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第35話 ディックはサイドリバー監督に会いに行く
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扉を開けると、何か何処かで嗅いだ匂いがした。何だっただろう、とディックは思う。
「おう、よく来たな、記者さん」
「すみません、いきなり押し掛けて……」
ディックは恐縮する。だが目の前のサイドリバーはそんな彼の背をばん、と叩くと中に迎え入れた。
「まあ固いことは言いっこなしだ。あんた等の雑誌は、こっち来てからまだ大した時間は経っちゃいないが、女房は重宝しているようだ」
「あ、ありがとうございます」
「食事はしてきたか?してなかったら食っていけばいい。それともお前さんも女房持ちかい?」
「まあそんなものですが」
彼は言葉を濁した。できれば、彼女をそういう言葉でくくってしまいたい自分も居るのだ。言葉一つの問題じゃないか、という気もする。だがその一つが重要なこともあるのだ。
「でも彼女も仕事が忙しいですから…… どっちにしても、今日は一緒に食事はできないんですよ」
「ふうん。じゃ食っていきな」
そう言ってから、サイドリバーは急に顔を近づけ、声のトーンを落とした。
「……実はな、今日の料理は客人が作ってるんだ」
「客人?」
「……ったくうちの総監督は、すぐにややこしい事を俺に押し付ける」
総監督。シェドリスのことだろうか。そういえば、と彼は耳を澄ませる。台所から聞こえる女性の声は複数だった。ずいぶんと楽しそうな様子に、娘が一緒に住んでいるのだろうか、と彼も一瞬考えたが、どうもそういうことではないらしい。
「ほれ、お前らがこないだ連れてきた、あの地雲閣の住人が居たろ?」
「あ?はい、居ましたね。責任持ってお嬢さんを探すから、と……」
確か名前はアナ・Eとか言った……
「で、だ。奴ときたら、その女性は神経が不安定だから、ちょっと預かっていて欲しい、だ」
「は」
ディックは目を丸くする。サイドリバーの太い眉が、やや露骨なまでに寄せられる。
「まあいいけどよ。奴のことだ」
「ずいぶんとシェドリスと仲がいいんですね」
不意にそんな言葉がディックの口から漏れる。途端、サイドリバーの表情が露骨に嫌そうなものになった。そしてよしてくれ、と彼は吐き捨てるように言う。
「ま、来いや。女どもが食事の支度をしていてくれるうちに、こっちも話を済ませようや」
「はい」
そして言われるままにディックは居間へと通された。この街でよくある期間賃貸住宅のままに、サイドリバーは薄い草編みのカーペットの上に直に座り込むと、棚から口の部分に布の巻かれた瓶を取り出した。その中の色からして、どうやら果実酒らしい。
「あなたっ! まだ食事前なんですからねっ!」
サイドリバーは思わず肩をすくめる。どうやら食事前の飲酒は奥方に止められているらしい、とディックは気付く。そしてこの監督が、どうやら奥方には弱いらしいということも。
「……客なんだぜ…… 少しくらいいいだろう?」
「だったら思い切り割って下さい。はい、炭酸水。これは冷えてる方が美味しいの。はい氷。すみませんね、お食事は素面で取ったほうが美味しゅうございますのよ」
奥方はそう言って、両手に炭酸水の瓶と氷の入った器を二人の前に置いた。歳の頃は監督と大して変わらないように見えるのだが、ずいぶんと元気な人だ、とディックは感心する。
「ま、あいつがああいうからな。それにまあ、自分で作ったものにはやっぱり愛着が湧くらしいな。俺が何も考えずにちゃんぽんにして呑もうとすると、途端に『駄目!』だ」
だけどそうやってぶつぶつと言うその口調は、決して悪いものではなかった。むしろ仕方ないな、と言いたげな、何処か照れと優しさが混じったものに彼には感じられたのだ。
そして奥方の言ったように、濃い色の果実酒を炭酸水と氷で割ったところ、コップの中の液体は、明るい、色鮮やかなものに変わった。
「それで、記者さんよ」
「ディックです」
「そうディック、俺に聞きたいことがあるって言ったな。何だ? 俺は回りくどいのは好かん。さっと聞けさっと」
「さっと、ですか」
ディックは少しばかり考える。自分は一体まず何を聞きたいと思っていたのだろう。
「サイドリバー監督は、昔、このコロニーをプレィ・パァクにする時に、直接製作に加わったスタッフだったんですよね」
「ああそうだ。おかげで今の今まで、こうやって借り出されてる」
胡座を組み、だがちびりちびりと監督は果実酒をすする。
この人には、確かに、回りくどい言い方は逆効果だと彼は思う。できるだけ率直。それがどうもこの「現場」監督には正しい姿勢であるように思えた。
「俺は、今サーティン・LB氏についての…… 人物伝のようなものを書こうとしてるんですが、どうしても、その中で、この…… あなた方の関わっている、このルナパァクを作った時代に関して、よく判らないことが多いんです」
「彼について? や、俺達もよくは判らなかったよ」
「でもあなたは計画から加わっていたんでしょう?」
「よく調べてるじゃないか、記者さん」
「ディックです」
「そうディック。そう、俺は確かに計画段階から加わってはいたがな、あまり口出しをした方じゃない。計画を立てるよりは実行する方が得意だったからな。俺はやっぱり当時も現場監督だった。机の上でかりかりとやってる方の計画に関しては、旦那とナガノ、それに何人かの連中に任せたよ」
「……そのナガノさんのことなんですが」
ず、とコップの中身をすする音が彼の耳に届く。氷がからん、と音を立てた。
「ナガノのことを、聞きたいのか?」
「はい」
「結局、それが聞きたいんだな?」
「……はい、すみません」
彼は何となく顔を伏せる。妙に、この監督の前だと、下手なことは言えない様な気がするのだ。それはどちらかというと、父親ではないが、父親の前に出たような気分によく似ていた。自分の本当の父親は、とうの昔に記憶の彼方だ。その記憶も大した量は無い。
「おう、よく来たな、記者さん」
「すみません、いきなり押し掛けて……」
ディックは恐縮する。だが目の前のサイドリバーはそんな彼の背をばん、と叩くと中に迎え入れた。
「まあ固いことは言いっこなしだ。あんた等の雑誌は、こっち来てからまだ大した時間は経っちゃいないが、女房は重宝しているようだ」
「あ、ありがとうございます」
「食事はしてきたか?してなかったら食っていけばいい。それともお前さんも女房持ちかい?」
「まあそんなものですが」
彼は言葉を濁した。できれば、彼女をそういう言葉でくくってしまいたい自分も居るのだ。言葉一つの問題じゃないか、という気もする。だがその一つが重要なこともあるのだ。
「でも彼女も仕事が忙しいですから…… どっちにしても、今日は一緒に食事はできないんですよ」
「ふうん。じゃ食っていきな」
そう言ってから、サイドリバーは急に顔を近づけ、声のトーンを落とした。
「……実はな、今日の料理は客人が作ってるんだ」
「客人?」
「……ったくうちの総監督は、すぐにややこしい事を俺に押し付ける」
総監督。シェドリスのことだろうか。そういえば、と彼は耳を澄ませる。台所から聞こえる女性の声は複数だった。ずいぶんと楽しそうな様子に、娘が一緒に住んでいるのだろうか、と彼も一瞬考えたが、どうもそういうことではないらしい。
「ほれ、お前らがこないだ連れてきた、あの地雲閣の住人が居たろ?」
「あ?はい、居ましたね。責任持ってお嬢さんを探すから、と……」
確か名前はアナ・Eとか言った……
「で、だ。奴ときたら、その女性は神経が不安定だから、ちょっと預かっていて欲しい、だ」
「は」
ディックは目を丸くする。サイドリバーの太い眉が、やや露骨なまでに寄せられる。
「まあいいけどよ。奴のことだ」
「ずいぶんとシェドリスと仲がいいんですね」
不意にそんな言葉がディックの口から漏れる。途端、サイドリバーの表情が露骨に嫌そうなものになった。そしてよしてくれ、と彼は吐き捨てるように言う。
「ま、来いや。女どもが食事の支度をしていてくれるうちに、こっちも話を済ませようや」
「はい」
そして言われるままにディックは居間へと通された。この街でよくある期間賃貸住宅のままに、サイドリバーは薄い草編みのカーペットの上に直に座り込むと、棚から口の部分に布の巻かれた瓶を取り出した。その中の色からして、どうやら果実酒らしい。
「あなたっ! まだ食事前なんですからねっ!」
サイドリバーは思わず肩をすくめる。どうやら食事前の飲酒は奥方に止められているらしい、とディックは気付く。そしてこの監督が、どうやら奥方には弱いらしいということも。
「……客なんだぜ…… 少しくらいいいだろう?」
「だったら思い切り割って下さい。はい、炭酸水。これは冷えてる方が美味しいの。はい氷。すみませんね、お食事は素面で取ったほうが美味しゅうございますのよ」
奥方はそう言って、両手に炭酸水の瓶と氷の入った器を二人の前に置いた。歳の頃は監督と大して変わらないように見えるのだが、ずいぶんと元気な人だ、とディックは感心する。
「ま、あいつがああいうからな。それにまあ、自分で作ったものにはやっぱり愛着が湧くらしいな。俺が何も考えずにちゃんぽんにして呑もうとすると、途端に『駄目!』だ」
だけどそうやってぶつぶつと言うその口調は、決して悪いものではなかった。むしろ仕方ないな、と言いたげな、何処か照れと優しさが混じったものに彼には感じられたのだ。
そして奥方の言ったように、濃い色の果実酒を炭酸水と氷で割ったところ、コップの中の液体は、明るい、色鮮やかなものに変わった。
「それで、記者さんよ」
「ディックです」
「そうディック、俺に聞きたいことがあるって言ったな。何だ? 俺は回りくどいのは好かん。さっと聞けさっと」
「さっと、ですか」
ディックは少しばかり考える。自分は一体まず何を聞きたいと思っていたのだろう。
「サイドリバー監督は、昔、このコロニーをプレィ・パァクにする時に、直接製作に加わったスタッフだったんですよね」
「ああそうだ。おかげで今の今まで、こうやって借り出されてる」
胡座を組み、だがちびりちびりと監督は果実酒をすする。
この人には、確かに、回りくどい言い方は逆効果だと彼は思う。できるだけ率直。それがどうもこの「現場」監督には正しい姿勢であるように思えた。
「俺は、今サーティン・LB氏についての…… 人物伝のようなものを書こうとしてるんですが、どうしても、その中で、この…… あなた方の関わっている、このルナパァクを作った時代に関して、よく判らないことが多いんです」
「彼について? や、俺達もよくは判らなかったよ」
「でもあなたは計画から加わっていたんでしょう?」
「よく調べてるじゃないか、記者さん」
「ディックです」
「そうディック。そう、俺は確かに計画段階から加わってはいたがな、あまり口出しをした方じゃない。計画を立てるよりは実行する方が得意だったからな。俺はやっぱり当時も現場監督だった。机の上でかりかりとやってる方の計画に関しては、旦那とナガノ、それに何人かの連中に任せたよ」
「……そのナガノさんのことなんですが」
ず、とコップの中身をすする音が彼の耳に届く。氷がからん、と音を立てた。
「ナガノのことを、聞きたいのか?」
「はい」
「結局、それが聞きたいんだな?」
「……はい、すみません」
彼は何となく顔を伏せる。妙に、この監督の前だと、下手なことは言えない様な気がするのだ。それはどちらかというと、父親ではないが、父親の前に出たような気分によく似ていた。自分の本当の父親は、とうの昔に記憶の彼方だ。その記憶も大した量は無い。
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