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88.「だったら一番のために全力を尽くすってのは当然だと俺は思う」
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「……別に死んだ訳じゃないんだよね?」
安岐はさらりと訊ねる。少なくとも、本人にする質問ではない。
「あいにく生きてるよ。あの時見せた通り、俺が眠り男なの」
「年も取らず、ずっと眠り続けている……」
「本当。要するに、俺の本体の周りも、この空間も…… 時間が止まっているんだ」
「……へえ」
「で、俺は、本来の都市の意志を、俺の身体の方へ閉じこめたんだ」
顔に似合わない力技を使う、と安岐はやや感心する。
「そんなことができるの?」
「できるかどうか、なんて判らなかったけれど、支配されてしまうより支配する方がまし、と思ったからね」
なかなか物騒な考えだ、と安岐は思う。だが自分とて、同じ状況に置かれたら、そう思うだろう、とも思う。
「歌っている時は、俺の意志の方が前に出ていた。『彼女』は歌えないから、俺が前に出なくてはならない。少なくとも、あれはあの時、俺を完全に支配できると買いかぶっていた」
「確かに割と簡単そうに見えるけれどね」
聞かないふりをしてHALは続ける。
「で、俺は『彼女』を閉じこめて俺の本体の方へ封じ込めた後、俺の身体を眠らせた。醒ましてはならない眠り、という奴だ」
「他の人達はそれを知ってるの?」
「知ってる奴も居るし、知らない奴も居る」
「公安長官は……」
「藍地と芳は全部知ってるよ」
安岐はそれを聞いてはっとする。HALは苦笑する。
「安岐は変なところで鋭いから嫌だよ」
「HALさんそれって……」
「都市が元の姿になるには、いちばんこの都市に適合した声…… 布由の声が必要なんだ。ねえ安岐、あの時叫んだのは、俺であり、『彼女』でもあった。行かないで、と」
そういう歌詞だっただけではなく。
「俺は奴に逃げて欲しい、と叫んだ。だけど、裏側では、行かないで欲しい、ってのもあった。何でだと思う?」
「好きだから? ……この都市が怖くて心配だったから?」
「違うよ」
彼はきっぱりと否定する。
「好きは好き。だけど、この時の俺は、そんなことどうだって良かったんだ」
え? と安岐は思わず問い返していた。
「俺は布由が、この街に…… 『彼女』に好かれていると思った瞬間、こう思ったんだ。『奴を呼べば声は通る』」
「それって……」
「昔、一度だけこの都市で、……まだインディの頃、BBもうちのバンドも含めたイヴェントをやったことがあったんだ。場所はアメジスト。スタンディングだったから、だいたい七百人くらい入ったのかな。その時だけは、綺麗に通ったんだ」
だけどそれ以外は、全く、とHALはお手上げのポーズをする。
「奴がそばに居れば、彼女は奴のために、大気の流れを変える。俺はそう思ったんだ。間違いじゃない。それ自体は間違いじゃないんだ」
「けどそれは」
「そ。俺は奴を利用しようとしていた。……で、その時気付いたんだ。俺は勘違いしていた」
「勘違い?」
「ずっとそう思っていた。だけどそれは違うんだ。俺はそう思おうとしていた。自分で自分にそう思いこませていた。奴が誰よりも好きだって。奴の声が曲が姿が考え方が……」
ぶる、と彼は身体を震わせる。
「でもそれは違ったんだ。違ったからこそ、俺は奴を自分の歌のためなら利用しようと考えられたんだ」
「……でもさ、それって当然じゃない?」
HALはぱっと安岐に顔を向けた。
「HALさん…… あんたにとって声と歌は、何よりも大切なものなんだろ?」
HALはうなづく。やや含みはあるが、そのあたりに安岐は構ってはいない。
「歌うことが楽しい訳じゃないけど…… 俺にとっては、無かったら生きてくのが苦しい程のものだった。俺は、はけの悪い人間だからね、それを空へ飛ばすのが自分の声であり、歌だったんだ」
「じゃあそれが本当の一番なんだろ? 何よりも。ものとか人とか、全部ひっくるめて、自分のための、一番」
「そうだよ」
「だったら一番のために全力を尽くすってのは当然だと俺は思う。それは当然のことだと、俺は思うよ」
「安岐の一番は、朱夏?」
「この先どう変わるか知らないけれどね、とにかく今は朱夏。……上手く外へ出たかなあ……」
HALは知っている。朱夏がちゃんと外へ出たか、そしてその後どういうルートをたどって布由のところへ行ったのかも。だけどすぐにそのことを安岐には言わない。
「そうだね、安岐はそれを言える立場にあるね」
少なくとも、彼は一番大切なもののために、川へ落ちたのだ。
「安岐は俺に言う資格がある。……俺は君よりずいぶん長く生きてるのに、未だこのザマだ。どうしようもない」
「泣き言聞かせるためにここに居させるの?」
「安岐」
「あんたは…… もっと別のことを俺にさせたいんじゃないの?」
HALは目を見開く。安岐はまっすぐ彼の方を見る。
「俺が…… あんたにとってはどういう人なのか俺には判らないけれど、あんたが…… この都市そのものだっていうあんたがわざわざ…… たかがこの都市のただのガキ、の俺にそんな…… 普通だったら言わないようなことまで言うってのは、もっと別のことを言いたいんじゃないの?」
「安岐?」
「あんたはもっと別のことで、俺に何か言って欲しいんじゃないの?」
安岐はさらりと訊ねる。少なくとも、本人にする質問ではない。
「あいにく生きてるよ。あの時見せた通り、俺が眠り男なの」
「年も取らず、ずっと眠り続けている……」
「本当。要するに、俺の本体の周りも、この空間も…… 時間が止まっているんだ」
「……へえ」
「で、俺は、本来の都市の意志を、俺の身体の方へ閉じこめたんだ」
顔に似合わない力技を使う、と安岐はやや感心する。
「そんなことができるの?」
「できるかどうか、なんて判らなかったけれど、支配されてしまうより支配する方がまし、と思ったからね」
なかなか物騒な考えだ、と安岐は思う。だが自分とて、同じ状況に置かれたら、そう思うだろう、とも思う。
「歌っている時は、俺の意志の方が前に出ていた。『彼女』は歌えないから、俺が前に出なくてはならない。少なくとも、あれはあの時、俺を完全に支配できると買いかぶっていた」
「確かに割と簡単そうに見えるけれどね」
聞かないふりをしてHALは続ける。
「で、俺は『彼女』を閉じこめて俺の本体の方へ封じ込めた後、俺の身体を眠らせた。醒ましてはならない眠り、という奴だ」
「他の人達はそれを知ってるの?」
「知ってる奴も居るし、知らない奴も居る」
「公安長官は……」
「藍地と芳は全部知ってるよ」
安岐はそれを聞いてはっとする。HALは苦笑する。
「安岐は変なところで鋭いから嫌だよ」
「HALさんそれって……」
「都市が元の姿になるには、いちばんこの都市に適合した声…… 布由の声が必要なんだ。ねえ安岐、あの時叫んだのは、俺であり、『彼女』でもあった。行かないで、と」
そういう歌詞だっただけではなく。
「俺は奴に逃げて欲しい、と叫んだ。だけど、裏側では、行かないで欲しい、ってのもあった。何でだと思う?」
「好きだから? ……この都市が怖くて心配だったから?」
「違うよ」
彼はきっぱりと否定する。
「好きは好き。だけど、この時の俺は、そんなことどうだって良かったんだ」
え? と安岐は思わず問い返していた。
「俺は布由が、この街に…… 『彼女』に好かれていると思った瞬間、こう思ったんだ。『奴を呼べば声は通る』」
「それって……」
「昔、一度だけこの都市で、……まだインディの頃、BBもうちのバンドも含めたイヴェントをやったことがあったんだ。場所はアメジスト。スタンディングだったから、だいたい七百人くらい入ったのかな。その時だけは、綺麗に通ったんだ」
だけどそれ以外は、全く、とHALはお手上げのポーズをする。
「奴がそばに居れば、彼女は奴のために、大気の流れを変える。俺はそう思ったんだ。間違いじゃない。それ自体は間違いじゃないんだ」
「けどそれは」
「そ。俺は奴を利用しようとしていた。……で、その時気付いたんだ。俺は勘違いしていた」
「勘違い?」
「ずっとそう思っていた。だけどそれは違うんだ。俺はそう思おうとしていた。自分で自分にそう思いこませていた。奴が誰よりも好きだって。奴の声が曲が姿が考え方が……」
ぶる、と彼は身体を震わせる。
「でもそれは違ったんだ。違ったからこそ、俺は奴を自分の歌のためなら利用しようと考えられたんだ」
「……でもさ、それって当然じゃない?」
HALはぱっと安岐に顔を向けた。
「HALさん…… あんたにとって声と歌は、何よりも大切なものなんだろ?」
HALはうなづく。やや含みはあるが、そのあたりに安岐は構ってはいない。
「歌うことが楽しい訳じゃないけど…… 俺にとっては、無かったら生きてくのが苦しい程のものだった。俺は、はけの悪い人間だからね、それを空へ飛ばすのが自分の声であり、歌だったんだ」
「じゃあそれが本当の一番なんだろ? 何よりも。ものとか人とか、全部ひっくるめて、自分のための、一番」
「そうだよ」
「だったら一番のために全力を尽くすってのは当然だと俺は思う。それは当然のことだと、俺は思うよ」
「安岐の一番は、朱夏?」
「この先どう変わるか知らないけれどね、とにかく今は朱夏。……上手く外へ出たかなあ……」
HALは知っている。朱夏がちゃんと外へ出たか、そしてその後どういうルートをたどって布由のところへ行ったのかも。だけどすぐにそのことを安岐には言わない。
「そうだね、安岐はそれを言える立場にあるね」
少なくとも、彼は一番大切なもののために、川へ落ちたのだ。
「安岐は俺に言う資格がある。……俺は君よりずいぶん長く生きてるのに、未だこのザマだ。どうしようもない」
「泣き言聞かせるためにここに居させるの?」
「安岐」
「あんたは…… もっと別のことを俺にさせたいんじゃないの?」
HALは目を見開く。安岐はまっすぐ彼の方を見る。
「俺が…… あんたにとってはどういう人なのか俺には判らないけれど、あんたが…… この都市そのものだっていうあんたがわざわざ…… たかがこの都市のただのガキ、の俺にそんな…… 普通だったら言わないようなことまで言うってのは、もっと別のことを言いたいんじゃないの?」
「安岐?」
「あんたはもっと別のことで、俺に何か言って欲しいんじゃないの?」
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