュイはあたしに訊ねる。この仕草! この態度! あたしは昨夜のことを思い出してふと身体が熱くなる。
 だがそこでめげてはならないのだ。この女はあたしの友人であると同時に、成績争いをしていたライバルでもあっのだから。

「あんたこそさっき何ですって?旦那?結婚話は聞いたことなかったわよ?」
「だから言おうと思って連絡つけようと思ったんじゃない!全くあんたは自分のことは言わずにさっさと」
「別に言わないつもりはなかったわよ!とにかく急だったの!急だったし、あんたがダルガン伯のお嬢さんだからって、うちの当主さまが連絡つけさせてくれなかったんだもの」
「…クドゥールのタコ親父!」

 うちの本家の当主さまのことを、吐き捨てるようにリュイはそう言う。
 その剣幕にびくっとしながらも、先ほどの女官は言われた通り濃い乳茶を運んできた。ありがとう、とにっこりリュイが笑うと、去年かそこらにやっと帝都に入ることを許されたくらいの彼女は頬を赤らめた。まあそうだろう。学校の頃だってリュイはそうだった。

「いちいちうちに知れたからってどうだってのよ全く。うちとあそこじゃ政敵ったって大して分野が違うと思うけど?まあ最も彼も焦っていたんだろうね、そうでなくっちゃわさわざあんたまでかつぎ出すこともなかったろうに?」
「んー… あたしも実はそう思う… でもその前にあんたの方のことを言いなさい! リュイあんたも『同盟』の副盟主だったんだから!」

 ん、とリュイは口をぎゅっと結んで、ついでに手も勢いよく胸の前で組み合わせる。
 あたしやリュイは、学校の寄宿舎に住んでいた頃、同じ学年の友人達を集めてそんな「同盟」を作っていた。
 中等学校に来られる少女なんて、本当に限られている。家柄が良いというよりも、本人がそういう所で学びたい、という意識であふれている場合が多い。だからかなり低い身分の子まで、どうにか渡りをつけて入学してくることもあるのだ。
 だから、そんな所へわざわざ来るような少女というのは、それなりにひとクセもふたクセもあるようなのが多い。
 あたしも結構実家に居る頃には「変わってる」だの何だの言われてきたけど、あの学校では本当に「普通」だった。
 だけどその「普通」から「頭一つ抜けた」存在にあたしがなったのは明らかにその「同盟」のせいだった。さすがにそこでも、ある程度の年齢になれば結婚するのは当然だったのだ。

「はいはい。白状しましょう、我がいとしの学友どの。夏休暇があったでしょ?」
「うん」
「あんたあれ以来学校に戻れなくなったじゃない。でも実はあたしも戻れなくなってしまったのよ」
「おやまあ」
「監禁よ監禁! うちの親父! それでどうしたと思う?」
「…予想はつく」
「そうよ予想つけて」
「見合い?」
「正解! まあもちろんそんなの形式。どーやら我々の『同盟』のことがバレたらしくてね。変な方向に進みすぎる前にさっさと片付けてしまおうということらしかったわ」
「そりゃまた災難で」
「…まあ災難といや災難なんだけどね」

 本当にそうかあ?
 あたしは半ば信用していないような目つきで彼女を見る。何よその目は?とわめく気配があったんで、その前に釘を刺す。あたしはにやりと笑い、

「その割にはずいぶん幸せそうに見えるけど?」

 彼女はう、と口を押さえた。馬鹿だわあ。こういう所であんたは考えていることが判ってしまうっていうの。

「普通の旦那があんたにここへ来させるために何頭も馬使わせるとは思わないけれどね? この盟主さまに言ってごらんなさいーっ? 旦那はどうゆうお方なの?」

 彼女は一瞬口ごもる。どの部分から言っていいのか、何となく迷っているよう。

「…歳は下」
「えー?」
「年下よっ! 一つ下。おまけに華奢だし白いし小さいし… 下手するとあたしより美人なのよっ」
「…はあ」
「なのに声がいいんだもの!」
「…ほお」
「はあほおじゃないわよカラシュ!」

 だって顔真っ赤。こーんなリュイファ見たことがないわよ。どうやらすさまじく運が良かったらしいわ。
 もともとリュイは外見なんてあまり気にしない人だった。だけど自分が声に特徴あるから、と好みのタイプの一番の条件に「すさまじくいい声」を挙げていたくらいだもの。

「…良かったねーっ」
「うん、あくまであたしは幸運よ。でね、勉強を続けたいと言ったら、まあ学校はともかく、その機会が得られるように協力しましょうって」
「良かったあ」

 あたしは半ばからかい、半ば本気でそう言いながら、彼女の髪をわしゃわしゃとかき回す。
 あたしのまっすぐな髪と違い、彼女の髪は実に絡まりやすい。だからそうされるのを非常に嫌がる。同室の頃もそうだった。だからよくあたしはそれをぐしゃぐしゃにしてやったけど。絡まるからやめて、と言いながらも、リュイは照れ笑いを隠せない。

「で、今はまだあたしが学ぶ側だけどね、いつか他の人にも… 女の子ね、そういう機会を増やせる立場になれればいいな、って思うのよ」
「あ、それいいっ! あーそう言えば、あんた前からそんなこと言ってたね」
「どうせ不本意でなった立場なら、そこで楽しくやらなくちゃ損じゃない? まあ具体的なことはずっと向こうだけどね。…で」
 
 そのかき回すあたしの手を掴み、リュイは真面目な顔になった。

「あんたはどうなの新妃さま」

 う、とあたしは詰まった。視界に五冊の分厚い本が入る。



 リュイがまた来るわね、と言って帰った後、あたしはまたぱらぱらと本を繰りだした。
 エネルギッシュな友人が去った後というのは、もともと広い部屋が倍にも感じる。

「お茶を取り替えましょうか?」

と若い女官が訊ねる。あたしはお願い、と返事する。
 ふと思い立ってあたしは一度部屋を出、再び香りの高い乳茶を運んできた女官を引き留めた。何かまだ話し足りないような気がする。

「ねえ、一つ聞いていい?」
「何でしょうか?」
「ここの仕事は、いつまでするつもり?」
「いつって… 結婚の話が来るまでですが」
「それはいつ?」
「…新妃さま… わたし何かまずいことしましたか…?」

 ぱっと彼女の目が開く。手が胸の前で組み合わされる。

「どうぞ何かお気に触ることがあるならおっしゃって下さい… せっかく皇宮に勤められたのに、そんなそんな、そんな帰された、なんてことではせっかく皇宮出の、なんて言ってもいい嫁ぎ先はありませんわ…」

 やや焦っているらしく、やや突っかかりがちに彼女は言った。目がうるうるしている。

「あ、ごめんなさい… そんなに違うの?」
「違いますよ!あ、申し訳こざいません… 私の家は商家である程度余裕はあるんですが、身分の無いのに父は引け目を感じて… このままではいくら自分が財を為しても所詮平民の商人にしか私を嫁がせることができないだろうから、と… 皇宮に何年か勤めた娘は売れ行きが良いのです」
「売れ行き」
「はい」
「…そう… 驚かせてごめんね。でも皆そうなの?」

 …だとは思う。案の定、彼女は大きくうなづく。他に何がありますか?とでも言いたげに。 
 やはりあたしやリュイは変わっているうちに入るらしい。



 若い女官が下がった後、改めて本に目を落とした。
 初めは本の冒頭から取りかからなくっちゃ、と思ったんだけど、やっぱりそれじゃ飽きる。
 苦手で苦手で仕方ない国史だけど、数カ所はそれでも気になる所はあるのよ。それは国史も得意なリュイの影響だったんだけど。彼女はあたしよりは究理学は弱かったけれど、国史政経に関してはあたしなんかよりずっと成績が良かった。だからお互いの厄介なところは補いあってきた。
 そもそも、「不婚同盟」を作ったきっかけは、カン・リュイファ・ダルカンだったんだもの。
 リュイが好きなのは、この国史の中でも、帝国の統一までの、ずいぶんまだ国内が騒がしい時代だった。
 初代帝から三代までがその時代にあたるのだけど、不得意だったあたしにはいまいちその面白さが理解できない。だから最初から歴史書を読もうと思うと眠くなってしまうのだわ。

 そして実際眠ってしまったのである。
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