上 下
17 / 29

16話目 「その汚らしい発音で、喋るな!」

しおりを挟む
 沈黙を破ったのは、三人のうちの誰でもなかった。
 アーランははっとして振り向いた。カエンが立ち上がった。扉の一つが開いたのだ。

「おや、眠ってたんじゃなかったのですか?」

 奇妙に響く男の声がした。扉の前には小柄な男がにやにやと笑いを浮かべて立っていた。
 カエンが言ってた見張りの一人だ、とアーランは思った。
 撫で付けた髪は、既に薄くなりかかっているのを必死で隠しているようにも見える。結構多めに整髪剤を使っているのか、背後の室内灯の光が髪に当たっててらてらと光っていた。
 その後に一人、二人…… 五人の男達がついていた。総勢六人。

「もしもし?」

 先頭の男が三番目に向かってあごをしゃくる。

「そんなことありませんよお兄貴、だってありゃ専用の覚まし薬使わなきゃ、そう簡単には覚めねぇ奴ですぜ」
「やぁ、またとんでもないモノを掴まされましたねえ? この無能」

 先頭の男は、貼り付けた様な笑いのまま、のっそりと三番目の男を引きずり出す。横っ面を張り飛ばす。
 男は小柄だった。だが自分よりやや大きめの男を扉の外の壁に叩きつけるには充分な力を持っていた様だ。
 慌てて四番目と五番目が駆け寄る。壁に叩き付けられた三番目は、打ち所が悪いのか、その場にへたりこんでいた。
 アーランは息を呑んだ。
 子供同士のけんかならいくらでも見たことがあるが、大の男が力一杯殴り付ける/られるところなど見たことがない。

「……ひどい」

 しっ、とアーランは誰かが手で自分の口を塞ぐのを感じた。カラシュだった。平然として首を横に振っている。何事。

「まあよろしいでしょうね。お嬢さん方、起きたなら起きたでよろしいですが、ちょっとお付き合い願えませんか」
「何処へ」

 即、問い返したのはカエンだった。
 アーランは口を塞がれていて声が出せない。その上この男の喋り方に虫酸が走っていた。
 実に言葉使いは丁寧だが、その中に全く誠意が感じられない。ここまで徹底していたのはさすがに彼女にも始めてだった。

「お嬢さん方、別にねえあなた方のお身体に危害を加えようとかそういうのではございませんがねえ、ここに長い間閉じこめておく訳にはいかない、とおっしゃられる方がいるんですよねえ」
「嫌だ」

 またもカエンが即答した。

「そうですよねえ。そりゃあそうですよねえ。我々はあなた方を実に御無礼極まり無い方法で拉致させて頂いたんですからねえ。ええ当然ですねえ」

 語尾を伸ばす時に、「ア」と「エ」の中間のような濁った音を付ける。

「そうはおっしゃられてもねえ、そう勝手にされるとですねえ、我々も非常に困る訳なんですよねえ。できるだけ静かに言うこと聞いてくださいませんかねえ」

 今度は「エ」と「イ」の中間の音のようにも聞こえる。ひどく耳障りだ、とアーランは思う。

「嫌だ」

 カエンは同じ答を繰り返す。

「困りましたねえ。我々とてよおく判ってはいるのですよねえ。あなた方が晴れて『連合』への留学生として選ばれている方々でございましてねえ、もう出発の期日が決まっていることもですねえ、その期日までにみっちりと、本当にみっちりとお勉強なさらなくてはならないこともよおく判っているんですよねえ?でもそれはそれですよねえ。そんな事情は我々には関係ないですからねえ。我々は非常にあなた方にそうされると困るんですよ」

 むむむ、とアーランはカラシュの手の中でもがいた。
 カエンの大柄な身体と、幾つか積み上げた椅子のおかげでアーランとカラシュの姿は彼らの目には映りにくくなっていた。
 カラシュは再び首を横に振る。
 自分達の対応を全く何とも感じてない男に、カエンは再び言葉を投げる。

「そもそもあんたは誰なんだ。正体も言わずに閉じこめるなんて公正じゃない」
「そうですよねえ、公正じゃないですねえ。難しい言葉もよおく知ってらっしゃる。さすがに女の方で留学なんてする方は違いますねえ」

 笑いを決して崩さずに、男は一歩、カエンの方へ近付いた。
 カエンは慌てて一歩、しりぞく。
 瞬間、彼女でも背筋が一気に凍るような嫌悪感を目の前の見知らぬ男に感じた様だ。
 カエン、とアーランは叫びたかった。アーランも感じていた。近付かないでよカエンに! 触らないでよその手で!
 鼻に、おそらくはその男のらしい香水か整髪料の臭いが入り込んでくる。緊張のせいもあって、アーランは胸がむかついてくるのを感じた。

「とっても御説明差し上げたいんですがねえ…… そんなことすると我々が非常に悪い立場に陥るんですよねえ。そんなこと私だって彼らの上司という立場からしてしたくはございませんしねえ、あなた方だって良心が痛みませんかねえ?」

 喋るんじゃねえ、とアーランは叫びたくなっていた。
 施設では時々けんかの際に飛び出していた啖呵が飛び出しそうになる。
 本当に、生理的に胸がむかついてきていた。
 誰の良心が痛むってんだ! そうやっててめえは私達に責任転嫁させようっていうのか!
 アーランは、知っていた。
 これ程にでないにせよ、こんなに馬鹿丁寧に、そして下手に下手に出て喋る奴は、結局そんな飾り言葉に全く意味なんて持たせていないことを。
 彼らにとって、敬語とは相手への敬意から出てくるものではなく、自分の意志を押し通すための手段である。本心からの敬意なんて、一欠片も存在しないことを。
 もちろん自分も、かつてそうしてきた。そうしなかったら、世の中を渡ってこれなかった。
 だがそうしてきたからこそ判る。
 余計に嫌だったのだ。人の振り見て我が身振り返る。

 すげえ嫌だ。何て卑屈!何て汚らしい言葉!

 次の瞬間、アーランは思いきりカラシュの腕を解いていた。
 止める間もなかった。自分をそれまで隠してくれていた椅子の上に身体を乗り出すと、出る限りの声でアーランは叫んだ。

「その汚らしい発音で、喋るな!」

 男は、ぴくりとも表情を変えなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

七代目は「帝国」最後の皇后

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「帝国」貴族・ホロベシ男爵が流れ弾に当たり死亡。搬送する同行者のナギと大陸横断列車の個室が一緒になった「連合」の財団のぼんぼんシルベスタ・デカダ助教授は彼女に何を見るのか。 「四代目は身代わりの皇后」と同じ世界の二~三代先の時代の話。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

戦場立志伝

居眠り
SF
荒廃した地球を捨てた人類は宇宙へと飛び立つ。 運良く見つけた惑星で人類は民主国家ゾラ連合を 建国する。だが独裁を主張する一部の革命家たちがゾラ連合を脱出し、ガンダー帝国を築いてしまった。さらにその中でも過激な思想を持った過激派が宇宙海賊アビスを立ち上げた。それを抑える目的でゾラ連合からハル平和民主連合が結成されるなど宇宙は混沌の一途を辿る。 主人公のアルベルトは愛機に乗ってゾラ連合のエースパイロットとして戦場を駆ける。

I've always liked you ~ずっと君が好きだった~

伊織愁
恋愛
※別サイトで投稿していた短編集の作品を抜粋して、少し、修正をしたものです。 タイトル通り、『ずっと君が好きだった』をテーマにして書いています。 自己満足な小説ですが、気に入って頂ければ幸いです。 イラストは、作者が描いたものを使用しています。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

【前編完結】50のおっさん 精霊の使い魔になったけど 死んで自分の子供に生まれ変わる!?

眼鏡の似合う女性の眼鏡が好きなんです
ファンタジー
リストラされ、再就職先を見つけた帰りに、迷子の子供たちを見つけたので声をかけた。  これが全ての始まりだった。 声をかけた子供たち。実は、覚醒する前の精霊の王と女王。  なぜか真名を教えられ、知らない内に精霊王と精霊女王の加護を受けてしまう。 加護を受けたせいで、精霊の使い魔《エレメンタルファミリア》と為った50のおっさんこと芳乃《よしの》。  平凡な表の人間社会から、国から最重要危険人物に認定されてしまう。 果たして、芳乃の運命は如何に?

公爵令嬢オルタシアの最後の切り札

桜井正宗
恋愛
 公爵令嬢オルタシアは最後の切り札を持っている。  婚約破棄をつきつけられても、殺されかけても切り札でなんとかなる。  暗殺にあっても切り札で回避する。  毒を盛られても切り札で助かる。  オルタシアの切り札は最初で最後ではない。  人々の嫉妬、怨念、憎悪、嫌悪ある限り、オルタシアは何度でも最後の切り札を使える。

処理中です...