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37.燃える教会
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サイレンの音で目が覚めた。
けたたましいその音と共に、何台もの車が通りを走り抜けて行く。こんな狭苦しい街では、システマティックな市民サーヴィスなど存在しない。
安宿の窓を開けて見下ろすと、真っ赤な車が走り抜けて行く。
火事か。
彼は車の行き先を確かめる様に身を乗り出す。
「……まさか」
あの方角は。
彼は慌てて服を身につける。通りに飛び出し、見覚えのある建物の方向へと走りだした。
何だって一体。
途中で、乗り捨ててあったモト・サイクルを無断で借りると、彼は赤い三角屋根を探した。一度行けば、位置は記憶できる。
あった。
モト・サイクルを止めて、壊した鍵のまま転がしておく。きっと誰かが自分の様に持っていくだろう。
赤い三角屋根が、そこにはあった。しかしその赤は、あの時見た様な、静かで柔らかな赤ではなかった。めらめらと、まぶしい程の炎に包まれた赤だった。
門の外には赤い車が何台か止まって、消防士が水を出すホースをどうしたものか、と掴んだまま、立ちすくんでいる。庭に広がったたくさんの花壇のせいで、上手く車が中に入れないのだ。子供達が周囲に座って花々を楽しむその外枠が、今この場で車の出入りを拒んでいた。
その近くには、たくさんの子供と、あの時の様に、黒い服で頭から足まですっぽりと覆った女性が何人も居る。
同じ格好だったので、てっきり同じ女性かと思ったら、そうではなかった。おそらくこの「教会」で働く女性は皆そんな同じ格好をしているのだろう。
「大丈夫ですか?」
「あなたは?」
黒い服の女性の一人が、怪訝そうなまなざしで彼をにらんだ。こんな時に何なんだ、と言いたげな顔だった。
「先日、ここに子供を連れてきた者です。ユエメイという少女は、大丈夫ですか?」
「ああっ!」
急に女性は顔を両手で覆った。彼は血がすっと背から引くのを感じる。
「あの子がまだ中に居るんです!」
何だって。彼は燃える教会に視線を移す。
「友達になったトモエが、中にまだ居る、と聞いた途端、あの子は中に飛び込んで行ったんです!」
せっかく自分が助かったばかりだと言うのに。
「……前からこの教会は目をつけられていたのよ!」
別の黒服の、少し若い女性が苦々しげに叫んだ。
「向こうの街から逃げ出した子供を、断りもなくかくまっているって!」
「滅多なことを言ってはなりません! シスター・エレ」
「しかし!」
「……ああ、この間のひと! 何と言ったらいいか……」
Gは黙って周囲を見渡す。この女性達を責めてはいけない。
彼女達は、何はともあれ、ここに居る子供達は助けているのだ。ざっと見ただけで、二、三十は居る。それに対して「シスター」と呼ばれている黒服の女性達は、四、五人に過ぎない。
今も、ようやく助かった子供達は、寝間着のまま、何が何だか判らず、泣き叫んだり、きょろきょろと辺りを見渡したり、落ち着きが無い。
彼は何かを探していた。こういう場所には、あってもおかしくは無い……
あった。
花壇があるなら、水道もあるはずだ。
まだ生きているだろうか。彼はさっと門の中に入り、水が出るかどうかを確かめる。じゃっ、と水は勢い良く出る。大丈夫そうだった。
彼はそこにあったバケツに水を汲むと、思い切り頭からかぶった。それを二、三度繰り返す。
炎の勢いが増している。正直、生きている保証は無い。
だけど。
何が自分の背を押すのか判らなかった。彼はそのまま、あの時開けた扉の中に飛び込んだ。
*
「ユエメイ!」
空気がひどく熱くなっていた。
「居るなら返事して! ユエメイ!」
叫んだ拍子に、嫌な煙を吸い込み、彼は少し咳き込む。
「……サンドさん……」
聞き覚えのある声が、細く聞こえてくる。
「ユエメイ! 居るのか?」
彼は大声で叫ぶ。その間にも一度大きく、咳き込んだ。
「サンドさぁん!」
今度ぱ、大きな声だった。力の限り、張り上げた声だった。彼は声の方向を確かめる。右か、左か……
「上!」
ユエメイの声が響く。下の方がガスが溜まらない、というのは大人の考えである。とにかく炎を逃れ逃れて行ったら、上に足が向いてしまったのだろう。
上の小部屋の窓から、少女はもう一人誰かと抱きしめ合って、彼に向かって身体を乗り出している。外の炎が、ステンドグラスの色で歪む。
高さは……そう高くない。ここの居住区の二階半、という程度だ。少なくとも、彼にとっては。緩衝材を付けたブーツを履いている時など、あのくらいの高さは軽々飛び降りたものだ。
しかし子供だ。しかも緩衝材などという気の利いたものは無い。おまけに、カーテンを裂いてロープを作ろうにも、辺りの布という布に火がつきつつあった。時間が無い。
「……おいで!」
彼は手を広げた。
「怖い!」
ユエメイにしがみついているのは、少年だろうか。ぎゅっと少女にしがみつき、下を見ようともしない。
「そのまま死ぬのがいいならそうしてろ!」
少女ははっとして彼を見る。
「大丈夫、必ず受け止める」
はったりも半分入っていた。必ず、なんてことは無い。しかし何もしなかったら、本当に死ぬのだ。
そういう意味なのだ。ユエメイならその意味が通じる、と彼は感じていた。
少女はぎゅっ、とそのやせた腕で少年を抱きしめた。ぐっと口を閉じると、何やら少年につぶやく。大丈夫だ、とGの目には、そう読めた。
そして少女の肉の無い腕は、その時少年を抱え上げた様に、見えた。
そのまま、窓を乗り越える。
「サンドさぁん!」
彼は腕をさしのべる。二人同時はきつい。きついが!
ずん、と衝撃が一気に腕と胸に飛び込んできた。彼は咳き込む。勢い余ってその場に倒れ込む。
「……サンドさんサンドさん」
ユエメイは彼の名を呼ぶ。大丈夫、と彼は胸をさすりながら立ち上がり、二人をうながす。
「そのまま、走るんだ。何も考えるなよ。まっすぐ、息を止めて、ひたすら走るんだ」
うん、と少女はうなづいた。目を閉じて飛び降りた少年は、まだ足がすくんでいるようだったが、少女が手を引っ張る。
「行くぞ」
彼は二人をうながし、走った。
まっすぐ。そうまっすぐ……
扉が、見える。
火がもう回っている。煙がきつい。もう少しだ。
その時。
崩れ落ちる!
入り口の梁が、燃え落ちようとしていた。
彼は、二人の背を強く押した。
「……サンドさん?」
梁と共に、入り口が、崩れ落ちて行った。
けたたましいその音と共に、何台もの車が通りを走り抜けて行く。こんな狭苦しい街では、システマティックな市民サーヴィスなど存在しない。
安宿の窓を開けて見下ろすと、真っ赤な車が走り抜けて行く。
火事か。
彼は車の行き先を確かめる様に身を乗り出す。
「……まさか」
あの方角は。
彼は慌てて服を身につける。通りに飛び出し、見覚えのある建物の方向へと走りだした。
何だって一体。
途中で、乗り捨ててあったモト・サイクルを無断で借りると、彼は赤い三角屋根を探した。一度行けば、位置は記憶できる。
あった。
モト・サイクルを止めて、壊した鍵のまま転がしておく。きっと誰かが自分の様に持っていくだろう。
赤い三角屋根が、そこにはあった。しかしその赤は、あの時見た様な、静かで柔らかな赤ではなかった。めらめらと、まぶしい程の炎に包まれた赤だった。
門の外には赤い車が何台か止まって、消防士が水を出すホースをどうしたものか、と掴んだまま、立ちすくんでいる。庭に広がったたくさんの花壇のせいで、上手く車が中に入れないのだ。子供達が周囲に座って花々を楽しむその外枠が、今この場で車の出入りを拒んでいた。
その近くには、たくさんの子供と、あの時の様に、黒い服で頭から足まですっぽりと覆った女性が何人も居る。
同じ格好だったので、てっきり同じ女性かと思ったら、そうではなかった。おそらくこの「教会」で働く女性は皆そんな同じ格好をしているのだろう。
「大丈夫ですか?」
「あなたは?」
黒い服の女性の一人が、怪訝そうなまなざしで彼をにらんだ。こんな時に何なんだ、と言いたげな顔だった。
「先日、ここに子供を連れてきた者です。ユエメイという少女は、大丈夫ですか?」
「ああっ!」
急に女性は顔を両手で覆った。彼は血がすっと背から引くのを感じる。
「あの子がまだ中に居るんです!」
何だって。彼は燃える教会に視線を移す。
「友達になったトモエが、中にまだ居る、と聞いた途端、あの子は中に飛び込んで行ったんです!」
せっかく自分が助かったばかりだと言うのに。
「……前からこの教会は目をつけられていたのよ!」
別の黒服の、少し若い女性が苦々しげに叫んだ。
「向こうの街から逃げ出した子供を、断りもなくかくまっているって!」
「滅多なことを言ってはなりません! シスター・エレ」
「しかし!」
「……ああ、この間のひと! 何と言ったらいいか……」
Gは黙って周囲を見渡す。この女性達を責めてはいけない。
彼女達は、何はともあれ、ここに居る子供達は助けているのだ。ざっと見ただけで、二、三十は居る。それに対して「シスター」と呼ばれている黒服の女性達は、四、五人に過ぎない。
今も、ようやく助かった子供達は、寝間着のまま、何が何だか判らず、泣き叫んだり、きょろきょろと辺りを見渡したり、落ち着きが無い。
彼は何かを探していた。こういう場所には、あってもおかしくは無い……
あった。
花壇があるなら、水道もあるはずだ。
まだ生きているだろうか。彼はさっと門の中に入り、水が出るかどうかを確かめる。じゃっ、と水は勢い良く出る。大丈夫そうだった。
彼はそこにあったバケツに水を汲むと、思い切り頭からかぶった。それを二、三度繰り返す。
炎の勢いが増している。正直、生きている保証は無い。
だけど。
何が自分の背を押すのか判らなかった。彼はそのまま、あの時開けた扉の中に飛び込んだ。
*
「ユエメイ!」
空気がひどく熱くなっていた。
「居るなら返事して! ユエメイ!」
叫んだ拍子に、嫌な煙を吸い込み、彼は少し咳き込む。
「……サンドさん……」
聞き覚えのある声が、細く聞こえてくる。
「ユエメイ! 居るのか?」
彼は大声で叫ぶ。その間にも一度大きく、咳き込んだ。
「サンドさぁん!」
今度ぱ、大きな声だった。力の限り、張り上げた声だった。彼は声の方向を確かめる。右か、左か……
「上!」
ユエメイの声が響く。下の方がガスが溜まらない、というのは大人の考えである。とにかく炎を逃れ逃れて行ったら、上に足が向いてしまったのだろう。
上の小部屋の窓から、少女はもう一人誰かと抱きしめ合って、彼に向かって身体を乗り出している。外の炎が、ステンドグラスの色で歪む。
高さは……そう高くない。ここの居住区の二階半、という程度だ。少なくとも、彼にとっては。緩衝材を付けたブーツを履いている時など、あのくらいの高さは軽々飛び降りたものだ。
しかし子供だ。しかも緩衝材などという気の利いたものは無い。おまけに、カーテンを裂いてロープを作ろうにも、辺りの布という布に火がつきつつあった。時間が無い。
「……おいで!」
彼は手を広げた。
「怖い!」
ユエメイにしがみついているのは、少年だろうか。ぎゅっと少女にしがみつき、下を見ようともしない。
「そのまま死ぬのがいいならそうしてろ!」
少女ははっとして彼を見る。
「大丈夫、必ず受け止める」
はったりも半分入っていた。必ず、なんてことは無い。しかし何もしなかったら、本当に死ぬのだ。
そういう意味なのだ。ユエメイならその意味が通じる、と彼は感じていた。
少女はぎゅっ、とそのやせた腕で少年を抱きしめた。ぐっと口を閉じると、何やら少年につぶやく。大丈夫だ、とGの目には、そう読めた。
そして少女の肉の無い腕は、その時少年を抱え上げた様に、見えた。
そのまま、窓を乗り越える。
「サンドさぁん!」
彼は腕をさしのべる。二人同時はきつい。きついが!
ずん、と衝撃が一気に腕と胸に飛び込んできた。彼は咳き込む。勢い余ってその場に倒れ込む。
「……サンドさんサンドさん」
ユエメイは彼の名を呼ぶ。大丈夫、と彼は胸をさすりながら立ち上がり、二人をうながす。
「そのまま、走るんだ。何も考えるなよ。まっすぐ、息を止めて、ひたすら走るんだ」
うん、と少女はうなづいた。目を閉じて飛び降りた少年は、まだ足がすくんでいるようだったが、少女が手を引っ張る。
「行くぞ」
彼は二人をうながし、走った。
まっすぐ。そうまっすぐ……
扉が、見える。
火がもう回っている。煙がきつい。もう少しだ。
その時。
崩れ落ちる!
入り口の梁が、燃え落ちようとしていた。
彼は、二人の背を強く押した。
「……サンドさん?」
梁と共に、入り口が、崩れ落ちて行った。
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