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第44話 貫天楼に爆発物

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 ああそう、と鷹は立ち上がると、ホッブスの足下めがけて銃の引き金を弾いた。ずん、と低い音がして、木製の床に、穴が空いた。そしてそれを放り出すと、彼は相棒に向かって行くよ、と呼びかけた。
 だが扉を出ようとした時だった。おい、とホッブスの声がしたので鷹は振り向く。何かがふわ、と投げられる。彼はそれを器用に受け取ると、手を広げて見る。
 カラフルな髪ゴムのパッケージがそこにはあった。

「長生きしろよ、ホッブス」
「ふん、貴様の死体を見つけて踏んづけてやるさ」

 鷹はそれを聞くと口元をきゅっと上げた。そして相棒の肩を抱くと、改めて扉に手をかけた。



「どうしちゃったのかしら、オリイ君ずっと来ないわね……」

 その被のDear Peopleの編集部は静かだった。皆出払っていた。ドーソン女史は、自分の担当する記事の資料を傍らに、かたかたと原稿を打っていた。
 だが一人で居ても、つい言葉が口をつく。そして言ってしまってから、ああやだ、と口を押さえる。
 もう三日、無断欠勤しているのだ。
 そして今日もまた、来る気配はない。彼女は静かな仕事場のにこの静けさを持て余していた。
 ところがその静けさは、一瞬にして破られた。
 扉が大きく開く。

「オリイ君?」

 彼女は声を上げる。だが入ってきたのは、可愛らしい同僚だけではない。

「ドーソンさん…… ディックさん、何処?」
「オリイ君、喋れる様になったの?!」
「今はそんなこと、言ってる暇は無いんです、すいませんがお嬢さん、ディックさんの行き先を知りませんか?」
「お嬢さん? 冗談は止して下さいな。あなた誰? オリイ君の、友達? いきなり来てこれは無いんじゃないの?」
「ごめん…… このひとは、俺の」

 オリイはたどたどしい言葉で喋る。彼女はその続きを聞きたくはあった。だがどうも言葉を見つけられそうになさそうなオリイの様子を見ると、ああいいわ、と手を思わず挙げてしまう。

「友達? 恋人? まあどっちだっていいわ。ディック? ディックに何の用事なの?」

 彼女はすっと顔を上げて、鷹の方を見る。どうやら説明はこちらにさせた方が良さそうだった。

「確か彼、貫天楼の工事監督と知り合いと聞きました。貫天楼に危険が迫っている。ぜひ彼を通して、危険を知らせたいんだ!」
「危険」

 ドーソン女史は、その言葉を繰り返した。

「危険って」
「爆発物が、仕掛けられた可能性が高い。しかもその犯人の狙いは、帝都から来る皇族だ」
「ちょっ、ちょっと待ってよ……」

 いきなりそんなことを言われても、と女史は頭を抱える。

「いえあなたにどうこうしろって訳じゃないんです。ただ、だから、工事監督に知らせなくてはならないから、とにかく、ディックに知らせたいんです。教えてください」
「え、ええ……」

 女史は大慌てで、ディックの現在の居場所のメモに目を移した。そして数字をたどりながら、通信の№を入れる。

「あ、もしもし?」
「な、何だって?」

 通信の端末の向こうからの知らせに、ディックは大声を上げた。その時彼は、やっと立ち退きが完了して、工事に入りつつあった地雲閣の事務所に居た。
 彼はぱっとシェドリスの方を向くと、ぱたぱた、と手招きをした。シェドリスは何だ何だ、という様に見ていた書類を置く。

「一体、それは誰が言ったの、女史」
『えっと…… ほら、この二人』

 女史は身体を斜めにして、二人を画面に入る様にする。

「君は」
「君は」

 二人の声が重なって、ディックは反射的にシェドリスの方を向いていた。視線が急に合ったので、ディックは驚いた。そして黙った。
 だが更に驚くことに、シェドリスは次の瞬間、ディックをその場から押しのけたのである。

「シェドリス……?」
「どういうことだ、君!」

 その声に返す声が、画面の中から聞こえる。確かこれは、オリイの連れだった男だ。あの特徴のある声には聞き覚えがある。

『ホッブスを覚えている?』
「ああ。ここへ来て、最初に行った。理由は判るだろう?」
「ホッブスに、会っているのか? シェドリス!」
「今君とその話をしている暇はない。……ああ君、それで、奴がどうした?」
『奴が組んでいる奴らが、貫天楼に爆発物を仕掛けたらしい。店に余りの時限発火式がごまんとあった。あれを余り、と言うとしたら』
「……何処に仕掛けたか想像がつかん!」
『俺は別に皇族が死のうが何だろうが知ったことじゃないし、それはあんたもそうだろう。だがこのままでは貫天楼が爆破される。それだけはあんたは阻止したいだろう?』
「……君に言われるのは非常にしゃくだが、確かにそうだ。僕もユタ氏がどうなろうが知ったことではないが、あれが壊されるのはたまらなく嫌だ」
『そりゃあんたは、そうだろうな』

 画面の向こうの男は、やや意地悪そうに笑った。

『あれはあんたとサーティン氏の記念だからな』

 何だって?
 ディックは目を思い切り広げた。

『いい加減潮時だ。あんたはディックに言った方がいい。あんたはシェドリスじゃない。そして』
「やめろ!」

 ばん、と彼はデスクを叩いた。小型の端末は、その震動でぐらり、と揺れる。

「なるほど言わされるのは好きではない。だが、他人に自分のことを先に言われるのはもっと嫌だ」
『損な性分だね、お互い』
「言われたくないね、第七世代君」

 何の話だ、とディックは思った。この目の前に居るシェドリスは、シェドリスではないというのか?
 もっとも、その名前が果たして本当にその人間を指すのか、というのはひどく曖昧なものである。そう言われて初めてその人間は「そう」なるのだ。
 自分だってそうだ。ディックと名乗ってはいる。確かにその名前と同じ名前を持っていた。だがここに居る自分はかつてここに居たディックを名乗っているのだ。

「そうだディック、僕はシェドリスじゃない。君が昔会った、シェドリス・Eは僕じゃあない」
「……それじゃあ君は、一体、誰だと言うんだ?」
「ナガノだよ」

 低い声が、背後から聞こえた。

「監督……」
「悪いな、北の外壁の塗装のことについて相談があったんだが…… それどころじゃなさそうだな」
「ええ、それどころじゃあない。すぐに何とかしなければ」

 シェドリスはデスクに手をついて立ち上がった。

『協力する。入り口の通行許可を出してくれないか』
「判った。何とかしよう。……僕らも急ごう。……あ、ディック、君は残ってくれ」
「何で俺が!」

 ディックは思わず叫んでいた。

「ここまで来て、つまはじきっていうのか?」
「……いやそうではない。……だが危険なんだ。君が向こうに行ったところで、何もできない」
「何だよそれ」

 ひどく腹が立ってくる。ぷ、と通信回線を切りながら、それでも冷静な顔をしているシェドリスに対して、ディックはひどく腹が立ってくるのを感じた。

「それに、何だよ、俺はまだ君が何であるか、も聞いていない」
「記者さんよ」

 サイドリバー監督は、腰に手を当て、重い声で彼を止めた。

「今はそんなこと言ってる場合じゃあないだろ? そんな話は後でもできる」
「ディック、俺は君に必ず話す。それに僕はまだそれ以外にも君に告げなくてはならないことだってある。だから、君はここで待っていてくれないか。ここには誰かしらいないと困るんだ」

 そしてシェドリスは、彼の両肩に手を置いた。

「判って欲しい」

 薄青の瞳が、真っ向から彼を見据えた。ディックは黙ってうなづいた。
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