上 下
40 / 113

39.「だから一緒に行こう」

しおりを挟む
 気がついた時には、二人は砂利の上に転がっていた。

「安岐大丈夫か?」

 いつの間に腕の中から這い出たのか、朱夏が顔をのぞき込んでいた。満月近い月は明るく、彼女の表情まで見える。少し遠くには、常夜灯も、白緑の光を辺りに投げている。
 安岐はまだやや痛む左腕をかばいながら身体を起こした。

「ここは何処だ? 安岐…… 私はここは知らない」
「何処って……」

 彼にもすぐには判らなかった。だが、辺りを見渡す視線が、上方に向かった時、彼はそこが何処だか判った。

「朱夏、ここはお城だ」
「お城? 安岐が来ようと言ったところか?」

 そ、と彼はうなづく。HALは知っていて出してくれたのか。
 常夜灯によって下から光が当てられた、白い壁を持つ城を見上げたら、さすがに目覚めたばかりの彼は、頭がぐらりとするのを感じた。

「本当に大丈夫か安岐? 何かまだ元気がない」

 そう言って朱夏は安岐のやや長めの前髪を持ち上げる。

「大丈夫」

 近付いたを幸い、と彼は軽く彼女の唇にキスする。ほんの少し、朱夏が目を瞬かせたような気がした。

「ちょうどここに来たことだし、デートの続きしよう」

 朱夏は黙ってうなづいた。
 服のほこりを二人ともぱたぱたと払うと、とりあえずそこが「お城の公園」の何処なのか、確かめるべく歩き出した。
 しばらく歩くと、冷たい光に照らし出された城の全体のアウトラインが姿を現した。

「あれ、こんな色だったっけ、屋根」
「そうではないのか?」
「うん。何かずっと黒だと思いこんでた」
「忘れていただけではないのか?」 
「そうかもな」

 城の屋根は、薄い青緑だった。それを言い表すべき色の名前があるはずだが、それも彼は思い出せない。何となくもどかしい。

「やっぱり元気がない」
「そんなことないよ」
「そんなことある。私は安岐が元気ないと心地よくない。さっきからお前ずっとその調子だ」
「うん。確かに元気ないな」
「何が気にかかる? さっきの奴と話していた時もそうだった。安岐は何か気にかかっているのか?」
「気にはかかっているね」
「私には判らない。でも奴と会話していたせいで安岐が元気がなくなったということは判る。奴の言うことが安岐にどういう気持ちの変化をもたらしたんだ?」

 うん、と彼はうなづく。

「彼が言った内容は判るだろう?」
「都市を元にもどし私の『音』を消す、ということか?」

 そう、と彼は再びうなづく。

「その話自体はいいんだ」
「私もそれはいいと思う」
「だけど彼が、仕組んでいたことと、何か大切なことを黙っていることが何となく」
「気にいらない? でもどうしてそこで安岐は…… えーと、怒るんだ?」
「怒ってる?」
「怒ってる。だって、それは誰がそうしても、そういう可能性はあるんだ。安岐は空間をどうのという力は持たない。私も持たない。持たない奴が大がかりな計画に参加すれば、駒の一つになるのは仕方がないじゃないか?」
「それは判るんだ。それは仕方ない」
「じゃあどうして安岐は怒っている? それとも困っている?」
「困って?」
「だって私の知ってる安岐なら、それを利用しようって考えるだろう? ただだまされるだけじゃないじゃないか」
「朱夏はそういう俺を見たことあるの?」

 いいや、と彼女は首を振る。

「無い。でもそういうことをしてきた、といろいろ話したのは安岐だぞ。私は全部覚えている。私の記憶回路を疑うのか?」

 彼は思わず目を細める。

「そういう訳じゃあないんだ」
「じゃどういう訳だ?」
「たぶん彼が、朱夏に似ていたからだよ」
「私に?」

 そう、と彼は言うと彼女を引き寄せた。

「でも私と奴は別物だぞ」
「そりゃそうさ。でもそういうことじゃないんだ。何処とも知れないけれど似てる彼が、いつも俺に何か思わせぶりなことを言う…… 何か特別だ、と思っていたのかもしれない」
「奴が好きだったのか?」

 がっくり、と彼女を抱きしめる力が抜ける。

「あのねえ朱夏」
「そうじゃないのか?」
「だから彼は男でしょ」
「あの身体は、男じゃないぞ」
「はいはい、レプリカには基本的には…… でしょ」
「じゃなくて、セクスレスなんだ。元が私と同じなんだ」
「何だって」
「思い出した。私はもともとあれと同じなんだ。前に言ったろう? 私は壊れそうだったから、東風は私の第二回路《セカンド》を消して、別の個体に変えた。第二回路《セカンド》を消される前の私は、あれと同じものだったんだ」

 安岐は何となく複雑な気分だった。だがそう付け足す朱夏の言葉には何となく元気がない。

「気になるか?」
「気にならないと言えば嘘だけど」

 彼よりは充分に小柄な彼女は、抱きしめられると彼を見上げる形になる。それは出会ってから何度となく彼が見た角度である。だが、常夜灯の光の中のせいだろうか? 何となくいつもと違って見えた。
 視線が不安定だった。いつもなら何の迷いもなく真っ直ぐ安岐を見据える視線が、揺れ動いている。

「そういうことで、安岐が私を好きでない、ということになったら、私は」

 何と言うのだろう、と彼女は語彙を捜しているようだった。視線はあちらを向きこちらを向き、一向に落ち着こうとしない。

「心地よくない――― 違う。面白くない――― じゃない。何て言うんだろう?」
「腹立たしい?」
「違う。もっと痛い」
「痛い?」
「胸が痛い」
「胸が?」
「本当だ安岐、本当に、痛いんだ、嘘じゃない。私は嘘はつけない。隠すことはできても嘘はつけない。胸が、痛いんだ」
「俺が、朱夏のこと好きじゃなくなると?」
「それを仮定すると」
「朱夏は、俺に好きで居てもらいたい?」

 彼女はうなづく。

「本当に?」
「本当だ。お前が私を好きだという時の、そういう時の声とか目線とかを見てると、あの不快な音がヴォリュームを落とすんだ。他の誰にもそんなことはなかった。お前だけなんだ」

 声も、いつもとは違っていた。言葉づかいは同じでも、その言葉の乗る音は、いつもよりもやや高かった。うわずっていた。

「じゃあ朱夏は、俺がいないと寂しい?」
「判らない。その言葉の感覚的な意味は教えてもらっていない」
「いないとつまらない?」
「心地が悪い」
「俺に会いたい?」
「会いたい」
「そういうことだよ」
「それが、寂しい?」

 うん、と彼はうなづいて、手に力を込めた。
 引っかかっていない訳ではない。あのHALと、基本的に同じものと言われれば、引っかからない訳がない。
 だが今はそれもどうでもよかった。作りかえられる前がどうであれ、彼女は今「朱夏」であり、この手の中で、自分がいないと寂しいと言っているのだ。

 HALは決して闇など恐がりはしないだろう。

 どのくらいそうしていただろう。やがて彼女のつやつやした短い髪を撫でながら、安岐は訊ねた。

「朱夏、やっぱり外へ出たい?」
「出たい。『命令』を入れたのが奴だったとしても、それが都市を元に戻す計画の一つであったとしても――― そうしなくては、私はずっとそこで立ち止まっている気がする」
「立ち止まって?」
「私の一部はずっと奴に握られたままということではないか。それは良くない――― えーと、嬉しくない――― じゃなくて」

 言いたいことは判る。

「だから、これは都市がどうとか、じゃなくて、私の問題なんだ。奴が何を企んでいようと、それが私の、奴に握られている部分を自由にできるなら」
「そのために、BBのFEWを探しに行きたい?」
「ああ。でも安岐が付き合う必要はないぞ」
「どうして?」

 少しばかり彼は驚く。

「だってこれは私の問題だ。確かに安岐が居たら私は…… えーと、嬉しいが」
「俺が居ると、嬉しい?」
「使い方、間違っていないか?居ないと寂しい、の逆を捜したんだが」
「正しいよ」
「良かった」
「だから俺も行く」
「安岐」
「HALが何を考えているのかは知らないけれど、俺は朱夏のためになら動けるよ。だから一緒に行こう」

 ごめん津島。
 左腕の痛みはまだ残っている。
 だけど俺はそうしたいんだ。

 安岐は内心つぶやく。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ミュージカル小説 ~踊る公園~

右京之介
現代文学
集英社ライトノベル新人賞1次選考通過作品。 その街に広い空き地があった。 暴力団砂猫組は、地元の皆さんに喜んでもらおうと、そこへ公園を作った。 一方、宗教団体神々教は対抗して、神々公園を作り上げた。 ここに熾烈な公園戦争が勃発した。 ミュージカル小説という美しいタイトルとは名ばかり。 戦いはエスカレートし、お互いが殺し屋を雇い、果てしなき公園戦争へと突入して行く。

王都から追放されて、貴族学院の落ちこぼれ美少女たちを教育することになりました。

スタジオ.T
ファンタジー
☆毎日更新中☆  護衛任務の際に持ち場を離れて、仲間の救出を優先した王都兵団のダンテ(主人公)。  依頼人を危険に晒したとして、軍事裁判にかけられたダンテは、なぜか貴族学校の教員の職を任じられる。  疑問に思いながらも学校に到着したダンテを待っていたのは、五人の問題児たち。彼らを卒業させなければ、牢獄行きという崖っぷちの状況の中で、さまざまなトラブルが彼を襲う。  学園魔導ハイファンタジー。 ◆◆◆ 登場人物紹介 ダンテ・・・貴族学校の落ちこぼれ『ナッツ』クラスの担任。元王都兵団で、小隊長として様々な戦場を戦ってきた。戦闘経験は豊富だが、当然教員でもなければ、貴族でもない。何かと苦労が多い。 リリア・フラガラッハ・・・ナッツクラスの生徒。父親は剣聖として名高い人物であり、剣技における才能はピカイチ。しかし本人は重度の『戦闘恐怖症』で、実技試験を突破できずに落ちこぼれクラスに落とされる。 マキネス・サイレウス・・・ナッツクラスの生徒。治療魔導師の家系だが、触手の召喚しかできない。練習で校舎を破壊してしまう問題児。ダンテに好意を寄せている。 ミミ・・・ナッツクラスの生徒。猫耳の亜人。本来、貴族学校に亜人は入ることはできないが、アイリッシュ卿の特別措置により入学した。運動能力と魔法薬に関する知識が素晴らしい反面、学科科目が壊滅的。語尾は『ニャ』。 シオン・ルブラン・・・ナッツクラスの生徒。金髪ツインテールのムードメーカー。いつもおしゃれな服を着ている。特筆した魔導はないが、頭の回転も早く、学力も並以上。素行不良によりナッツクラスに落とされた。 イムドレッド・ブラッド・・・ナッツクラスの生徒。暗殺者の家系で、上級生に暴力を振るってクラスを落とされた問題児。現在不登校。シオンの幼馴染。 フジバナ・カイ・・・ダンテの元部下。ダンテのことを慕っており、窮地に陥った彼を助けにアカデミアまでやって来る。真面目な性格だが、若干天然なところがある。 アイリッシュ卿・・・行政司法機関「賢老院」のメンバーの一人。ダンテを牢獄送りから救い、代わりにナッツクラスの担任に任命した張本人。切れ者と恐れられるが、基本的には優しい老婦人。 バーンズ卿・・・何かとダンテを陥れようとする「賢老院」のメンバーの一人。ダンテが命令違反をしたことを根に持っており、どうにか牢獄送りにしてやろうと画策している。長年の不養生で、メタボ真っ盛り。 ブラム・バーンズ・・・最高位のパラディンクラスの生徒。リリアたちと同学年で、バーンズ家の嫡子。ナッツクラスのことを下に見ており、自分が絶対的な強者でないと気が済まない。いつも部下とファンの女子生徒を引き連れている。

極上の彼女と最愛の彼 Vol.2~Special episode~

葉月 まい
恋愛
『極上の彼女と最愛の彼』 ハッピーエンドのちょっと先😊 結ばれた瞳子と大河 そしてアートプラネッツのメンバーのその後… •• ⊰❉⊱……登場人物……⊰❉⊱•• 冴島(間宮) 瞳子(26歳)… 「オフィス フォーシーズンズ」イベントMC 冴島 大河(30歳)… デジタルコンテンツ制作会社 「アートプラネッツ」代表取締役

バイクごと異世界に転移したので美人店主と宅配弁当屋はじめました

福山陽士
ファンタジー
弁当屋でバイトをしていた大鳳正義《おおほうまさよし》は、突然宅配バイクごと異世界に転移してしまった。 現代日本とは何もかも違う世界に途方に暮れていた、その時。 「君、どうしたの?」 親切な女性、カルディナに助けてもらう。 カルディナは立地が悪すぎて今にも潰れそうになっている、定食屋の店主だった。 正義は助けてもらったお礼に「宅配をすればどう?」と提案。 カルディナの親友、魔法使いのララーベリントと共に店の再建に励むこととなったのだった。 『温かい料理を運ぶ』という概念がない世界で、みんなに美味しい料理を届けていく話。 ※のんびり進行です

神聖エレオス王国の追想

琴音
ファンタジー
 ―フトロポワン帝国との和平交渉が結ばれて2年。 国交が回復し、魔物の脅威も去った静謐な世情の中、友好記念祭が幕を開ける。 そんな中で過去を振り返りつつも、今を生きる人たちのお話。 『1話ごとが短いので、暇つぶしにどうぞ。』

ウィートレノベル

現代文学
高3夏休み目前にして 東北星欄大附属高校に転校となったうらこ。 同じ日に東北星欄大附属高校に転校してきたもうひとりの女子生徒。 そんなふたりを待ち構えていたのはシェアハウスでの新しい生活。 一緒に暮らす7人の仲間たちとシェアハウスに入り浸るアパート民6人。 以上14名の登場人物に加え、 毎回特別出演ゲスト1名でお送りする コミカルロマンチックストーリー! P.S. 著者の友人界隈でのストーリーとなっているために ストーリーの展開を掴みづらいかと思います。 その点につきましてはご了承下さいませませ。

妻(さい)

谷川流慕
現代文学
リストラで職を失い、バイトで食いつなぐが、生まれつきの不器用さで、どこへ行っても仕事がうまくいかない。そんなダメ男である僕にとって唯一の宝は、良妻賢母の妻とやんちゃだが可愛い子どもたちだった。妻は再婚であり、前夫とは死別していたのだが、なぜかその死因については話そうとしない。気になりつつ平穏な家庭生活を送るのだが……

異世界を【創造】【召喚】【付与】で無双します。

FREE
ファンタジー
ブラック企業へ就職して5年…今日も疲れ果て眠りにつく。 目が醒めるとそこは見慣れた部屋ではなかった。 ふと頭に直接聞こえる声。それに俺は火事で死んだことを伝えられ、異世界に転生できると言われる。 異世界、それは剣と魔法が存在するファンタジーな世界。 これは主人公、タイムが神様から選んだスキルで異世界を自由に生きる物語。 *リメイク作品です。

処理中です...