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68.かなぐり捨てられた「平穏」
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「始まりは、テロワニュからだった、らしいんだ」
「らしい?」
白い丸い茶器を前にしながら、赤いクロスの決して大きくは無いテーブルで向かい合う。鉄製の椅子の足は、少し動くたび、土間のコンクリートにざらりとした音を立てる。
「テロワニュは壊滅した。けれどその事実は、長いこと伏せられていた。ましてや、その住民が新しく発見された惑星の開発に従事させられた、などというのも、帝国という名がついたその軍隊にしてみれば公に認めてはならないことだった。何故なら」
「それは、薬物を使った勝利だったから」
「勝利、というにはいまいち語弊があるかもしれない」
イェ・ホウは目を軽く伏せる。
「勝利というには、そもそも戦いがなくてはならない。だけどテロワニュには、そもそも交戦の意志はなかった。攻めたのは一方的に天使種、アンジェラス軍の方だった。当時の政府は、のらりくらりと、その侵略に対し、とにかくかわし続けていた」
「戦ったら、終わりだ」
Gはつぶやく。そう、とイェ・ホウもうなづく。
「それが戦争も末期の話。まだ俺なんかは、影も形も無い。あなたは―――」
「……」
黙って笑みを浮かべる。
「テロワニュでは、その時、正気の者も居た。……ほんの僅かだけど。事前に、それを吸い込むな、と警告した者が居る。それが何なのか判らないけれど、警告は現実となった。亜熟果香にとろけてしまった人々の中、彼らは次にやってくる侵略者から逃れるために、集まって身を隠した。……それが誰だか、あなたは知っている?」
「さて。カフェの主人かな? それともクルティザンヌ?」
「そんな職業までははっきりしていないけどね。男女比からすれば、確実に男性の方が多かった。そう、確かにカフェの常連は多かったみたいだよ」
くす、とGは笑う。
「発端はそこだ。だが、同じ様な時期に、やはり、似た様な事が、各地で起きている。同時期に、だ」
「ふうん?」
「亜熟果香が関わる時もあるし、関わらない時もある。ただ、どの場所でも共通することがある。それが、あなた、なんだ」
「……そうだね」
そうだろう、と彼は思う。
店の奧で、中年の女性が、夜の店の仕込みをしている。ここに来て、思い出した。気付いた。ユエメイ。あの燃える教会から救い出した少女。
時々ちらちら、とこちらをうかがっているのが判る。
「つまりは、そういう人々の集団なんだ。seraphというのは」
イェ・ホウは断言する。
時間の中を、自分の意志である無しに関わらず、出会い、関わり、時には命を救った人々。
それが、自分を忘れずに待っていた集団。それがこの組織なのだ、と。
「少なくとも、俺の人生は変えてくれたよ、あなたは」
「姉さんは元気?」
「さて。あれからしばらくして、漢方薬屋にさらわれてしまったからね」
両手を広げる。では上手くはやっているのだろう、とGは少し安心する。
「それでも、亜熟果香の影響は全く無い訳ではないんだ。ただ、姉貴の場合は、眠りの時間が長くなってしまった、ということはあるんだけどね。禁断症状の様なものは出ないから、まだいい方だとは言えるけど」
「……そうだね」
少しばかり、声に力が入っていないのが、相手には判ってしまっただろうか?
「テロワニュの集団は、やがてテロワニュから脱出した。壊滅したはずの惑星に残っていること自体が、危険を伴っている。本当なら、彼らは天使種に捕まっているはずだった。つまりは脱走兵、脱走囚と同じ見られ方をする。それではまずい、と彼らは集団で脱出した。その時のリーダー格だったのが、通称『黒猫』と呼ばれていた男だった」
黒猫―――シャ・ノワール。予想はそう外れていないだろう、と彼は思う。
「彼は仲間に、散会するも自由、そしてできれば忘れてしまえ、と言った。自分達の故郷を奪ったのは誰なのか。自分達が平穏無事に暮らすのが、彼らに対する最大の復讐なのだ、と」
「……帝国が成立した後も」
「当然だな」
イェ・ホウは右の肘をぐい、とテーブルに乗せる。
「各地にとりあえずの居場所を見つけた彼らは、それぞれの生きる場所で、平穏に暮らすべく努力した。だが心の何処かで、『その日』の光景が消えずに残っている」
「花火」
「花火? いや、そこまでは知らない。花火なのか?」
「俺が知っているのは、花火までだ」
花火でも打たなくちゃ、気がおさまらないわよ。
コレットはそう言った。彼女もまた、生き延びたのだろうか。
「……そう。で、彼らはある日『平穏』をかなぐり捨てた」
イェ・ホウは茶を一杯飲み干す。
「いくら閉じこめようとしても、その記憶は、彼らを苛め続ける。表面上、その出身を隠し、新しい『帝国』が発行するIDを受け取り、日々の糧のために働いて、家族を持ち、養い、子供を育て、穏やかに暮らしていたとしても、それは不意に彼らの心に浮かび上がる。毎日の日々が平穏であればあるほど、それは勝手に浮かび上がる。忘れるな、と彼らの心に突きつけるんだ」
「忘れるな、と」
「そう。誰が言う訳でない。彼ら自身の心が、彼ら自身に突きつけるんだ。幸せであればある程、その幸せをあの惑星で送ることができなかったことが、そのギャップが心を引き裂くんだ」
ここは自分の居場所ではない、と。
「らしい?」
白い丸い茶器を前にしながら、赤いクロスの決して大きくは無いテーブルで向かい合う。鉄製の椅子の足は、少し動くたび、土間のコンクリートにざらりとした音を立てる。
「テロワニュは壊滅した。けれどその事実は、長いこと伏せられていた。ましてや、その住民が新しく発見された惑星の開発に従事させられた、などというのも、帝国という名がついたその軍隊にしてみれば公に認めてはならないことだった。何故なら」
「それは、薬物を使った勝利だったから」
「勝利、というにはいまいち語弊があるかもしれない」
イェ・ホウは目を軽く伏せる。
「勝利というには、そもそも戦いがなくてはならない。だけどテロワニュには、そもそも交戦の意志はなかった。攻めたのは一方的に天使種、アンジェラス軍の方だった。当時の政府は、のらりくらりと、その侵略に対し、とにかくかわし続けていた」
「戦ったら、終わりだ」
Gはつぶやく。そう、とイェ・ホウもうなづく。
「それが戦争も末期の話。まだ俺なんかは、影も形も無い。あなたは―――」
「……」
黙って笑みを浮かべる。
「テロワニュでは、その時、正気の者も居た。……ほんの僅かだけど。事前に、それを吸い込むな、と警告した者が居る。それが何なのか判らないけれど、警告は現実となった。亜熟果香にとろけてしまった人々の中、彼らは次にやってくる侵略者から逃れるために、集まって身を隠した。……それが誰だか、あなたは知っている?」
「さて。カフェの主人かな? それともクルティザンヌ?」
「そんな職業までははっきりしていないけどね。男女比からすれば、確実に男性の方が多かった。そう、確かにカフェの常連は多かったみたいだよ」
くす、とGは笑う。
「発端はそこだ。だが、同じ様な時期に、やはり、似た様な事が、各地で起きている。同時期に、だ」
「ふうん?」
「亜熟果香が関わる時もあるし、関わらない時もある。ただ、どの場所でも共通することがある。それが、あなた、なんだ」
「……そうだね」
そうだろう、と彼は思う。
店の奧で、中年の女性が、夜の店の仕込みをしている。ここに来て、思い出した。気付いた。ユエメイ。あの燃える教会から救い出した少女。
時々ちらちら、とこちらをうかがっているのが判る。
「つまりは、そういう人々の集団なんだ。seraphというのは」
イェ・ホウは断言する。
時間の中を、自分の意志である無しに関わらず、出会い、関わり、時には命を救った人々。
それが、自分を忘れずに待っていた集団。それがこの組織なのだ、と。
「少なくとも、俺の人生は変えてくれたよ、あなたは」
「姉さんは元気?」
「さて。あれからしばらくして、漢方薬屋にさらわれてしまったからね」
両手を広げる。では上手くはやっているのだろう、とGは少し安心する。
「それでも、亜熟果香の影響は全く無い訳ではないんだ。ただ、姉貴の場合は、眠りの時間が長くなってしまった、ということはあるんだけどね。禁断症状の様なものは出ないから、まだいい方だとは言えるけど」
「……そうだね」
少しばかり、声に力が入っていないのが、相手には判ってしまっただろうか?
「テロワニュの集団は、やがてテロワニュから脱出した。壊滅したはずの惑星に残っていること自体が、危険を伴っている。本当なら、彼らは天使種に捕まっているはずだった。つまりは脱走兵、脱走囚と同じ見られ方をする。それではまずい、と彼らは集団で脱出した。その時のリーダー格だったのが、通称『黒猫』と呼ばれていた男だった」
黒猫―――シャ・ノワール。予想はそう外れていないだろう、と彼は思う。
「彼は仲間に、散会するも自由、そしてできれば忘れてしまえ、と言った。自分達の故郷を奪ったのは誰なのか。自分達が平穏無事に暮らすのが、彼らに対する最大の復讐なのだ、と」
「……帝国が成立した後も」
「当然だな」
イェ・ホウは右の肘をぐい、とテーブルに乗せる。
「各地にとりあえずの居場所を見つけた彼らは、それぞれの生きる場所で、平穏に暮らすべく努力した。だが心の何処かで、『その日』の光景が消えずに残っている」
「花火」
「花火? いや、そこまでは知らない。花火なのか?」
「俺が知っているのは、花火までだ」
花火でも打たなくちゃ、気がおさまらないわよ。
コレットはそう言った。彼女もまた、生き延びたのだろうか。
「……そう。で、彼らはある日『平穏』をかなぐり捨てた」
イェ・ホウは茶を一杯飲み干す。
「いくら閉じこめようとしても、その記憶は、彼らを苛め続ける。表面上、その出身を隠し、新しい『帝国』が発行するIDを受け取り、日々の糧のために働いて、家族を持ち、養い、子供を育て、穏やかに暮らしていたとしても、それは不意に彼らの心に浮かび上がる。毎日の日々が平穏であればあるほど、それは勝手に浮かび上がる。忘れるな、と彼らの心に突きつけるんだ」
「忘れるな、と」
「そう。誰が言う訳でない。彼ら自身の心が、彼ら自身に突きつけるんだ。幸せであればある程、その幸せをあの惑星で送ることができなかったことが、そのギャップが心を引き裂くんだ」
ここは自分の居場所ではない、と。
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