5 / 14
第5話 太政大臣の弔いに退出する藤壷の御方
しおりを挟む
季明が息を引き取ったのは、それからすぐのことだった。
自分が亡くなってから必要なことを様々に書かせると、位へ朝廷に返上し、髪を下ろし―――
*
二月二十日、太政大臣の弔いに、左右の対称、同腹の弟である正頼の子息達が次々にやったきた。
彼等は皆親族ということで、忌みの期間に入ることとなった。
藤壺の御方も同様、一国の太政大臣の姪であるので、さすがに東宮も彼女の退出願いを聞き入れない訳はいかなかった。
出御の前日、彼女と寝所をともにしつつ、東宮は話をする。
「こうして二人仲良くなれたのだから、私はそなたの居ない間は独り身でいることにしよう。あいにく話し相手の梨壺まで退出してしまってつまらないしね」
「そんな、承香殿や麗景殿の方々がいらっしゃるではないですか。登花殿の君も今日明日にはいらっしゃいますし」
「そなたの居ない間は、彼女達とは話もしたくない。どうせ私が行ったところで、そなたがそうさせるのだろう、と邪推して私のことを責め立てるのだろう。承香殿は身分も高く、哀れに思うのだが、恐ろしく荒々しい心を持っている。女は何事にも鷹揚でおっとりとしているのがいい。その気性だけでも困ったものなのに、その一方でそなたを憎んでいる。それが気にくわないのだ。……ああ、だが似た様な昭陽殿は今となっては可愛らしくも感じられる。自分の心の内を人に気取られることもなく、容姿の方も非の打ち所のないひとだ。あれの子達はどうしているだろうか。兄弟達も沢山いるだろうが、必ずしも良くしていくれるとは限るまい。親の存命中こそ、万事充分であったろうが、父亡き今はどんなに心細いだろう。そうだ、そのうち便りをやろう。亡き季明は特に昭陽殿のことを案じていたと聞いている。せめて私だけでもいたわってやらねばな」
「あの方は、きょうだいの実忠どのも悪評が立ったという理由で、昔の様に期待も厚遇もしなくなったと聞いています。里に戻った今なら、人から馬鹿なことを、と言われようと、実忠どのに会っていると思いますが……」
「いや、それはあるまい。きょうだいでありながら、実正達は妹に疎々しく不親切だ。それも同腹だというのに。仲忠など、異腹の妹と実に仲が良い。普通なら仲が悪くてもおかしくない位なのにな。大層お互いに思い合い、誰の目からも美しい心が見えて、実に望ましい間柄だ」
「二人きりのきょうだいですもの。どうして争いなど起こしましょう。……実忠どのに関しましては、昔、私に懸想する者が大勢おりましたが、入内してしまったらもう誰も見向きもいたしません。彼だけですわ。今も忘れず、宮仕えもしようとしないのは。ですからその長く思い続けてくれた心に対してはうれしく思う、と伝えてやりたいのです」
「まあ誠実さは嬉しいものだがな。誠実な心持ち自体は、な。とは言え、そなたは実忠の誠実さを喜ぶにつけて、退出しようとするのが嫌なものだ」
そうやって、正頼からの迎えの車や人が来てもなかなか退出を許さない。
「そなたは退出すると、いつもいつもすぐに戻るということがない。私を何かと待たせようとする」
「そんなことは…… どういう訳か、今度は不思議と心細い思いがしますから、再び参内することが叶わないかもしれませんわ。
―――草の葉に置く露が消えなかったら、松にもかかる様に、露の命の私をお待ち下さるなら、どうして帰らないことがありましょう―――」
「ああ縁起でもない。
―――はかない露の命も松にさえ掛かれば、葉に貫き止めてしまうから風が吹いても消えない玉になるだろうよ」
そう言って東宮が夜更けまで居るので、なかなか藤壺は退出が叶わない。待っている正頼や息子達は、以前のことにこりごりしているのであれこれ言うこともしない。
とは言え、あまりに待つのにも疲れたので、繰り返し繰り返し催促の文を送る。
「退出して気ままになったら、心静かなままではいられませんと思いますので、今度はすぐにでも戻って参りましょう」
とりあえず東宮にはそう言葉を尽くす。
「―――散る花も夢枕に立つ程、艶な春の夜にそなたをさしおいてどんな夢を見よというのだ?―――
全くもって無理な注文だ」
「―――花でさえ、同じ春に散るというのに、お別れして他に行く私の切なさを察してくださいませ―――」
その様なやりとりを二人が何度も繰り返すので、夜半過ぎ、暁までなかなか退出が叶わなかった。
自分が亡くなってから必要なことを様々に書かせると、位へ朝廷に返上し、髪を下ろし―――
*
二月二十日、太政大臣の弔いに、左右の対称、同腹の弟である正頼の子息達が次々にやったきた。
彼等は皆親族ということで、忌みの期間に入ることとなった。
藤壺の御方も同様、一国の太政大臣の姪であるので、さすがに東宮も彼女の退出願いを聞き入れない訳はいかなかった。
出御の前日、彼女と寝所をともにしつつ、東宮は話をする。
「こうして二人仲良くなれたのだから、私はそなたの居ない間は独り身でいることにしよう。あいにく話し相手の梨壺まで退出してしまってつまらないしね」
「そんな、承香殿や麗景殿の方々がいらっしゃるではないですか。登花殿の君も今日明日にはいらっしゃいますし」
「そなたの居ない間は、彼女達とは話もしたくない。どうせ私が行ったところで、そなたがそうさせるのだろう、と邪推して私のことを責め立てるのだろう。承香殿は身分も高く、哀れに思うのだが、恐ろしく荒々しい心を持っている。女は何事にも鷹揚でおっとりとしているのがいい。その気性だけでも困ったものなのに、その一方でそなたを憎んでいる。それが気にくわないのだ。……ああ、だが似た様な昭陽殿は今となっては可愛らしくも感じられる。自分の心の内を人に気取られることもなく、容姿の方も非の打ち所のないひとだ。あれの子達はどうしているだろうか。兄弟達も沢山いるだろうが、必ずしも良くしていくれるとは限るまい。親の存命中こそ、万事充分であったろうが、父亡き今はどんなに心細いだろう。そうだ、そのうち便りをやろう。亡き季明は特に昭陽殿のことを案じていたと聞いている。せめて私だけでもいたわってやらねばな」
「あの方は、きょうだいの実忠どのも悪評が立ったという理由で、昔の様に期待も厚遇もしなくなったと聞いています。里に戻った今なら、人から馬鹿なことを、と言われようと、実忠どのに会っていると思いますが……」
「いや、それはあるまい。きょうだいでありながら、実正達は妹に疎々しく不親切だ。それも同腹だというのに。仲忠など、異腹の妹と実に仲が良い。普通なら仲が悪くてもおかしくない位なのにな。大層お互いに思い合い、誰の目からも美しい心が見えて、実に望ましい間柄だ」
「二人きりのきょうだいですもの。どうして争いなど起こしましょう。……実忠どのに関しましては、昔、私に懸想する者が大勢おりましたが、入内してしまったらもう誰も見向きもいたしません。彼だけですわ。今も忘れず、宮仕えもしようとしないのは。ですからその長く思い続けてくれた心に対してはうれしく思う、と伝えてやりたいのです」
「まあ誠実さは嬉しいものだがな。誠実な心持ち自体は、な。とは言え、そなたは実忠の誠実さを喜ぶにつけて、退出しようとするのが嫌なものだ」
そうやって、正頼からの迎えの車や人が来てもなかなか退出を許さない。
「そなたは退出すると、いつもいつもすぐに戻るということがない。私を何かと待たせようとする」
「そんなことは…… どういう訳か、今度は不思議と心細い思いがしますから、再び参内することが叶わないかもしれませんわ。
―――草の葉に置く露が消えなかったら、松にもかかる様に、露の命の私をお待ち下さるなら、どうして帰らないことがありましょう―――」
「ああ縁起でもない。
―――はかない露の命も松にさえ掛かれば、葉に貫き止めてしまうから風が吹いても消えない玉になるだろうよ」
そう言って東宮が夜更けまで居るので、なかなか藤壺は退出が叶わない。待っている正頼や息子達は、以前のことにこりごりしているのであれこれ言うこともしない。
とは言え、あまりに待つのにも疲れたので、繰り返し繰り返し催促の文を送る。
「退出して気ままになったら、心静かなままではいられませんと思いますので、今度はすぐにでも戻って参りましょう」
とりあえず東宮にはそう言葉を尽くす。
「―――散る花も夢枕に立つ程、艶な春の夜にそなたをさしおいてどんな夢を見よというのだ?―――
全くもって無理な注文だ」
「―――花でさえ、同じ春に散るというのに、お別れして他に行く私の切なさを察してくださいませ―――」
その様なやりとりを二人が何度も繰り返すので、夜半過ぎ、暁までなかなか退出が叶わなかった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。
検非違使異聞 読星師
魔茶来
歴史・時代
京の「陰陽師の末裔」でありながら「検非違使」である主人公が、江戸時代を舞台にモフモフなネコ式神達と活躍する。
時代は江戸時代中期、六代将軍家宣の死後、後の将軍鍋松は朝廷から諱(イミナ)を与えられ七代将軍家継となり、さらに将軍家継の婚約者となったのは皇女である八十宮吉子内親王であった。
徳川幕府と朝廷が大きく接近した時期、今後の覇権を睨み朝廷から特殊任務を授けて裏検非違使佐官の読星師を江戸に差し向けた。
しかし、話は当初から思わぬ方向に進んで行く。
藤散華
水城真以
歴史・時代
――藤と梅の下に埋められた、禁忌と、恋と、呪い。
時は平安――左大臣の一の姫・彰子は、父・道長の命令で今上帝の女御となる。顔も知らない夫となった人に焦がれる彰子だが、既に帝には、定子という最愛の妃がいた。
やがて年月は過ぎ、定子の夭折により、帝と彰子の距離は必然的に近づいたように見えたが、彰子は新たな中宮となって数年が経っても懐妊の兆しはなかった。焦燥に駆られた左大臣に、妖しの影が忍び寄る。
非凡な運命に絡め取られた少女の命運は。
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
呟き
艶
歴史・時代
弥生・奈良・平安・鎌倉・南北朝・安土桃山・戦国・江戸・明治と過去の時代に人々の側にいた存在達が、自分を使っていた人達の事を当時を振り返り語る話の集合です。
長編になっていますが、いくつもの話が寄り集まった話になっています。
また、歴史物ですがフィクションとしてとらえてください。
新木下藤吉郎伝『出る杭で悪いか』
宇治山 実
歴史・時代
天正十年六月二日未明、京都本能寺で、織田信長が家臣の明智光秀に殺された。このあと素早く行動したのは羽柴秀吉だけだった。備中高松城で、秀吉が使者から信長が殺されたことを聞いたのが、三日の夜だといわれている。堺見物をしていた徳川家康はその日に知り、急いで逃げ、四日には自分の城、岡崎城に入った。秀吉が、自分の城である姫路城に戻ったのは七日だ。家康が電光石火に行動すれば、天下に挑めたのに、家康は旧武田領をかすめ取ることに重点を置いた。この差はなにかー。それは秀吉が機を逃がさず、いつかくる変化に備えていたから、迅速に行動できたのだ。それは秀吉が、他の者より夢を持ち、将来が描かける人物だったからだ。
この夢に向かって、一直線に進んだ男の若い姿を追った。
木曽川で蜂須賀小六が成敗しょうとした、若い盗人を助けた猿男の藤吉郎は、その盗人早足を家来にした。
どうしても侍になりたい藤吉郎は、蜂須賀小六の助言で生駒屋敷に住み着いた。早足と二人、朝早くから夜遅くまで働きながら、侍になる機会を待っていた。藤吉郎の懸命に働く姿が、生駒屋敷の出戻り娘吉野のもとに通っていた清洲城主織田信長の目に止まり、念願だった信長の家来になった。
藤吉郎は清洲城内のうこぎ長屋で小者を勤めながら、信長の考えることを先回りして考えようとした。一番下っ端の小者が、一番上にいる信長の考えを理解するため、尾張、美濃、三河の地ノ図を作った。その地ノ図を上から眺めることで、大国駿河の今川家と、美濃の斎藤家に挟まれた信長の苦しい立場を知った。
藤吉郎の前向きに取り組む姿勢は出る杭と同じで、でしゃばる度に叩かれるのだが、懲りなかった。その藤吉郎に足軽組頭の養女ねねが興味を抱いて、接近してきた。
信長も、藤吉郎の格式にとらわれない発想に気が付くと、色々な任務を与え、能力を試した。その度に藤吉郎は、早足やねね、新しく家来になった弟の小一郎と、悩み考えながら難しい任務をやり遂げていった。
藤吉郎の打たれたも、蹴られても、失敗を恐れず、常識にとらわれず、とにかく前に進もうとする姿に、木曽川を支配する川並衆の頭領蜂須賀小六と前野小右衛門が協力するようになった。
信長は藤吉郎が期待に応えると、信頼して、より困難な仕事を与えた。
その中でも清洲城の塀普請、西美濃の墨俣築城と、稲葉山城の攻略は命懸けの大仕事だった。早足、ねね、小一郎や、蜂須賀小六が率いる川並衆に助けられながら、戦国時代を明るく前向きに乗り切っていった若い日の木下藤吉郎の姿は、現代の私たちも学ぶところが多くあるのではないだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる