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22.「あの男は『面白い』と思った」

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「お早う東風。元気ないじゃない?」
「夏南子…… お前がいつも元気すぎるんだよ。俺は普通よ」
「あら? そんなこと言うと、あなたの仔猫ちゃんを誘拐しちゃうわよ? 朱夏お早う。元気?」

 夏南子は大きな胸を揺らしながら、窓のそばにちょんと座っている朱夏のそばへ寄る。
 彼女も東風同様、もともとこの都市の出身の人間ではない。他の地方からこの都市の国立大学へ入るためにやってきた類である。住み出したのが災難と言ってしまえばおしまいである。
 そして今は、この友人なのか愛人なのかよく判らない男の手伝いのようなことをしている。
 無論彼女も表の仕事は持っている。東風が「無能な家電製品店員」であるのとは大違いで、彼女は「優秀な事務員」をしていた。
 この都市から脱出するのあきらめた後、しばらく彼らは何をして良いのか判らなかった。その時とりあえず就いた職が、「表」の顔になっている。
 「裏」の顔ができはじめたのは、「表」の生活に慣れだしてから半年くらい経ってからだった。

 きっかけは「OS」という地域だった。電化街である。
 だが無論他のものもある。例えば本屋、例えば事務機器屋。
 そんな電化街的な本屋の片隅に、掲示板があった。その一つに夏南子が目を止めたのがきっかけである。
 レプリカントのチューナーが、パートもしくは内職としての助手を求めるものだった。その貼り紙を見ながら、その「条件」に当てはまる奴のことを思い出していた。
 当時東風は、本当に「無能な店員」だった。
 それまでに起こった諸々のこと、そしてそれらを処理できなかった自分に落ち込んでいた。情けない、と喝を入れる夏南子に反論の一つも言えなかったのだから、本当に情けない。
 夏南子は元気だった。
 元気でないといけない、と思っていた。
 彼らは最後の脱出の際、友人をなくしていた。一人は川へ落ち、もう一人は去っていった。
 川へ落ちたのは共通の友人だった。そして去っていったのは、その友人を介して出会った、東風にしては数少ない友人だった。
 彼が滅入っているのは、川へ落ちた友人を悲しんで、というよりは、友人に去られてしまったことだろう、と夏南子は理解していた。
 気むずかしい、という程ではないのだが、どうもこれといった友人ができにくい東風にとって、その友人は大切なものだったのは事実なのだ。
 もちろん夏南子にとってもその友人は友人であった。だが去られたなら仕方がないではないか、と彼女は思う。それでうだうだうだうだ同じ問いを繰り返して悩むなぞ、時間の無駄だ、と思う。

 まあ尤も。

 彼女は思う。
 自分にとってその友人と東風とどちらが大切か、と問われたら確実に今いるあの男の方が、自分は大切なのだからそう思えるのかもしれない。
 もしも自分が彼の立場だったらどうか判らないとは思う。
 だけどその悩んでいる期間が長すぎた。いい加減にしろ、と彼女は思う。
 そこで東風に黙って、そこへ連絡をつけてしまったのだ。
 無論彼はそんな勝手に、と当初驚いた。だが怒る気力もなかったらしい。そこで夏南子は、無能な店員には休みを無理矢理とらせて、その貼り紙の主のもとへ「助手」に行かせた。

 正解だった。

 結果として、東風はその呼び名で裏で知られるレプリカント・チューナーになったのだ。
 彼は一度、彼女に何故自分で行かなかったのか、と訊ねたことがある。すると彼女は言った。

「あいにくあたしはあんたのように一つのことで延々集中できるひとじゃあないの」

 なるほど、と彼は思った。
 彼女は相変わらず彼の友人とも愛人ともしれない相手である。

「……あれ? 元気ないね。どうしたの?」

 夏南子が部屋の中を眺め渡すと、開け放った窓のそばにあるカウチに座り、朱夏はぼんやりと階下の人通りを眺めていた。珍しいことである。

「こいつ朝帰りだからな。疲れてるんだろ」

 隠してはいるが、東風は何となくふてくされた様な口調である。それはすぐに夏南子には判る。

「朝帰り?」

 ああそれでご機嫌斜めなのね、と夏南子はくすりと笑う。
 東風にとって朱夏は妹である。理性はどうあれ、感情は、妹が朝帰りすれば確かに揺らぐだろう。

「朱ー夏ちゃん? ねえねえ」

 夏南子は朱夏の横にかける。朱夏は不意に振り返る。

「夏南子?」
「ずいぶん成長したのねえっ。おねーさんは嬉しいわ」

 東風に見せつけるかように夏南子はうきうきした様子になっている。朱夏はその様子には構わず、問いかけた。

「夏南子は誰かと寝たことがあるか?」
「はい?」

 朱夏は同じ質問を平然と繰り返す。
 さすがの夏南子もそういう質問が朱夏から来るとは思わなかった。表の仕事の同僚の女の子だの、東風から来るならともかく。
 思わず夏南子は焦る自分に気付く。不覚にも赤面している自分に気付く。
 まるで児童に「赤ちゃんはどうやって作るの?」と問われた小学校教師のようだ。

「無いのか?」
「あるわよ。まあそこのおにーさんとが多いけど」

 親指でやはり脱力している東風を指す。

「ふーん」
「どうしたの? 何か東風にされた?」
「おい夏南子っ」

 さすがに東風も平静ではなかったと見えて、思わず彼女の名前を呼んでしまった。眉を寄せ、彼は冗談じゃない、と付け足し、

「俺がする訳ないだろう?」
「でしょうねえ。今更この子であんたが欲情することもないでしょう?」

 夏南子はひらひらと右手を振って、左手で朱夏の肩を抱く。部外者は何処か行け、とでも言うように。

「おい」
「別に東風とは関係ないが」

 朱夏が口を開く。視線はぼんやりと前方を流れている。

「面白いものだな、と思った」
「好きなひと、できたの?」

 にこにこしながら夏南子は朱夏の顔をのぞき込む。朱夏はやや目を伏せる。つきあいの長い夏南子は、それが朱夏のあまり多くない表情の中でも、困った時のものだということを知っている。

「夏南子はまた私の理解できない言葉を言う」
「あ、ごめん」
「月曜日の夜、ギターを弾いてた私のことを綺麗と言った。綺麗なものは好きだと言った。昨日会った時、あいだ抜きで好きだと言った」
「へえ」

 何て急ぎ足なんだろう、と夏南子もさすがにあきれる。
 朱夏の口調では、会って二日目でそうなってしまったということである。
 今の子供達ってそういうものかしら、と彼女は内心つぶやく。まあ子供達どーの、と言うほど彼女も歳を取っている訳ではないが。

「でもやっぱり好きというのがよく判らない。どういうものなんだろう? 言葉として相手はできるけど、意味がよく判らないのはやっぱり心地が悪い」

 ああそれで沈んでいたのか。

「でも朱夏はよく『面白い』は使うじゃない。それもなかなか分かりにくかったんじゃなくて?」
「面白い、はあのときの夏南子の説明が分かりやすかった。『もっと知りたい』という状態だろう? そこで行っていることとか、そこにあるものとか、そういったもろもろが」
「そういう面が大きい、とは言ったわね、あの時は。それが全てではないけど。私にとってはその面が大きかったから」
「それは俺も同じだな。『楽しい』もあるけど、『面白い』は興味の方に近いもんな」

 東風は作業の手を限界、とばかりに止めると、空の椅子を一つ引っ張ると、二人のそばに置いてかける。

「そういう意味で言うと、あの男は『面白い』と思った」
「ほー」

 東風と夏南子は顔を見合わせる。これはこれは。

「んー、もう可愛い」
「夏南子っ」

 朱夏がわめこうが何だろうが、そう夏南子が思ってしまった時には、彼女のスキンシップ攻撃が始まるのである。まあ実際は朱夏はわめきはしないんだが。 
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