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第5話 太政大臣の弔いに退出する藤壷の御方

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 季明が息を引き取ったのは、それからすぐのことだった。
 自分が亡くなってから必要なことを様々に書かせると、位へ朝廷に返上し、髪を下ろし――― 



 二月二十日、太政大臣の弔いに、左右の対称、同腹の弟である正頼の子息達が次々にやったきた。
 彼等は皆親族ということで、忌みの期間に入ることとなった。
 藤壺の御方も同様、一国の太政大臣の姪であるので、さすがに東宮も彼女の退出願いを聞き入れない訳はいかなかった。
 出御の前日、彼女と寝所をともにしつつ、東宮は話をする。

「こうして二人仲良くなれたのだから、私はそなたの居ない間は独り身でいることにしよう。あいにく話し相手の梨壺まで退出してしまってつまらないしね」
「そんな、承香殿や麗景殿の方々がいらっしゃるではないですか。登花殿の君も今日明日にはいらっしゃいますし」
「そなたの居ない間は、彼女達とは話もしたくない。どうせ私が行ったところで、そなたがそうさせるのだろう、と邪推して私のことを責め立てるのだろう。承香殿は身分も高く、哀れに思うのだが、恐ろしく荒々しい心を持っている。女は何事にも鷹揚でおっとりとしているのがいい。その気性だけでも困ったものなのに、その一方でそなたを憎んでいる。それが気にくわないのだ。……ああ、だが似た様な昭陽殿は今となっては可愛らしくも感じられる。自分の心の内を人に気取られることもなく、容姿の方も非の打ち所のないひとだ。あれの子達はどうしているだろうか。兄弟達も沢山いるだろうが、必ずしも良くしていくれるとは限るまい。親の存命中こそ、万事充分であったろうが、父亡き今はどんなに心細いだろう。そうだ、そのうち便りをやろう。亡き季明は特に昭陽殿のことを案じていたと聞いている。せめて私だけでもいたわってやらねばな」
「あの方は、きょうだいの実忠どのも悪評が立ったという理由で、昔の様に期待も厚遇もしなくなったと聞いています。里に戻った今なら、人から馬鹿なことを、と言われようと、実忠どのに会っていると思いますが……」
「いや、それはあるまい。きょうだいでありながら、実正達は妹に疎々しく不親切だ。それも同腹だというのに。仲忠など、異腹の妹と実に仲が良い。普通なら仲が悪くてもおかしくない位なのにな。大層お互いに思い合い、誰の目からも美しい心が見えて、実に望ましい間柄だ」
「二人きりのきょうだいですもの。どうして争いなど起こしましょう。……実忠どのに関しましては、昔、私に懸想する者が大勢おりましたが、入内してしまったらもう誰も見向きもいたしません。彼だけですわ。今も忘れず、宮仕えもしようとしないのは。ですからその長く思い続けてくれた心に対してはうれしく思う、と伝えてやりたいのです」
「まあ誠実さは嬉しいものだがな。誠実な心持ち自体は、な。とは言え、そなたは実忠の誠実さを喜ぶにつけて、退出しようとするのが嫌なものだ」

 そうやって、正頼からの迎えの車や人が来てもなかなか退出を許さない。

「そなたは退出すると、いつもいつもすぐに戻るということがない。私を何かと待たせようとする」
「そんなことは…… どういう訳か、今度は不思議と心細い思いがしますから、再び参内することが叶わないかもしれませんわ。
 ―――草の葉に置く露が消えなかったら、松にもかかる様に、露の命の私をお待ち下さるなら、どうして帰らないことがありましょう―――」
「ああ縁起でもない。
 ―――はかない露の命も松にさえ掛かれば、葉に貫き止めてしまうから風が吹いても消えない玉になるだろうよ」

 そう言って東宮が夜更けまで居るので、なかなか藤壺は退出が叶わない。待っている正頼や息子達は、以前のことにこりごりしているのであれこれ言うこともしない。
 とは言え、あまりに待つのにも疲れたので、繰り返し繰り返し催促の文を送る。

「退出して気ままになったら、心静かなままではいられませんと思いますので、今度はすぐにでも戻って参りましょう」

 とりあえず東宮にはそう言葉を尽くす。

「―――散る花も夢枕に立つ程、艶な春の夜にそなたをさしおいてどんな夢を見よというのだ?―――
 全くもって無理な注文だ」
「―――花でさえ、同じ春に散るというのに、お別れして他に行く私の切なさを察してくださいませ―――」

 その様なやりとりを二人が何度も繰り返すので、夜半過ぎ、暁までなかなか退出が叶わなかった。
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