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第7話 「これが海だぞ海っ!!」

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 それからしばらくは二人も言葉少なになって、私は黙って車を進めて行った。
 相変わらず道には行き交う車の一つも無い。私達は延々続く道を、ひたすら走っていくだけだった。
 昼を過ぎ、夕刻近くなった頃に、東府の隣の地区境へとたどりついた。
 トンネルを過ぎたら、右側に大きく海が広がっていた。

「すっげー!」

 それまで黙っていたナガサキが急に大声を立てたので、私は思わずブレーキを踏みそうになった。

「ほら見てみいお前、これが海だぞ海っ!!」
「すごーい! 水平線が見える!」

 ミルまで一緒になって、後部座席が右側に傾きそうな勢いで、窓を開け、外の景色に目を奪われている。いや実際私もかなり感動しているのだ。トンネルを出た瞬間の、あのいきなり広がった視界には。
 まぶしかった。ぬける様な青空が、過ぎてきた西側に向かって、だんだん赤の色を増してゆく。その境目の、曖昧なパープルが。
 ナガサキが騒ぎ出すまで、私は口を半開きにしていたことに気付かなかった。

「いいよなあ…… こっち側って。オレ達の育ったとこって、こうゆうの無かったじゃん」
「君らは海沿いの都市じゃなかったのか?」
「あたしは一応海みたいなものはあったけど、海じゃなかったな」
「オレは都市の片隅生まれだからさ、都市から出たことなかったし。カモンに出会うまで」 
「海に似てるけど、海じゃないから、よくあんへるは本当に海が見たいって言ってたんだ」
「ああそうそう、そうゆうとこに、アイツ、いかれちまったんだよなー」

 そうだったそうだった、とナガサキはうなづく。

「君らが、林檎団を結成したのは、いつ?」

 聞いてないの、とミルは問い返す。一応聞いたことはある。だが何となく私の中に、私の聞いてきた情報への信頼が無くなりつつあったのは事実だ。

「君らに聞くのが一番確実だろう?」
「そらそーよね」

 ミルはうなづいた。

「最初はね、あたし等でもなければ、カモンやあんへるでもなかったのよ」
「違うのか?」
「林檎団ってのは、あたし等が出会った五十一番都市の中に、わりあい昔からあった『団』なの。下は十五くらいから、上は二十三くらいまでの下町育ちの連中が、徒党を組んでるだけの」
「ただそれがさ、奴が来て、リーダーの座を奪った時から、何か変わったんだよ」
「ってことは、ナガサキ、君は五十一番都市の生まれじゃなかった?」
「オレは二番都市の生まれだよ。でも何となく、居心地が悪かったんだ。だからもっと生きやすいトコへ行こう、っていう奴の手を必死で掴んでさ。そう必死だったよ? 奴はオレにこと絶対に甘やかさなかったから」
「それは正しいわよ。あんたなんか甘やかしてどーすんのよ」
「るさいなー」
「ミルは?」
「あたしは五十一番都市の生まれだったわ。うん、こいつ等が来る前から、林檎団には居たの。あんへるはその頃、元々の林檎団の男から目をつけらけてたんだけどね。でもあたしが居たから、あの娘に手を出そうってのはいなかったな。もっともさ、本当に手を出した奴もいたけど」
「カモンはちゃんといい仲になったじゃんか」
「じゃなくて、別の奴! 無理矢理襲おうとした奴がいたの!」
「えーっ、それオレ初耳」
「ったり前じゃない。あたし言ったことないもん」

 頼むからもっと声のヴォリュームを下げてくれ…… 一応ラジオもぼそぼそとつぶやき続けているが、その声がさっぱり聞こえてこない。
 と言うか、この車は何処か壊れているのか、ラジオはずっと点きっぱなしなのである。音量をずっと絞ってあるので、気にならないだけだ。

「でもそん時も彼女は彼女だったわ。あの可愛い顔で、冷静に男の股間を蹴りつけてたもん。すぐさま逃げて、あたしのとこにやってきて、それであたしが上のひとに言って、治まったけど。でもすぐにけろりとしてたな。むしろあたしの方がショックだった」
「その度胸の良さに、カモンは惚れたとか言ってたな。だからそこからなんだってば。おにーさん、あんた等が知ってる林檎団は。五十一番都市で、そんなガキばかりの集団でも中からこわれてきてさー、殺すまで行かないでも、ずいぶんとケガ人出して、結局オレ等、六人で車や単車を調達して、都市を出ちまったんだ」

 そこから、「あの」林檎団の歴史が始まる訳か、と私は納得した。

「でもきっかけは、あんへるが当時のリーダーに奪われそうになってたからだよね」
「そうそう」

 ナガサキは不服そうにうなづいた。

「五十一番都市に立ち止まったのも、あんへるを見てしまったからなんだよ。都市の近くで。だから都市にこっそり入り込んで、奴は見つけてしまったんだ。オレには止められなかった」
「そんなの、あたしにだって止められなかったよ」

 ひどく苦しそうに、ミルは言った。

「最初から、判っちゃったもん。やだよね、一目惚れって、ホントにあるんだよ? おにーさん判る?」
「……いや」
「奥さんいるんだろ? そうゆうこと、無かったのかよ?」

 そうは言われても。妻とはそんな、激しい恋をしたという訳ではなかった。
 ねおんは職場で出会った、大人しい女性だった。名前の華やかさとは裏腹に、大人しく、人が勧めるものを素直に受け入れるタイプだった。
 つまりは、私に関しても、彼女の友人からの勧めだったわけだ。
 彼女の同僚と、私の同僚が、つき合っていた。その関係で私達も何かと顔を合わせる様になり、気に掛かっていたところを、お互いの友人が引き合わせた。
 格別の美人というわけでもなく、話の内容が格別面白いという訳でもない。ただ、一緒に居ると、奇妙なほどにくつろげた。
 それでいて、仕事などで頼み事をするのがとても上手い。それも頭で考えてそうするのではなく、育ちがそうさせるのだろう、というように。頼んだ方はちゃんと相手がやりやすい様に段取りをつけておくし、きちんとお礼を忘れない。
 そんな、もの柔らかなしたたかさの様なものに、私はいつの間にか惹かれていた。
 でもそれは、一目惚れではない。時間を掛けなくては判らない部分もあるし、おそらく私が惹かれるのは、そういう部分なのだ。

「そういうことは、なかったな」

 私は正直に答える。この二人は、とにかく嘘はついていない。そんな気がする。言葉や動作が乱暴でも、嘘だけはついていないと。

「ふうん。でも、奥さんをアイしているんでしょ?」

 ああ、と私はうなづいた。
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